生きながら死んでいる

 裏路地を歩く。カビ色のアーケードが続いていた。

「……ハツヨばあちゃんに、今週中には絶対に《荷物》が届くはずだから荷受けしてほしいと言われでだ」


 道すがら、これまでのいきさつをハツネに説明する。

 出現した怪物ヴェルムを倒した件、それと《誰に注射を打たれたか》は、適当にごにょごにょ濁してごまかした。

「要は受け子ってやつだ」

「中身は聞いてたのか」

 押し殺した声の質問。ユートは横目で吐き捨てる。

「ンなもんいちいち詮索すっか?」

「だよな」

 ハツネはうつむいた。喉の奥から息をしぼり出す。

「何でだよ、ばあちゃん。何で、オレに黙って、わざわざ」


 巨大なコンテナトレーラーを運転して《荷物》を送ってきたという自身の発言から分かるように、ハツネは単にとれたてぴちぴちの横流し品をさばくだけでなく、自ら帝都とアズヤを結ぶ運び屋でもある。ならば、なぜ。

 ついでに配送を頼まなかったのか。

 どうして見知らぬよそ者にわざわざ《自宅を貸して》まで市街地から離れた場所での受け取りを依頼したのか。

 ハツネに知られたくなかったからか、それとも。


「どしたん? ばあちゃんの荷物、駄菓子と違うかったんか」


 誰も答えたくない問いかけを、アカリは無邪気に口にした。ハツネは視線を路地裏へと移す。

 淫靡な街の光とは裏腹にアーケードの下は真っ暗だ。互い違いに建物が突き出し、奥に何が潜んでいるのかすら分からない。

 天井から壁から軒先から、猥雑な色・紋様・外国の文字で書かれた看板が、魔除けの札のようにびっしりと覆いかぶさっている。ふだん眼にする都市の光景とは全く違うドヤ街めいた袋小路だった。振り向いても、入ってきたはずの出口はもう死角になって見えない。

 瞼の裏にオレンジと蛍光緑の残像が散らばる。赤い光が明滅した。怪物ヴェルム除けの赤色光だ。

 

