ハクハクハクハクハクハクうううーー!!?

「校長先生」

 ……完全に忘れていた。

「惜しい人を亡くしたな」

「まだ死んどらんし!」

「ハイハイ探しゃいいんだろ、探しゃあ」


 実際問題として、くだらない掛け合いをしている場合ではなかった。あの恐るべき逃げ足だ。最悪の事態——仲間特殊機巧部隊を呼び寄せる前に確保しなければならない。

 歩きながら壊れた短機関銃を拾った。弾はなくとも鈍器として十分役に立つ。砂を払い、負い紐スリングのフックをはずして、クレーターの斜面を降りてゆく。足跡が流砂に溶けた。


 アカリはユートの後ろにくっついて歩きながら、首を縮こめて様子をうかがった。


「校長先生……聞こえたら返事してえな……まさかマジでおらんようになったんとちゃうやろな……?」


 ユートは墜落した呪装機巧エキソスケイルの前で足を止めた。銀色の擬翼の先端部分だけが三角に突き出している。爆風で大部分が埋もれてしまったらしい。踏みつけて前後に動かしてみた。

 蓋のはずれた空のケチャップのチューブが出てきた。ふくらんだりへこんだりするたびに、ひゅうと音が鳴っている。


呪装機巧エキソスケイルのほう先にどけよか?」

「いや、危ねえ方が先だ」


 ユートは眼をほそめた。足元の砂を蹴飛ばす。ピンクと緑の水玉模様の靴下を履いた黒い革靴が出土した。苦々しくあごをしゃくる。

「やれ」

「おっしゃ」

 アカリは足首をつかんで砂の下の本体を引っこ抜いた。さかさまの黒服が釣れた。ポケットから砂がざばあとこぼれる。


 黒服危ねえ方は動かない。眼をぐるぐるに回したアホづらのまま、土俵から転がり落ちた相撲取り状態でひっくり返っている。失神中らしい。

「失神してるやつがケチャップのチューブで水遁の術なんかするかよ」

 いきなりあごを蹴り砕かれないよう細心の注意を払って頭の側から近づく。


「起きろ」

 開いた口に銃口を突っ込んだ。ぐりぐりする。反応無し。

「分かった。そっちがその気ならこっちにも考えがある」


 スリングで両手両足を縛り上げ、クレーターから運び出した。ちょうどコンクリ基礎が直角に残っていたので、三角に棒を差し渡して、丸焼きのイノシシ状態でぶら下げる。木切れを並べて準備完了。火あぶりパーティキャンプファイヤーの始まりだ。


 アカリは細い木の枝を手に、逆さ吊りにした黒服の頭をつついた。無反応。さんざんおちょくってくれたあげく自分たちの正体は秘密にしたまま勝手に退場して、大顰蹙のぴんくぱんつをまるだしにしている。理解できない。


「うーん……校長先生、ぜんっぜん眼え覚まさんけど。大丈夫やろか」

「どうせ狸寝入りだろ」

「鼻の穴コショコショしてみよか」

「触るんじゃない。変態がうつる」

 黒服の鼻の穴がプク、とふくらむ。


「……せっかく校長先生やトガシくんとも仲良うなれたておもたのにな」


 アカリは木の枝で鼻をくすぐる手を止めた。夕暮れの吐息をついて街の向こうをながめる。


「……やっぱ、逃げなあかんのかな、また」


 流れ者の子どもだから疑われたのか、それとも最初から監視されていたのか。学校の話をするアカリの笑顔を思い出してユートは肩でため息をつき、それから首を横に振った。確か、陰キャのクラスメートと一緒にじゃがいも畑を作ったとか言っていた——


 木のこずえがざわざわした。鳥が飛び立って、枝が揺れて、葉っぱが落ちて。また静かになる。


「今さら逃げられる場所なんてどこにもねえよ」


 海岸沿いには、かつて人類が栄光を謳歌した時代の遺物であるコンクリート製高架道路が横たわっていた。巨体の影が斜めに落ちている。恐竜の化石のようだった。

 南東へ向かう道は数百メートルおきに破断しており物理的に通行止め。北西の帝都方向へむかう上り線もまた岬の突端を回り込むあたりまでは何とか残っているが、トンネルを抜けた先がどうなっているのか、まるで見通せなかった。


 以前、漂着物を探しに砂浜へ降りたときのことを思い出す。

 人気ひとけのない砂浜。山がちの海岸線の向こう側に見える漆黒の溶岩台地。上りやまぬ噴気の煙、薄汚れた軽石と波が打ち寄せる浜辺。


 溶岩と同じ色に海を染める夕日があまりにも美しすぎて、長く見つめていられなかった。

 あの波の向こうにはもう、誰もいない。


 在りし日の憧憬と一緒に手の砂を払い落とし、腰に手を当てる。


「でも、せめて共闘とはいかないまでも、人類共通の敵である怪物ヴェルムと戦うんなら、この場だけでも互いに足を引っ張り合わないよう、互いに条件を出し合うなりなんなりして、いったん休戦紳士協定を結ぶべきだと思うんだがな……?」


