絶滅危惧種《レッドデータ》第一項

(何なのコレぇぇぇぇ!)

(伏せろッ!)


 ユートはアカリをかかえ、悲鳴ごと突っ伏した。身体全体で守りつつ自分はコートの背中をずり上げて頭にかぶる。


 半分砕けた壁の向こうから、放射状の流星雨が突っ込んできた。庭の畑から金属の燃える緑の火が吹き上がる。


「ああイモがイモがイモがうちの大事なイモがーー!」

 アカリがユートの腹の下から悲痛なうめきをあげる。

「俺のピヨちゃんの心配もしてくれ頼む!」


 世界が割れた。


 壁一面がひび割れる。


 一瞬で破断。崩れる。


 食器棚もテーブルも棚の上の手回しラジオも走馬灯のスローモーションで宙を舞った。


 衝撃波が頭上で炸裂した。カッ、と白い光が焼けつく。眼の前に、焦げる寸前の写真が落ちてくるのが見えた。必死に手を伸ばす。つかんだ。抱き込む。

 直後。

 灼熱が屋根をつんざいた。


 …………耳鳴りが止まない。鳴り続けている。壊れたコンクリートが、たぶん元は壁だったとおぼしき瓦礫の山から転がり落ちた。


「なあ、天国ってこんなコンクリだらけやったっけ……?」


 アカリは、げほっと砂煙の咳を吐いた。おそるおそる物陰の下から這い出る。


「ずいぶんなご挨拶だな。ノックは三回ってマナー講師に習わなかったのか」


 ユートは背中を丸めたまま喉の奥にからむ塊を吐き出した。血の匂いがまじる。


 こめかみから赤い色が二、三滴落ちた。完全に本棚の下敷きだ。足がはさまれて動けない。


 アカリは両手を床についたまま振り向く。

「……けがしとん……?」


「少し頭に血が上りすぎただけだ。すぐに引く」


「あっ、あっ、ちょ待っ、やば」

 アカリは背筋をびくっとさせた。ユートを本棚の下から助け出そうと腕に手をかけたところで、動きが固まる。


「あわわわこっこっこにおっったあああっまたきっ」

「あわわわ。ここにおったらあかん。またきた」


 ユートは感情のない棒読みで無自覚に繰り返す。アカリはあごがもげそうな勢いでガクガクうなずいた。反動で直角に首を後ろにのけぞらせて天井を仰ぐ。


「敵機!」


 天井の代わりに煙と青い空が広がっていた。光点多数。


 酸欠の金魚状態でアカリが口をぱくぱくさせる。

「はっ、はよ逃げっ、きっ、きっ」


 風切り音が聞こえた。


 空気を切り裂く甲高い衝撃波の急降下。迫る。重圧の轟音が加わる。


 一秒後。

 上空視界すべてを弾丸で埋め尽くす機銃掃射が降り注いだ。


 無数の弾痕が駆け足で通り過ぎる。倒れた本棚が掩体代わりになってかろうじて直撃を防いだ。だが貫通しないだけだ。衝撃はダイレクトに伝わる。内臓が悲鳴をあげた。


 壁が剥がれ、土とモルタルを法外に吐き散らす。


 轟音が飛び過ぎた。怪物めいた影が一瞬、床の凹凸を舐める。直後、吸い上げるような突風が吹きつけた。


 土ぼこり越しに敵影を確認。


 紫と黒のまだら模様。女郎蜘蛛に似た呪紋様が眼に焼き付いた。禍々しい濃紫のトレイルを引いて横ひねり背面宙返り。


「……呪装機巧エキソスケイルか」


 予想どおりで驚きはない。もちろんはらわたは煮えくり返る。降りやまぬ木片とコンクリと轟音に脳みそを殴られながら推測をめぐらせる。


 攻撃されるいわれもなければ、相手の素性も分からない。考えられる可能性はチンピラどもの報復。誤爆。あるいはもっとヤバい理由。どれもありそうでなさそうでちょっぴり思い当たる節もあったりして判断がつかない。


 分かっていることはひとつだけ。

 まだ生きているなら、敵もまだ《本気》ではない。


 機銃掃射が止んだ。爆音が離れてゆく。ユートは本棚だったものの下からなんとか這い出した。


「終わったんかいな……」


 おそるおそる頭を上げたアカリの後頭部を、即座に黒こげのクッションで押さえつける。


「まだ動くなって!」

「あいたあっ! 首がグキ言うたでちょっとー!」


 声が聞こえたのか。再び爆音が旋回して戻ってきた。急降下してくる。


「くぉらぁーーー!! 何で戻ってくんやあーー! うちらんこと殺す気かあーー!」


 アカリは穴が開いた黒こげのクッションを振り回して怒鳴った。ユートは尻の穴がひゅんと冷えるのを感じた。これは漏らした。間違いなく漏らした。必死にアカリの背中のサスペンダーをつかんで引き戻す。


