今週中に絶対届くはずだったハツヨばあちゃん宛の荷物
砂にヘッドスライディング。背後に迫る風切り音は狙い定めた死神のはばたきかあるいは血染めの餅つきぺったんこ。息が止まった。音が消える。生きた心地がしない。眼をつぶる。赤ちゃんメリーみたいな走馬灯が去来——
——しなかった。おそるおそる眼を開ける。
「なにやっとんユート、そんなとこで」
一刀両断を寸止めしたアカリが、けげんな顔でのぞき込んでいた。逆光がまぶしい。生きていた。セーフだ。
「……コンタクト落とした」
口の中からじゃりじゃりと音がした。起き上がるふりをしつつ四つん這いのまま砂に手を差し入れた。何度かまさぐる。
固いものに触れた。引きずり出す。
ふたの壊れたジュラルミンケースが現れた。喉につまった息を吐く。間違いない。黒服の足元に転がっていたジュラルミンケースだ。
傾けると中身と一緒に砂がこぼれた。光が反射する。注意深く砂ごと
黒と赤のガラスアンプルだった。揺らすと中の気泡が上下した。ラベルの文字は読み取れない。こんな小さいガラスアンプルが、よくぞ墜落と戦闘の衝撃に耐えたものだ。
見つめるうちになぜか胸がざわついた。腑に落ちない。空のジュラルミンケース、謎のアンプル。指先についた砂粒を払う。べたついた感触はあるものの、どうということのない、ただの砂だ。
「どないしたん?」
怪訝な面持ちのアカリが尋ねる。ユートはそぞろにかぶりを振った。
「いや……別に」
ケースを裏返して宛名を見た。それらしきものはなし。脳裏にかすめた嫌な予感——今週中に絶対届くはずだったハツヨばあちゃん宛の荷物——については考えないことにした。駄菓子屋にこんなものが届くはずはない。
ユートはアンプルをベルトの弾丸ストックポーチにおさめた。
「……たぶん、このあたりに残骸が埋まってるはずだ。そうっと、そうっと掘ってってくれ」
アンプルの存在など気づきもしなかったかのように、あらためて指示を出す。
「そんなん分かっとるし。うちを何やと思うとんや」
アカリはくちびるをとがらせた。ジト目でユートをにらむ。
「さっきドア壊したろ」
破壊神の自覚がないことも一緒に思い出させるために言ってやる。アカリはさも心外そうに眼をまるくした。足元を指差す。
「えー? あれはうちとちゃうし。うちが
言われてみれば、家全体が吹っ飛んだのに比べればドアノブの一個や二個どうということはない。アカリの言い分にも一理ある。
「とにかくそうっと頼む」
「任せときぃ」
レーキの表裏を器用に使って、ていねいに砂をよけてゆく。カン、と金属質の音がした。硬いものにあたったらしい。
「なんかある!」
「壊すなよ?」
「いちいちやかましわ」
アカリは手でかき分けて掘り出した。黄色いクマの貯金箱だった。
「何で貯金箱が」
二人で顔を見合わせた。場違いすぎて拍子抜けする。
「ばあちゃんが庭にゴミ埋めたんやろか」
アカリは掘り出した貯金箱を眼の高さに持ち上げた。かるく揺する。ちゃりんちゃりんと音が鳴った。
「お!? お金が入っとる! 開けてもええかな?」
「人のものを勝手に開けるんじゃない」
ユートは急いで貯金箱を取り上げた。砂だらけではあるが、表面はまるで今さっき埋めたばかりのようにつるりとして傷ひとつない。
「ほな続き掘ろか」
アカリは再びレーキを砂にめりこませた。てこの原理でぐいと掘り起こす。
微細動と波紋の輪が広がった。パチッ、と音が跳ねる。虹色の線香花火が飛んだ。半壊した銀色の外骨格が現れた。オイルとも血とも脂ともつかないものが砂を汚している。
「道具は使わない方がいいな。あとは俺がやる」
手で砂を払う。柔らかいものに触れた。人の指だった。
