未確認生物《クリプティッド》

「だから壊すなッつっただろうが」

「えーーどうせ誰も見とらんのにぃ」

 アカリは不満たらたらでぶうたれた。水に落ちた肉を悔しがる野良犬みたいにぐるぐるしてグレーチングの下をのぞき込む。どうしてもあきらめきれないらしい。

「壊す方が悪いに決まってんだろ。ほら、もう行くぞ」

 ひじをつかんで何度もせかす。

 ようやくアカリは立ち上がった。

「フンだ。こんなバカでっかい音さしといて」

 負け惜しみたっぷりにカプセルトイ自販機の割れたカバーを蹴っ飛ばす。 破片は本体に当たって跳ね返り、ユートの足元に転がった。カプセル自販機から鉄板がはずれて、ガコンと地面に落ちる。

「あっ、こら。もう。本当に反省してんのか?」


 露出した排出口からぷくぅ、と。金属光沢を帯びた黒球が鼻ちょうちんみたいにふくらんだ。


「いきなり殴る蹴るの蛮族ムーブはやめろ」

 ユートはげんなりしてかぶりを振った。足元に落ちた半透明のプラスチックカバーの破片を拾い上げる。壊したまま立ち去るなど、良識あるオトナの所業ではない。

「そういうのホントよくない。野生のヤンキーじゃあるまいし、こんな時代だからこそ基本的人権と良心と公衆衛生と遵法精神の心構えというものをだな……」

 

 三枚ある貼り紙のうち、《キケン!》の紙をめくる。裏にカプセル自販機の所有者名が書いてあった。

「あっ」

 一瞬の走馬灯が脳裏をめぐる。


 ——ハツヨばあちゃんの店がある裏通りの反対側のビル地下に軍用品の横流しを専門に扱う店がある。改造銃、各国レーション、チェストリグなど、ミリヲタ心をくすぐるホンモノの装備品がやたら品揃え良く置いてある店で、ついフラフラと誘蛾灯に魅せられた結果、意気投合した店長が実はばあちゃんの孫だと聞いて二度びっくり、くどいようだがどうせばあちゃんちに謝りに行くならついでに寄って新品の手袋とミリタリーブーツをがっつり買い込んで並べて飾って磨いてニマニマしようと画策したその店の名——


 


 足元に、コツンと何かが当たった。

 いつの間にか、金属球が道路一面に大量に散らばっている。

「何だ、これは。いつの間に?」

 カプセルの排出口から、続々と黒い金属の風船がふくらんではポトリと地面に落ちる。閉め忘れた蛇口のようだった。

「あっ、もしかしてこれ当たりとちゃう!?」

 最後にひときわ大きいキンキラキンのカプセルが転がり出てくる。すかさずアカリが手に取った。ひねって回す。

「んん? 何やこれ。カプセルちゃうやないか。全然開かん。どうなっとん? おっかしーなー、どれかひとつぐらいはパカって……」

 ユートはハッと我に返った。《絶対》と書かれた貼り紙を勢いよく剥ぎ取る。裏返す。白紙。

 逆に嫌な予感がした。最後に残った《回すな》の貼り紙の裏に、うっすらと丸い模様が見える。

 よだれを垂らしたアホづらのマーク。マンガの吹き出しにセリフが書いてあった。


♡♡♡♡


 ユートは飛び退った。

「そいつにさわるな!」

「え?」

 意味がわからずアカリがきょとんとした顔で振り返る。その両手にはすでに二つに割られた半球型のカプセル。

 傷ひとつない黄金金属球の断面から、吸いつけ合う磁力線にも似た銀線が流れ出した。


「捨てろ!」

 手にしたハリボテ頭を投げつける。アカリは疑問をさしはさむことなく手を離した。直後に。

 高速回転するハリボテの顔がカプセルを弾き飛ばした。

 ドーナツ状の粒子線が、互いにつながり合ったままオーロラの花火を散らす。

 ビリヤードの球みたいにそれぞれ別方向へと飛んだ半球同士が、重力の粒子線に引き寄せられて強烈なヘアピンカーブの軌道を描いた。急速接近し、空中衝突。ただの金玉カプセルに戻って転がる。周囲は再び暗がりに戻った。

