星継のレガシリア

せみやまゆ~こ

序章 私が強くなった理由

第1話 私が強くなった理由①

 カリーナよ。強く在れ。

 それが人の上に立つ者の条件であり、責務である。

  

 カリーナは何度も、父親からそう言われた。

  

 幼い頃はわからなかったが、それから数年、カリーナはその言葉の意味を痛感することになった。

  

 それは、カリーナがまだ十一歳の時まで遡る。

  

「――――そして、英雄ヘラクレスは大蛇ヒュドラと戦いました。ヘラクレスが炎の弓矢を使うと、ヒュドラはたちまち丸焦げになりました。こうして化け物を退治したヘラクレスは村人たちからいっぱい感謝され、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」

  

 ここまで読み切って、カリーナはぱたんと絵本を閉じた。

  

「おねえちゃん、つづき、よんで」

  

 カリーナの膝の上で、長い前髪の隙間から覗く空のような青い瞳を輝かせながら、妹のエレナはたどたどしい口調で続きをねだった。

  

 この夏で三歳になったエレナは本が大好きだった。

 今はヘラクレスの物語にお熱で、読み聞かせてあげると目をきらきらと輝かせてくる。

「いいよ、次のお話、どの本だっけ」


 その姿がなんとも愛おしく、カリーナはそのおねだりを断ることができなかった。

  

「お嬢様、続きを読まれる前に、少しばかり。よろしいでしょうか?」


 続きの本を取ろうとしたカリーナは、背後からの低い声にぎょっとなって、おそるおそる声の方を向く。

  

 部屋の入口にいたのは、タキシードを着て、顔に鉄仮面を被る長身の男。

 執事兼カリーナの教育係をしている従者のグレンだった。

 鉄仮面をつけているのでグレンの表情はわからない。

 だが、その声色からかなりご立腹であることをカリーナはすぐに察した。

  

「グレン、何か用?」

「カリーナお嬢様、何か……どころではございません」


 黒革の手袋をつけたグレンの手はわなわなと震えている。


「このままではお嬢様のせいで! リンドヴァル家が没落します!!!!」

  

 あまりの突拍子のない話に、カリーナとエレナはぽかんと口をあけるしかできなかった。

 グレンは続けて話し続ける。


「家庭教師に悪戯をしたそうじゃないですか。すごい剣幕で怒って帰られました。あの人は学会でもかなりの権威を持つお方で、その人の機嫌を損ねると言うのは……」

  

 ――――またグレンの説教が始まった。

 いつも小言や説教を言われているカリーナは心の中で毒づいた。

  

 グレンは、ことあるごとにカリーナを叱っていた。

 食事でマナーが悪ければそれを叱り、屋敷を勝手に抜け出して外で遊んで来たら叱り。

  

 しかも、その叱り方の第一声が予想される最悪の結末から始まるのだ。

 そんなことはとうてい起こりっこないのに。

  

 説教を続けていたがカリーナに聞く気がないと察知したグレンは大きくため息をつき、頭を抱えた。

「全く……カリーナお嬢様、自覚を持ってください。あなたは次期リンドヴァル家の当主になられるお方なのですよ?」

  

 グレンが正しいことは、カリーナ自身、百も承知だった。

 正論をぶつけられてしまうと、言い返すのは難しいところではある。

 自分に非があるとわかってる以上、言い返すことは難しい。

  

 だが。

「でも、グレン。これには理由があって……」

「それはリンドヴァル家を没落の危機に晒してもやる価値があったものですか?」

  

 反論しても、グレンにぴしゃりと言い返され、ぐっ、とカリーナは言葉に詰まった。

  

「で、でもグレンが言うことはいつも大袈裟だって。そんなことにならないわよ」

「そんなことになったとき、責任を取れるのですか」

「だって」

「だってではありません…………お嬢様の勝手な行動でリンドヴァル家が没落なんてしたら、天国で見守る母上のアイリス様だって、安らかに眠れませんよ」

  

 グレンと話すといつもこうなる。

 あの手この手で切り返すグレンに言い返すことはできない。

  

 ただ、本当に教師を追い返した理由はある。

 どんなにグレンの言うことが正しくても、その理由すら聞いてもらえないのは、正直面白くない。

 正論で詰められて逃げ場のないカリーナは眉間にしわをよせ、ほほを膨らませた。

  

「お嬢様。不貞腐れるのはやめてください」

  

 大人のグレンや、ほかの従者たちがこの場で一部始終を見ていたらそう思うだろう。

  

 しかし、理由があっても聞いてくれないイライラを募らせていたカリーナにとって、その言葉は最後の引き金となった。

  

「ウッッッッッ!!!!!!」

  

 次の瞬間、グレンの股間に衝撃が走った。

  

 カリーナは、手よりも先に口が出るタイプの子だった。

 なので、カリーナは思い切りグレンの股間を蹴り上げていた。

  