 誰かさんにも聞こえるよう、わざとらしい説明口調で言う。


 屋根の上のミニ黒服は相変わらず横を向いたままだった。指先につまんだ白い羽をくるくる回している。


「その……クソッタレウスノロ金髪クズ肉きんたまヨゴレ野郎……なら……放っておいてもいい……かも」


 おとなしい見た目のわりに平然ととんでもないことを言う。やはり小さくとも黒服にピンクのネクタイを締めるだけはある。ユートは苦笑いした。


「放っとけって……そのクソッタレウスノロ金髪短小クズ肉きんたまヨゴレぱんつ野郎とやらは君の仲間じゃないのか?」

「あっ、またひとりでしゃべっとる」


 アカリがむすうとくちびるをとがらせた。やはり会話についていけないらしい。眼を三角にしてユートをにらむ。


「さっきからそれ何なん、クソッタレウスノロ金髪クズ肉きんたまヨゴレピンクぱんつ野郎とかって」

「あれ見ろ」


 ユートは口をへの字に曲げ、親指をクイと立てた。ニワトリ小屋をさして、さらに上を見ろとあごをしゃくる。

 ミニ黒服は相変わらずの体育座り。膝のお皿にちょこんとあごを乗せ、背中をねこみたいにまるめて、いかにも気だるげな様子だ。


 アカリの眼がまんまるになった。

「は!?」

 やっと気づいたらしい。


 ミニ黒服は白い羽毛を、ふっ、と吹いて飛ばす。

「アカリ、にぶい。気づくの遅すぎ……だし」


「ハああああああクうううううううう!!!!?」


 アカリはすごい勢いで走り出した。ほぼ一歩で庭を横切り、ニワトリ小屋めがけてたかだかと屋根にジャンプ。

 両手を広げて頭からミニ黒服に突っ込んだ。

 全身で抱きつき、号泣してほっぺた同士をむにむにとこすりつけて、また号泣。


「うわあああんハクハクハクハクハクハクうううーー!!? もおおーーー! 今までどこおったんよーーー!!!」

「はなみず、きたないし」

「近くにおるならおるて言うてよおーーー!! ぜんぜん見えんかったやーーーん!! うちのこと分かっとったやろもおおーー! 何でぜんぜん連絡してくれんかったーーーん?!!!」


 やはりアカリのセンサを妨害していたのはミニ黒服のしわざだったらしい。視聴覚野におけるミニ黒服の各種認識データを片っ端から《透明化》するパッチを当てた、というところか。


「だって、ずっとおんなじクラスだった……し」

「え」


 アカリは涙とはなみずでびちょびちょになった顔をあげた。

 ミニ黒服は、ぼそっと自己紹介する。


「三年A組透樫とがしハクヤ、だし」

「えええええええーーーーーートガシくんーーーー!!!?」

「知り合いだったのか?」

 これは……アカリが悪い。

 どうやら、畑を一緒に作ろうにもまったくしゃべらない動かない興味ないやる気もない影薄系陰キャ男子、だとばかり思っていたクラスメートが実は目の前にいるこのミニ黒服であったらしかった。


「何でなんーー! トガシくんぜんぜんこっち見んし、しゃべらんし、何言うても反応ないしー! そんなん普通ハクて気づくわけないやんかーー! っていうかよう考えたらそれいつものハクそのものやんかーー!」

「……だし」

「ああもおおおショックやああ……うそやーーーん……!」


 アカリは頭を抱えて意気消沈している。どうせアカリのことだから、毎回ひとりで勝手に盛り上がって毎回ひとりで勝手にしゃべり倒していたに違いない。

 ミニ黒服、ハクのほうはまるで他人事。気にする様子もない。


 ユートは少し離れたまま、誰からも見られないようポケットへと手を入れた。かさつく感触に触れる。

 壁のコルクボードに貼り付けていた写真の切れ端だ。出そうとしてふと我に返り、手を止めた。確認したいことは山ほどあったが、今、この場でそれをあからさまにすべきではない。


 と。

 唐突に予備動作なく振り返った。


 丸焼き台にぶら下げた黒服が片目だけを薄く開けてチラチラとこちらをうかがっていた。眼が合う。


 クソッタレウスノロ金髪短小クズ肉きんたまヨゴレぴんくぱんつ野郎はあわてて片目を閉じ、逆ウィンクみたいに反対側の眼を開けて、あ、みたいな顔をしたあと、あわててまた気絶したふりに戻った。

 どうせ最初からずっと見ていたに違いない。ユートは鼻で笑う。


「もういいって。めんどくせえ」


 爆撃、呪装機巧エキソスケイル墜落、怪物ヴェルム出現。これだけの騒ぎを起こしたというのにこいつ以外は誰も助けにすら来やしない。 


 ただでさえ明日は我が身だ。逃げてもどうにもならないし、誰だって余計なことに頭を突っ込みたくはない。ラジオはもう懐かしのメロディしか流さない。新しいものなど生まれはしない。残っているのは《あのときは良かった》という思いだけ。眼の前にはクソみたいな昨日と見たくもない今日。あきらめが全身にねばねばとまとわりついて足取りを重くする。

 それでも行くしかなかった。明日へ。


【3章 おわり】

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