さっさとその貧相なスコップをしまえ
ひしゃげたコンクリの向こう側から頭だけを突き出し、黒服を指さす。
「校長先生とちゃう!?」
「はひィっ?」
黒服はバンザイ片足立ちで硬直。その鼻先に、上空から落下してくるシャベルがざっくりと突き立った。サングラスが鼻からずり落ちた。
——なんだか知らないがショックを受けているらしい今がチャンス!
ユートは地面を蹴った。
よろめいて倒れ込む寸前の状態から一気に下半身をバネに変えて前方へ突進。
黒服の男は両手をバンザイしたままだった。血走った青い眼が、眼窩からはみ出そうなほど見開かれる。
「たっ、たっ、たんま! どなたかとお間違えッ……!」
「てめえが何者だろうが知ったことか」
ユートはこぶしをギリッと固めた。
「人の!」
肩をたわめ、筋肉を引きしぼり。
「家を!」
腰に体重を乗せ全力でねじり込む渾身の。
「壊すんじゃねえーーーッ!!」
右ストレートが火を噴いた。
「ゴカァァァイェエエエエーーーッ!」
あご粉砕。黒服は耳から鼻からケチャップをビュルビュル噴出させてよじれ飛び、頭からクレーターにズッポリ突き刺さった。中身が抜けたかのようにグニャリと手足が折れ曲がる。
逝った。
「うわあ……」
アカリが両手で眼をおおった。細く開けた指と指の間からこっそり様子をうかがい、目もあてられない結末を確認してまたぁぁぁ……と嘆息。空を仰ぐ。
ユートは手袋の上からケチャップのついたこぶしをぬぐった。
「知り合いか」
さっき校長先生とか聞こえたが、きっと空耳だろう。
アカリはまだうつむいて手で顔をぴったりおおっていた。半分は頭をかかえている。
「ああ……どないしよ……学校関係者を
「案ずるな。正当防衛だ」
堂々と自己弁護した。
「それよりさっさと手伝え。やつが伸びてるうちに始末する」
アカリはぶるぶる首を横に振った。
「さらっと死体隠匿しようとすんなーー! 校長先生やで!?」
「でも本人が違うって」
「無理無理無理無理! だって校長先生と
「まだしてない」
「やっぱする気やないかい!」
タコ殴りにするかどうかはともかく、また暴れ出されてはたまらない。とにかく身柄を確保して簀巻きにしなければ。
「いきなりシャベル持って襲ってくる校長先生の方がよっぽど物騒だろ」
言いながらクレーターへ向かう。アカリはしぶしぶ後についてくる。ぶつくさ言いつつも一応納得はしたようだ。
ユートは足元に転がる赤いチューブを蹴飛ばした。褐色に変色したケチャップがぶちゅっと飛び出す。
「こんな道化に走る余裕があるぐらいだ。そう簡単にくたばりゃし……」
そこで立ち止まった。
穴の縁から生えたスラックスの中身がない。やられた。身代わりの術だ。
そのへんの枝にスラックスの片足をさかさまにして突っ込んで地面に突き刺し、もう片方の膝から下はぺたんこに折れてひらひらそよいでいる。
「逃げた!? どこに行きやがった」
ユートはクレーターの内部をさらによく見ようとしてもう一歩前へ。
靴の裏が妙にぶよんと沈んだ。トラップだ。顔を狙ってケチャップが噴き出す。
何食わぬ顔で華麗に避けた——つもりだった。視界の隅に予想外の金属光。
殺意がクレーターの底から飛んできた。眼と鼻の先。身体が硬直する。視界いっぱいにシャベルの刃が広がる。
かろうじてひきつった顔をそらした、そのすれすれを剣先がかすめた。皮膚の裂ける音が電撃となって頬を走る。後方からズン、と鈍い衝撃。空気を揺らす。
シャベルは後方の木に突き刺さっていた。
めりめりと音を立てて、割りばしみたいに縦に裂けてゆく。Yの字仕立てになった梢が揺れる。焦げた葉っぱが散る。
赤いしずくが、エッジに沿ってぽたりと落ちた。無意識に頬を押さえる。ケチャップまみれだった。
「……子連れでのこのこ近づくんじゃァねェよ……」
清流のように流れくだるクレーターの側面を、さくり、と踏んで。黒服男が内部へと下りてゆく。
もう一本のシャベルを肩にかつぎ、蛍光ピンクのネクタイを風になびかせ、下半身はピンクのぱんつまるだし。趣味の悪いピンクと緑の水玉模様の靴下がなおいっそうテカテカと目立つ。
それでも視線はクレーターの中心部からはずさない。偏光サングラスがぎらりと反射する。
「こッから先は、オトナだけのひそかなお楽しみだぜェ……?」
口元だけが場違いなほどしどけなく、ゆるゆるとつりあがる。
「な、なあ……校長先生ぇ……何でそんなカッコしとん……?」