「……微妙にけしからんこと考えとらん?」
「考えすぎ」
否定はしたものの。肩から首にかけての筋肉が無意識にこわばる。
うっすら曲げた指の腹、つやのある淡い桃色の爪。適度な湿度と人肌の温度。やけに生々しくリアル。なのに生きた人間の手には思えない。
五本の指がやわらかくのけぞる手首までを掘り出す。
まるで死体を掘り返しているような気分だった。ひどく後ろめたい。人ではないものが耳元でひそひそと罪を吹き込むような、そんな背徳の心地にさいなまれる。
心臓の音がばかばかしいほど大きく聞こえた。鳥肌がうっすらと立つ。
だが生体の部分は手首までだった。ひじから上は玉虫色の光沢を残すデルタ翼が中途半端に融合している。有翼、つまり量産型の
思わず、つめていた息を苦笑にまぜた。これが生きた死体などではない、少なくとも現代の科学レベルで説明できる存在だと分かったおかげで気持ちに余裕が生まれる。頭では分かっていてもやはり確認するまでは覚悟がいった。
そしてパイロットの姿は見当たらない。陰鬱な想像をめぐらせるより聞いた方が手っ取り早い。
「
「人間のはない」
答えは短い。やはりパイロットが
「ハクを呼んでくれ。聞きたいことがある」
なぜか、
「分あった」
アカリは両の手を口の横でふくらませて拡声器の形を作った。
「ハぁークーー! なーちょーこっち来てんかーー!?」
頭の後ろで無遠慮な大声をはり上げる。
「えええ!?」
膝の力が抜ける。変に緊張して気が張りつめていたせいで、あやうく新喜劇みたいにずっこけるところだった。
「もっとそれっぽいサイバーなSFっぽい通信方法あるだろ」
「何でぇや。ハクそこにおるがな」
アカリはむっすーと鼻を鳴らし、親指で背後を示した。クレーターのふちにそって山高帽が横方向に移動している。
「すまないなハクさん。わざわざお呼び立てして」
ユートは頭を下げた。丁重にさん付けしたおかげか、ハクは機嫌を良くしたらしい。帽子が日の出みたいに上がっていって、サングラスをはずした目元までが見えるようになった。笑い返しこそしないが、淡々とした無表情でうなずく。
「ハク……でいいし」
「ありがとう。じゃあお言葉に甘えてひとつ質問させてくれ。こいつは君の知り合いか」
ハクは首を右にかしげ、次に左へ傾け、天秤みたいにまた右へかしげた。
「こいつ……?」
「うん」
「どいつ……?」
「オイオイオニイチャァン⁉ 勝手にウチの組のモンに手ェ出してんじゃァねェゾォ!?」
ふてぶてしい含み笑いがハクの背後から覆いかぶさった。黒服の声だ。手足を棒にくくりつけたままあぐらをかいてニヤニヤと笑っている。相変わらずぱんついっちょ。
「何でェ? どうしてェ? ってツラだなァ……オイィ?」
思わず浮かべた驚きの表情に気づいたか。黒服は鼻の穴をこれ見よがしにぷくりとふくらませた。ニンマリ笑う。脱出マジックじゃあるまいし、がっちりと両手両足を棒に結んで吊り下げた状態からいったいどうやって脱出したのか……とそこで思い当たった。
そう言えば、ピヨちゃんを触った後のハクに手を洗いに行かせたのだった。
「あーー……やっちまった」
空を仰ぎ、口をへの字にして額に手を当てる。何という凡ミス。我ながらほとほと呆れ返る。
クレーターの中の
「頼むから邪魔だけはすんなよ」
「何のォ?」
「
語気荒く言い捨てて背を向ける。まともに変態の相手をする気力はない。さっきの
「正体も分かんねえのに知り合いもクソもねェのではァ……?」
ぱんついっちょの分際で時間差の正論を吐く。ユートはじろりと黒服を見やった。ニヤニヤ笑いが返る。さらにムカついた。
ふん、と鼻を鳴らして以降は徹頭徹尾の無視を決め込み、再び身をかがめて砂に手を突っ込んだ。
