お客様レベル

黄間友香

第1話

「チャンスは残り三回です」どこか楽しげに声は告げた。決済アプリに使っていたパスワードが違うらしい。最近自分のお客様レベルが良くないのは知っていたけど、思っていた以上に下がったのかもしれない。手がベタついているのが気になって、服の裾で拭う。ここで勢いに任せて罵倒したり機械を叩いたりしないようにと、坂善雄也さかぜんゆうやはぐっと堪えた。ソファーに寝転がっている妹が、フガっと豚みたいに鼻を鳴らす。文句はたくさんあるが、妹を睨みつけたところでどうにもならない。大きく深呼吸をする。もう一度、慎重にユーザーネームとパスワードを打ち込んで、完了と声を出した。

「声紋、ユーザーネーム、あるいはパスワードが違いますよ。チャンスは残り二回です。ちゃんとパスワード思い出せますか? 大文字入力になってません? もう一度入力してみてくださいね」

 アプリの音声はそれらしくため息混じりだった。そういう機嫌を損ねたような声は、機械音声だったからこそ排除できていたのに。そもそもチャンスってなんだ。今まではパスワードを入力できる回数としっかり言っていたのにさりげなく変化球を入れなくてもいい。

 最近の自動音声は変な方向に技術が進んで、わざわざ相手に合わせて不快な行動をとるようになってきている。百歩譲って言葉遣いの変化は分かるけど、パスワードを入力するたびにバラつきを出すのは訳が分からない。それでもサービス対応の悪さは、客側である雄也が負うというのが常識になっていた。

「はぁ……」

 大きなため息が聞こえる。思ったより画面を叩く力が強くなったのがよくなかったんだろうか。パスワードの読み上げもぶっきらぼうだったかもしれない。もしかすると、わざと一拍置いてから『です』と締め括ったのは、とってつけたような敬語だと認識されたのか? パスワードと混じってはいけないと思ってのことだったけど、変に気を遣いすぎたか。

 結局、後の二回も三つの内のいずれかが間違っていたようで、もうこれ以上は入力できなくなってしまった。アプリを使い始める時、ヒントの質問を登録していなかった。面倒だと何も考えずスキップしてしまったのが本当に悔やまれる。均一な声が、問合せ先を教えてくれた。

「坂善様のアカウントは、ロックがかかってしまいました。解除するには、サイトにありますお電話番号までお問い合わせください」

 自分で探させるところにも、さりげない悪意を感じる。サイトで番号を確認して、雄也はポロリと本音をこぼした。

「フリーダイヤルじゃないのかよ。ケチだな」

「ご利用ありがとうございました」

 雄也の声をしっかり捉えた後、音声はプツンと音を立てて消えた。妹がわざわざ振り返って馬鹿にしたように笑う。

「それはないわー。お客さんとしてのレベル低すぎだよ」

「いや、そんなにひどいこと言わなかったって。逆にあのぐらいの態度だったのによく耐えた方だと思うけど」

「最後最後。どうしても嫌味言いたいんだったら、電話切ってから言うべきだよ。レベル50とかになると、まじで対応悪くなるんだから気をつけてね。ぽろっと一言余計なの、ほんと直した方がいい」

 妹にまで言われると、なんとも言えない気持ちになる。

 お客様レベルが導入される前も、ひどい要求や態度を店員にとっていたとは思っていなかった。バイトの気持ちは分からないわけではないし、なるべく横柄な態度にならないように日々気を付けていた。

 なのに、いざ客としての態度はどうかと数字として出てくると、雄也の評価は低かった。クレーマーの一歩手前というか、とにかく余計な一言が多いらしい。悪気の有無というのは判断の要素に入っていないので、言葉通りに意味を取られるからとは思うけれど、良い気持ちはしない。雄也は口を尖らせた。

「不満は伝わらなきゃ意味ないだろ」

 妹も、前までレストランの店員にタメ口で話かけるような、フランクを履き違えて不快にさせるタイプの客だった。雄也よりもわかりやすく態度が悪かったのに、妹はお客様レベルをうまく攻略している。レストランに一緒行くと絶対に店員を不快にさせず、逆に接客するぐらいの勢いを感じて、居心地が悪いぐらいだった。

