管理者《ADM》のご命令とあらば
◆厄災の元凶
大和連合陸空軍および北米環アジア太平洋軍司令部のある成田基地には現在、統合運用調整所が設置されている。技術連絡将校として《人類共同戦線》特殊機巧作戦軍から派遣されている技官が勤務しているはずだが、その真の姿を見た者はだれもいない。
基地の端に、バラック建ての倉庫が二つほど並んでいる。その入り口は古ぼけたシャッターで閉ざされており、横の新聞受けには、もう、何年前から突っ込まれているのか分からないほどしわくちゃになった古新聞の束。地面にはピザのチラシ、パチンコ屋のチラシが散乱している。
屋根にはぽっきりと折れたテレビのアンテナ。
フェンスも何もない。シャッター前の錆びた柵の門扉だけが、塗料が剥がれたまま放置されている。
「あのねえ、お菊は忙しいのー。遊びに行きたくってもいけないぐらい忙しいのー。なのになんでいちいちアンタのしょーもない陰謀論なんかに付き合ってあげなきゃいけないワケえ? もうマジ、アンタみたいな役立たずのクソゴミ無能いらないから。はい、クビ」
倉庫の窓が開いている。中からは白い灯り。
電話を受ける娘の声が響いた。片手に黒いファイルを持ち、もう一方の手に持った薄っぺらい感熱紙の束を、ぱん、と弾く。
よほど扱いが荒いのか、感熱紙はあちこちこすれて無駄に黒ずんでいた。
「アッハイじゃないの。ばかなの? ごめんで済んだら
今どき珍しい、レトロな黒電話の受話器を肩と耳で挟んで。
窓際のデスクに直接腰掛けた娘が受話器に向かって怒鳴っている。
片眼を隠すオレンジブロンドの髪をポニーテールに結い、刀剣の形の二連かんざしをクロスに挿して房飾りを揺らす。振り袖のついた和装セーラー服、黄色のスカーフ。襟と袖には金の二本線が入っている。ミニのプリーツスカートの下はすらりと締まった黒タイツの足に編み上げ厚底一本歯の下駄ブーツ。かたわらの壁には青波柄の唐傘を立てかけている。
消灯命令に従わない建物があることに気付いたのか、基地のそこかしこから怒鳴り声が聞こえた。やがて自動小銃を背負った大和軍の衛兵二人があわてふためき駆け寄ってきて、シャッターを叩いた。
「消灯。消灯! 遮光を徹底されたし!」
「シャッチョサンゴメンナサイナノネー! キクチャン大和ナデシコダカラー坂東武者言葉ヨクワカンナイノネーーーーー!」
娘は窓から大声で怒鳴り返した。受話器を電話の本体ごと引き寄せる。よく見れば黒電話の本体からは電源もコードも何も伸びていない。
「ううん、何でもない。こっちの話。それより何て? はい? 居た? 何が?」
赤い瞳がふいに溶鉱炉に似たゆらめきの微笑を帯びた。
「ふうん? 厄災の元凶……ねえ……?」
手に持ったファイルで机の上の呼び鈴をせわしなく叩いた。りんとベルが鳴る。
「……ねー、カナちゃん、ちょっと来て。カナちゃーん!」
娘は受話器を耳からはずし、明後日の方向を向いて大声で呼ばわった。
待つその間に、頭上に手を伸ばして腕関節のついた真っ赤な目玉の形をした赤外線ランプを引き寄せた。首に下げた迷彩色のモノクルを片眼に押し当て、黒いファイルに挟んだ感熱紙の束を赤外線灯にかざして、透かす。
ランダムな黒ずみを重ね合わせたインク染みの中に、物理的に何も印刷されていないことによる暗号が白抜きで浮き上がった。
「本日1207、小田原基地管制内において未確認飛行物体の通過を確認。複数住民による通報あり。所属不明の
娘はファイルから感熱紙を引き抜いた。
「ダッサ。何これ。あたし全ッ然聞いてないけど? 大和軍は相変わらず隠蔽体質なの。そりゃあ、いつまで経っても《
くしゃくしゃにこすり合わせた摩擦熱で物理的に文字痕を消す。通常の電信は当然のことながら神経を尖らせた大和軍統合幕僚監部によって盗聴されている。たとえ同盟を結んだ組織の技官とはいえ《軍の恥》に触れることは決して許されない。帝都中枢に存在する
「まあ、どっちにしても内通者がいる時点でダメダメ組織なのはお互い様よな」
小さく笑って感熱紙を丸める。ポイ。紙切れがゴミ箱のふちにかかった瞬間、シュレッダーのように黒い金属球に分解され、無限に分解。底に落下することなく点となって消失した。そこへ。
「おはようございますぅ……」
のんびりと間延びした声がした。オレンジブロンドの娘はにこにこと振り返る。
「あ、カナちゃんおはよなの。充電おk?」
「はい……?」
ほわほわとあくびをしながら部屋に入ってきたのは、腰までまっすぐ伸びた
「こんばんはぁ……ですよぉ、菊之助様」
とたんにオレンジブロンドの娘は人さし指を立てた。凶悪に口元をほころばせる。
「あらやだ違うでしょ。おキクちゃん。言ってみ?」
「はぁい……お菊ちゃん之助様……」
「スケいわない」
「はぁい……」
「それより特急でアズヤまで行きたいの。《運び屋》連れてきてなの」
女給っ子は片手で口元をぽぽぽぽと叩いて小春日和のあくびをした。目頭に涙がぽつんとにじむ。
「アズヤ……? うーんと、すこぉし、運ぶには遠いですねえ……?」
人差し指を顎に当てて、んーー? と首をかしげる。オレンジブロンドのセーラー娘、菊之助は、一本歯の下駄ブーツを鳴らしてデスクから飛び降り、壁の唐傘を手に取る。
「だから言ってんの。その、ほわわわあ……ん……? ってしゃべる癖、やめて欲しいの。こっちまでほわわわ……ん……? ってなるの。せめて二倍速で」
「えー……でも、私、これでも頑張って、すごーく早口で……」
「わかった。じゃあ試しに早口の競争するの」
菊之助はニコニコとイライラの顔を交互にひっくり返しながら女給っ子に話しかける。
「言ってみて。ナマムギナマゴメナマタマゴ」
「えー……なまもぎ……なまもげ……」
「She sells sea shells by the seashore!」
「しー……」
「はいお菊の勝ち」
「せる……」
「カナちゃん、いいからさっさと行ってこいなの」
カナは菊之助にお盆を持つ腕を取られ、ふにふにとよろめいた。
「あうぅ……誰がいいですかぁ……?」
帯できゅっと締めているにもかかわらず、いろんな意味でいっぱいいっぱいになった胸元が、お盆で隠したフリルエプロンの下でやわらかく弾む。
「いつもの子でいいの」
「えーと……ハツネちゃん……?」
「昨日、
声音が変わった。
唐傘で床を突く。硬質な音が響いた。
カナはお盆を胸に押し当てた。おっとりした人形のほほえみが口元をやわらかくする。首を垂れた。金糸雀色の髪がさらりと降りる。
「
直後。カナは姿を消した。
▼
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます