第13話 真夜中の追跡②

 二人はアマンダの家の前まで戻ってきた。

 こちらが引いたこと。

 そして、ヤコブが開放されたことがわかったのか、矢はそれ以降、撃ち込まれることはなかった。


「———テメェ、あいつを逃がしたな」


 低く、怒気が籠ったサォの言葉に、カリーナはどきり、とした。

 ミイラ君には見えないように逃がしたと思っていたが、彼はそんなことお見通しだと言わんばかりに、カリーナをにらみつけてくる。


「何故、逃がした?」


 誤魔化すことはできない。

 そう悟ったカリーナは、しばしの沈黙のあと、口を開いた。

 人生で一番、唇が重かった。


「……麻薬の密輸犯は、アマンダちゃんのお父様、ヤコブさんだった」


 うつむき、そう答えたカリーナに対し、サォは鼻で笑い、こう返す。


「へェ。なるほど。じゃあ、捕まえたらあの子が可哀そうだから逃がした、ってのか?」


 その問いに、カリーナは、首を縦に振った。


「…………俺の作戦を無視したのは、別にいい。それは、俺のとおたくの信頼関係構築の問題と、おたくが今まで腕っ節を鍛えてきた自負からと理解している。だがな」


 そこまで言うと、サォはカリーナの襟首を掴み、そのまま壁へ叩きつける。


「犯人を捕まえるチャンスを、お前は自分勝手な行動で終わらせた。その意味、分かってンだろうな」


 血走ったミイラ男の赤い双眸がぎろりとカリーナをにらみつける。


「密輸犯を捕まえられない俺らの任務は大失敗。今回、麻薬密輸犯を捕まえられなかったことで、麻薬によって人生を狂わされる人間が、何十、何百といる」


「でも! あの場所でヤコブさんを捕まえたらあの子はどうなるの? そこから未来のことは、誰が保証するの!?」


「テメェが養えばいいだろうが! オレは言ったはずだ! 最後まで面倒見切れねえなら、中途半端な正義感で首突っ込むんじゃねェと!」


「違う! あの子に必要なのは、親の代わりをしてくれる人じゃない! ヤコブさんが必要なのよ!」


「何がどう違うってンだ! ガキなんて適当に飯食って寝てクソして大きくなりゃあいいンだよ……それとも、たかだかあの子一人の人生が、麻薬で狂わされる人間の人生とは違う、とでも言いてえのか?」


「それは……」

 サォの正論に、カリーナは言葉に詰まる。


「確かに、仮に。今日親父さんを逃したことで、アマンダの未来は救われる方向に繋がった可能性もある。しかしだな。お前のその選択で、知らない人間何百もの人生が狂う方向に舵を切っちまった。ただの有象無象じゃねえ。一人ひとりに大切な家族、友達、恋人がいて、その人生が狂ってしまう。それが何百と起こる方向にだ」


 重い。

 サォの言葉の重みに、カリーナの背筋に冷や汗が伝う。

 ただ、それでも。

 それでも。


「————それでも、私にはできない」

「この期に及んでまだ何かほざくつもりか‼」


「君は経験したことがある? 誰にも守ってもらえない心細さに、毎日、明日が来るのが怖くて、眠れないで、こっそり泣いたりする、そんな辛さが」


「……何が言いてェンだよ」


「いつも割を食うのは、弱い人なのよ。私が強くなりたかった、神器が欲しいのは、割を食うのが嫌だから。でも、私が強くなる途中、神器を得る途中の道で、私のような不幸な子が生まれてしまうなら…………」


「要らねえと。だから、あの場で、親父さんを逃がしたってか」


 カリーナは頷いた。


「……いい加減、現実を見ろ。何かを成すためには、絶対に犠牲が必要なんだ。全部守るなんて、できっこねェンだよ」


 そこまで言うと、サォはカリーナを掴んでいた手を、うなだれるように放した。


 彼が正しいことは、重々承知している。

 しかし彼はあくまで憲兵。体制側の人間。

 大を生かすため、小を切り捨てる。

 そういう思考で、国を守り、世界を回してきた。


 それでも。

 小となり、切り捨てられた私のような人間は、どうなるのか。


 彼のように、大を生かすため小を捨てるという選択ができればどれだけ楽だったろう。

 しかし、それは、私にはできない。

 彼と私は、根本的に向いている方向が違う。


「任務の期限はもう過ぎた。お前の馬鹿行動は全部黙っててやるから、とっとと本部に戻り、商会長に土下座でもして謝りに行け。あのおっさんなら、クビにしても当面世話は見てくれるだろうしな。俺はこの町に残って麻薬密輸犯を捕まえる」


 そこまで言うと、サォは踵を返し、夜闇へと消えていった。

 カリーナは何もできず、力なくその場に座り込むことしかしかできなかった。

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