一番だめな大人は黙っとれ

 星の鏡面から顔をもたげる。仮想と現実の圏界面を抜けて浮かびあがるとそこはもうXR《クロスリアリティ》ではなく肉眼だけで見る現実だった。手に触れる灰色の砂の感触が確かに熱い。

 天上のない漆黒の仮想空間と違ってやけにまぶしい。そして背後がうるさい。

「ゲッヘッヘーーヨゴレキャラ作り絶好のチャァーーーンス! 僕ちんも今こそ本気出してオニイチャンに熱いベーーーーーーゼするゥーーーー」

「やめえや校長先生、ハクも黙って見とらんでちょっと何とかしてえなこれえ!」


 ギャグマンガみたいな影がクレーターの側面で暴れている。アカリがじたばたする黒服を羽交い絞めにして引き戻そうとしているのだった。もちろんかなうはずもない。たかが人間の力では。


「無理……クソッタレウスノロ金髪短小クズ肉きんたまヨゴレ野郎……だし」

「ユートが眼え覚ましたらエライことになるって、は、早よ、ちょっと!」


 殺気を感じた。肩越しに振り返る。荒い鼻息がかかるぐらいの距離に、恍惚の面持ちで眼を閉じ唇を突き出した男の顔があった。たまらずぶん殴った。鼻柱がへし折れる。

「ぶっ飛ばすぞ変態野郎!」

「ぶっ飛ばす前に言ってくださブボァッーーー!」

 ぼろぞうきん状態で吹っ飛ぶ。鼻血が汚い放物線を描いた。

「飛距離八メートル七六センチ……新記録ですゥ……」

「足りるか!」

 追いかけてさらにげしげしと足蹴。

「ァブッァァッァギモッ、ギモチイイッーー❤ オニイチャァンもっと下の方もいんぐりもんぐり踏ぐごげぇッ!」

 背骨ごと踏み砕かれた腹を押さえて悶絶する黒服を最後に一発蹴り転がして放置。ユートは振り返った。しがみついていたせいで一緒に吹っ飛ばされたアカリが尻もちをついている。手を出して助け起こした。

