殺害許可《キルライト》

 路地裏に反射するいくつもの眼光。ハツネを引きずり込んだ黒い手。さながら獲物に食らいついた巨大なねずみの爪——であるかのように見えたものは。


もはや尊厳も理性も腐り落ちて、汚泥と垢と膿とかさぶたの皮をかぶるだけとなった人の手。保菌者どもドープヘッドの手だった。


「ちくしょう、テメー放せ、放しやがれっ……!」

 助けを求めもがく悲鳴と入れ替わりにハツネの姿は路地裏へと引きずり込まれた。


「ハツネちゃんッ!」

 身をかがめていた遮蔽物の陰から、とっさにアカリは手を伸ばす。

 届かない。

 間に合わない。

 代わりに、ヤク中ドープヘッドの顔が上へ上へと折り重なった。

「右、イぎ、イギィデェェェェ……!」

 意味不明の叫びをあげ、黒くただれた顔の下半分に露出したあごの骨をガチガチ鳴らし、虫の後脚めいて逆向きに折れ曲がった足を引きずって飛びかかってくる。


「ユート、殺害許可キルライト!」


 腐臭が降りかかる。アカリはヤク中ドープヘッドの群れを一跳びでかわし、すくい上げるようにしてあご下を蹴り砕いた。白い膿の粒がちらばる。

 ユートは路地裏を指さした。

許可するイエス。ハツネを頼んだ!」

らじゃッ」

 アカリは地面を蹴った。丸パイプ椅子2つを振りまわし、文字通りの血路を開いて路地へと飛び込む。


 と同時に、ユートの耳の横を銃声が飛びすぎた。


「後方より前方の危険に注力すべきなのではァ?」


 黒服ゼクトは相変わらずニヤニヤと軽口をたたいて、ハツネを心配するそぶりもない。

「前方より隣のほうがずっと危険だろ」

 ユートもまた鼻先で笑って杞憂を吹き飛ばす。


 周辺をサーマルカメラで索敵する。遮蔽物の陰に輪郭協調された敵が表示された。

 流星飛び交う射線の角度を頭に叩き込む。

 あのハリボテ頭ではどうせまともに照準もつけられまい。予期せぬ方向からの長距離狙撃はないと踏んだ。せいぜい壁の向こうからいきなりショットガンではらわたをぶち抜かれる程度だ。


 表情を消す。

 視線も言葉も交わさない。銃声の途絶えるのを見計らった同一タイミングでハンドサイン。

(GO!)

