増殖、再生、復活、蠕動——

「来るんじゃない!」


 若干うわずった声で制止する。ユートは呪装機巧エキソスケイル化した右腕を隠しながら半分逃げ出しかけた。

 せっかくあと一歩のところまで怪物ヴェルムを追いつめたというのに、こんな姿強化装甲を見られでもしたら。


 黒服はなんとかクレーターから這い上がった。砂に足を取られてよろめく。

「ウッセェこのとっちゃん坊やが甘い顔してりゃァつけ上がりやがってド畜生がングボァーーッ!」


 ののしりの言葉を吐きつらね、ドスを効かせてにらみつけようとした、その顔面に。


 怪物ヴェルムの頭部が直撃した。のけぞってぶっ倒れる。顎肢ギロチンがガチン! と噛み合わさって黒服の頭をかっ飛ばした。黒いものが飛ぶ。


「なっ……!」


 茶褐色のドロドロした液体が噴き出した。首なし黒服のシルエットがクレーターへと倒れ込んでゆく。空中に取り残された山高帽だけがその場にとどまって、ふっと落ちる。


(わあああ校長先生のアタマがーー!)


 我に返ったアカリが悲鳴を上げる。ユートはぎりりと歯を噛んだ。砂を散らしてクレーターに駆け寄る。


「だから出てくるなと言った!」


 運が悪いというかなんというか黙って失神しておけばいいものを勝手に目を覚まして割り込んでくるのが悪いのだ。とどのつまり大本の責任は黒服の自業自得にあると言えるのだが、かといってユートに過失責任がないかと言えばそれはモゴモゴと口ごもってしまうぐらいには必ずしもゼロとは言いきれない——が。


「ピギャアーーー僕ちんの頭がアァァァァァァァッッ!!!!」


 首無しの黒服は〆られる寸前のニワトリみたいにその場を走り回り、空中の山高帽めがけてぴょんと飛んだ。片手で山高帽をキャッチ。もう一方の手は腹の位置にまで転がり落ちた頭をしっかりかかえている。


 まさか、奇術マジック……? この期に及んで……?

 あっけに取られた。そのあと変な笑いがこみあげる。


「心配して損したわ! まったく何なんだてめえは!」

「僕ちんエグゼクティブだからァーーーッ!!」


 ユートは跳ね返る怪物ヴェルムに走り寄った。軸足をガッと深く踏み込み、もう一方の足で砂煙もろとも蹴っ飛ばす。


「もう一回死んどけ!」

 なかばヤケクソだ。フルパワーの殺人ドライブシュートをぶちかます。


 頭部ボールは急激に落ちるコースを描いてクレーターの底に突き刺さった。逃げる黒服のドテッ腹に命中。


「グぼェーーッ!」

 土砂もろとも真横に吹っ飛ぶ。ぱんつの中に忍ばせていたチューブボトルが茶褐色のケチャップを噴いた。

 ユートは鼻をゆがめて頭をかたむけた。当然、冷静に避けたつもりだった。びちゃり、とケチャップが肩につく。


「……ふざけやがって」


 こめかみの青筋がぴきぴきと嫌な音を立ててひきつれた。この黒服男、いったい何者なのか。

 隙あらば放送禁止レベルの下劣な冗談をネジ込んでくるくせにハンパじゃない。まったく尋常じゃない。人並外れたとか常人離れとかいうレベルですらない。もしかしたら、絶対に出くわしたくないタイプの——


 自嘲気味の後悔に苦笑いする。


 アカリの言った通りだ。もし呪装機巧エキソスケイル化によるイマジナリ反応をかぎつけられてしまえば、また《特巧トッコウ》に追いつかれる。ユートをために。


 深呼吸した。全身に熱がこもり、怒りともいらだちともつかぬ汗に蒸れる。やはり全部まとめて《片づける》しかないのか。

 口の中がひどく乾く。


 ふいに背後から別の視線——赤外線の測距光がかすった。ロックオンに似た感覚。ぎくりと振り返る。この感覚には覚えがあった。さっきと同じだ。


 


 背後のピヨちゃん小屋ハウスがノイズに覆われて横にずれた。そこにあるのは分かっている。ちゃんと見えている。なのになぜか見えない。


 次の瞬間、眼の隅を飛蚊症めいたカラーグリッチが埋めつくした。視界データがでたらめに書き換えられる。光学迷彩ではない。何者かが視覚データそのものにアクセスし、リアルタイムで画像認識に割り込んでいるのだ。


 IBCS 統合戦闘指揮システムに干渉されているのか。そんなことができる者がいるとしたら、それは——


 ユートは急激に襲ってきた寒気を振りはらい、この場にいないはずの誰かを探して何度も振り返った。


「どこだ。どこにいる!」

(細かいんは後にせえ! はよ怪物ヴェルムの本体を《消》さんとまた再生してまうで!)

 切羽詰まるアカリの声に重なって。


「やっぱ……見えてなかった、し」


 小さな声が、ぼそりと降った。グリッチが消え、視界がクリアに戻る。ユートは奥歯を削れそうなほど噛んで空を振りあおいだ。

「誰だ!」


 ニワトリ小屋の屋根の上に、小さな黒服が体育座りでちょこなんと座っていた。


「え?」

 子どもだ。さすがに虚を突かれた。あわてて飛ばすつもりで光らせていたシャベルブレードを戻す。


「だ、誰だ、お前……?」

 しどろもどろに尋ねる。わけが分からない。アカリと同じぐらいの年齢にしか見えない、そんな子どもが、なぜ。


「セキュリティ……がら空きだし」


 クレーターの底でひっくり返っているヘンタイ黒服とおそろいの恰好をしているのか。


 山高帽を深くかぶり、髪を隠し、偏光サングラスと蛍光ピンクのネクタイ。靴下は可愛らしい白レースの折り返し付き。ちいさな子がミュージカルの舞台衣装を着ているかのようで、それはそれでかわいらしくもある。


 が。


 戦慄が喉元を圧迫した。声がかかるまでまったく気付かなかった。だが、聴音エキスパートのアカリをさしおいてそんなことが果たして可能なのか? そもそもいつからそこにいた? 戦っているところを——呪装機巧エキソスケイル化を、見られた——?


