第六種接近遭遇→戦闘開始
やめてそれ死亡フラグ……
人間の肉の中で縮こまっていた黄色い数十対の脚がゆるゆると開き、波打つ。
長い触角を左右に振り動かし、環状の牙に取り巻かれた口から膿の塊のような粘液をどろり、どろりと糸を引いて垂らしながら、それは。
散乱する瓦礫を踏み越え。
人間だったものの皮を踏みにじり。
全身の繊毛を耳障りに蠢かせながら這い上がってくる。
「ああっやっやばっ!」
アカリは半泣きであとずさった。
「ああああアカンアカンアカンアカンアカーーン! 喧嘩しとる場合やない校長先生、はよ逃げな!」
「……あァ!?」
言葉尻にカチンときたのか、黒服はサングラスの下から因縁たっぷりに
「……アカリちゃぁあん……それってどういうことォ……?」
スラックスのポケット——はないのでぱんつのゴムに指を突っ込んでびよんびよん横に広げながら無駄に肩で風を切ってガン飛ばす。
「よりによって僕ちんの方を心配ィイ? もちろん先生としてはちょっぴりうれしいですけれどもね、けどォ……図に乗ってんじゃァねェぞガキがゴラァ!!」
いきなり凶悪な顔に変貌した。ドスを効かせて脅しつける。
「ひゃンっ!」
アカリは眼に涙を浮かべてユートの背中に飛び込んだ。
「校内暴力反対!」
ユートはちょっと得心がいって眼を見開く。
「へー。本当に先生なんだ」
「今さらツッコむのそこォ!?」
先刻から鳴り響いていたサイレンの音が、改めて脳裏によみがえった。第六種接近遭遇。敵意ある生命体との邂逅を知らせる緊急アラート。
人をはるかに凌駕する体躯。体長。重量。スピード。そして不死。異形にして絶望。身を守るすべを持たぬ人間をことごとく食い尽くす
触覚と連動して黄色い受光器官がギョロついた。
無数の歯がグラインダーのように擦れ、耳を聾する轟ギ音、可聴音域を遥ァァかに超えた音ィ波をぶちまけチる。狂気と憎ギギギギギ悪そのものが思考へ直接干渉し侵蝕し汚染してゆく死の不協和音に似てギギギギギィイイイイチチヂギチ絶望ギチ暗黒ギチ死ギ惨殺チギチ理性さえたやすく奪い取る音にギチギチギ耐えられる人間などいるはずがなギギギギャァ喰わァァれる喰わ喰われギィァァ——
「ギーギーやかましいわ」
チェーンソーをぶん回して脳みそをおがくずみたいに切り飛ばされる感覚。冷や汗に強がりの薄笑いが混じる。
「黒板引っかいてんじゃねぇんだから。少しは公序良俗を学べよ、クソ虫野郎」
怪物が身体をくねらせた。基部の土がかきむしられて盛り上がる。一気に体節を収縮させ土中の穴に潜航した。土を掘り起こしながら地中を蛇行してくる。
「ウヒャヒャヒャヒャヒャアアアアーーオニィチャァァーーーン! 僕ちんのスコップを見てェエエエ!」
何が嬉しいのか、黒服はガニ股でクレーター内部の斜面を走り出した。わざと砂を踏み荒らしながらユートめがけて突進してくる。
「チラチラさせんな邪魔だ!!」
「うわあぁぁパンツが来たーーっ!!」
アカリはずり上がって食い込むピンクパンツを正視できず、かといって逃げることもできず、両手で眼をおおって右往左往した。
敵なのか味方なのかバカなのかまったく見分けがつかない。これではただの変質者だ。いっそ半狂乱になって逃げてくれれば話は早いのだが。
手にしたシャベルが砂利とこすれあって鋼鉄の軋みを鳴らす。
ピンクの変態と地中の怪物、急速接近。
風と砂の摩擦音が音響の弧を描いて眼前に迫る。
この状況下で
「おっとっとっとっとーーー?」
いきなり黒服がつんのめった。わざとらしくたたらを踏み、片足でけんけん飛び。
——こいつ、誘導しやがった……!
