栄光の右手《デクス・グロリオ》

それがお願いする側の態度ですかァ?

 黒服と正面から相対する。

 ふとマフィア同士の麻薬取引を想像した。片方がカネがつまったトランクを開けてみせると、薄笑いを浮かべた相手が謎めいたジュラルミンボックスを思わせぶりに出して、銃声そして暗転。


 ユートは汚れた頬をこぶしでぬぐった。クレーターにうもれたは、いったい


「アレが何なのかを知ってたんだな、最初がら」 

「さァて、どーでしょーねェ?」

「交渉する気あんのか」

「それがお願いする側の態度ですかァ? あァ?」


 黒服は喉をふくらませてくつくつ笑った。ポケットから棒付きキャンディを取り出して袋を破り、くわえる。甘い人工の香りがかすかにした。


「クヒヒ、オニィチャンがペコペコ土下座して『次回からはなにとぞお美しくて強くてカッコイイ超エグゼクティブエリートな僕ちんサマに第二期の主人公をおェしますだァ!』っとか何とか涙ながらにすがりついて懇願してくれたら少しは考えなおしてあげなくなくもないですけどねェ? どうしますゥ? ねェねェどうしますゥ?」


 白い紙の棒が上下にピコピコと動いた。相も変わらず白々しい態度だ。見え透いた図式にユートはうすく笑った。

「断る」

「んじゃァこの話はなかったことに」

 黒服はくるりと背を向けた。へらりと手を振ってハツネをうながす。

「さっさと撤収。帰りますよォハツネちん」


 ハツネは虚を突かれた顔になって、二度三度とユートと黒服の間で視線を行き交わせる。

「へあ? 何でだよ山田? まさか《ヤク中ドープヘッド》野郎を放っとく気か。このためにわざわざお菊アイツ呼んだんじゃねーのかよ」

 ポケットに手を突っ込み、肩を怒らせたガニ股で歩き去る黒服の足が、ぴたりと止まった。


「クヒヒ、確かにアカリちゃんの言うとおり……少々、


 ハツネ本人はまったく失言に気づいていないようだった。もし黒服本人がハリボテ頭の襲撃者だったなら、いまごろハツネは機密漏洩の責任を取って文字通りの脳みそBANだ。そうしないということは、つまり。

 ユートは去り行く黒服の背中に嘲笑を投げかけた。

「そっちこそ、せっかぐの《解体》ショーを前にどこ行ぐ気だ。まーさーかーエグゼクティブエリート様ご自慢の最強《異能スキル》ともあろうものが、みたいな、ガッバガバのウンコ弱点持ちなわけがねーよな? なー?」

「ンフゥ?」


 黒服は顔だけで振り向いた。横顔に貼り付いた笑みの薄皮がゆっくりとはがれ落ちる。偽悪の道化をそぎ落とした下にあらわれるはとろける飴にも似た凄艶の殺気。


 黒服の隣にいたハツネがゾクッと身体を震わせてふらついた。無意識に黒服から離れる。

 ユートはさらに挑発する。

「おんや? ほぉん? 図星? へえ? こいつはお笑い……」

 眼の前に拳銃があった。目にもとまらぬ早技でスーツ下のホルスターからひっこ抜いたそれがユートのあごをアッパーカットで突き上げる。申し分のない死の角度。

 殺気煥発。黒服は極上の笑顔で引き金を引いた。

「POPOPOPOPOPOPOPOPON!」


 銃弾の代わりに、ぽん、ぽん、と白い煙がたち、クラッカーの銀吹雪が舞い散った。銀テープでつながったヨダレ顔の万国旗が蜘蛛の巣を投げたかのように広がる。

 ユートはジト目で黒服を見やった。ポツリと頬に雨粒が当たる。

「何で殺らない」

 黒服は舌なめずりする蛇のように目をほそめた。ポタリ。雨音が急激に強まる。

「オニイチャンこそ何で逃げな……」


 いきなり大粒の水滴がたてつづけに目元を打った。雨にしてはやけに水滴が大きい。あられ。雹。いや違う。もっと大きい。


 天を振り仰ぐ。

 空はなかった。代わりに見えたのは。


 水の底。


 とっさにハツネの襟首をひっつかんだ。腕に巻き込んで飛びすさる。

「何すんだわあーーッ!?」

 滝が降ってきた、と同時にラッパ状に破裂した受水槽タンクが周辺のパイプを巻き取りながらもろともに道路へ落下。ガァンと音を立てて跳ね返る。

 窓という窓から汚水の放物線があふれだした。

「カチコミやあーーーッ!!」

 全身ぬれねずみの住民たちがド派手なスプラッシュをまきあげてウンコ水の流しそうめん台をくだってくる。

 顔にドクロのペインティングをしたもの、モヒカンをウニのように逆立てたもの、鋲を打ったレザーベストにトゲトゲのブラジャーを巻いたもの、フルフェイスの改造ヘルメットで鉄仮面の面頬メンポをかたどったもの、ミニスカートから毛むくじゃらのゴリゴリマッチョな絶対領域がのぞくもの。


