たまたまユートのんがおっきいからや。おっきけりゃおっきいほどきもちええんや!

 ユートは棚の双眼鏡を取った。眼に当てる。


「まさか」

 茶目っ気のある笑い声を立てる。ハナから従うつもりはない。


 窓の外に見えるのは青い空。白い雲。空気のグラデーションを重ねた段違いの山々。眼の前は錆びて破れたフェンスとイモの葉の海。納屋の隣には数十年剪定していない庭木と木漏れ日揺れるトタン屋根のニワトリ小屋。

 典型的田舎の狭小物件である。家賃はありがたいことにゼロ。貸してくれたのは仕事で知り合った駄菓子屋ハッちゃんの店主、ハツヨばあちゃんだ。


 ——発端は数ヶ月前、ばあちゃん宛ての小荷物を届けにアズヤを訪れたときだった。

 のチンピラがハツヨばあちゃんの駄菓子屋を荒らしている場面に出くわした。面倒ごとには巻き込まれたくなかったがからには仕方がない。平和裡に介入し揉め事の元を


 荷物を渡して帰ろうとしたら引き止められた。腕っぷしを買いたいという。


 ハツヨばあちゃんが言うには、駄菓子屋のくせにやけに襲われやすいらしい。好都合だった。むしろ計画通りだった。


 ちなみに、アカリのいうシェルターは敷地の地下をこっそり掘り抜いて埋設した対核爆仕様の軍用シェルター(横流し品)だ。もちろん大家の許可は取っていない。


 以上回想シーン終わり。視線を街の方向へと移す。


 雑草だらけになった倒壊寸前の廃屋が立ち並んでいる。黒くすすけた窓は野ざらしの頭蓋骨の眼窩のようだ。倒れかかった電柱には枯れ草のつるが巻き付いている。山に残された鉄塔は、どれも根こそぎ折れて、五線譜みたいなケーブルを斜めに引きずっていた。


「なんか見える?」

「全然」


 視界を遠く横切る高架道路は相も変わらず倒壊した飛び石状態のまま。いつも通りの惨状で異状なし。


「あんなのにウロウロされたらこっちは仕事があがったりだ」


「ばあちゃん宛の荷物が来るって、何でお店で直接受け取らんのやろ」


「さっきみたいな強盗に押し込まれたら困るからじゃね? 年寄りの一人暮らしは何かと用心が悪いし」

 気ままに笑う。


 たちまちアカリが見とがめた。

「悪い顔やめえや。さっきの二人組の声、覚えがあるわ。前にだまくらかして狂言強盗やらしてぶん殴った連中やろ」


「記憶にございません」

 言い訳もそこそこに気を取り直し、先ほど見えた飛行機雲を探す。


 黒煙はいったん山の向こう側から洋上へと逃れたようだ。ここからだと溶岩台地を迂回しつつまたぐ高架道路が邪魔をして見えない。だが海岸線に出れば、白と黒の噴煙たなびく巨大海山、新大和カルデラの外輪山が、いまだに新しい溶岩大地を吐出し続けている様が望めるはずだった。


「あの距離と方角ならこっちには来ない」


 ユートは無駄に力強い語尾で断言した。自分でも少々わざとらしく聞こえるぐらいでちょうどいい。まさか、あれがハツヨばあちゃんの言う、であるはずがないのだから。


 ——ホンバにまだ来てないンか? 一日いちんちでも遅れたらごまるンよ。ばよう持ってきてもらわな、ぎゃぐうるぞうてナ……


 少し嫌な予感がした。先日、急かされて運び屋稼業の雇い主であるハツヨばあちゃんの店に呼ばれたときのことだ。


 頭痛でもするのか、ハツヨばあちゃんはこめかみに小さく切った白い湿布を貼ってピンクの椅子に腰掛けて唸っていた。いつもはけたたましいマシンガンのようによくしゃべる婆さんが、その日はめずらしく口ごもりがちで、ことあるごとに風でガタガタ揺れる入り口の引き戸を振り返った。血走った眼と黒ずんだ目の下がまるで土人形のようで、ただの駄菓子屋が荷物の受け取りごときに何でそんなに神経をとがらせているのか——聞くのすらはばかられる顔色だった。


「……今のうちにドアノブを直しとくかな」


 大したことでもないのに、急に何だかやたらと気になった。ハツヨばあちゃんが戸口に吹き込む風をやけに気にしていたのが伝染したのかもしれない。例えば——招かれざる客が来るのを。