足元から真っ黒なツルハシが突き出た。ガキィィイン! と噛み合わさる。爆風が同心円状の波紋を広げる。
「てめえわざとか! わざとだろ!」
戦慄をかなぐり捨てる。そっちがその気なら、ここは是非とも共闘しなければ。蛍光ピンクの股間を狙いすましシャベルを下から上へすくいあげてのアッパーフルスイング。
ぴょーん。黒服が飛んだ。
バレエダンサーを思わせる美しい筋肉美のジャンプで華麗にシャベルの殺意をかわす。クレーターの弦を飛び越え、反対側の斜面に片足で着地。
「……ちっ」
逃げられた。舌打ちする。ぱんつまるだしのくせにたぐいまれな跳躍力だ。
だが一瞬の目くらまし代わりとしては十分だった。お見苦しいピンクの股間にさえぎられていた怪物の死角から、ツルハシの牙のすぐ下、節と節の間の接合部めがけ渾身の力で叩き込む。絶好のタイミングでシャベルの刃先が食い込んだ。銅鑼を殴りつけたような衝撃、振動、反響。
腕の骨を伝導して頭蓋の中にまで鳴り響く。
「殺った……!?」
アカリがうわずった声を上げる。ユートは顔半分を硬直させた。
「やめてそれ死亡フラグ」
黒光りする蛇腹の本体が、一瞬で地面からユートの身長
「くそっ、やっぱりだめか」
奥歯をぎりっと軋らせる。それどころか殴ったこっち側の手が骨までびりびりとしびれて、感覚がいまだに戻ってこない。
シャベルを持ちかえ、利き手をぶらぶらさせて麻痺を散らす。
与えたのは鈍い打撃だけ。節の間を狙ったはずなのに食い込んだ感触は皆無。
怪物は頭部を振るい、巨体を山なりのムチのようにしならせた。牙が円形にグバァッと花開いた。生肉掘削用シールドマシンを想像させる口が反比例のグラフみたいに加速して突っ込んでくる。
はらわたの腐った臭いが黄色く吹きかかった。泡立つ体液を吐く。
重心を横にすっ飛ばして倒れ込み回避。ヨダレの一滴がふくらはぎをかすめる。
カーゴパンツが一瞬で溶けた。
沸騰する音と煙を立てて布と皮膚が蒸発。
強烈な刺激臭が漂った。激痛が広がる。
「痛ってええええ!」
怪物は頭、というか口から地面をくわえ込み、食い進めながら体節をくねらせ再び地下へと潜った。ボコボコと地表が蛇行し、盛り上がる。
足を引きずってなんとか距離を取った。ハバネロ入りタバコをまとめて百本ぐらいジュウウウウと焼き入れられたぐらい熱い。
「あっれえええーーー? どうしたんですかァオニイチャァン……?」
黒服が自分のピンクぱんつを見せびらかしながらおしりぺんぺんした。ニッチャニチャの糸を引きそうな笑いを浮かべて悦に入っている。
「大口叩いておきながらこんな脱皮ほやほやの二令幼虫ごときに遅れを取るとかァ……? キャハハやだァーーー? めっちゃカッコ悪りぃんですけどォーー……?? それともお手伝いが必要ですかァーーー??」
「黙れ変態」
頭にきた。全部こいつのせいだ。敵の敵はやはり敵。一刻を争う緊急事態だというのに、なぜこんなぱんつまるだしのイカレぽんちを相手にしなければならないのか。絶対にブッつぶす。
——
謎の
イライラの原因を脳内セリフのフキダシにむりやり詰め込んで一気に吐き出す。
もしこいつがシャベルをわざわざ二本も持ってきたりしなければとっくにそうしていた。何もかもがこいつの手のひらの上で転がされているようで、とにかくムカつく。
「アカリ。倉庫から銃を持ってこい」
一瞬でも眼をそらせば
腋の下が汗で湿って冷たい。挑発に乗って攻撃してくるようならまだ対処のしようもあるが、もし市街地に逃げられたら——
「早く!」
振り向く時間すら惜しんでユートは手を背後に突き出した。何度もせっつく。
ところが。
「ハイハイハイハーイ校長先生しつもーーん!」
アカリは元気よく手を挙げた。ぜんぜん人の話を聞いてない。
黒服は愛想よく振り返った。サングラスの下の糸目がにんまり透ける。
「ハイ何ですかァ三年A組1番伊吹アカリさァん……いつもお元気ですねェ!」
出席番号付きフルネーム。1番というからには2番もいるのだろう。そういえばクラスにもうひとり陰キャな子がいるとか言っていた。要するに完全に身バレ済みというわけだ。
アカリはイタズラを発見された悪ガキみたいに首をきゅっとひっこめた。
「うっ、何や急に普通の先生みたいに言いよってからに。ヘンタイプレイはやめたんか」