「すまん。悪い。けがしてないか?」

「うちは大丈夫や。それより」

 アカリの眼に、みるみる涙の粒がふくらんだ。差し伸べた手を飛び越えて首にかじりつく。

「うわああああああんユートのいけずうう何で急に消えよったんやあああああ! 心配したやないかあああああ!!」

 鼻水と涙に濡れたほっぺたをびちょびちょなすくりつけながら号泣。ユートはあきらめてべちょべちょになりながらアカリのやりたいように任せた。

「消えた覚えはないんだが……でも悪かったな。心配させて」

「ぜんぜんしとらんし! ユートのことやから絶対大丈夫なんぐらい分かっとったわー! でも人がやめえいうことばっかすんのやめえ! あほーー!」

「ハイハイ俺が悪い悪い」

 ユートは頭を傾けてアカリのおでこに頬を寄せた。

「そんなに怒るなよ」

「ぜんぜん怒っとらんしーー!」

 ますますかじりつく力が強まる。首にアカリをぶらさげたままハクを見る。眼があった。

「ありがとう、おかげで何とか切り抜けられた」

 アカリをくっつけたまま礼を言う。

「別に。どってことない……し」

 ハクはクレーターの縁に腰かけて、少しむすりとした顔をユートに向けた。かと思うとすぐに眼をそらして無表情に戻り、靴のつま先をぷらぷらと揺らす。


 ユートは自分の左手を見下ろした。だらりと垂れて動かない。たたいてみた。指先がぴくりと動いた。感覚はある。

 機能が完全に回復するまでにはもう少し時間がかかりそうだ。

 もし腕が動かない、などと知られでもしたら、いつ何どき背中から物理的に刺されるやら分からない。絶対に秘密にしておかねば——

 背中越しに嫌な視線を感じた。ちらっと振り返る。黒服がニチャア……とねちっこい笑顔を浮かべてこちらを見ていた。

 苦笑いする。忘れるところだった。こいつはこういうやつだ。


 それよりも先にしておくべきことがある。ユートは半壊した呪装機巧エキソスケイルのそばへと戻った。


 銀髪の少女はまだ眼を閉じている。腕の翼やエンジンポッド、銀の肋骨のように少女を取り巻く外骨格の一部も折れたままだ。

 装甲の下に首へとつながる呪紋配線アンキハータをさぐり当てた。神経突起がぬるりと手にからみつく。さいわい、先ほどのような激しい拒否反応は起こらなかった。

 それだけでも没入ダイブした甲斐はある。

 背骨から腰にかけて蓮の花のように無数に埋め込まれた生体受容プラグのロックをはずす。

 少女の身体が一瞬、銀虹の微放電に包まれた。唇が苦悶の形にゆがむ。

 せわしない喘ぎに肌色の胸部が上下した。過去の記憶と──旧聖域ヒュステリアの崩壊に呑み込まれ、消えていった妹の姿と重なる。


「……ガン見ですかァ?」

「人聞きの悪いことを言うな」


「せっかくハクとユートが頑張ったのに反応ないんか」

 横からのぞき込むアカリの顔が、少女の放つ放電の光に青い影を落とした。

「バチンって言わないから拒否反応だけは抑えられたと思うんだが」

「僕ちんビンタと足蹴ならいくらでもお代わりしたいですけどォ」

「てめえには聞いてねえ」

 触れられたくない記憶から眼をそらす。ユートは腰に食い込んだスカート状の外骨格装甲を浮かせて持ち上げた。

「無理やり取ってもええもん?」

「組織としての接続は切れてる。でっかいかさぶたみたいなもんだ。再生タンパクスプレーをちと多めに吹いときゃ傷自体はふさがるだろ」

「フムフムなるほどォ?」

「悪いけど校長先生うざいからどっか行って。邪魔」

「ァッ、クヒィそんな、アカリちんひどい」

「ウスノロ金髪ヨゴレ野郎はさっさとこっち来る……し」

 ハクが黒服の耳をつかんで引き戻す。

「擬装だけでもはずせたんやから、十分に目標達成やろ。足にロケットつけたままやったらどっこも連れて行けん」

「同意……」


 プラグの先端からオイルが滲み出た。青くしたたり落ちる。


「結局はソーナとやらを探すしかないか」


 欠損の裸身を前にして、ユートは舌打ちした。ハクが当初提案したように、完全に《直せる》のはソーナだけということだ。

 つつつつとつま先立ちで忍び寄ってきた黒服が手の甲を扇子がわりに立ててヒソヒソ耳打ちした。

「クヒヒ、そんなことよりもですねェ……? オニィチャンたるもの、いつまでもこんなところに?」

「ぐぬぬ!?」

 こいつに正論をぶちかまされるとは一生の不覚。ユートはあわててコートを脱いだ。裸身にかぶせてやる。


「はー、大のオトナがふたりしてダメ人間まるだしとか、ホンマ、先が思いやられるわ」

 アカリは雄弁なため息をついた。

「ほんでも擬装がはずれたゆうことは仮とはいえ管理者権限でアクセスできたいうことやろ? 何でぜんぜん眼ぇ覚まさんのやろか? こんだけ横でわあわあ言うとるのに」


 気配に反応したのか。少女の肌に呪紋アンキハータが浮かび上がった。ゆらめく色が皮膚を透過し、形を変えて禍々しく移り変わる。蟲が這った跡のように見えた。

「そりゃあちこちぶっ壊……」

 全方向からケダモノを見る視線が突き刺さった。痛い。針のむしろで往復ビンタされた気分だ。

「壊してどないすんの壊して」

「……お詫びのしようもないです」

 返す言葉もない。背後からうっとおしいニヤニヤ笑いがかぶさった。背中をべしべしとたたいてしなだれかかる。

「クヒヒ、いいってことよォ! 僕ちんエグゼクティブだからケツの穴もでっけェし。ズボォーンと来ていいのよォズボォーンとォ!」

「近づくなけがらわしい」


 いかにもミッションクリア後的などうでもいい無駄口アイスブレイクより先に、もっと重大な、差し迫った懸念があった気がした。頭の中の引き出しの上から何段目と開けるべき場所まではっきり分かっているのにそこに何が入っているのかまったく思い出せない。