 グレンは声にならない悲鳴を上げて前かがみになり、その場にへたり込む。

  

「グレンのばか! もういい!」

 うずくまるグレンを尻目に、カリーナは部屋を飛び出した。

「お、お待ちください、お嬢様……!」

 グレンは芋虫のようにはいずるが、走って逃げるカリーナには追いつけない。

  

「おお、神よ……なぜこのような試練を私に……」

  

「ぐれん、いたいいたいだね。いたいのいたいの、とんでけ」

 痛みに悶え、股間を抑えながら震えるグレンの背中を、部屋に残されたエレナがやさしくなでてあげた。

  

 §

  

「せんせえええ!」

 栗色のツインテールを揺らし、どたどたと走るカリーナが駆け込んだ先は稽古場。

  

「…………お嬢。屋敷の廊下は走ると危ないですよ」

 稽古場にいた痩せぎすで面長の男が、そう答えた。

 先生と呼ばれたこの男はディルウィード。

 リンドヴァル家に使える騎士であり、カリーナの剣術の先生でもある。

  

「何かありましたか?」

  

 駆け込んできたカリーナに、ディルはしゃがんで目線を合わせて語りかける。

  

「実は」

 カリーナは矢継ぎ早に、先ほどまであったことを語り切った。

  

「なるほど。そのようなことが」

 カリーナが話し切ったのを確認してから、ディルは穏やかな口調でそう言った。


「お嬢。男性の股間は大事な部分です。家臣の股間を蹴り上げるのは、関心しませんな」


「でも、人の急所を狙えって、言ったのは先生よ」


「……お嬢。私が教えているのは守りたいもののために戦う術です。相手がこちらに害をなし、倒すべき敵であった場合は急所を狙って倒すのが定石。ですが、身を案じて説教してくれる人を耳が痛いという理由で黙らせるために教えたわけではございません」

  

「…………むぅ」

  

 カリーナは唇をとがらせて抗議する。

  

「正論を並べられて反論できず、こちらの言い分も聞いてもらえない。悔しいお嬢の気持ちもわかります。ですが、このディルウィード、一家臣としては、グレン殿の気持ちも少しばかり汲んでいただきたいのです」

  

「グレンの、きもち?」

  

 普段考えていない言葉が先生の口から出てきて、カリーナは首を傾げた。

  

「左様です。グレン殿はお嬢が次期当主になることを疑っておりません。それゆえに、お嬢が立派になってほしい、そんな老婆心であれこれ言ってしまうのです」


「でも、言い方があるじゃん」


「そうですね。確かにグレン殿は正論で追い詰めることが多いので、少し物言いがきつく感じることもあると思います。ですが、それもお嬢が次代のリンドヴァル家を代表するお方として、恥ずかしくないよう教えてくれているのですよ」


「そうかなぁ」


「そうだと思いますよ。今まで貴族の当主が女性であった前例は帝国が始まって以来無いのです。男性が当主になるよりも、風当りが強いことは推測できます」


「……人が通った道じゃないといけないなんて、大人は臆病なのね」


「大人になると臆病になるものです。このディルウィードめも、例外ではございません」


 ディルは穏やかに笑って続けた。


「そんな皆が臆病になる中、グレン殿はお嬢が目指す未来を否定もせず、その一助になることを日々考えておられるのです。それゆえにガミガミうるさく言ってしまう。そんなグレン殿の気持ちを少しばかり汲んで、大人になってあげるのも、未来の主人の勤めですよ」


「ふ~ん」


 納得していないような、関心のないような。

 そんなカリーナの生返事にディルは思わず苦笑い。


「それに、このディルウィード、お嬢が理由もなく他人に悪戯などをするお方ではないことは重々承知しております。私でよければ、なぜそんなことをしたのか。お聞かせいただきたい」

  

 グレンと違って、基本聞き役に徹し、そのうえで子供扱いをせず、穏やかに話してくれる。

 そんな先生がカリーナは大好きだった。

  

「……あの家庭教師のおじさんがね、バカにしてきたからなの」

  

「ほう」

  

「私に問題を出して、それに間違えるとバカにしてくるのよ。お父様は戦場で功績を上げただけの筋肉馬鹿だから、その子供である私も勉強ができないとか。グレンは不細工だから、仮面で隠しているとか。先生は平民で、卑しい身分の出だから頭が悪くて戦場働きしかできない。だから先生の近くにいると筋肉バカがうつるとか…………」


「左様ですか…………」

  

 思い出して、また怒りがふつふつとわいてきたカリーナはどんどん早口になっていく。


 人に勉学を通して知恵を授ける教師なら、もう少し知性的な罵倒をしてほしいものだ、とディルはまたも苦笑い。

  

「第一、お父様が戦場に行くことが多かったのは、戦争で激しい時期だったからだし、グレンが鉄仮面をつけてるのは顔に大きなやけどがあって、私たちを怖がらせたくないからだし、それに貴族が優れてるみたいな考えは嫌!」