ぴんくぱんつまるだし黒服校長はステッキ代わりのシャベルを地面に刺してにこやかに応じた。属性が多い。
「その普通の先生のケツにコンクリを投げたのは誰ですか? 怒りませんからやった人は黙って手をあげなさい」
ちなみにアカリはさっきからずっと挙手のままだった。眼をぱちぱちさせる。
「えーと」
白く粉を吹いた指先から眼をそらした。上目づかいで黒焦げの木を見やる。やけにでかい虫がジージー言いながら這っていた。空にはトンビが一羽、ぴーひょろろ。
見えないようにそうっと手を下ろした。裏返した手を背中に隠す。
「オドリャァこのクソガキャァ何してけつかる後ろに隠した手ェ見せやがれオラア! ブッコロスドォ!!」
黒服は鬼の形相でクレーターを怒鳴りつけた。そのあとすぐに元通りの白い歯を見せてニッコリとアカリに向き直る。
「おっと、危険ですからアカリさんは下がっていてくださいねェ?」
「い、今、中の人の声がダダ漏れになっとらんかった……?」
「何だこの茶番。遊んでいる場合じゃねえって! 早く持ってこい!」
ユートひとりが真面目に焦っていた。しびれを切らす。すかさずアカリはショートパンツのお尻で手の汚れをはたいた。
「そや、遊んどる場合やない(証拠さえ隠滅できればこっちのもんや)! 校長先生もホンマは何かええ感じの《必殺技》持っとるんやろ?」
「ダブルスコップアタック?」
「
「僕ちんの最強奥義がなぜアホ呼ばわり?」
「おまえら俺の話を聞けえーー!?」
「二人で力を合わせて『合! 体!』みたいな!」
「合……!?」
黒服の背後。再度、砂が割れた。
「ば……ッか逃げろ!」
舌打ちする間もなかった。手にしたシャベルを洞穴のような
何の役にも立たない。
間に合わない。
上半身がすっぽりおさまるほどの巨大なあごに触れたが最期。頭から背骨まで血の火花を散らしてすりおろされる——まただ。また同じ光景。
灰色の砂と黒ずんだ影。ハイコントラストの《死》が、スローモーションとなって頭上から降り迫る。絶句。
「……
黒服は振り返りもせず、手首のスナップをクッと効かせてシャベルを上に弾き飛ばした。金属のきらめきが一本釣りのカツオみたいに空中へとすっ飛ぶ。
溶けた鉄の断面がジュゥウゥ……と毒々しく泡立っていた。鼻を突く黄色い煙が横に吹き流れる。
怪物はクレーターに胴体着陸して身体をよじらせ、再び砂もろとも地下に潜った。また気配が消える。
黒服は
「ふーん……? オニイチャンも、合体して必殺技をねェ……?」
あごの細い優男ふうの甘い
「てめえにオニイチャン呼ばわりされる覚えはない。手伝う気がないならすっ込んでろ」
ユートは低く言い捨てた。ふざけた横やりを入れられるぐらいなら
失敗した人体切断マジックを最前列で見せられたような気分だった。シャベルのなれの果てはクエスチョンマークの形に曲がっている。鉄の臭いはいやがおうにも赤い色を連想させた。鋼鉄のシャベルがこのざまなら、人間の首などうなぎゼリーに混じったぶつ切りの骨以下だ。
「んなことよりアカリ、銃だ!」
「あっ」
アカリは急にユートの声が聞こえてきたみたいな顔をして、即座に回れ右した。
「御意サッサー!」
瓦礫を盛大にひっくり返し、地下の収納庫をパッと開けてヒョイッとつかんでジャグリングさながらワンツースリーと投げ渡す。その間、三秒。
「いい子だ」
ユートは放り投げられたものを右手、左手別々に受け取った。マガジンを装填。浮かした手で予備をキャッチ。ベルトに突っ込む。
肩ストラップがぶらんと揺れる。旧東側諸国製の短機関銃&9㎜弾バナナマガジン。どちらも石焼きイモの行商でコツコツ貯めた虎の子の30万ビット円で買った中古美品である。ひいきにしている横流し専門のミリタリーショップで手に入れたものだが、それらの出自が倉庫から運ばれたのか死体から剥いだものかの区別はつかない。
いつ襲ってくるか。どこから来るのか。
分からない。
時限爆弾の秒針のように、心臓がドッ、ドッ、と緊張を刻み続ける。アドレナリン濃度、体内温度、眼圧、ともに上昇。眼の奥にギラギラと幻影めいた光の残像がちらつく。
どこだ。どこに行った。逃げるか、戦うか、闘争か、逃走か——どうする——?
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