「と言ってもだな、擬装がついたまんまじゃ病院に連れていくわけにもいかないだろ……」

「やぁからそれ以前の問題やってば。普通の病院なんか行ったってどうにもならんわ」

「だろ? だからまずは《引ん剝く》しか」

「言い方!」

「別に放っといても死にゃァしねェでしょうがねェ」

 黒服は片足立ちになってけんけんしながら、革靴を片足脱いだ。さかさまに振る。小石まじりの砂が落ちた。わざとらしいが分かりやすい。そんなふうに足手まといをあっさり捨てられたら苦労はしない。


 ユートは黄昏の色が混じる西の空を見やった。ひどくゆっくりと首をめぐらせる。山ぎわに金の薄雲がたなびいていた。山の向こう側にある巨大な海火山から立ちのぼる噴煙が流れているのだろう。


 クレーターと壊れた家の残骸といまだ目を覚まさない呪装機巧エキソスケイル。形のない、模様すらないジグソーパズルのピースを用心深く置いてゆく。

 怪物ヴェルムと、襲撃してきた濃紫と黒の呪装機巧エキソスケイル、そして。

 夕暮れに頬を赤くそめてユートを見上げるアカリと、相変わらず興味なさそうにそっぽを向いたハクの横顔。完成した絵柄が示すのは、あのセピア色の集合写真かもしれなかった。


「肝心のソーナの居場所が分からないんじゃ動きようもない」

「もしこの街におるんやったらしらみつぶしにあたってもええけどな」

「だよな」

 あてずっぽうにウロウロしたところで見つかるはずもない。

 肩を落とした。ため息をつく。無意識に黒服を見やった。絶対に頼りたくはないが、もしかしたら何か知っているかも——

 視線の意味に気づいたらしく、黒服はななめにずり落ちたサングラスを指先でくいと押し上げた。口の端がだらしなく吊り上がる。

「まさか、僕ちんから聞き出そうとか思ってませんよねェ……?」

「誰が聞くか!」

 反射的に言ってしまった。しまったと思うがもう遅い。夕日がまぶしかった。眼がやけにしみる。

 仕方がない。即席のB案を披露した。

「まずは、家をぶっ壊した犯人エキソスケイルを探す」


 呪装機巧エキソスケイルがいれば背後に必ず管理者ADMがいる。大和統合軍か人類共同戦線の特殊機巧作戦軍、あるいはその両方だ。芋づる式につながっているようなものだ。ユートのような《糸の切れたタコAWOL》はともかくとしてだ。


「あんだけハデに爆撃してりゃあ、絶対に目撃者がいるはずだ」

「そりゃまた雲をつかむような話やな」

 アカリはまたため息をついた。

「ハクはこいつのこと何か知っとる?」

 敵機の映像を送る。濃い紫と黒に塗り分けられた毒々しいカラーリング。機銃掃射の雨。甲高い風切り音と重金属めいた衝撃波。

 すべての呪装機巧エキソスケイル個体は固有の識別色を持つ。たとえ同型であってもひとつとして同色の配置はない。よってアカリが知らないのならば試作機エンブリオではないと言い切れる。今はそれが救いだった。最悪の事態だけは——もしかしたらあれがソーナかもしれない、という可能性だけは否定できる。