砂塵が晴れる。現れたのは——
墜落し、叩きつけられたその衝撃に乱れ散ったままの、銀と虹の入り混じる長い髪。色の褪せた、半開きのくちびる。
半人半機の少女だった。
苦悶に閉じられたまぶたを縁取る銀の睫毛は人形のように長い。それでいて裸身の半分は途中から生体と機械の配置がバグってキメラ状態のまま。腕は折れた銀翼と混じり、腰から背中側にかけては巻きスカート状の装甲と振動イオンスラスタノズルが一体化している。何より、その顔。
「馬鹿な」
心拍数が急騰した。心臓のふいごがドッと収縮して全身に血流を巡らせる。ユートはあごの筋肉をこわばらせた。正視できない。誰とも眼を合わせたくなかった。泳ぐ視線のぶざまなようすを。眼の奥の動揺を。さとられたくない。
クレーターの砂壁をにらむ。
うずたかいガラスの流砂は、ほんのわずかな振動でさらさらとくずれた。
過去にとらわれて地の底から這い上がれなくなったらどうすればいいのだろう。むなしく目の前の壁を掻きむしるしかできなくなったら。どこにも行けず、何も考えられず、ただ、あがくしかない運命にとらわれてしまったら。
ポケットの中の写真を思い返す。たった一枚しかない記憶のよすが。たった一人の——
拳をぎり、と握り込む。
目の前の
「ユート」
何度めかにアカリに名を呼ばれてユートはようやく振り向いた。
「どないしたん。幽霊でも見たような顔して」
「いや、何でもない」
冷静を装い、ゆるゆると息を吸って、肺の底にたまった不穏の空気を全部吐き出す。
疑うな。ここは現実だ。
現実を模したようでいて見えるものすべてが入力した数値一つでガラリと置き換わる
それは丸められた数字に似ている。果てしなく整数に近い別の何か。どんなに同じだと設定されようともイコールではない。よって理性が当然の帰結を導き出す。
どんなに面影が残っていても、この少女は《成長したルカ》ではありえない。妹は——ルカは、九年前の事故で行方不明になった。
写真一枚だけを残して。
「《羽付き》なら
アカリはぶつぶつ言いながらユートの背中にさえぎられていた
「こんな中途半端に降着を剥がされるとかあるんか、怖っ。めっちゃ混ざっと……」
いきなり眼がまんまるになった。両手をあげてダイナミックにのけぞる。
「……うわああおっぱいまるだしぃ! 何でハダカなん!?」
片手で眼をおおい、半身半機の少女を指した指をわなわな震わせる。無理もない。見たことがないレベルのものを見たら誰だってこうなる。
「今ごろ……気づいたし」
ハクは気のないため息をついた。指を一本立てて、アカリの背後を指差す。
「そんなことより、さっきから、ずっと……じーっと見てる……けど」
「はあっ!?」
アカリは鬼気迫る顔でぐるんと振り返った。
視線の先。ユートはいまだに茫然として
「いつまで見とんのやーーー!!」
「ぐばぁッ!?」
怒りのメガトン頭突きミサイルが炸裂。背中がぐの字に折れまがった。泡を吹いて昏倒。マジで背骨が二、三本折れたかもしれない。
「ユートのあほ! すけべ! エロリコン!! 何堂々と見とんのや! 言い訳無用! もおお許さん!」
白目を剥くユートのひじを、アカリがぐいとつかんで引き起こす。まなじりをつり上げた罵声のマシンガンを全身にあびて、ユートはようやく正気に返った。
「誤解だ」
もごもご言いながら幽体離脱寸前の魂を吸い込む。あやうく三途の川を渡り切るところだった。
「天国が見えた」
「見たらアカーーン!!」
「そんなには見てない」
「一瞬でもアカーーーン!!!」
いくらなだめても逆効果のようだ。アカリはレーキをギュンギュン頭上で回転させ、鬼の形相で迫ってくる。
