第2話 私が強くなった理由②
グレンとディルウィードが出て行ってから早数日。
グレンは言っていた。
絶対に屋敷の外に出ないこと。
変わりの従者たちの言うことをよく聞くこと。
そして、知らない人にあったら、自分の命を狙われていると思って、逃げて、隠れること。
最悪のパターンをから始まるグレンのいつもの説教と対して変わらない。
はずなのだが、カリーナは胸騒ぎがおさまらず、屋敷の外にも遊びに行く気にもならなかった。
かといって、家庭教師もおらずでやることがない。
カリーナは先生が不在の稽古場で木剣の素振りをしたり、グレンがおらずぐずる妹に絵本を読んであげたり、遊び相手になって時間をつぶす日々が続いた。
ほぼ軟禁状態の退屈な日々。
そんな中でも、楽しみを見つけることができるのが子供というもの。
カリーナは厨房に忍び込み、つまみ食いを覚えた。
代わりの従者たちはグレンのようにガミガミ叱ってくることはない。
これ幸いと、とカリーナは小腹が空けば厨房に忍び込んでこっそり果物や料理をつまみ食いする日々が続いた。
料理を沢山食べたいわけでもないが、相手に見つからないようにこっそり隠れて動けた時は先生とチェスをしている時のように面白かった。
そんなダメな方向の楽しみを見つけたカリーナ。
今日もブドウでもつまもうかな、と考えながら厨房へ行く途中。
ロビーを掃除していた侍女たちの会話をふと耳にした。
「ジョージ様、暗殺されたって本当?」
ある侍女が発した暗殺、という言葉に、カリーナは固まってしまう。
(お父様が、暗殺された?)
自分と同じ、栗色の髪と緑の瞳を持つ父親ジョージの顔が、カリーナの脳内を駆け巡る。
体は山のように大きく、無口だけどいつも優しいまなざしのお父様。
昔の似顔絵は物語の英雄のように凛々しい表情をしているが、今は髭を蓄えて、魔法使いのような顔をしている。
そんなお父様に、もう二度と会えない…………?
侍女たちはあーでもない、こーでもないと話していたが、カリーナは頭が真っ白になって、続きの内容はまったく頭に入ってこなかった。
仕事で邸宅になかなか戻ってこれないお父様が、帰ってきたとき一番にその大きい胸に飛び込むのが大好きだった。
大きい背中におんぶをしてもらったり、一緒にお馬に乗ったり。
もう二度と、それはできない。
お母様が流行り病で亡くなったときと同じ喪失感、いや、それ以上のものをまた味わうことになるのか。
そんなの嫌だ。
きっと悪い噂に違いない。
また、もう少ししたらグレンも、ディル先生と一緒にお父様も帰ってきて、あの大きな胸に飛び込める…………はずだ。
カリーナは心の中で何度もそう唱える。
しかし、数日前の最近のグレンの変な様子や、妙な胸騒ぎのせいで、その噂がどうにも嘘の噂だとは言い切ることはできなかった。
そして、あっという間に夜になった。
ここ最近は寂しいとぐずる妹と同じベッドで寝ていたが、カリーナは眠ることができなかった。
風が強く吹いており、窓枠がきしむ音が時折する。
外もなんだか騒がしく、野犬たちが遠吠えをしているのが聞こえた。
隣を見れば、妹がすぅ、すぅと静かな寝息を立てて寝ている。
まだ、妹は何も知らない。
お母様が、流行り病にかかって死んでしまった時、エレナはまだ生まれたばかりで物心がついていなかった。
三歳になっていろいろわかるようになってきた妹にとって、これが初めて経験する肉親の死となる。
どう伝えるべきだろうか。
お父様が亡くなったことが、本当で、それを知ったら、エレナはひどくショックをうけるだろう。
お母様の葬式の時、私は耐えきれず大声を出して、わんわん泣いてしまった。
あれからもう数年が経ち、悲しいけど何とか心の整理はつけたつもりだ。
でも、それはお父様、グレンやディル先生がいてくれたおかげでなんとか折り合いをつけられたこと。
今度は、そのお父様もいなくなる。
これを知った妹は、立ち直れるのだろうか。
傷つけてしまうなら、いっそのこと、真実は伝えない方が良いのではないか…………。
悩めど悩めど、答えは出ない。
頭の中で悶々と考えているうちに、風が止んでいた。
野犬の遠吠えもいつの間にか静まっている。
そして、わずかな静寂のあと、じゃり、じゃりと街道の石を踏み鳴らす音が遠くから聞こえた。
これは、馬の足音? それとも馬車の音?