「伝えるべきじゃないって言ってんの。たかが自動音声に何ムキになってるの? そんなみみっちいこと言ってレベル下げたって、自分の損になるだけじゃん」

 レベル100に近い妹から言われると、反論できなくなる。妹は口の端に笑みを残したまま固定電話を差し出してきた。本当なら固定電話なんてすぐに解約しようと家族で話していたのに、雄也が契約者だったばっかりにそのままにしてある電話だ。何度か解約の電話をしたものの、いつも繋がらなかった。レベル別に電話先が違うと、たまにそういうことが起こる。電話代を払っているのに埃を被ったままなのは癪なので、電話料金が発生しそうな時にはここぞとばかりに使うことにしていた。

 レベル別の対応はとにかく怒りのやり場に困る。癇癪を起こしたら最後、レベルを下げられるだけだし、ひたすら自分の中で怒りを消化していくのは割りに合わない。面倒は一気に終わらせてしまおうと、雄也は大きく深呼吸をした。


 お客様センターに電話をすると、雄也が思った以上に状況は悪化していた。

「パスワードNEO音声案内。何で困ってんの?」

 ぞんざいな言葉に、喉の奥がヒュッと鳴る。やはり雄也の呟きは聞こえていたのだ。オペレーターの女性の淀みのない声は、バスに流れるアナウンスの女性の声に似ていた。品のある声なのに言葉が乱雑だと、衝撃が余計に大きい。

 アカウントロックの解除をお願いします、と音声に引っ張られずに丁寧にお願いする。それでも、レベルが上がるまで、相手は同じ調子で雄也の対応をする。

「何? もっとはっきり喋って」

「アカウントロックの解除、です」

「聞こえないんだけど」

「アカウントロックの解除!」

 売り言葉に買い言葉、思わず怒鳴ってしまって雄也は頭を抱えた。すみません、と気休めに言ってみる。

「すみません、わざとじゃないんです。申し訳ございませんでした……。ついカッとなってしまいました。悪気はないんです」

 電話越しの相手に対して深くお辞儀をする。見えてないのは百も承知で必死に謝った。妹がまたフガっと笑うのが聞こえる。

 雄也の謝罪は聞き入れられず、接客態度の質は更に落ちた。ガムを噛んでいるようなくちゃくちゃという音が聞こえてくる。すごい、サービス業界ってこんなことまでできるようになっちゃったんですね。嫌味の一つでも言いたくなるのを必死に抑えて相手を待つ。自分の価値が分かりやすく失われていくのを黙って見ていなければいけないのは、情けなかった。

 十分ほど待たされた後、ようやく相手が喋り始めた。ロックの解除と叫んでからほとんど話が進展していなくて、意図的なんじゃないかと思ってしまう。

「あー、坂善ね。フルネーム何」

「坂善雄也です」

「最後のログイン日は?」

「三日前です」

「最後の購入金額は?」

「400円……です」

「あ、そう」

 まるで興味のなさそうな相槌をしてから、断りもなく保留音が流れ始めた。手をぐっと握りしめる。爪が食い込んでもそのままにしておかないと、何かまた言ってしまうかもしれない。保留音が流れていたとしても、相手にはこちらの言っていることが丸聞こえだと聞いたことがある。

 女性の態度は悪く、作業も遅々として進まなかった。裏で誰かと会話をしているような声も聞こえてくる。そこまでして人を陥れて何を矯正させられているんだと、なんだか泣けてきた。自分の中からありとあらゆる尊厳みたいなものが抜け落ちていく感覚。わけもなく、すみませんと申し訳ございませんを繰り返して、ようやく電話を終えた。頼み込んで、秘密の質問の登録もしてもらったし上出来だろう。座っていた椅子にだらりと身体を預ける。固定電話の横に置くようになったウェットティッシュで、子機を拭った。

「これって、ちょっとした差別だよなぁ」

「人徳の問題じゃない?」

「贔屓にされている人にとってはそうだろうけど……」

「頑張りが足りないんだよ。電話なんて簡単じゃん。イレギュラーほとんどないし、聞くことだって決まってるし。ちょっと待ち時間長いの我慢すればいいだけでしょ。対人はもっと色々考えなきゃいけないからマジで面倒」

「そうかな、顔見れた方がやりやすくない?」

 空気の読めない人間でも、相手の顔色が分かった方がまだやりやすいことが多い。ポロッと言ってしまう一言も、直接言うのであれば冗談だと分かってくれて、相手が不問にしてくれることもあった。妹は明らかに嫌そうに顔を歪める。

「なんか対面だと時々さぁ、我流のやり方っていうか、こだわりがあるところあんじゃん? あれだるいよ。私こないだラーメン屋でさぁ、レベル1落とされたの」

 上辺だけを綺麗にしても、妹の性格自体が変わった訳ではない。付け焼き刃の丁寧さではカバーできないこともあるのだろう。茶化してやりたいとも思ったけど、今妹にまでぞんざいな態度をされるのはキツい。雄也は黙って話の続きを待った。