「お嬢にそう思っていただければ、外野からなんと言われようともこのディルウィードは気にしませんよ」


「私が気にするの! それに、一番ゆるせなかったのは、エレナのこと。エレナの顔には大きな等級紋があって、気持ちが悪いって言われたの」

  

 等級紋。それは神器の使い手になれる素質を表す痣のこと。

 素質を持つ人は体のどこかに星型の痣を持って生まれる。

 カリーナはそれを背中一面に、妹エレナは顔の右半分にそれを持って生まれた。

  

 大きければ大きいほど扱える魔法の強大さを表しており、父親のジョージも背中一面にその痣が広がっていた。

  

 等級紋は遠目から見れば唯の星型の痣だが、近くで見ると植物の根っこの様な形が集まってできており、見慣れない人が見るとぎょっとするものでもある。

  

「……それを一番気にしているのは、あの子自身なのに」

 とっさに言い返せなかった悔しさから、カリーナはきゅっと唇を噛む。

  

 そんなカリーナを見るディルウィードは思わず目を細めてしまう。

  

「……お嬢は優しいですね。家庭教師の一件についてはこのディルウィードも弁護しますので、一緒に謝りに行きましょう。グレン殿も石頭ではございません。事情を説明して反省すればきっと――――許してくれるはずですので、そんな嫌そうな顔をなさらないでください」


「…………先生がそういうなら」

  

「では、決まりですね。グレン殿のもとに参りましょう。ちなみに、家庭教師にはどんな悪戯を?」


「落とし穴にかけて」


「ふむ」


「木剣で叩いた」


 ディルは目頭を抑え、ため息とともに言った。

「お嬢、それは世間一般では悪戯ではなく暴行と言います」

  

 §

  

 ディルウィードに連れられ、謝るために屋敷へ戻ると、グレンが廊下で佇んでいた。

  

 グレンは全身を震わせていた。

 きっと、ものすごく怒っているだろう。

 でも、いけないことをしてしまったので謝らなくてはいけない。

 怖いけど、話しかけないことには何も変わらない。

 そう腹をくくったカリーナは、口を開いた。


「……………………ねえ、グレン」


 グレンはこちらを見ることもなく、動きもしない。

 無視された。これは、相当怒っている。

 冷や汗が背中を伝うが、始めたことはやり遂げないといけない。


「ごめんなさい…………」


 カリーナは、深々と頭を下げた。

「…………仕方ないですね。今回だけですよ?」

 いつものグレンであれば、こうやって許してくれていたと思う。

 だが、いつまでたってもグレンの返事は帰ってこなかった。

 おそるおそるカリーナが顔をあげると、グレンは話しかける前と同じ姿勢のまま、突っ立っていた。


「…………グレン? 蹴ったところ、まだ痛いの?」


 カリーナが不安になっていると、隣からディルが一歩前に出る。


「グレン殿。お嬢から事情は聴きました。お嬢の悪戯は過ぎたと思われますが、これには理由があってですね」


 一歩前に出たディルがグレンの肩に手をポンと置くと、グレンはビクリ、と大きく体を震わせた。

 そこから我に返ったようで、グレンは二人の方に体を向けた。


「え、あぁ、お嬢様とディルウィードさん……いつからそこに?」

「つい先ほどからですよ。お嬢の謝罪、聞いていなかったのですか?」

「あ、あぁ……謝罪ですね。失礼しました。すこしばかり、考え事をしておりまして、全く聞いておらず…………」


  グレンの声色は震えている。

 それに、グレンはいつもキビキビ動き回っており、考え事で手を止めることなど一度も見たことはない。

 怯えている。

 上手く言葉にはできなかったが、カリーナは直感的にそう感じた。

  

 グレンは一つ、咳払いをしてから言った。


「お嬢様、謝罪は受け取ります。しっかり反省なさってください。ディルウィードさん。少々お話があります。場所を変えましょう。書斎に行ってください」


 真剣な口調で話すグレンに、ディルも二つ返事で返し、その場を去る。

 グレンはゆっくりしゃがんで跪いて、カリーナに語りかける。


「カリーナお嬢様。少し、家を空けることになります。私とディルウィードさんが戻ってくるまで、屋敷の外にはでないこと。変わりの従者たちの言いつけをよく守るように」

 そっとグレンはカリーナの頭を撫でる。


「そして、知らない人がこの屋敷に入ってきたら……自分の命を狙われていると思って、逃げて、隠れてください」


 いつもの大袈裟な物言いだ。でも、カリーナはその言葉に、首を縦に振るしかできない。

 その様子を見たグレンは優しくカリーナを抱きしめた。


「すぐ、戻りますから」


 そのあと、グレンは踵を返して書斎に走って行ってしまった。

  

「…………へんなの。」


 ひとり残されたカリーナは、ぽつりとつぶやいた。

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