第二話 遅まきの挑戦と、第二派の衝撃と。

場違いかも?

第一印象はこれに尽きましたね。


無事に入学したシナリオ学校は、それまでボクが過ごしてきた景色とは全く異なるものでした。

皆さん、静かに席に座って、講義が始まるのをじっと待っている。

当たり前と言われればその通りなのですが……。

とにかく勉強というものが大の苦手で、出来る限り遠ざけて来た代償を痛感しました。


物書きになりたくて集まった人たち。

ボクのような役者崩れではなく、最初から作家を目指して生きてきた人たち。

しかも、その大多数は若くて将来の伸びしろに満ちている。


焦りました。

そして同時に恐怖しました。

「あの映画の○○監督が……」とか「あのドラマの脚本の○○さんが……」とか。


全く売れなかったけれど、一応とはいえ役者をしてきた経験上、映画もドラマも人並み以上には接してきたつもりでした。


でも、彼らの観方は全くの別物でした。

“診方”と字を当てはめても成立するような、分析めいたものだったのです。


「これは、同じことをしていたら絶対に勝てない……。」


クラスメイト達の話についていけず、「ごめんなさい」や「すみません」を多投するボク。

その日から、一日一本の映画を観ることを自分自身に課しました。


とはいえ、自己免疫疾患の持病があるため、映画館には行けない。

しかたなく、近所のレンタルビデオショップでDVDを借りあさる毎日。


「ただ観ているだけでは勿体ない」との友人のアドバイスをもとに、当時書いていたブログにその日に観た映画のあらすじを書き、企画書の練習をしたりして。


毎朝6時に起きてはDVDをセットして映画を鑑賞する。

このルーティーンが根付き始めたころ、狙いすましたように難病が再燃。


何をやっても自分が自分の邪魔をする。

苛立ちましたねぇ。

歯痒くて、情けなくて、もっと自分の事が嫌いになる。


でも、入院した時は、持て余した時間をフル活用して一日に何本も観ました。

その後も数回の再燃をして、入退院を繰り返しながら、これだけは意地でも続けて……。

結果、上映中の最新作こそ観れなかったけれど、一年で380本以上の映画を観れました。

我ながら、よく頑張りました。

ささやかながら、数少ない成功体験です。


反対に、全く出来なかったこともありますね。

この学校では毎週あるお題をテーマに、オリジナルの短編シナリオを書く課題がありました。

そして、各々が書いた作品を、クラスメイト達から批評してもらうというもの。


自分の作品に対する批評は、肯定的なものも否定的なものも、貴重なヒントとして大切に聴かせていただきました。


でも……。

誰かの作品に対する自分の感想はといえば……本当のところは言えていませんでしたよね。


それは、自分に自信がなかったから。

自分なりの改定案はあったものの、果たしてそれが正しいのか?

単純に自分の好みに強制しようとしているだけなんじゃないだろうか?

そんな想いに負けて、何度も言葉を飲み込んでは、当たり障りのない感想だけを言っていましたね。


卑怯者。

皆さんからはヒントを貰い、自分からは渡さない。

正しいとか、自信がないとか。

全ては言い訳でしかない。

ただ、恥をかきたくなかっただけだったんじゃないでしょうか。

何者でもない今の自分には、そう思えてなりません。


それからも、難病の再燃を繰り返し、自宅と病院と学校だけが世界の全てになりました。

そんな小さな世界で生きるボクの拙い作品でも、想いを受け取って下さる方が数名いらっしゃいました。


あるプロデューサーさんは、プロットライターと呼ばれるいわゆる企画書を書く一人として、目をかけて下さいました。

また、とある芸能事務所の企画会議にも、プロットライターとして参加させていただきました。


もしかしたら、作家と呼ばれる人になれるんじゃないだろうか。

そんな淡く脆い期待を抱いていたある日。


右足の股関節に経験したことのない激痛が走りましたね。

多発性硬化症で左足全体に痺れはあったものの、右足は大丈夫なはずじゃ……。

歩こうにも、足がほぼ上げられない。

「これは、只事ではないかもしれない……」


すぐに整形外科に行き、検査をしてもらうも診断は異常なし。

「そんなはずはないのに……」

と思うのだが、医者曰く「レントゲンの映像では、股関節の形状も綺麗で全く以上はない」とのこと。


医者がそういうのだから、きっとそうなんだろう。

もしかしたら、何かから逃げるために自分自身がそう思い込んでいるだけなのでは?

そんな疑心暗鬼も浮かんでくる。


それでも、現実問題として、右股関節は日に日に痛みを増していく。

もう、座っているだけで激痛が走り、就寝中も痛みで何度も目を覚ますようになっている。


意を決して、もう一度病院へ行くと、先日の医師から“また来たの?”と言わんばかりの非難がましい目が向けられた。

いや、ボクが勝手ににそう思っただけかもしれないし、そうであって欲しいと思う。


もう一度レントゲン検査をしても結果は同じく異状なし。

診察を打ち切ろうとされるも、自分の感覚としては完全に異常だった。


「すみません、MRI検査をお願いできますか?」


絞り出すように懇願しました。

言っていいのかどうかの逡巡と、面倒なクレーマー扱いされやしないかとという葛藤で、汗ビッショリでしたね。


診断の結果……。

医師の顔は先ほどまでの面倒くさそうなそれではなく、切羽詰まったものに変わっていました。

そして、医師から告げられた病名は、“特発性大腿骨頭壊死症”という漢字だらけの難しいものでしたね。

アルコールアレルギーのボクはお酒を飲み過ぎたわけもなく、考えうる発症の原因は多発性硬化症の治療に用いられた大量のステロイドの副作用なのだとか。


こうして、ボクは人生2度目の難病宣告を受けました。


その時、たまたま隣の診察室にいらっしゃった股関節専門のお医者さんへと引き継がれ、あれよあれよと手術の日程が決まりましたね。


あの時、嘘つきだと思われているかもしれない人に、食い下がってくれたボクへ。

ありがとう。


初対面にも関わらず、これまでの経緯の八つ当たりから「医者は信用していないので」と失礼極まりない暴言を投げかけたボクの足を手術してくださった、股関節専門の先生へ。

本当にありがとうございました。


こうして、もう一つの大きな荷物を背負ったまま、ボクの第二の夢はもうしばらく続きました。

















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謝ることが “癖” になったボクへ。 進藤常吉 @tsunekichi

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