「普段通りにね? 『お忙しいところ恐縮ですが、醤油ラーメンを一つお願いできますでしょうか?』って注文したら、ラーメン屋の勢いに相応しくない、その場に合わないような注文は避けるようにお願いしますって言われたの。ありえなくない?」

 妹が、指を揃えて手を上げながら店員を呼ぶ姿がありありと目に浮かぶ。ラーメン屋では確かにそぐわないとは思うけど、最近はレベルが落ちるのを避けるためにどこでもそういう風なオーダーをする人が増えていた。

「頑固オヤジだったんだね」

「そう! 今時なんなのって思わない? 醤油ラーメン一つ! って叫べば良かったわけ? それが嫌なラーメン屋だってあるのに?」

「まぁ、好き嫌いあるから仕方ないよね」

 いつの間にか雄也は頑固オヤジのフォローに回っていた。見ず知らずの人の肩を持つわけではないけども、接客に選り好みがあったように、客にどういう態度でいて欲しいのかが人によって違うのは、当たり前なのではと思う。雄也はコールセンターへの問い合わせのようなものは苦手でも、お店の人と喋るのは苦ではなかった。

「どうやって推し量ればいいのって感じじゃん。理不尽だよね。普通に」

 ラーメン美味しかったけどもう二度とあの店行かない。ブツブツと文句を言う妹は、きっとラーメン屋では丁寧に謝ったのだろう。

 雄也は財布を取ると、ポイントカードを探した。

「コーヒー買ってくるけど、ポイントカードある?」

嫌なことを思い出してすっかり不貞腐れている妹は、ぶっきらぼうに

「ラーメン屋の後で全部溜め切ったから、新しいの貰って」

 と言った。考えることは一緒なのだと思う。サービスで受けた傷は、サービスで回復しなければ。


 店独自のルールを避けれるのはチェーン店だ。近所のコーヒーショップに行くと、若い店員が微笑んでいた。この店では回転率を上げるために、個人のレベルをチェックするようなことはしない。どの程度のレベルの人でも、レベル75程度に調整してあるらしく、ガムを噛んだり、愛想ない接客をされることはない。逆に神様のように崇め奉られるようなサービスはないから、レベルが高い人ほど敬遠する。雄也は恐る恐る

「コーヒーの値段って変わってないですか?」

 と尋ねた。値段は全てシールで覆われていて、メニューには不自然な空白が生まれている。店員は微笑みを浮かべたまま、QRコードの書かれたシートを渡してきた。

「このQRコードを読み取ってもらうと、ご自身の値段が分かりますよ」

 差し出されたQRコードを読み取ると、コーヒーは700円に値上がりしていた。チェーン店の一杯のコーヒーは、苦味がかなり強く、大して美味しい訳でもない。

「高いな……」

 思わずこぼしてしまった言葉に慌てたものの、店員は微笑みをくずさない。

 雄也の余計な言葉は、この店では赦される。このまま店を出てしまってもよかった。対人なしで自販でもコンビニのセルフレジに行ってもいい。でも、今雄也に必要なのは、人から優しくサービスを受けることだった。

「ホットコーヒーのレギュラーサイズで、ミルクをお願いできますでしょうか。後、お手数をおかけしますが、新しくポイントカードもいただけると嬉しいです」

 すみません、という言葉が自然と口をついた。何も悪いことはしていないのに、謝り癖がつきはじめている。700円を支払う雄也に少し驚いたような顔をして、店員はお金を受け取った。

「こちらコーヒーになります。お熱いのでお気をつけください」

 今日も良い一日になると良いですね、と血の通った声で言われると、涙が出て来そうになった。きっといろんな人に向けて言っているんだろうと簡単に予想はつくのに、床に頭をこすりつけたくなる。しかもスリーブを二枚つけてくれている。猫手の雄也がこのコーヒーショップに寄ると、いつもお願いしていることだった。レベルの落ちた人間に対してはやってくれないだろうと思って言わなかったのに、分かってくれている。

 思わず深くお辞儀をした。頭の中で700円の内のサービス料が、そうさせているのだと冷静な自分もいる。でも、自分のことを丁重に扱ってくれる人がいるだけで、滲みる何かがあった。

 店を出ると、雄也のお客様レベルが1上がったと通知が届いていた。700円のコーヒーを飲みながら、明日も行こうかなと思う。気分が良いのもあったけど、それ以上に妹がスタンプを埋め尽くすまで通った理由がわかった。

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