困ってる女の子にはとりあえずいいカッコしとくもんだろ
オレンジの
細かい砂のようなものが頬を打った。息を止め、顔をそむけて右肘でかばう。
「何だこれ、ジャリジャリする」
遥か遠い門楼の最上部
(ここはいったん逃げたほうがええわ。な、ユート、そうしょ。まずは撤退して、そいからみんなでどうするか考えようや)
アカリがやけに早口でまくしたてた。なぜかアカリには白い影が視えていないようだった。違和感が忍び込んでくるのを、今はそれどころではないと意識から追いやる。
「冗談だろ。ちんちん電車ごときに背中を見せられるか」
(ちんちん……でんしゃ……?)
(そのちんちん電車にアバターの腕一本持っていかれとるやんか。ええカッコしとる場合とちゃう。だいたいこの子自体が敵かもしれんのに、何でそこまでしたらなあかんのや)
うわずった声で矢継ぎ早に言いつのる。ユートは苦笑いして振り返った。
「
(そや、うちが要らんこと言うたせいや! 謝るし。な? ごめんって。でもそんな思いまでしてユートが助けることないわ。
(ん……同感だし)
(ほらあ!)
(余計なこと……言ったの、アカリだし)
(同意してほしいんはそっちとちゃう!)
「……ちっとは俺にも意見させてくれよ」
いいたいことはよくわかった。ただ、早口すぎて言い返すタイミングを見つけるのに難儀しただけだ。ユートはふたたび門楼に眼をやった。さきほどの人影はすでに消えている。
(ほな逃げるで、いったん撤退しよや!)
「悪いな、アカリ」
オレンジの光るビームが縦横無尽に飛び交う。本体より先に伸びたレールの指し示す方向だけが頼りだった。光が線ではなく点に見えれば、自分めがけて直進している証拠だ。一瞬の変化を見切ることができれば避けることもできるだろうが、正直言ってよけきれるスピードではない。たぶん、次はなかった。
「逃げる気はねえよ」
(何でや。何でそこまでしてこんな見ず知らずの
アカリは半泣きだった。
「見ず知らずか。確かにな」
言われてみればその通りかもしれない。苦笑する。
最初は妹に似すぎていると思ったからこそあえて冷酷をよそおった。見覚えのある顔だからこそブービートラップを予想した。それは今も同じだ。
だが、もしそうじゃなかったらどうしただろう。妹に似ていなければ。ただの通りすがりの他人だったなら。
平然と見殺しにしただろうか。
ユートは片方だけの肩をすくめた。
「何でって、困ってる女の子にはとりあえずいいカッコしとくもんだろ」
嘘で塗りこめた白々しい笑顔で、ぬけぬけと言ってのける。
(アホなん? アホなんか! そんなときだけええかっこしぃせんといて! ユートはうちにだけええカッコしとけばええの!)
じたばたと悶絶するアカリの後ろでハクがふと息を吸い止めた。心奪われた様子でぽつりと繰り返す。
(いいカッコ……?)
「だから、ギャーギャーわめいてないでさっさと予測座標データをよこせ。こっちは処理がおいつかなくて必死なんだよ」
(うちにそんな難しいこと期待したらアカン!)
「じゃあお静かにしてろください」
ぶうたれるアカリを振りはらって、ユートは注意を敵へ向けなおす。
(これが静かになんかしとれるかってん……)
(アカリ、ホント、うるさいし)
ハクがぼそりと口をはさむ。
(さっきから
「何?」
いわれて初めてユートも気づいた。よく見れば確かに今までと違う。先ほど感じた違和感はそのせいだったか。
「そういえば……」
ハクのアストラル体がコクリとうなずく。
(
(ハッ!!?)
アカリが素っ頓狂な声をあげる。
(そーいえばそのとーりや! え!? どこ!!? どこ行ったん!?)
「耳痛い。だから耳元ででっかい声出すな」
「……まさか、眼に見えない不可視の属性に変化した……?」
ハクの影を横目に見やる。首を縦に振らない。つまり否定だ。
(こんな、短時間で……できるはずないし)
言葉にして発声するにはもどかしすぎるハクの思考が、アカリを土管役にしてユートに伝わった。瞬時に理解する。自律状態の
——もし、そんな自己修復が可能なら、もし、自分自身の意思がまだ残っているなら。
頬についた細かな塵を払った。指先に黒いすすめいた色がつく。感触を確かめようとすり合わせたが、すでに色もざらつきも残っていなかった。痕跡すら消えている。
もしかしたら、それこそが《彼女》の意思なのかもしれなかった。自分自身でいられないのなら、自らの意思に反して行動させられるぐらいなら、心の殻に閉じこもったままがいい。そんな眠れるいばら姫を目覚めさせるためにも、彼女の望みをかなえなければならない。
彼女自身を——
息をつき、荒々しく笑う。
「いいだろう、見せてやるよ。この俺がついに本気を出すところをな」
(本気って、ちょお待て、まさか、《リミッター》……)
探る声に動揺が混じる。
ユートは敵の動きに意識を集中させた。
「何がまさかだ。ほかに方法はない」
(あかん。無理や。《人間》の身体では耐えられん。なんぼ《
「その方がかっこいいだろーが! 俺だってやられる寸前とかにピカーッって手が光って、隠されていた真の異能に覚醒したりとかしたいんだよ! こっ、この
すかさず話を明後日方向にねじまげる。
アカリとの通信は、通常ならばだれにも割り込まれることのない暗号音声の同期共有で行っている。だが今はハクに筒抜けだ。変に余計な機密をもらして、ハクにつきたくもない嘘をつかせたくなかった。
(やからって厨二病発症しとる場合とちゃうし!)