「全力で殺す気まんまんだ。引っ込めバカ!」

「誰がバカやねんアホー!」

「お前だー!」


 地面が揺れた。煙が噴き上がる。


 機銃掃射の光と轟音と爆煙が一直線に家と庭と近隣の廃屋とをなで斬りにした。


 わずかに残っていた玄関ドアの横の壁も撃ち抜かれた。壁もテーブルも窓ガラスもカーテンも床も、みるみるうちにすべてが穴だらけのチーズに変わる。


「何で反撃せんのよ」


 アカリは頭を抱えてわめき散らした。

「ユートならあんなヤツ一発でぶっ飛ばせる……」


「蜂の巣になりたいのか。黙ってろ」


 ユートはアカリの口をふさいだ。逃げることもできない。ただただ防御に徹して瓦礫に埋もれながら伏せるしかなかった。


 ………いったい、どれほどの間、銃撃が続いただろうか。


 すでに家の形など、カケラも残っていなかった。あるのは砕けたコンクリートとむき出しの鉄筋、それと土だけだ。


 跡形もなく崩れ去った戦果に満足したのか、謎の襲撃者は重金属音の尾を引いて遠ざかっていった。


 蒸気の洩れる音が聞こえる。カランコロンと空き缶を蹴飛ばしたような音が転がり落ちた。


 瓦礫の中から、真っ黒な煤をかぶった頭がふたつ持ち上がった。ぶるぶる振るう。


「やっといなくなってくれたか……何だそれ」


 ユートはけげんな顔をアカリに向けた。見慣れぬものを手にしている。


「ん?」

 アカリはきょとんとした。自分が握りしめているものをまじまじと見下ろし、陽気にじゃかじゃか振り始める。


「ウッヒョイマラカスうー!」


 まさしく外見は黒いパイナップルのついたバトン。アカリの言いたいこともわからないではない。だがどう見てもその正体は——


「手榴弾だ! 捨てろ!」


 ユートはアカリの手から手榴弾をひったくった。できるだけ遠くへ投げ捨てる。伏せる。耳をふさぐ。


 頭上で大爆発した。爆風と衝撃波と熱線があたり一面を薙ぎ払う。


「ハゲるううううう!」

「イモおーーーー!」


 爆風に脳みその中身をさんざん引っかき回され、ひとしきりアホになったあと。


 ようやくすべてが収まった。


 めらめらと赤く煤が舞っている。鼻の奥が焦げ臭い。後頭部も焦げ臭い。柱も壁も洗面所も玄関も床も、根こそぎ木っ端みじん。


 何も考えられず、ただぽかんと呆けて上を見上げる。青い。もちろん天井の色ではない。


 どこまでも広く、さえぎるものひとつない澄み切った青空だ。


 そよ風が吹く。鳥のさえずりが愛おしい。まぶしさに眼がしみた。いいお天気だった。



 ——9年前。地球文明の半分が消えた。


 その日から、万物の霊長であったはずの人類は凋落の一途をたどっている。種としての存続すらもはや保証されてはいない。すべては昔日の残影。

 文明は崩壊した。人類そのものもまた絶滅危惧種レッドデータの第一項に指定されている。

 当初、人々はSNSにアップされたどこかの街の動画を見た。道路に転がる無数のモザイク。それを踏んで逃げる人々。作り物めいた揺れる画像。ピントの合わない写真。海嘯となって迫りくる何かの群れ。空を埋め尽くす黒い雲。

 いったい誰がその肉塊の海となった成れの果てをパリだ、ローマだ、北京だと信じただろう。

 ディープフェイク、アメリカの陰謀、中国の自作自演、何より平和維持が重要、難民を保護救出せよ、などと言って現実から目をそらすうちに、やがて。

 人間社会そのものが消えた。


 人間にする《怪物》によって。


 大陸間の往来は断絶。文明インフラの大半は軍によって強制的に徴発され、そしてまたたくまに国家ごと消えていった。

 比較的被害の軽微であった大和国においても急遽、民間解体レッカー会社、《人類共同戦線》との統合軍事顧問協定が結ばれることとなり、帝都護持のための絶対防衛圏確立——それ以外の切り捨て——が策定される。

 数年前まで確かに存在していたはずの世界。海の向こうの各大陸がどうなっているのか、今はもう誰も知らない。知ろうとすらしない。そんな簡単なことさえもう誰にも分からない。

 人類は一方的な戦時下にあった。もはや領土紛争、などという矮小な争いではない。民族、宗教、人権あるいはイデオロギー闘争すら何の意味をも成さない。

 圧倒的敗北から始まる、種の存亡を賭けた闘争逃走


 そしてまた、サイレンが鳴り渡る。

 最果ての地より来たる悪魔。あらゆる生命を貪り食らい尽くす狂気。


 怪物ヴェルム襲来を告げる絶望のサイレンが。




【2章 終わり】


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