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◆檻の中の絶望

「──真実を観測することは、すなわち絶望の確定を意味する」


 コール音が鳴る。

 どこにも繋がらぬ、一方通行の無機質な音程。鳴り続ける。


「あっママあン! やっと出たァ。今どこォ? ねえ、ええ、仕事ォ……? まだあっちにいんの? 早く帰ってきてよ。何、仕事忙しいのォ? ……えェ? あいつ? あんなの放っときゃいーじゃん。うぜェ、やだよ何で俺があんな……あ? 違う違う、ンなもん何の意味もねーのママンが一番よく知ってンだろ? 俺の方がママンの役に立ってる。それでいーじゃ……あっ何今の声、もしもーし? もしもーし? まさか俺のいない間にまた他の男とイチャイチャしてんじゃねェだろうなァ……? ママンは美人だからさァ……心配なのよォ……ああ、分かってる、だろ……ちゃんとヤるって……」

 ひたすらしゃべり続ける男の顔は闇に隠れて見えない。右耳を噛むウロボロスのピアスだけが、携帯端末のディスプレイ光に反射する。


 お客様のおかけになった電話番号は現在お繋ぎする事ができません

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 重金属と油と火薬の刺激臭漂う漆黒の一室。

 微細なレーザーサイトの光条がなめらかに机上で反射して、闇に交錯する。壁に書き殴られた蛍光グリーンの文字列がうっすらと浮かび上がった。


 Ignoramus et ignorabimus.


 漆黒のスーツに身を包んだ男は、磨き抜かれた革靴をテーブルに投げ出した。ソファに身をあずける。肩に金髪が広がった。

 山高帽を目深に引き下ろし、眼を閉じる。

 くわえた細身のシガレットにオレンジの反射が灯った。煙がたゆたう。

 部屋の隅に場違いなほど巨大なくまのぬいぐるみが座っていた。焦点の合わないフェルトの目。ピエロめいた鼻。

 ぬいぐるみが尻に敷いているのは、内に外に鉄条網が張り巡らされた鋼鉄の檻だ。

 鎖の音がした。くまの眼が蛍光色にともり、埃の舞う薄明光線を投射する。

 壁にぼんやりと蛍光色で描かれた市街地マップが表示された。海岸沿いの一点に、非実在量子の励起を観測するレッドアラートと激しい波形の乱れが点灯する。大和国表記準拠の住所が示された。新大和島市特別街区崩岸屋アズヤ町0101。

 スーツの男は白い煙を吐いた。指を鳴らす。

 壁に指先ほどの黒い物体が貼り付いていた。微少なモーター音を立てて移動を始める。レンズが動く。長い触覚が揺れる。

「映像をこっちによこせ、ソーナ」

「はい。ご主人様マスター

 鎖の音が動く。天井のプロジェクタからノイズまみれのドローンカメラ映像が投射された。

 青灰色を帯びた、彩度の低い不鮮明な低解像度映像。

 やや上から見下ろす角度の画角大半を占めるのはトタン屋根の納屋。その向こうにクレーター。全壊したボロ家。それから。

 映像が乱れる。

 データ欠損で細部が雑然とした。何かが動いているのは分かるが、何が映っているのかはまるで分からない。ざらざらしたグレー階調のモザイク。まるで大昔のドット絵ゲームのようだ。


「《直せ》。役立たずが」


 手にした携帯端末をアルミ粘土みたいに握りつぶし、檻めがけて投げつける。檻の中の少女が押し殺した悲鳴をあげて身をよじる。端末のバッテリが割れて火を噴き出した。青い髪に火が燃え移る。首に繋がれた鎖がけたたましい軋みをあげた。男は立ち上がり檻に近づいた。手を突っ込む。


「画像処理ひとつロクにできねーのかざけんなよこのクソアマ! すりおろすぞ、あァ! とっとと《直せ》ゴミが!」

 怒鳴りつけざまに少女の髪をわしづかみし、力任せにひきちぎる。金属音と悲鳴が反響した。


「申し訳ございません、ご主人様マスター。直ちに修正いたします」

 かすれ声がふるえた。青白く発光する血が少女の頬をつたってぽたぽたと落ちる。


 男は引き抜いた髪の毛を床にばらまいた。薄青い光を放って霧散する。

 すぐにノイズは消え、映像が回復する。

 くたびれたカーキの軍コートをひっかけた若い男にズーム。おっかなびっくりといったていでクレーターをのぞき込んでいる。

 人物の顔が小刻みに動く黄色のフレームに囲まれた。顔認識が動作。


 山田ヤマオ。男。大和国山田県出身。1950年1月1日うまれ。ヒヨコ研究家。軍歴なし。家族構成、妻、山田マヤ(死別)娘、山田ひよ子(死別)。


「ふざけた野郎だ。止めろ」

 プロジェクタが沈黙した。部屋は闇に帰る。男は片眉を吊り上げ、蜜の毒を垂らしたように笑った。

「……さてと、じゃあ、落とした荷物を返してもらいに行こうか、なァ……っと?」

 金髪をかきあげる。黒手袋の左手に銀虹のラインが灯った。


 男がいなくなり、人間の気配がしなくなると、檻の中の少女はかじかんだ息をついて眼を閉じた。

 燃えて溶け落ちたはずの青い髪の毛は、いつのまにか何事もなかったかのように元に戻っている。

 少女は首をつなぐ鎖に指をからませ、膝に顔をうずめた。むきだしの肩がふるえる。蠟の色だった。



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