ユートは冷や汗にまみれた前髪の下から、迫りくる
「アカリ、勝つためには何が最も必要か分かるか」
(はあーー? 今そんなクイズ出しとる場合と……そりゃあ人望とか頭脳とか正義感とか)
「全部ハズレだ」
ユートはニヤリと笑った。
何ができるかよりできない理由を探すほうがそりゃあ簡単だ。見なけりゃいい。知らなきゃいい。気づかないふりして眼をそらしていればいい。だが、それだと先に進めない。クイズの答えは——
「
チャンスは一回のみ。その一回に失敗すれば自滅。ためらいは失敗の元。迷うな。突っ込め。一か八かの勝負は時の運。幸運の女神は勝った側に微笑む。
「当たって砕けろ! リミッター解除!」
動体視力の分解能を1フェムト(10の-15乗)秒間隔にオーバークロック。
視界のネガポジが反転。
脳神経伝達速度が天文学的な数値に跳ね上がる。
(砕け た ら ア カ ー ー ン っ ・ ・ ・)
アカリの声の周波数が限りなく遅く低いピッチに変わり、くぐもった重たい声に引き伸ばされてゆく。
離れた二地点に同時に出現する
このまま敵をはるかに凌駕したスピードで見ることができれば、受けるダメージを最小限に抑えつつ、こちらからの攻撃を確実に当てて敵のぶちのめせる。
はずだった。
脊髄に、電気を帯びた鉄球で殴りつけられたような衝撃が走った。
処理しきれない暴力的なデータが脳内に流れ込み、一瞬で記憶領域がパンクした。無限ループにも似た過剰負荷がのしかかる。デジタルアバターの意識と記憶そのものがデータボムの津波に飲み込まれ押し流される。
「くそ、足りな……」
情報が大きすぎる。重すぎる。激しすぎる。
アカリの言ったとおり、人体の脳容量だけでは
落ちる。視界がレッドアウト。度を越した神経伝達の思考電圧が生物的な許容範囲を超えて、生体そのものの電気分解を起こしはじめる。
さすがにバカすぎた。当たって砕けろとは言ったが本当に砕ける可能性にはまったく思い至らなかった。少しは想像力を働かせるべきだった。
シナプスが赤く茹だる。脳が煮える。意識のキャッシュが瞬時に蒸発——
(どいつもこいつも、バカばっか……だし)
輻輳で破裂寸前だった脳が急激に冷えた。ハクの声が文字通りの冷や水となって、溶けかけた演算コアへのデータ割り当てを強引に持ち去る。圧力と温度が下がり、血栓状態に蒸発し固まりかけた血液を押し流す。
脳神経データサンプリング再開。
鮮明な視界が戻る。
超加速で放出された
結果、異物攻撃スクリプトとしての実行能力を失い、粉塵サイズのピンポン球に分解されたナノ以下の
「これだけ見えりゃあ十分だ」
処理速度を落とした。眼の奥でまだ光が乱反射している。膝に力が入らない。
「あと一秒でも介入が遅けりゃ、脳みそがポーチドエッグになるとこだったな」
洋画のハードボイルドふうなセリフを吐いたつもりだったが、実際に口と鼻と眼と耳の穴から出てきたのはゆだった煙だけだ。
(え、え、何今の? 何が起こったん? 真っ赤っ赤で何も見えんかったけど)
アカリがおろおろと口をはさむ。ハクはわざとそっけなく答える。
(アカリには……どーせ見えない……から)
(何それちょっと失礼とちゃうかー!)
「ハク、助かった。ありがとう」
ユートは深呼吸して白い湯気の息を吐き切った。
(いわゆる
「なるほどな。分かった。次も頼む、ハク!」
(あっ、えっ、うちはッ!?)
「アカリは
(何もわざわざギリギリで避けんでも、視えるんだったら側面から攻撃すればええんと違うの?)
「いや、ちと思いついたことがあってな」
ユートは片目をほそめ、悪どく笑った。ハクがアラートを飛ばす。
(敵直進方向、こちらに向かってくるし!)
「了解。アカリも頼むぞ」
(あああ、もう、
「さあ、来い!」
再び演算処理周波数をオーバークロック。今度は最初からハクの助力もあり、脳の処理あふれは起こらない。
先ほどまではレーザービームのようにしか見えなかったオレンジの閃光が、ストップモーションで一マスごとに接近する様子が《観測》できた。床の蛍光色ラインが一マスずつ、車体の前方へ一マスずつ点灯して伸びる。同時に、前方に伸びた一マス分だけ後方の蛍光色が消灯。まさしくコマ送りだ。
間延びした音が衝撃波となって耳に届く。アカリがノイズキャンセリングをぶつけて干渉。爆音が吸収されて散らばる。
処理能力が増したおかげで、《見るだけ》でラグッた先ほどとはちがって遅延のない行動が起こせる。
直進する
身体を開いて横っ飛びにかわす。オレンジの車体が、ユートがいたはずの空間を衝撃波でミキサーしながら走り抜けた。
シャッターが開いた。
銀色の
自由電子速度で放出された
「今だ!」
構わず、レーザー飛び交う黒い霧めがけて右手を突っ込んだ。緑の照準が光る寸前にかっさらう。
「よしつかんだ!」
腕を振り抜いて飛びすさる。オーバークロックを解除。連写画像を並べたような走馬灯の世界からリアルタイム描写へと戻る。
オレンジの
「さてと。腕一本分の治療代は高くつくぜ……全額キッチリ、慰謝料込みで払ってもらうからな!」
ユートの手の中に銀の物体が光った。
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