「どこやあーー!」

「そこやああーー!」


 やけに聞きなれた声が、火のないところへ大量の発煙筒を投げつけた。おかげで多種多様な価値観を標ぼうする暴力系活動家市民の面々による怒髪天モヒカンと釘バットとバールと鉄パイプの円陣に囲まれた。アリの這い出るすき間もない。


「オドリャァどこの組のモンじゃあーッ!」

「ブッ殺すァ!」

「やっちまえ!!」


「いや、まずは落ち着いて話を聞いてくだじゃい。ごれには深いわけがありまじで」

 どうやらさっきハツネのトレーラーが一階部分をぶち抜いたビルの住民らしい。泣きっ面に放水の哀れな被害者、つまり敵の敵は味方だ。


 ユートは両手でヒラヒラろくろを回した。運び屋稼業でつちかった心にもない営業スマイルを盾にして、弁舌さわやかな嘘っぱちの逃げ口上を述べたてる。

「ビルをっ飛ばじだ犯人ばんにんは自分ではなく黒服コイツでじで」

「うっせえたたんじまえーッ!」


 なぜか全員、手に手に釘バットと鉄パイプを引っさげて殴りかかってきた。まるで会話が通じない。なぜだろうか。こんなにも平身低頭、謝罪しているというのに。やはり発音か。


 水しぶきと鉄パイプのツッコミが振り下ろされる。

 ユートは身体を後ろに傾けてふいと身を引いた。濡れた鉄錆の臭いが鼻をかすめる。

 空振りが地面を強打した。はねた衝撃で取り落としたところを足の甲でリフティング。鉄パイプがくるりと一回転した。蹴り込んだ。相手の鼻にめり込む。

「危ないでぞ」

「逃げんじゃねェーーッ!」

「どが言われまぢでも」


 体調極悪のなか、いわれのない暴力を受けて泣きたいのはこちらの方だ。左右から釘バットとバールの時間差挟撃。あえてリーチの短いバールを持つ男のほうへと一歩踏み込んだ。ひるんだところをすりぬける。釘バットの一撃がバール男の顔面をクラッシュトマトに変えた。

「ギャァァァァ!」

「グァァァァ!」

「づまりみなさんの事務所を故意に狙ったわけではなぐ、あくまで偶発事故というか、だまだまこいつらのロケットが当たっぢゃっただけなんで、ここは運の悪いもらい事故だと思ってなにとぞ穏便にですね」

「ぶっ殺ーーーーーッ!!!」


 敵とみれば誰彼構わずぎゃんぎゃん吠えつくとは、まったく残念な野良チワワ集団だ。本来ならばむしろ黒服クソ金髪野郎に《解体》されずに済んだと涙ながらに感謝されこそすれ、一方的に詰められる筋合いなどない。


「ダメだこいつら。人の話聞いちゃいねえ」

「よそさまの事務所をぶっ壊しといてその態度ォ……」

 黒服は腕を組んでやれやれと嘆息。

「僕ちんだって、わが社の超高級コンドミニアム併設オサレタワーレジデンスをぶっ壊されたらこんなレベルじゃすみませんよォ? ってなわけでいいぞいいぞもっとやれ〜」

「だいたいお前らが余計なちょっかい出し……」

「失礼しまっすー」


 空振りしたような感覚に襲われた。振り向くと、ちょうど黒服の背中が路地の向こうにスタコラ消え去るところだった。(逃げ足の)疾きこと風の如し。眼を点にして二度見した。あんな顔見せておいて逃げるだと!?


「あっクソ逃げやがった 待てオイゴラ!」

 ユートは身をひるがえした。ゴロツキどもを相手にしている場合ではない。

「逃がすかワレェ!」

「追え! 追ええええ!」

「クソミリオタ待ちァがれ!」


 なぜかハツネまでも一緒くたになって追ってくる。ユートは手で追い払った。

「ついてぐんなよ、お前はあっち側だろ」

「うるせえめちゃくちゃにしやがって!」

「5分前の自分に言え」


 黒服を追いかけるだけでも精一杯なのに、隙あらばショットガンとロケット花火をばら撒く乱射娘を連れて無事に逃げおおせる自信はない。


「頼む、アカリ」

 ユートは苦虫を噛みつぶした顔で呼んだ。今しがたハードボイルドを気取って切断したばかりだ。当然ながら色よい返事はない。

「アカリさん応答おねがいします! かわいくて頼りになる優秀有能最強なアカリさん!」

 声を高くして呼ばわる。


(あ゛?)

 ようやく不愛想な声だけが返ってきた。姿は見えない。ユートは背後のギャング団を指差した。

「あいづらなんとかしてくれ。アカリだろ、屋上のタンクぶっ壊したの!」

 いくら凶暴なギャングとはいえ相手はいちおう無実の民間人だ。手荒な真似はしたくない。


(ぴぴぴぴ、35億桁のぱすこーどヲ入力シテクダサイ。命令ヲ実行スルニハ管理者ADM権限ガ必要デス)

「無理無理、意地悪すんなっで」

(意地悪ハドッチデスカ)

「分がった、悪がったよ。アカウント再認証頼む」

(知らんし)

 尖った声がぷい、と突き放す。

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