四十五分三十七秒
横っつらに焼け砂と火花が刺さる。プロの顔に泥を塗った意趣返しのつもりか。とはいえこちらとしてもヒヨコ泥棒ごときにやられたとあっては
「子どもたちの前で暴力はやめろ。児童虐待だ。善良かつ無辜の民間人に対してこのような暴虐が許されるとでも思っているのか。職権濫用と人権侵害で市役所と教育委員会に訴えてや……」
「黙れ」
抗議のシュプレヒコールをあげ終わる前にハリボテがへこむほどあごを蹴られた。鉄入りの踵で喉を踏みつぶされる。むせかえった。死にかけのアヒルそっくりのうめき声をあげる。
息ができない。脳が割れ鐘を叩き鳴らす。眼の前が暗い紫に染まった。
襲撃者は冷たい侮蔑の息を吐いた。奇妙な間があった。かがみ込んできた男の手が首筋に当たる。
「運が良けりゃァ生き延びれんだろうがよォ……? そうそう鬩包スゥ陷キ驛��スなんているわけねェし、なァ?」
インジェクションキットらしきものを押し当てられる。固い器具を綴じる音が耳元で鳴った。冷気の針が首に食い込む。
何かを、打たれ——
「心配すんな。すぐに人間じゃァなくなる」
毒のしたたる含み笑いが耳を撫でる。ガラスアンプルを踏み割るもろい音が転がった。
「でめえ……いっだい……何……じやが……」
紫の舌の上を通る空気がヤスリのようにひりついた。ハリボテの内部に熱い息がこもる。
全身を回る血液が毒の熱湯に変わる。心臓が早鐘を打つ。熱い。内臓が裏返ったかのようだった。脳をハンマーで殴られたような吐き気とともに何かが喉の奥から這い出てくる。自分ではない異物が口内をうずめつくすような、皮膚の下にある血管が《何か》に変わってうごめき、脈動し、くねり、よじれふくれあがるような——
「あ、が、ぁがァ……ゴブ……ッ!」
口中が腫れあがって声にならない。虫のようにぶざまにもがく。
襲撃者は再び頭を蹴った。ハリボテ頭がはずれて転がる。黒と緑のネガポジ反転したような暗視画像の中で、薄笑うハリボテの顔だけが見えた。こちらをのぞき込んでいる。
だが、襲撃者はふっと身を離し、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「ちっ、
ためらいもなくトリガーを引く。背に
「……
嘲笑の
そこで意識の画面がプツンと落ちた。
▼
「……んもおおアホかいなー! 起きろーーーッ!」
凶暴なめざまし時計がわめき散らす。せっかく二度寝の惰眠をむさぼっているのにずいぶんとやかましい。極力無視すべく、わざと背中を向けて寝返りを打つ。
が、動けない。次第に節々の痛みが増してきた。
「何グースカピー寝とんじゃオラ! アホちゃう? なあ絶対アホやろ! さっさと起きろ言うちょるやろがあ! 早う起きんかいボケなすうーー!」
ユートは眼を覚ました。正確には、雨あられと降る石つぶてが痛すぎて起きざるを得なかった。
「ボッコボコに殴られた夢を見た」
「正夢じゃ! 生きとんなら早よ起きんかーーーい!」
決してただの夢ではない証拠に後ろ手を拘束ベルトでくくられている。
寝ている場合ではなかった。飛び起きようとして尺取虫みたいに伸び縮みした。その場で右に左にと不格好にもがく。起き上がれない。
「何分死んでた?」
「きっかり四十五分三十七秒」
「全然きっかりじゃない」
かっぽう着の凹みにたまった石ころが何個もこぼれて落ちた。こぶし大の岩もある。どうやら、電気針をぶちこまれたショックで失神したらしかった。
「ギャーギャー石を投げるぐらいなら直接起こしてくれればいいのに」
「は!? 人のせいにする?」
「……何でもないです」
小声になりながら、寝坊を棚に上げた責任転嫁のひねた眼つきで声の出どころを探す、が。
声はすれども姿は見えず。ワイヤーロープで首から足首までがんじがらめになった
「アカリ、どこだ!」
「眼の前におるがな!」
鋼鉄のミイラが足をじたばたさせた。また石つぶてが飛んできた。器用なことに足だけで石を投げている。
「早う縄切って。ハクが連れてかれた。助けにいかな」
「何だと! なぜもっと早くそれを言わない!」
ユートは跳ね起きようとしてまたしても失敗し、ミイラと並んで無駄にくねくねじたばたした。
「そやから早よ起きい言うとるやろ。寝過ぎや」
声に刺があった。返す言葉もない。
「まさか電磁ライフル程度で失神するとは思わなかったんだ」
自分の間抜けさ加減に呆れた。胃のあたりにキリキリと疝痛が差し込む。
「くそ。完全にやられた。連中の撤退時にエンジン音は聞こえたか」
「ちょっと時間差あったかもやけど街に向かうトレーラーのエンジン音が聞こえた。あいつらが乗ったやつかどうかは分からん」
「トレーラーか。ラー油で動くやつだな、だったら十分追える。アカリ、動けるか」
「動けとったら最初からもっとぶん殴っとるわ。ラー油?」
「助かった」
アカリが普段通りなら今ごろは首がもげるまで殴られていたところだった。内心の冷や汗をぬぐう。もげるのはドアノブだけで十分だ。今はとにかく拘束を解くのが最優先優先。
「それにしてもアカリまで縛られて動けなくなるとはな」
「う、うん? いや、それは」
言いにくそうにアカリは口ごもる。
「気にすんな。俺のほうが油断してたんだから。ちょっと待て」
左手の指先が蛍光グリーンに発光した。
握り込んでいた手のひらを開く。ハムスターほどの大きさの簡易ドローンを虚想の海から現実に
デルタ20面体のクリスタル状頭部と8本の針金の足。アルカの仮想管理領域に
散々苦労させられた相手だ。
「思ったより小さいな?」
「きゅぽん!」
眼の位置にあたるパイロットLEDランプがむくれたふうに点滅した。排気を鼻息荒く吹く。
「おっと悪い悪い、ベルトを焼き落としてくれ」
「ぴぽっ」
LEDがオールグリーンに点灯した。《
「ちゅぽっ♪」
「よし、いい子だ。良くやった」
拘束ベルトをむしって捨てる。ワイヤーロープのミイラが赤い頭をぐるりと回した。
「何やそれ。どこで拾うてきたん」
「捨て猫みたいに言うな」
「そうやってすぐ変なもん拾うてくんのやめえや」
「まだ一匹しか拾って……」
「しか?」
ユートは眼をそらした。作りもののさわやかな営業スマイルをミイラに向ける。
「今はそれどころじゃない。とにかくじっとしてろ。ロープを切る」
「そんな奥の手があるんやったらさっさと使うたらよかったやん。何でせんかったんや」
「頭がいっぱいいっぱいになって、こいつをスナッチしたの完全に忘れてた」
「まあ、おあいこやな。ほな思いっきりやったって。うちまでスポンジにせんといてや」
アカリは顔をそむけた。こわごわと眼をつぶる。
「ぷぽっ」
《
「ふっかぁぁぁぁつ!!」
アカリは大魔神ポーズで残りのロープを一気にぶっちぎった。怒りの炎を立ちのぼらせてはね起きる。
「かわいい小学生をがんじがらめの簀巻きにしてくれよってからに。あいつら絶対許さん」
いきなり突進。びゅんと横をすり抜ける。
「ストップ」
放っておけばどこまで行くか分からない。襟首をすんでのところでキャッチ。宙に浮いた足が自転車こぎ状態で空転した。
「何でや、ハクがさらわれたんやで。一刻を争う事態や! 揚げ足取る暇があったらはよ追いかけんかああ! ハクが心配やないんかあ!」
「アルカはどこだ」
アカリの顔色が変わる。すぐさまぐるりと周囲を見渡した。いない。
「やば……忘れとった……アルカもおらん」
アカリは見るからに意気消沈してうなだれた。首と手をだらんと前に垂らす。
「やってもうた……」
低レベル鎮圧兵器ごときに失神させられたあげく、ハクをさらわれたうえにアルカまでもが連れ去られた。大失態だが、なんとか表面だけは取りつくろった。重苦しい空気を吹き払う。
「いや、アカリだけでも無事でよかった」
「うちまで連行したら逆に危ないって思われたんかもしれんな」
実際その通りだろう。常識的に考えて、かよわい小学生をワイヤーロープで
「あいつら、いったい何を探してたんだ。ヒヨコ泥棒どもがいろいろ言ってたよな」
「『あれをどこにやった』『あれをどこへ隠した』『ボス、さっきから荷物を探してるんですがどこにも見当たっ』……何のことやろか」
アカリは記録した音声を再生した。首をかしげる。
ユートは額を押さえた。眼圧がやけに高まって頭蓋骨の内側からはみ出そうな気がした。まぶたがずしりと腫れて重たい。
「心当たりがありすぎて逆に分が……」
言い終える前に視界がぐらりと傾いた。めまいに押し倒される。足がもつれた。
「ユート、大丈夫? 無理せんで?」
アカリがあわてて手を伸ばす。
「……ああ、大丈夫。何とか」
みんなで囲んでいたちゃぶ台に黄色いくまの貯金箱だけが置き去りにされている。
そもそも
胸がつまるような、ふさがるような息苦しさを飲みくだす。
足元に空の使い捨て注射チューブが落ちていた。軍のファーストエイドキットにあるモルヒネシレットとよく似ている。横に黒と赤のガラスアンプル。クレーターの底で見たジュラルミンボックスの中にあったものと同じだ。割れている。中身は空っぽ。
無意識に手を首筋にやる。指先にしこりを感じた。注射痕がぼってりと濡れて腫れている。
熱に浮かされて幻覚を見たか。心臓がドッ、と強く動悸を打った。
もしかしたら。
意識を失ったのは、この注射のせいか。
何だ、これは?
アルカが運んできたとおぼしき荷物——破壊されたジュラルミンボックスの内容物と同じものが、なぜここにある? そもそもガラスアンプルの中身は何だったのか。なぜ、わざわざこんなものを使った?
疑問と混乱がいっせいに押し寄せた。何もかも分からなすぎる。寒気が風となって注射痕を撫でた。鳥肌が立つ。
アカリは耳を澄ます仕草をした。
「トレーラーの音が聞き分けられんようになった。街に入ってしもうたっぽい」
音響追尾のために耳に手を添えて集音しながらゆっくりと向きを変えた。赤い空の方向を指差す。
「がちゃがちゃ
「いまどきトレーラーなんてまともな
現実から目をそらして、何もわかりません、何もできません、みたいな顔をして。
社会の歯車、イモ畑に転がる去年のじゃがいものような、凡庸で卑屈な一般人を演じる日々は終わった。薄笑いとともに指の関節を鳴らす。
「上等だ。ナメた真似してくれやがって。地獄の果てまで追いかけてやる」
アカリがやれやれと天を仰ぐ。
「……やっと殺る気スイッチ入ったんか。45分遅いわ」
ユートは周囲に散らばる電磁ライフルの
にんまりとよだれを垂らす顔が印刷されていた。
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