見たくない現実を、我々は
「誰が!」
赤い閃光がショットガンを真っ二つに叩き折った。
衝撃波の輪が地面に広がる。アカリはユートの腕を引っつかんで向かい側のビル壁面を垂直に駆け上がった。つま先をコンクリートに撃ち込んで六メートル以上を斜め上方にジャンプ。雑居ビルの屋上に達する。どこかで非常ベルが鳴っていた。
赤い髪の毛が帯電してゆらりとなびいた。
「ちいとお口が過ぎるんとちゃうか、凶暴女?」
炎色に熔けた眼が地表のふたりを見下ろす。
「あっ、クソ、何?」
銃をはたき落されてから数秒後。ようやくハツネは我に返った声を上げた。アカリのスピードに認識がついていかなかったらしい。
「えー、せっかく《すり替えた》のにィ。もったいなァい」
黒服は山高帽のつばをくいと指先で押し上げた。ほそめた青い眼に言い知れぬ笑みがのぞく。
「
アカリはほんのわずか視線を泳がせ、すぐに眼をそらした。どんなささやき声であろうとも、アカリにだけは聞こえる。黒服も当然、分かっていてやっているのだった。
すぐにアカリはユートの腕を引いた。
「もうええ。行こ。あんなやつら放っとけばええ。校長先生も、凶暴女もみんな嘘つきや。ハクとアルカはうちが探す」
言い捨てて背を向ける。ユートは動かなかった。
「ユート?」
ユートは声もなくアカリを見返した。アカリの怒髪ゆらめく頭に手を置く。
「黙ってて悪かっだ」
悲痛と激情の静電気が指先にはじけた。
「ユート、だまされたらあかん!」
アカリは悲鳴じみた息をつまらせる。
ユートは静電気にふくらんだアカリの髪を静かに、ゆっくりとなでつけた。
歯ぎしりめいた音がずっと聞こえている。何もしギチギていないのにそギチの音ィは頭の中のあちこちから聞ギチこえてくる。
「襲撃を受けたとぎに、たぶん、注射を打だれた」
髪を撫でつけてやり、肩を撫でて、最後にひじにかかった手を押し退ける。
——
かつての古巣で何度も耳にした《
首筋にうすら寒い鳥肌が這いのぼる。
自分でも途中からうすうす感づいてはいた。抵抗ひとつできずに気を失った、それだけ一方的に敗退したのに無条件で解放されるはずがない。
あえて正常性バイアスをかけ、可能性を考えないようにしていた。そんなことあるわけがない。よりによって自分がそんなめに遭うはずが、と。
「へェ……お注射を、ねェ?」
黒服は薄笑いを口の端に貼り付けた。消えたコインの代わりに握り込んだ右手をおもむろに開いてみせる。
「もしかして《コレ》っすかァ?」
指先にガラスの反射がクルリと回転する。直径5ミリ。長さ約3センチ。黒に赤のラインが入った液体入りガラスアンプルを、これみよがしに見せつける。
見覚えがある色と形だ。
ユートは息をついた。いちばん見たくない現実をこうもあっさりと見せつけられると、ショックを受けるより先に苦笑いしたくなる。逆に興味がわいた。自分がどうなってしまうのかよりも、それが何なのか。
「コレが何か知りたいなら、おとなしく投降したほうがよくなくないですかねェ」
黒服にしては繊細な仕草でガラスアンプルを握り込み、隠す。
ユートはフンと鼻を鳴らした。
「でめえにだけはお
「そや、あんなんハッタリに決まっとる。うちらはうちらで探したらええ」
アカリが食い下がる。
ユートはアカリを振り返った。肩をかるく叩いて背後に押しやる。
「しばらく自由に行動しろ」
「自由」
ぽかんとしたあと、ふいにアカリは眼が覚めたような顔になった。ユートを追いかける。
「どう言う意味……」
「管理アガウントを初期化する。新しい
「ちょっ……何言い出すかと思たら……ユート!」
ビルの非常階段を一段ずつ、ふみはずさないように降りる。硬い靴音がスチールを叩いた。もし管理者権限を紐付けたままユートが死ねば——アカリは誰の元にも行けなくなる。
「そんな、冗談でも許さんで……」
「命令だ」
返答を待たず同期を切断した。共有していた周辺のセンシングデータが消失する。アカリの眼にはユートの背中が見えているのに、互いの位置情報がつかめない。
追いかけようとしてアカリはつんのめった。立ち尽くす。
「……何勝手なこと言うとんや。何が自由や。うちは絶対に信じんからな!」
非常ベルが鳴り続けていた。
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