 遮蔽物から左右に分かれて飛び出した。肩で風切る急加速。負傷した部位を補う生体ハイブリッド筋肉が人体のリミットをはるかに超える迅雷の脚力を叩き出す。


 と同時に。いからせた肩をガツガツぶつけ合いながら野良犬のケンカじみたがなり声で怒鳴り合った。


「偉そうに指示しでんじゃねえ!」

「オニイチャンこそ協定違反! 保護プログラム下に入れつったでしょうがァ!」

「うぜえさっさとばんつ穿けこのグソッタレガメムシ野郎! つぶすぞ!」

「あ゛ァ!? 犯んのか、ァァ!? 今穿いたらぐっちょぐちょにヨゴしちまいマスすけどォ!?」


 100メートル換算で約2秒、二人同時にほぼ一完歩で敵ハリボテ部隊の側面へと到達する。こぶしを振り上げた。



 一方のアカリ。躊躇せず路地に駆け込んだあと、視界をモノクロの赤外線カメラ映像に切り替える。灰色の闇に見たくもないおぞましい姿が浮かび上がった。

 からみ合い、折り重なり、もがく手足。

 聞こえるのは咀嚼の音だ。声を呑む。足がこわばった。

 骨を砕く音。血肉をすする音。内臓をなめずる音。何を喰っているのか。まさか——


 パイプ椅子でヤク中ドープヘッドの群れを薙ぎ払った。心臓の回転数がドッドッ、と上がる。アカリは片方の手で口と鼻を覆った。近づいて見下ろす。

 薄汚れた布をまとった人骨が落ちている。

「ハツネちゃんじゃない……」

 ハツネが着ていたのはオレンジ色のジャンプスーツ。この死体はハツネではない。

 だが逆に、むしろさらなる焦燥がつのった。

 連れ去られたあとすぐ後を追ったはずだ。見失ったのはほんの一瞬だったはずだ。なのに。

「……何で……?」

 どこにもいないのか。ごくりと喉を上下させる。


 ひゅん、と上昇気流めいた風の抜ける音がした。つられて上空を見上げる。粒子の五線譜がビルの屋上で明滅した。切れた電線が風に揺れてショートしたのか。

 天啓の火花が舞い落ちてくる。

 暗がりの隅に一瞬、オレンジ色のジャンプスーツが蛍光色に反射した。


 いた。ハツネだ。


 看板や積み上げられたドラム缶、粗大ゴミの山を飛び越えて走り寄る。見覚えのあるオレンジ色のズボンが、ドラム缶の向こう側へ無造作に投げ込まれたようなかたちで横たわっていた。


「ハツネちゃん、大丈夫……っ」

 踏み込んだ足元に黒いしぶきが散った。思わず立ち止まる。

 濡れた地面。どす黒い水たまりがひろがっている。

 一歩進むたびに、ニチャリ、ニチャリ、なまぐさい粘性の糸が靴底にへばりつく。


 まさか。

 そんな。


「嘘、や……」


 おそるおそる回り込んだ。ドラム缶の向こうにあったのは、闇とゴミになかば埋もれたオレンジのジャンプスーツを着た下半身だった。

 ぴくりとも動かない。

 赤い夜空にサーチライトの光条が走った。



 気づいた敵がショットガンの銃口を振り向ける。

 遅い。

 右手で銃口をはたき落とすと同時に、交差する左手刀で銃身バレル部分をソードオフ。乱切り大根みたいに空中でバラバラになる。

 もちろん素手ではない。手の内に添わせた異物喰いファージの放つ極細レーザーパルスで、手刀に触れた銃身部分を無数の小さな黒い金属球に分解している。

 これなら極少のエネルギー消費で済む。

 右手の《殺虫ドリルパンチ》でも同じような微調整ができればいいのだが、そちらは脳筋仕様きわまれりの一発勝負。極大フルパワーぶっぱなしで殴ればこちらが打ち止めヘロヘロになる始末だ。


 ショットガンは吹き戻しのピロピロをたばねたみたいに四つ割りになり裏返ってそっくり返って丸まって暴発した。ハリボテ頭1の手首から先が吹っ飛ぶ。


「安心じろ峰打ちだ」

 うめき叫ぶハリボテ頭1の背中を蹴倒した。

 背後からもうひとりが銃床で殴りかかってくるのをノールックで横にかわし、右の裏拳でグーパンチ。

 空気の抜ける音を立てて着ぐるみの頭が半分につぶれた。


 よろめくハリボテ頭2のつま先をかかとで強く踏む。


 いったん乱戦になってしまえば取り回しづらいショットガンなどクソ重心の長すぎる鉄の棒レベルでしかない。せいぜいがカギをぶっ壊すマスターキー役だ。


 ハリボテ頭2は倒れるに倒れられず、バランスを崩してつんのめった。

「悪いな」

 踏みつけた足に全体重がかかった瞬間、うっすら笑って真横から膝を刈る。

 関節が粉砕骨折。

 膝から下が露骨な「く」の字に折れ曲がる。


 ハリボテ頭2はヌンチャクみたいに全身ポキポキに折れ曲がって横へぶっ倒れた。当然、片足はまだユートが踏んでいる。遠心力で白い着ぐるみの頭が吹っ飛んだ。はずれて転がってゆく。

 ありがたく手首を蹴って銃をすくい上げ、浮いたところを回収。

「戦利品だ」

 鹵獲品を背後へトス。

「ゴチになりますゥ」

 黒服ゼクトはキラリと笑顔もさわやかに頭上でショットガンを受け取る。


 離れたところにハリボテのヨダレ顔だけが転がっていた。相変わらず間の抜けたツラだ。

「こっぢ見んな」

 踏みつけるとハリボテ頭はグシャとへこんだ。紙袋をつぶしたようだった。

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