 本棚が揺れた。机の上のえんぴつがやけにカタカタと神経質な音を立てて転がり出す。いまだサイレンは鳴り続けている。


「何もこんな襲来警報が出てる最中にせんでも」


 アカリはトイレを我慢しているみたいに内股でそわそわしながら窓の外を見た。それから嘘っぱちの時間を表示する壊れた古時計を見上げる。


「どっちにしろドアが壊れたままじゃあ泥棒も入り放題だ」


 窓から離れようとすると後ろからコートのベルトを引っぱられた。らしくない心配顔で食い下がってくる。


「こんなときに出歩いて、もし《やつら》に見つかったら」


「怖いなら地下シェルターに隠れりゃあいいだろ」


 ユートは人差し指を曲げた第二関節でつついた。ほっぺたがえくぼの形にへこむ。


 とたんにアカリは眼を三角につり上げた。両方のほっぺたをハムスターみたいにふくらませる。


「嫌や。何でうちひとりだけあんな暗いとこ」


「暗いのが怖いとか、まだまだ子どもだな」


「ぜんぜんそんなんとちゃうし!」


 ぴったり背中にくっついて言うセリフではない。

 むくれっつらのアカリをよそに、かまわず道具箱を取り出し、型落ち軍コートの襟をゆすって正して準備完了。


 道具箱を下げて表に回る。アカリは手を離さない。


 ユートは壊れたドアの前に立った。敷居が低いのはいいことだがさすがに不用心すぎる。


 気持ちも新たに作業手袋を装着。弘法は筆を選ばずというが職人は道具を選ぶ。(格好)いい手袋は身につけるだけでデキる男に変身させてくれる。


 というわけで根本からもげたドアノブ跡の穴をしげしげとながめた。ドアノブをねじ止めした戸板ごと引きちぎっている。


「はいはい。暗いよー怖いよーって、道理でいつも朝起きたら俺のベッドにいると思った」


 押してみた。動かない。


 引いてみた。キィ。半開き状態でプラプラしている。


 やばい。閉まらない。ちょっと焦る。


「ちょー、勝手に決めつけんといて? うちはなあ、別にひとりで寝るんが怖いんとちゃうし。たまたまユートのんがおっきいからや。おっきけりゃおっきいほどきもちええんや!」


 アカリは自信満々に平らな胸を張って抗議する。


 もう一回閉めた。押し戻される。閉まらない。


 これはもう、近所の空き家からドアごと拝借して入れ替えたほうが早い。


 修理は早々にあきらめた。風穴の空いた玄関を足でドンと蹴り開ける。アカリは犬のリードみたいにベルトの端を手繰ってつかず離れずついて来た。傍目にはユートが犬の役にしか見えないのが不本意だ。


 道具箱を棚に押し込もうと上に手を伸ばす。がたん、と音がして備品入れ代わりにしたペン立てが倒れる。床に落ちた。


 困惑しつつ拾おうと身をかがめる。


「でも、アカリの身長なら子ども用二段ベッドで十分足りてるだろ。それとも寝相が悪すぎて落っこちたのがトラウマになってるとか」


「だからちゃうてるやんか。うちはひとりでもぜんぜん平気やけどもやな。寝相がちょっとフリーダムやから抱き枕が必要なん……」


 声が唐突に別の周波数に干渉されて聞こえなくなる。


 高音が家全体を揺るがした。


(な、な、何これ)


 アカリは眼を押し開いた。口だけがぱくぱく動く。なのに声はまったく聞こえない。


 音が現実の痛みとなって鼓膜を突き刺した。鼓膜が空気圧で押し込まれる。音が聞こえないのではない。聞こえない轟音によって、逆にすべての音が打ち消されているのだ。


 家全体がびりびりと揺らいだ。共振した窓ガラスに、蜘蛛の巣のようなひび割れが走る。


 置いてあったカップが小刻みにふるえて耳障りな痙攣の音を立てた。机の上の菓子缶が飛び跳ねる。


(耳が痛い)


 アカリの悲鳴が内耳に直接響き渡った。鼓膜が押し込まれる痛みに歯を食いしばる。手でふさいでも耐え切れない。


 ——いったい、何が。


 重金属の空振が空を揺るがす。何かが近づいてくる。


 風切り音が迫る。迫る。迫る。


 ガラスが割れた。

 白いカケラが飛び散る。

 カーテンが狂ったようにばたついた。


 半ドアになった玄関が恐ろしい音を立てて閉じ、反動で跳ね返り、また閉じて、ちょうつがいごとブッちぎれる。


 本棚のドミノがばたばた倒れた。紙吹雪みたいに大量の本を吐きだす。


(いいから耳をふさげ! !)


 声にならない声で怒鳴る。


 突風にあおられた天井の板が、めきめきとはぐり取られる。


 身体が宙に浮く。


 逃げる間もなく、徹甲弾と化したテーブルや椅子が、もろい石膏ボードの壁をぶち抜いた。

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