グレンと先生…………いや、お父様かもしれない。
カリーナはベッドから跳ね起き、窓から外の様子を覗いてみた。
門の外にはなにもおらず、淡い期待を砕かれたカリーナはがっかりしてため息をつく。
しかし、それとは別に中庭にふたりの人影が見えた。
ひとりはうちの従者。
そして、もう一人は、鎧を着た騎士のような風体の人。
まるで玉ねぎのような形の兜を被り、片手に何か棒のようなものを持っていた。
誰だろう。こんな夜更けに、一体何をしているのか?
見回りであれば、たいまつやランタンをもっているはずなのに、二人とも何も持っていない。
カリーナは目を凝らしてじっと見つめていると、月を隠していた雲が晴れ、中庭の様子があらわになった。
月明りに照らされた中庭は、真っ赤に染まっていた。
使用人は力なく崩れ落ちており、その足元には真っ赤な池が。
玉ねぎ頭の鎧は、ところどころ赤いなにかがこびりついている。
そして、手に持っているのは斧。
斧から赤い液体が滴っているのが、遠目から見てもわかった。
使用人を、あの男が殺した。
そう理解するのに、時間はさほどかからなかった。
カリーナの全身に鳥肌が走る。
――――自分の命を狙われていると思って、逃げて、隠れてください。
グレンはそう言っていた。
なぜ狙われているのか。なぜこちらを襲うのか。
理由はわからない。
それでも、この場にいたら、あいつに殺されてしまう。
逃げなくちゃ。
すぐに窓枠から離れ、ベッドで眠る妹をゆすった。
「エレナ、起きて」
「……んぅ」
エレナはむにゃむにゃと寝ぼけて目をこすっている。
「なぁに、おねえちゃん」
「ついてきて。逃げるの!」
寝ぼけまなこのエレナの手を引いて、カリーナは階段を駆け下りていく。
行先は厨房。
あそこは、カリーナがこっそり入っても、使用人たちは気が付かなかった。
グレンに叱られた時、厨房の奥に隠れたら、なかなかみつからなかった覚えもある。
三階の隅にあるエレナの寝室から、一階に向かう階段を下りてゆく。
あとは、ロビーを突っ切れば、厨房にいける。
そう思い、階段を駆け降りる足は、耳をつんざくような悲鳴が聞こえたことで止まった。
階段からちらりと見えたロビーでは、惨状が繰り広げられていた。
逃げ惑う使用人たちを、野盗のような男たちが襲っている。
後ろから持っている剣で斬りつけたり、逃げ惑う人を弓矢で打って、喜びの嬌声をあげたり。
怒声に悲鳴が響き、阿鼻叫喚の現場と化していた。
命を狙われていると思って。その、グレンの言葉通りだった。
「おねえちゃ、なに、あれ」
エレナは状況を呑み込めておらず声を震わせる。
こっちはだめだ。厨房へ向かう途中に、野盗らに見つかって殺されてしまう。
「静かに。見たらダメ、戻るよ、エレナ」
やっぱり上に逃げるしかない。
振り返ると、そこには壁に立てかけられた、剣の装飾が目に入る。
いざという時、己の身は、己自身で守らねばなりませぬ。
ディル先生は、そう言っていた。
腕を伸ばし、壁にかかった剣を取る。
いつも使っている軽い木剣とは違い、ずしりと重たく、冷たい感触が手に伝わる。
ただ、その重みすらも、今は心強い。
それを担ぎ、カリーナはエレナの手を引いて来た道を引き返していく。
上に行って、どこで隠れればいいのだろう。
書斎? お父様の部屋? 自分たちの部屋に戻るべき?
ああでもない、こうでもないと考えながら考えながら大きな窓が並ぶ廊下に立ち入ると、そこにいたのは玉ねぎ頭の鎧騎士だった。
裏口から入り、上ってきたのか、鉢合わせてしまった。
騎士もこちらを見つけたようで、こちらに向かって一歩ずつ歩み寄ってくる。
下の階に逃げても野盗たちがいる。
隠れようにも、この廊下には物陰なんてない。
ほかの部屋に入り込んで隠れても、見つかるのは時間の問題だ。
……戦うしかない。
今、ここで。
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