「知らない……って言ったし」

 ハクはむっつりと顔をそむける。アカリはくいさがった。

「実は校長先生に口止めされてんのとちゃう?」

「心外ですねェ。僕ちんこう見えても教育者ですよォ? 先生を何だと思ってるんですかァ」

「ヨゴレ」

「変態」

「クソ豚ぴんくぱんつ……」

「あヒィ光栄の至りィ」

 悪口雑言の集中砲火を浴びて黒服は身をくねらせる。やはり変態だ。


 アカリはぱんと拍を打って全員を黙らせた。

「アカン。しょーもないヨタ話ばっかでぜんぜん話が進まん。もうええ。うちがリーダーになって指示するからその通りにせえ。分あったか?」

「さすがアカリ」

 ユートは真顔で感動した。こんなクセのありすぎる連中を前にリーダーシップを取るなど、なかなかできることではない。

「しょうがないやろ。どいつもこいつもええ年した大人のくせにポンコツのアホたればっかしなんやから」

 アカリはなぜかうんざりした顔でユートを見た。

「同感……」

 ハクもうなずいた。黒服がぺちぺち手を叩いてはやし立てる。

「やーいやーいアホ呼ばわりされてやんのォ」

「一番だめな大人は黙っとれ」

 ぴしゃんと断罪。

「校長先生とハクは買い出しや。この子の服を買うてきて」

「何で僕ちんが」

「無職にイマドキ女子の服なんか買えるわけないやろ」

「火の玉ストレートはやめて差し上げて?」

「らんらんミリタリーらんどでいいなら俺が行くが?」

「二番目にだめな大人は黙っとれ」

 アカリはニコニコばっさりと切り捨てた。

「うちらはこの子を連れて安全な場所に移動や」

「ピヨちゃんたちはどうする。置いていけないぞ」

「水とエサおいといたら二、三日ぐらいお留守番大丈夫やし。その間に犯人とソーナを探す。どや? 完璧な計画やろがい」

 確かに非の打ちどころがない。フムンと鼻息荒く胸を張ってみせるだけのことはある。


「安全なところなんてどこにあるんですかねェ……?」

 最大にして最低最悪の懸念材料がしれっと口をはさむ。ハクがうつむいた。地面の川の字模様に見入る。

「何か心配なことでも?」

 ユートは腰をかがめた。目線を合わせてハクの顔をのぞき込む。

 ハクはまたうつむいた。白い髪が肩に揺れる。


 今となっては残念ながら過去形でしかないが、アカリが一番最初に言った——(このへんはまだおらんって校長先生が言うてた)——のが無責任な正常性バイアスに基づく希望的観測でない限り、黒服が現れるところには限りなく問題揉め事があると思っていい。つまり黒服こいつがしゃしゃり出てきた以上、もはやは安全地帯ではないのだろう。


「だったらアカリと一緒にこっちに残るか? 街なかよりはピヨちゃんたちの近くにいられると思うぞ」

 わざと意味を取り違えたふりをして笑いかける。


「よっし決定! ウワー嬉しいなー! はじめてのお泊りキャンプやー! ほなハク行こ避難所! 晩ごはん何がええ? ユートが何でも作ってくれるで!? うちもうおなかぺっっこぺこやー!」

 アカリは勢いよくハクの手をとって飛び跳ねた。小走りに駆け出す。

「無理……そんな、走れない……し」

 なかば強引に引っ張られたハクの表情が思いかけずゆるんだ。つんのめりながらも二人で並んで走ってゆく。


「おい待て、勝手に行くな。こっちは一人じゃないんだ……」


 ユートは呪装機巧エキソスケイルの少女を抱き上げた。あまりにも軽すぎて中身のないハリボテか何かのような幻覚にとらわれる。

 かすかな記憶の呼び水。

 ファイヤーウォールを越えた向こう側、蛍火の飛び交う門の向こう側に何があったのか、アカリもハクも見ていないらしい。

 銀虹の鎖が差し渡された先に巨大な門楼が見えたことだけは記憶にある。だが、雷鳴と同時に足を踏み外し、意識がとぎれた。落ちた場所は現実だ。決定的な何かが欠けている。


 少女の手が所在なくぶらりと白く揺れる。空のどこにも月はない。暗い夜になりそうだった。


【4章 おわり】

 

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