「こいつ、めっちゃジロジロよそんちの子のおっぱいガン見しよってからに! そんなことやっとる場合か!」
胸ぐらをつかまれた。直立不動のままさんざんにゆすぶられる。たかが冤罪ごときでボコボコにされてはたまらない。クールに弁明する。
「落ち着け。それはこっちのセリフだ。たかが
「真顔で! ろくろを回す! 手を! すなああーー!」
「もしかしてアカリは……いまだに……お兄ちゃんと……一緒に入る……派?」
ハクは両手の指先を口元に添えた。無表情なわりに、吹き出す寸前みたいに口をすぼめ、ぷるぷる肩を震わせる。笑われたアカリは矛先をハクへ変えた。顔を真っ赤に染めて食ってかかる。
「ああ!? それがどないかしたんか?」
「やっぱアカリのほうがお子ちゃま……だし」
「は? 何で? 何がどこがどんだけ何歳何日何分何秒ぶん?」
「そういう……とこだし」
ハクはうぷぷぷ、と優越感に浸った含み笑いで肩を揺らす。
「だってハクはもう……ひとりでおふろ入れる……し。夜もひとりでおトイレいけるし。お着替えも靴下もちゃんと……自分で……」
どうやら、どちらがより大人っぽいかでマウントを取り合っているらしいのだが、そんなことで競うこと自体どんぐりの背比べだと分かりそうなものだ。微妙なお年頃である。
「あっそーー? へーーー? ふーーん?」
自分より10センチも身長の低いハクにお子ちゃま扱いされ、さぞやご立腹かと思いきや。アカリは平然と鼻をこすりあげた。
「
腰に両手を当て、無駄に自信まんまんな肩をそびやかせる。
「ユートはなー! シャンプーもしてくれるしなー、タオル石けんぷくぷくごっこも、タオルクラゲごっこも、あわあわ髪の毛とんがりコーンも、お湯でっぽうピュッピュごっこもしてくれるんやでー? ひとりで入ったら
「むぅう……そんなのぜんぜん……ぷくぷく……」
ハクは恨めしげな上目づかいで黒服とユートとをそれぞれ見くらべる。どうやら勢いだけで押し切ったアカリに軍配が上がったようだった。
「やれやれ、まったく何なんですかねェ、このオニイチャンたちは」
やや離れたところで話を聞いていた黒服がひそかな苦笑いをもらした。右手で前髪をかきあげてくしゃくしゃと掻く。
「……いくら幼虫とはいえ脱皮済みの
ピロロロロ。インカムが鳴る。
「あっハイ僕ちんですけどォ? あっハイ、今ちょっと出先でしてェ……エッ、アッ、それは、ハイ、もちろんお迎えに行かせていただきま……たぶんそれがお探しの
何もない空間に向かって無駄にペコペコしたのち、黒服はながながと吐息をついた。
「ァはぁァァァ……おぉぉぉキクぅぅ……」
両足のロープをさらりとほどき、縛られた跡をなでながらほくそ笑む。悪辣な青い眼がなおいっそうほそくなった。しらじらしい横目をユートへと流す。
視線を感じてユートは振り返った。
「今……そいつ動きましたよォ……?」
黒服は手袋をはめた指先でユートの背後を指さした。
「えっ、うそ、眼え覚ましたん。やばいんちゃう? 二、三発殴っとく?」
アカリはへっぴり腰でハクの首っ玉にかじりついた。ぎくぎくと声をうわずらせる。
「べーつーにーぜんぜんうらやましくなんて……ないし」
ハクはまだすねていた。
ユートは顔をしかめた。のんきにケンカする余裕はない。少女たちをいさめると見せかけ、言外には一番邪魔しそうな奴に向かって釘を刺す。
「お前ら、良い子だから静かにしてなさい。お兄さんはこれでもかなり動揺しています」
アカリのレーキを取り上げる。
「ちょ、乱暴したらあかん」
意図を察したアカリがユートのひじをつかんだ。
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