四十五分三十七秒
適合者《レシピエント》
避難場所として学校に行く、と告げると黒服は「じゃあさっそくお洋服を見つくろってきますねェ~? 僕ちん愛用の逆バニーとかどうかなァ……?」とか何とかおぞましいたわごとを言い残し、そそくさと消えてしまった。あれだけ追い払う算段を練っていたのにいざ消えてしまうとなると何やら肩透かしを食らったような気分になる。
夕暮れのけだるい光のせいか、空全体が砂っぽい黄色みを帯びていた。
退去に先立ってピヨちゃんに水とエサを準備。そのほかに何か持っていけるものはないか探した。アカリは地下室に頭を突っ込んで黒こげのリュックを持ち上げた。同時に底が抜けた。灰の滝が落ちる。
「あーーーーっ!?」
穴の開いたリュックに顔を突っ込むもすでに中身はない。
「あーもー残念やなーせっかく学校にお泊まり学習に行くのに教科書もないとかあーもうがっかりやわあーー予習復習もできんし〜あーホンマ残念やわあーー」
「貸して……あげるけど?」
せっかくの厚意だがアカリは首を横に振った。
「でも先生がおらんやん」
「……すぐ戻ってくると思う……けど?」
不思議そうな顔のハクに向かって、アカリは真顔で言い直した。
「ちゃんとした先生がおらんやん?」
「ほら、行くぞ」
立ち去る前にかつての我が家だった廃墟を眼に焼き付けるべくもう一度振り返った。
跡形もなく壊された家。
地面に突き立つ折れた擬翼。影が長く斜めに伸びて瓦礫に刺さる。金属、木片、コンクリート、かつて本だった灰、割れた食器、砕けたガラス。全部あっけないほどバラバラだ。何も残っていない。厄災が逃げ出した後のパンドラの箱のようだった。
砂とコンクリートの山が風に吹かれた。ほろほろとくずれる。
ユートは片手で少女の身体を揺すりあげ、空いた手でポケットをさぐった。新聞記事の写真を取り出す。
くしゃくしゃになってなかばちぎれ、なかば焼けこげた紙切れの裏には色あせた、たどたどしい字の走り書き。
ゆうとお ゃん
だいす だ
ずっ しょ
まだ少し残っているという表現は、もう少ししかないの意味だとばかり思っていた。世界はこの薄っぺらな紙切れと同じぐらい、あっけなく脆かったのだと。
間違いだった。時が過ぎて記憶は遠くなっても、思いの丈はますますつのる。災厄を吐き出した箱の底に、それがまだ残っている限り。
これさえあれば何があろうと前に進める。たとえ世界のすべてがルカの存在を《なかったこと》にしたとしても。これはルカの生きた証。存在した証だ。
その写真のどこかが、何かが、心の琴線に反応する。少女たちが立つ建物の壁にぼんやりと見て取れる模様。月桂樹と蛇と螺旋。奇妙な既視感があった。
どこで見たのだったか。かすかな誰かの声。どこで聞いたのだったか。
どこで。誰が。何を言ったのか。何重にも鍵をかけられて思い出せない。
その感覚が何だったのか、ようやく思い当たる。統合軍の記録から自分の存在を抹消すると同時に、自分自身が何者なのかという記憶にも
忘れていたはずの古い記憶というのはたいがいがロクなものじゃない。普段は記憶の深海にガラクタみたいに沈んでいるのに、何かの連想スイッチが入ったとたんに急上昇してきてトラウマを呼び起こす。
写真の背後にあるのは、ユートやルカのような
だが、なぜ今になってそれを思い出したのか。
謎の少女の管理領域にダイブして、閉ざした心の扉をこじ開けたあのとき。
彼女は何と言ったのだろう?
アカリがハクにクレーターで拾ったクマの貯金箱を見せている。ハクが何かを言い、自分を指さし、アカリはビックリした声を上げてバンザイ。
「なー今のん聞いたー? ビックリやでー!」
「何がだ」
「んーほらさっきクレーターん中掘っとるときに、くまの貯金箱見つけたやん? あれなーハクのんやって!」
「は? 何でだ? 何でそんなものが」
「いやー前に何やハクがいじっとったらエライことになったゆうて校長先生に没収されたらしいんやけど、信じられんよなー、ひとのもんそのへんに落としてくとか。なー?」
「ん? ああ、そうだな」
ユートは聞いてなかったことをごまかすために笑いかけた。話をそらす。
「着いたらメシにしよう。何が食べたい?」
アカリは目を輝かせた。
「おおーゴハン、ええな! 何にしようかな。ハクは何がええ?」
「よしよし分かった分かった。何でも作ってやるから遠慮せずに食えよ! ドライカレーとかカレーいためとかカレー肉じゃがとかカレーチャーハンとか」
「結局カレーかい。ほなハク、これ持ってって。食べよ!」
アカリは砂で汚れたナベとお玉とクマの貯金箱をハクに押しつける。
「金属は……食べれない……し」
ハクは無理やり待たされたナベとお玉を手に固まった。
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