どう見ても変質者寄りの危険人物。アカリはビビりまくりながらユートの背中にかじりついた。コートをくちゃくちゃにして握りしめる。
黒服は腰ぱんつに手を当て、白い歯を見せた。紳士たるものネクタイと靴下は必要不可欠。ならばドレスコード的には問題ない。
「クヒヒ、お人違いではァ……?」
「ちゃうし! そのシャベル、イモ畑作る時に
「ふひっ?」
黒服の足元に、ラッパの形に穴が空いて爆ぜたジュラルミンボックスが転がっていた。
金属バックルがはずれ、蓋が開いて、ゼリー状の緩衝材が溶けてこぼれ出している。ボックスの中身は細かく仕切られたホルダーに入った、黒に赤のラインが入ったガラスアンプル数十本。
その向こうに墜落した
甲殻類めいた外骨格。今だおさまらぬ漏電。生々しい肌色や内臓。破断した筋肉がどろりと垂れ落ちている。
装備した
だが、黒服が薄笑いを浮かべて見つめたのは
ギ
ギヂッ——
足元の砂を破って。金属をグラインダーで軋り飛ばす瞬間の音にも似た耳障りな摩擦音が噴出した。
「ッ!」
ユートはアカリをかかえ、後ろに飛びのいた。
何で
こんなところに。
思考速度より速い巨大な鋼鉄のツルハシが二本、足元でかみ合わさった。コンクリートの瓦礫をくわえ込んですりつぶし、また土の下へ引っ込む。
金属をねじ切る破砕と裁断の音。クレーターの底が抜けた。流砂が渦を巻いて、漏斗型の穴の底へと練り込まれてゆく。
地鳴りが伝わった。
「おっ、おっ、おあっ……!」
アカリがクレーター内部を指差して口をぱくぱく開閉。砂の下に、恐ろしい速度で這いずり回る
「オニイチャァン……怖かったら今すぐ逃げても良いんだぜェ……?」
黒服がからかいの声を投げてよこす。やけに尊大な上から目線だ。
「てめえこそ、さっさとその貧相なスコップをしまえ」
ユートはアカリを地面に下ろした。下がれのハンドサイン。
幹に突き立ったシャベルをバキッと引っこ抜く。乾いた笑いがもれた。そういうことか。
短く息を吸う。腹の底でとぐろを巻く冷たい金属の重量と重心をイメージ。
感情も表情も訓練すれば自在に作れる。無駄に振れ幅の大きな思考は遠心力となって能力のベクトルを惑わせる。
黒服はくつくつ笑って舌なめずりした。猫なで声で喉を鳴らす。
「後で吠え面かくなよォ……?」
はみケツピンクブリーフまるだしのくせに、足元の不如意な斜面で片足に重心をかけて立ったまま傲然と肩をそびやかせ、視線を固定し、小馬鹿にした笑みすら浮かべる。やけに場慣れした態度がますます気に入らない。
「てめえこそ、せっかくの見せパンに穴が開いてんぜ?」
ユートはシャベルの足掛け部分を蹴飛ばして、Dハンドルを支点に上下を反転させた。スチールの柄を握って構える。何度か取り回して使用感を確認した。
持ち手の裏側に《アズヤ小学校・露営作業用》と書いたラベルが巻いてあった。学校用にしてはやけに手入れのされた刃先。鋭利に研いである。白兵戦にも十分耐えうる強度だ。どうやら、イマドキの校長先生は軍事教練にも精通しているらしい。
ギヂヂ
ギチチチッ
クレーターの底から歯ぎしりの音がする。やつらのたてる声だ。
その表現。すでに正確ではない。
スーツの中身だったものは、今は、もう——
対Gスーツと《人間の皮》を内側から突き破って、環状の牙がひらいてゆく。クレーターのどこにそれだけの巨体がひそんでいたのか、見えている部分だけでも長さ四、五メートル、太さはドラム缶ぐらいは優にあろうか。
対Gスーツがゴム動力のプロペラを巻くかのようによじれたかと思うと、一気に逆回転した。破れた皮の下から現れたのは節の入った鈍色の多足類腹部。
頂点の口がギャリギャリギャリギャリと音を立てて猛然と擦り合わされた。
「ギシャァァァァーーーッ!」
耳元で絶叫が上がる。
「ひぃーーーーーーッ!」
クレーターの中をのぞき込もうとしたアカリが声にビビって再び逃げ出した。両手で耳を押さえ、眼をつぶる。
「何だ今の声!」
ユートが身構えると、黒服男は握った両の手を顔の前に持っていってモジモジしながら、テヘッと舌を出す。
「僕ちんの殺る気スイッチがONになった効果音」
「マジ帰れ邪魔!」
全力でぶん殴ろうとしたが避けられた。
「そんなことしてる場合じゃないでしょォ……? ほらあっちあっち」
黒服が人差し指でひょいと指す。
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