 背後の怪物ヴェルムが割れた腹板を振るわせ始めた。激しい空気振動が鼓膜を刺す。


(まだ動いとる、はよせな、ユート!)


 アカリが悲鳴を絞り出す。背後の小さな黒服にはまったく気づいた様子もない。まさかアカリにはこの異常な状況が伝わっていないのだろうか。


 震撼の土砂が竜巻となって吹き散らかされる。

 沸騰する黄土色の煙の中から、黄色と黒のまだらに黒光りのする殻が左右に開いた。折りたたまれた鉄扇の羽が蛇腹に大きく広がる。


 羽音がうなる。巨体が浮く。


はねだと……!」

 ユートは声を呑む。頭上にぞっとする影が差した。


 もしユートとアカリの存在が公になれば、かつての古巣、統合軍特別機巧部隊がフル装備の黒い落下傘となって大量に降ってくるだろう。試作機エンブリオの大半はいつなんどき重大インシデントを——あのときのような予期せぬ虚真溶融フュージョンを起こすか分からない。ユート自身が犯した敵前逃亡の罪など今となってはたいしたことないはずだった。何十億もの墓標にたかが脱走兵ひとりの名を追加したところで何の意味があるだろう。


 だから、絶対に、どんな犠牲を払ってでも殺してでも、アカリの正体だけは隠し通さねばならなかったのに。

 なのに。

 見られてしまった。黒服と怪物ヴェルムに気を取られて、小さいほうにはまったく気づかなかった——


 ミニ黒服は、興味なさげにニワトリ小屋の屋根の上で膝をかかえ、ぼんやり空を見上げた。


「ぼーっとしてたら死ぬ……けど?」


 気づけば目の前に現実。耳障りに羽をふるわせる巨大な肉塊、脚、臓物があっという間に元通りに復活している。スローモーションの影絵が眼前に迫った。さながら死そのものの形をとって。


「何なんだよ、くそったれッ!」


 ミニ黒服との会話中のみ思考伝達速度が加速していただけと気づいた瞬間に、静止系の現実時間軸へと放り出された。


 理屈より先に身体が反応する。手首を返してシャベルブレードを横薙ぎに振るう。返す袈裟懸けの斜め十字。斬るというより《掘り返す》感覚。地面と平行の赤熱光が怪物の腹を横にえぐった。


 消しきれなかった節足と中身のない殻が、腐った汁もろともぶっ散らばった。


 ふいにガツンと指先に衝撃が走った。あっ、と歯噛みした瞬間、手の先の力が抜け、刃先の赤熱光がぱつんとまたたいた。そこから先は急激に切れ味を失う。

 先ほどまで発泡スチロールのように軽かったはずのシャベルブレードが異常に重い。硬い外骨格の節間に突っかかって、そこから先は石を噛んだかのようにまったく動かない。


 仕方なく中途で力まかせに引き抜いた。強酸が飛び散る。背後に飛んで下がる。

 息を整えた。再びシャベルブレードが点滅。だがどこか弱々しい。アラート音が脳内に鳴った。拡張視界レイヤに警告のメッセージが赤く点灯。


 呼吸が浅くなった。乱れる。


 残存エネルギー僅少。網膜に直接映し出された横棒グラフのエネルギーパーセントゲージは既に残り一割を切っている。活動限界は目前だ。せいぜい何とかア……?ブレード数発分といったところか。


 それでちまちま削って殲滅し尽くせるならばいいが、消し損ねてしまえば一巻の終わりだ。また最初からやり直し。そんな体力はどこにもない。


 心拍数がひどくあがって、無駄な酸素を消費する。


 そうじゃない。怪物ヴェルムはもはやどうでもよかった。むしろ何の反応もないクレーターから眼を離せない。

 ミニ黒服。先ほどクレーターに蹴り込んだ変態パンツ黒服と同じ格好。つまり同類だ。スタンドアロンの《統合戦闘指揮システム》すら平然と割ってクラック干渉する《異能スキル》を持つ——


 小脇に冷たい汗がにじむ。

 息苦しいのは酸の煙を吸い込んだせいか。

 それとも失神しているはずの黒服が今、本当に気を失っているかどうか確かめようがないことへの焦燥か。


 姿が隠している今この瞬間にも、ゴキブリみたいに大量の仲間を呼び寄せているんじゃないのか——怪物ヴェルムよりタチの悪い、悪意を持った敵対勢力の《特巧トッコウ》どもを。


 倒したはずの怪物がまた、動き出した。

 そこらじゅうにちらばった肉片のカケラが、いつの間にか無数の赤い蛆虫に変わっている。カリカリカリカリたかってかじりつくし食い尽くし互いに貪り共食いしあって、生き残ったものから姿増殖、再生、復活、蠕動——


 このままでは倒しきれない。きりがなかった。怪物ヴェルムだけならまだしも、例えば先ほど襲ってきた赤と黒の呪装機巧エキソスケイルに襲撃されたら、絶対に助からない。


 果たして、こんなところで怪物ヴェルムごときに無駄な時間を浪費していていいのか……?


 敵に向いていたつま先が、無意識に別方向へとそれた。

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