非合法インプラント

「ちょっと見るだけだ」

 身体の下にレーキを押し込み、てこの要領で裏返す。粘液めいた銀のオイルが、とろりと肌に糸を引いた。

 終端点の明滅する断面から、粘液の糸となって引き伸ばされ融けているのは、極彩色の呪紋アンキハータ配線。擬似生体神経菌糸だ。背中から腰にかけては生身のまま。暗紅あんこうの入りまじる呪紋が短絡の放電を放つ。

 スラスタのノズルスカートが背中から腰を取り巻いている。太ももから下は空飛ぶ人魚を思わせる銀の流線型エンジンポッド。ひれを思わせる足首の尾翼は無残に折れて、青ざめた銀の血を流す。

「統合軍か、そうじゃないか、所属を調べる」

「見て分かるもんですかねェ……?」

 黒服は手袋や袖口の内側にやたらと大量に入り込んだらしい砂を払い落としながら他人事のようにつぶやく。

 無視してまずは機体記号レジスタを探すためにノズルスカートを調べた。ない。内側にあるかと思って奥をのぞき込む。ない。

「機巧の型式が分かれば少しは見当もつくんだがな。所属部隊のテールマークなし。国旗なし。識別カラー塗装もなし……くそ、何もなしか。軍属じゃないのか。いや、でもこんな正体不明機が堂々と領空侵犯できるわけないしな普通……」

 ぶつぶつ言いながら折り込まれた膝を押し広げる。


「ちょおお! どこ触っとんのや! そんなとこ見たらアカーーーーーン!!!」


 なぜかアカリがまた蒸気機関車の汽笛みたいに怒り出した。耳を真っ赤にして猛抗議する。ユートはピンときてうなずいた。


「なるほど、もっと奥か。やはりこのノズルスカートが邪魔だな。脱が……」

「おおおおおいいいい!! そういう意味ちゃうゆーとるやろーーーーー!!!!」

「ん?」


 頭のすぐ後ろでギャンギャンわめかれ、ユートは困惑の面持ちで振り返った。

「エンジンポッドの内側に機体記号レジスタが刻印されてるかもしれないだろ。だからここをこうやって」

「だから! そこを! 広げるなやあああああ! わーーざーーとーーかああーー!」

「なぬぅ僕ちんのぷりちぃぷりけつをおっぴろげて見たいですとォ? あぁンそんなヤダァオニイチャンったら見かけによらず強・引っ」

「黙れ変態」

「以下同文」

「以下同文」


 はぁ。ため息が長い。げんなりと首を垂れた。ユートは立ち上がった。

 なぜだか知らないがこいつがいるだけでYPやる気ポイントがゴリゴリ削れる。EQ心の偏差値およびQOL生活の質を向上させるには変態を相手にしないことだ。健全なる精神はいかのおすしに宿る。

 なことはしない。わない。らない。いかけない。んだことは気にしない。るかこんなヤツ。ほっとこう。


「識別マークは後だ。それより見ろ。この呪紋アンキハータ配線」


 意識を眼の前の呪装機巧エキソスケイルに集中する。

 特に異常が顕著なのは背中だ。皮膚直下を魚の骨のように這い回る紋様が張り巡らされている。円と三角、六芒星を不規則につらねた曼荼羅図。

 だが、肩甲骨のあたりから脇腹にかけて何箇所も皮膚を突き破り、断線した状態で露出していた。


「これは、もう……」

 眉をひそめる。人間の腕から機械へと生え変わる中途部分の外装が、ぬめる音を立てて剥がれた。

「痛っ」

 アカリがびくっと首をちぢこめ、くしゃくしゃにした顔をそむける。


 剥がれた擬翼をレーキの先で突いた。金属の反響音が濁りなく抜ける。そのわりに持った感触は軽い。揚力を生む飛行機の翼というよりは無限に塗り変わる玉虫色の光沢を帯びた上翅を思わせた。


「あんれまァ、こりゃまたずいぶんと」

 傍らに黒服がやってきた。さっきまで持っていなかったはずの山高帽を、くるりと後ろ向きに回転させて頭に乗せる。前下がりのつばで表情が見えなくなった。

「……グッチャグチャなお姿で」


 ふざけた声音とは裏腹に、口元がわずかにゆがむ。さっきまでシャベルとコンクリ塊で仲良く殴り合った仲とは思えない口振りだ。


「お前らの敵か」

 単刀直入に訊く。黒服は肩をすくめた。

「んー……どうでしょうねェ……」

 何やら目論むそぶりで目線をはずし、後ろを向く。前かがみになってゴソゴソ何をしているのかと思いきや。

 どこからどうやって拾ってきたのか、砂だらけの黒のスラックスを取り出して穿き始めた。い っ た い い つ の 間 に 。


「おんやァ……どうかしましたかァ……?」

 嫌味なほど間伸びした慇懃な口調で黒服が尋ねる。


 悔しいので何もなかったことにして話を進める。


「ここと、ここ。恐らくここもだ。何者かにクラックされてるように見える。どう思う」

 少女の背中の傷を示す。黒服は直接には答えず、肩越しに振り返った。ハクがうなずく。

「……ですってよォ」

「『もしかしたら非合法のインプラント手術を受けたのかもしれませんねェ……?』だろ」

 ユートは真顔で指摘した。ハクはともかく、黒服の方は思ったよりガードが固い。お下劣な悪ふざけには全力で当たって砕けにくるくせに、真面目な話となると「はて?」とか「さァ……?」とか、のらりくらりと受け流すばかり。まるで油断がならない。


「非合法……?」

 アカリはまばたきも忘れて眼を見開いた。頬がこわばる。 

「そうとしか思えん」

 ユートは言葉を継いだ。

聖域マトリクスの連中が《人間をいじくりまわす》のに、ど素人みたいなミスをするわけないからな。特に首まわり」


 少女の喉から頚椎にかけて、イバラの棘のような赤黒い手術痕が何重にも締めつけている。おそらく、そのせいで意識を取り戻せないのかもしれなかった。

「神経の接続先がバラバラだ。こんな配線の仕方されたら気が狂う」

 淡々と説明する。

「五感からフィードバック神経に至るまで、すべて他人に乗っ取られてるも同然だ。下手したら眼を覚ました瞬間に、悪意を持ってこいつの感覚を専有している正体不明の何者かによって《生きながら自爆》させられる。へたに情報を盗られる前にな」

「へェ……? ずいぶんとお詳しいことでェ……?」

「てめえがとぼけるから代わりに俺が説明してるだけだ」


 壊れた擬翼が手の中で分解した。剥片に変わる。だが通常なら再生されるはずの生体部分がまったく再生しない。銀の油膜に覆われたような体内組織が剥き出しになったままだった。

 少女は眠ったまま眉根を寄せた。苦しげなうめきをもらす。黒と銀の火花が散った。

 わずかにけいれんする。


「ハイハイもォオニイチャンたら怒りっぽいんだからァ」

 黒服は垂れかかる金髪を耳に掛ける。ウロボロスのピアスが光沢を放った。


 生体ハイブリッドは、簡単に言えば人体と機械をモーフィングする中間のような存在だ。サイバネティクスが人体を機械で代替する技術だとするなら、その逆。機械を生体で代替した存在、材質や形状、機能を自在に設定可能なと言える。だからといって、こんな理不尽な扱いを受ける謂われはない。


「そんなクレイジーなインプラント処理を仕込む連中が正規まともなはずがない」

「つまり?」

 黒服はかるい調子で先をうながす。


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