全員ホールドアップ
避難先の体育館前にやってきた一行はベースキャンプの設営を開始した。持ち出せた所持品はナベとおたまと着の身着のままのみ。
「まずは備蓄品の確認だ。寝具!」
「ある!」
「食器!」
「ある!」
「水!」
「ある!」
「着火剤ほか燃料!」
「ある!」
「食料!」
「ああああご飯ーーー!」
「ヨダレ拭けヨダレ」
体育館内には、おそらく先に来た黒服が準備したであろう災害備蓄用品一式が並べられていた。備蓄食品、簡易の食器や什器類、ど派手なピンクの花柄毛布、ライター、着火剤、薪、タオルにせっけんに洗面器にシャンプーにブラシにはぶらしに消毒用アルコール、「はっぴぃ❤えんじょい❤らんらんランド❤」のロゴ入りレジ袋に入ったお着替えセット、それから校庭を畑にするための種イモとしてユートが先日提供したばかりのじゃがいもの山。
アカリは無造作に袋をひっくり返した。中身を広げる。
出てきたのはてろんとした手触りの白いフリルブラウスとコルセット付き黒のティアードフレアミニスカート、クリスクロスの赤いサロペットに白スモックワンピと下着の数々であった。
「こっちはフリフリでこっちはブイブイでこれはロリロリ……」
全部を出すに出せず、キョロキョロとあたりをうかがう。
「ってことは校長先生戻ってきたんやな。どこ行ったんやろ。せっかくみんな一緒に楽しゅうゴハン食べれるチャンスやのに」
「ハク……着替える」
白スモックワンピを手にしたハクがいきなりミニ黒服を脱ぎ始める。
「あっち向いとけや」
「なんで」
「大人ならお察しせんかい」
アカリは袋から下着を引っ張り出した。ピンクのフリルつき紐ぱんつにピンクのゆったりかぼちゃぱんつにピンクの毛糸のぱんつにピンクのふんどし……とそこまで確認したところですべてを無言で袋に押し込んで戻した。
「本社にお客さん……来てる……みたい」
気にせず肌着になって全部を着替えながらハクが言う。
「本社って何だ? あいつの本職は校長先生じゃないのグぼェ!?」
話の流れでユートが振り返ろうとしたところ、アカリにグキ、と首を逆向きにねじられた。
「こっち見んな」
「ハイ」
目玉が半分飛び出してしまったような気がするが気にしない。
「よう分からんけど、そいであんなちゃんとしたスーツ着とったんか」
「あれでちゃんとしてる方か」
ユートは後ろ向きにねじれた首を手で押さえながらおそるおそる元に戻した。コキン、と音が鳴る。
「よかった。アカリが壊したドアノブみたいにねじ切れていたらどうしようかと思った」
「ひとを破壊神みたいに言うなや。確かに、今日の校長先生はいつものカッコとは全然違うとったな」
「いつもはどんな感じなんだ」
アカリはあごに親指と人差し指をあてた。うーん? とあひる口で小首をかしげる。
「そやな、七三分けのピッチリした黒のカツラかぶって、黄色と黒のシマシマのチョッキ着てビニールの袖カバーしてぐりぐりメガネかけて便所サンダル」
「どう見てもそっちが変装だろ」
次は眠る少女の番だった。ハクとアカリの二人がかりで少女に服を着せ始める。
「……これどないしたらええん? 大きすぎて留め方分からん。えっと、このひもに腕を通して、えーと、あっ、かぱかぱする……」
「後ろのホック、ひっかけ……」
「それは分かるけど、何でおんなじもんがうちらのはないんや?」
「……不要……だからでは?」
「差別なのでは?!!!!!!!!!」
黒服を脱いで私服に戻ったハクは白い前髪をゴムでつまんでおでこを出すボンパドゥール、白甘ロリのスモック風ショートワンピに黒レギンスと編み上げ靴。手には黄色いくまの貯金箱を持っている。
当然アカリは不平たらたらのツッコミまくり。
「なーなートガシくん、教室ではいつもそんな格好とちゃうかったやろがい。短パンポロシャツ体育帽のボソボソぼんやりメガネ少年が何で甘ロリJSデビューに本気だしとんや」
「だって……私服……だし」
「やったらなんでうちのは甘ロリドレスじゃないん」
「……お金、持ってる……?」
ハクがクマの貯金箱を撫でると、合成音声が金額を読み上げた。
「タダイマノザンダカハ、8らんらん、デス」
「お金はらわなあかんの? 世知辛あ!?」
「いいからメシの用意だ。手伝わないといつまでたっても食えないぞ」
ユートはかっぽう着に袖を通した。後ろボタンをとめる。
「そやったわゴハンゴハン」
アカリは機嫌を直し、レンガを積み上げにかかった。あっという間に即席のかまどができあがる。枯れ草と薪をくべ、フリントライターで着火。ふうふう息を吹きかけて火勢を強め、安定したところで鍋を火にかけた。
まずはじゃがいもの皮を剥き、ぐつぐつ煮込む間に別の鍋でぴよぴよハウス直送のゆで卵を作成。じゃがいもが柔らかくなったら火からおろしてカレールーを溶かす。ゆで卵を加えてとろ火でしばし煮込む。メスティンでゴハンをたくのを待つ間、ナベをかまどからおろして毛布で保温。アカリがつまみ食いをしないよう毛布ごとナベを見張るのがハクの役目となった。
砂子散る星の夜空は、街の赤色灯を反射してほのかに赤い。かまどの焚き火がゆらりゆらりと周囲を照らした。
夕食は外で食うことにした。ブルーシートを広げ、折りたたみ式の丸いちゃぶ台を持ち出してきて、座布団5枚を等間隔に並べる。
ふたつ空いたざぶとんは、いつ少女が目覚めてもいいように。あるいはハクを迎えに黒服が戻ってきてもいいように。形ばかりの無駄な感傷だが悪い気はしなかった。
「おーい、みんなー、ごはんですよー」
かっぽう着に三角巾姿のユートは分厚いミトンを両手にはめて鍋を運びながら皆を呼ぶ。
ハクが皿を並べ、アカリがごはんをよそう。お呼ばれした全員、といっても三人だけだが、いそいそと食卓を囲んだ。じゃがいもたっぷりゴロゴロカレー(ゆで卵大量トッピング)が振る舞われる。
「ユート、おやかん取ってー」
「ほい」
「ユート、カレーのおかわり取ってー」
「ない」
「カレー……おいしい……」
「タダイマノザンダカハ、120億らんらん、デス」
「バグっとる!」
「……ハッキングして、増やした……し」
「どっから!?」
ハクはくまの貯金箱を膝に乗せ、無表情にひたすらスプーンを口へ運ぶ。
意識を取り戻さないままの少女も一人ではさびしかろうと、結局あまった座布団を使って皆の近くで横にした。
ゆらゆらと沈みうつろう横顔の影絵を、ユートはあえて直視せずにいた。あまりに似すぎていることを追認するだけだ。本物のはずがないのに本物だと思い込み始めたら、妥協してしまったら、ルカを取り戻すという目標を見失ってしまう。
笑いのさざなみが重なり、焚火の影がおどり、喧噪が響いてまた笑い声に変わる。古い校舎の割れ窓が赤いガラスの光点をチカチカと反射した。
「お代わりいるか?」
ユートはかまどの余熱で保温中の鍋をのぞき込んだ。残りのカレーをかき混ぜる。
だが煮くずれてしまったのか、何度お玉でさらえてもじゃがいもらしきものはまったく見つからない。
妹と同じ顔をした少女。正確には9歳だった妹よりすこし大人びた顔立ちをしていて、こんな形での邂逅でさえなければ数年ぶりの再会だと間違いなく信じてしまっただろう。
苦悩とも後悔とも切望ともつかぬ思いが何度もループする。もし、少女がもう二度と目覚めなかったら。もし、ルカが二度と《この世界に戻ってこなかったら》。
壊れた世界と少女の悲鳴がいびつな因果の相似形を描く。
横からいつもの視線を感じた。振り返るとアカリはカレーの残りをかっ込んでいるところだった。
「またおんなじこと思とんのか。何べん言うたら分かる?」
「……お茶……つめたくて、おいしー……」
ハクはコップを両手で持って、食後の一杯を堪能している。
きまずい静けさのあと、ユートは首を振ってごまかそうとした。もちろんアカリには通じない。
「うちらもルカとは違う。それとおんなじや」
感情抜きの指摘。第一世代の