 一方のハリボテ頭は宙高くはね上げられ、落ちてこない。

 ようやく月影をさえぎる小さな点が見えた。古ぼけたアパートから飛び出すエアコン室外機に当たり、単管パイプで組んだ足場に当たって落下。地面にひっくり返る。

 顔の半分がぽっかりとない。カプセルの断面同士に挟まれた円柱状の空間をさえぎった顔の部分が、そこだけ負の空間でている。

 ユートはアカリの襟首を掴んだ。

「だから道に落ちてるもん拾うなっつっただろーーこんな見え見えのトラップ!」


 ビルとビルの谷間。人がようやく通れるほどの狭い路地の向こう側に、血のように赤い目玉のライトが点灯した。地響きにも似たエンジンの始動音。

 地面から壁へ、オレンジの光がジグザグに走った。上空を矢のように飛ぶ細身のシルエットの後ろにもう一つ、少女めいた形の影が付きしたがって遠ざかる。天と地、二手に分かれて挟撃する気か。ユートは往復するせわしない視線でシルエットを追った。歯噛みする。アニメや漫画ならともかく、空中を高速移動する未確認生物クリプティッドを追えるなどいない。

「クソ、どうすっか」

「うちも手伝うたほうがええかな」

 ぶらんとミノムシみたいにぶら下げられながらアカリが口をはさむ。

「いや」

 ユートは肩越しに暗闇を振り返った。

「お前は手を出すな。ビル街で暴れられたら社会的に俺が死ぬ」


 唐突に大音響のホーンが会話をさえぎった。真っ赤なヘッドライトがアカリの横っ面を下から上へと舐め上げる。

「な、何や……まぶし……!?」

 アカリは手をひさしにしてかざした。強烈すぎる光と影の縞模様に顔をしかめる。

 エンジンの駆動音がアスファルトを蹴りつけた。アカリは眼をまんまるにし、閉まらない口をあわあわと押さえる。


「あっあっおわっこれあっきこきこきこトレーあーのおっ」

 ユートは親指を立ててくいと振った。

「パーティ会場はあっちだ。行くぞ、アカリ」

「耳痛いんやけど!」

「蓋しとけ」

 身をひるがえし、速足で歩きだす。

 湿気でつぶれた段ボールやねじ曲がった自転車、バイク、ウジの沸いたプラスチックペール、注射針の突き出したゴミ袋の山を飛び越え、野良猫の集会場所のドラム缶を蹴倒し、悪臭はなつ黒いタール状の液体を跳ね飛ばして駆け抜ける。

 雑多な看板や建物の壁にさえぎられていた夜空が、ふいに左右にひらけた。


 右にラーメン屋の赤い渦巻きネオン。左に謎の蓄光ブリキ看板。奥のシャッターには放送禁止用語連発の猥雑な落書き。ハツヨばあちゃんの駄菓子屋がある——あった——裏通りだ。

 肝心の店がない。

 あるのはビルの谷間にぽっかりと空いた謎の丸い更地。右の店も左の看板も確かに見覚えがある。やはりここで間違いない。なのに店だけがない。

「あれ、ばあちゃんちの店がない」

 アカリはユートの背中から周りを見渡した。

「何で? どうなっとん?」

「何かあったらしいな」

 ユートは道路の向こう側に停まるトレーラーを見やった。電球の切れかけた街灯が赤くまたたく。頭上は落ち武者の水死体から濡れ髪をむしり取ったかのような黒い違法電線の束。

 トレーラーのエンジンが咆哮をあげる。

 アカリは首をちぢこめた。おそるおそる口にする。

「何かって、何」


「それを今から聞き出すんだよ」

 指の関節を左、右と連続して鳴らす。暗い怒りが揺らめいた。

「……あのトレーラー野郎にな」

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