 ハツネは暗い顔でアーケードの奥を指差した。

「アズヤ支社はここを抜けた表通りだ。らんらんタワーの最上階。さっきは立ち入り禁止になってて入れなかったから、もしかしたらそこにはいねーかもしれねえが」

「らんらんタワー……」

 壊滅的ネーミングセンスに気を取られ、せっかくの有用な情報が耳に入ってこない。


 そのせいで何かを踏んだ。乾いた音がする。破れたピンクチラシだった。ヨダレをたらしたむっちむちのゆるキャラがだらしなく笑う絵だ。

 風向きが変わる。鱗粉めいた悪臭が押し寄せた。


「な、何や?」

 アカリは首をちぢめてユートにくっついた。コートの背中をくしゃくしゃに握って、怖気づいたまなざしで闇を見透かす。

「な、なあ? おるんちゃう……?」


 ふいに砂の擦れる音とうめき声がして、何本もの手が伸びた。薄緑がかった不健康な手がユートの足首をつかむ。

「よごぜ……よごぜえ……《でぐ・ふグオゥオ》おごごぜぇぇぇぇ……!」


 手。


 ユートは一瞬息をつめた。骨と肉しかない腕を蹴り飛ばす。ひじから先が直角に曲がった。パキン、と枯れた茎みたいに折れる。かまわずさらに何本もの手が伸びてくる。

「何! なんなん!? ちょ、わっ!? 何!?」

 アカリはひいっと声をのんだ。ユートの背中に飛びついてぶらさがる。


「クセエ息すんじゃねーよ」

 ハツネは舌打ちし、尻ポケットからコインを一枚取り出した。ぼろきれをかぶった手の向こう側へ投げ入れる。

 とたん、獣のような唸り声が闇の底から湧き上がった。

 ユートは顔をしかめ、アカリの視線をさえぎった。

「行くぞ。さっさとここを出よう」


 耐えがたい悪臭に交じって、あまりにも似つかわしくないバニラの香りが鼻をくすぐる。

 投げ込まれたコインを奪い合っているのか、真っ暗な路地の闇から重苦しい音が立て続けにした。

 悲鳴と、濡れたものを強く打ち付けあう音。殴打音。

 後ろを振り向こうとするアカリを、ユートは半ばむりやり引っ立てた。

「見なくていい」

「な、なあ、何なんあのひとたち。何で、あんな暗いとこにおるん……?」

「話はあとだ。今のうちにさっさと抜けるぞ」

 何が今のうちかはアカリには言えなかった。


 よく見れば深紅の街灯が照らす店先にもシャッターの前にも、そこかしこにヤク中ドープヘッドがごろごろと横たわっていた。腕が黒く腐り落ちているもの。足が腐り落ちているもの。そいつらが這いずりながら笑い、泣きながら笑い、元は白かっただろう泥布で顔をぐるぐる巻きにして、黒く開いた歯抜けの顔で歌っていた。

「楽しいらんらん……みんなでらんらん……ハッピーあーんどエンジョーイ……みんなで行こお……GO……TO……」

 逃げるように歩く三人を見つけるやいなや、ヤク中ドープヘッドどもは体液のよだれを振り散らすザリガニみたいに這いずり寄ってきた。

「でェ……ぐろァァォオ……ぐれええええ……!」

 腐った笑顔で抱きついて同じ闇へ引きずり込もうとするのを蹴り飛ばし、押しのけて走り抜ける。


 アカリはぶるっと震え、両手で自分の腕を抱いた。

「痛うないんか、あの人たち、あんな傷だらけで」

 ハツネは嫌悪の顔をそむける。

ヤク中ドープヘッドどもだ。クスリが効いてりゃ傷も痛くねえし、怪物にも食われねえ。だから《怖くねえ》んだ……から」

「それって、」

 アカリは問いかけて、黙り込んだ。言葉が続かない。

 生きながら死んでいるようなものだ。そう言おうとしてなぜか別の名が思い浮かんだ。ユートは考えるのをやめた。首の後ろがむず痒い。前のめりに先を急ぐ。


 向かい合うビルの三階部分どうしを、真っ暗に塗った通路が連結している。外からは決して入り込めない迷路の壁だ。

 一歩、中に踏み込んだだけで、まるで異界へと続く道のような、途方もない孤立感に取り巻かれてゆく。

 ぐねぐねと曲がる路地。パースのゆがんだ建物。今にも左右から壁ごとせり出して来そうな形。

 聞こえてくるのは歌だけではない。うめき声。怨嗟えんさ恫喝どうかつ。笑い声。嗚咽おえつ。銃声。

 どこへ逃げても救済はない。今宵、怪物に食われて死ぬ恐怖か。それともすべてを忘れて這いずり笑う狂った明日か。


「ばあちゃんが……あんなクスリにかかわってたなんて、まだ信じらんねえ」

 ハツネはかすれ声を喉の奥から押し出した。うつむいたまま、足を引きずるようにして歩いている。

 アカリはユートが人でなしのセリフを吐く前にハツネによりそった。

「うち、ばあちゃんの駄菓子好きやったよ。コケせんべいとか藻ポテチとか変なんばっかやったけど」

「あんなモンに手え出すぐれーなら、ガキ相手の駄菓子屋なんてさっさとやめちまって施設にでも入ってりゃよかったんだ。ガキなんかもう、どこにもいやしねえのに」

 ハツネは唇を噛む。


 アーケードを抜け、ようやく広い道に出る。歌声も聞こえなくなった。

「はー、やっと広いとこに出……」

 ほっとした顔で夜空を見上げたアカリは、逆に顔をこわばらせた。踊り狂う赤い光が影を濃くする。

 真っ赤なネオンをギラつかせ、刹那の夜に流される自暴自棄の魔窟。いつ来るかしれない怪物ヴェルム襲来におびえる街の、それはただただ笑うしかない絶望の歓楽街だった。

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