ユートは肺の中にわだかまる濁った息を全部吐き出した。
いつだってアカリの正論はまっすぐで正しくて、そして後頭部をコンクリートでぶん殴られるよりも痛い。目が覚めるたびに思う。頭では分かっていても、自分自身の根元がぐにゃぐにゃと不如意で、アカリみたいにまっすぐになれない。溶けたじゃがいもみたいにあるはずの芯がどこにもない気がする。
「それぐらい分かってるさ」
それを聞いてアカリはけろりと笑った。
「やったらしゃんとせぇ。ええオトナのくせに、背えばっか
ユートは苦笑いした。受け流す。
「久しぶりに会った親戚のお姉さんみたいなこと言うなよ」
昔から——記憶が記録として残っている時点からアカリはアカリのままだ。ずっと変わらない。
それなのにやはりなぜかすぐには腑に落ちかねた。思考の中心にずっと喉を締め上げる真綿めいたもやがかかって、肝心な記憶をロックしている。
アカリは食べ終わった皿を見つめ、こげた匂いを立ち昇らせるナベに眼をやった。鼻をすンと言わせてさらに凝視。どうやら嗅ぎつけたらしい。
「そういうときはな、とりあえず何でもええから変数名をつけてこういうもんや
「もし危ないところを助けたヒロインが『私……ひみつのナゾエモンといいます……』とか名乗ったらグッズ売り上げガタ落ちだぞ」
「勝手に商品化すな。これやから厨二病は。ほんだら何がええんや。フシギちゃん、ナンヤワカランちゃん、ダレヤオマエちゃん、シランガナちゃん……」
ジュースを飲み終えたハクが、はぁ、と息をついた。眼を閉じて謳うように
「
謎。
アルカナ。
アルカ。
ルカ——
突如現れた謎の少女、アルカ。
妙にしっくりした。最初から知っている名のような気がした。
「悪くない」
ユートはカレーのナベをかまどの火にかけた。再びぐつぐつと沸騰する。焦げた匂いがした。残念ながらご飯はアカリがほとんど平らげてしまったが、カレーはまだ大量に残っている。
「まだおかわりいっぱい残ってんぞ。黒服野郎も戻ってこないし、アルカ……はまだ眼を覚まさないし。仕方ないから残り全部食っちまおう。欲しい人は挙手!」
「ハイハイハイハイハイ!」
「……食べたい……し」
ユートが手を上げるのにつられてツバメの子のように勢いよく手を挙げるアカリと、顔を横に向けたまま小さく指先だけ上げるハク。そして。
「ぅ……ん……」
鼻にかかったような、ちいさな声が聞こえた。
「いっ、今の声、誰っ!?」
「……かも」
「俺じゃないぞ」
「分かっとるし!」
手を挙げたままの全員の視線が、カレーから少女の顔へとぐいとねじまげられる。
「まさか……?」
まだ何も映さない少女のまぶたがわずかにぴくりと動いた。銀のまつげがふるえ、何度かまたたく。
くちびるから細い息がもれた。かぼそい声を発する。
「ここ、は……?」
皆が息をのんで傍らに寄ろうとした。
次の瞬間。
何者かがかまどに水をぶっかけた。周囲は闇に塗り変わる。暗転。
「何でもう全員ホールドアップしてやがんだ、何も言ってねェのによォ……?」
直後にゴリッ、と。ユートの頸椎に鉄の筒先がねじ込まれた。
「動くんじゃァねェぞォ……?」
くぐもった声が嘲笑した。
「一ミリでも動いたらコイツのドタマをぶっ飛ばすからなァ……?」
頭ごなしの脅しはユートに向けられたものではない。
アカリとハクの背後の闇に
網膜ディスプレイレイヤにロックオンのアクティブ反応がオーバーレイ。脳内がキンコンカンコンとうるさい。
ユートは、はあ、と自己嫌悪のクソデカため息をついた。カレーを食わせるのに頭がいっぱいで、周辺の警戒にまで気が回らなかった。そのうえ、よりによってこのメンツで
左眼のハイブリッド義眼に内蔵されたカメラを起動。ISO感度を上げる。
ホールドアップ中のお玉から、カレーのしずくがぽたりと垂れ落ちた。
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