解体屋《レッカー》

 赤毛の少女は耳をすました。小屋のニワトリ軍団が怒りの勝ちどきを上げるのに続けて、

「ぎゃああ」

「もう二度としません」

「バーカバーカ」

「うわあんごめんなさいぃぃ」

「覚えてやがれええ」

「おまえのかあちゃんでーべそー」

 などなど、やられ役の合唱団が捨て台詞のハーモニーを奏でる。

 ほうほうの体で逃げていく足音の数を指折り数え、少女は顔をしかめた。

「ひい、ふう、みい、今日は三人かー。最近多いなーヒヨコ泥棒」


「聞こえたぞアカリ」


 今しがたヒヨコ泥棒を撃退したばかりの青年が意気揚々と凱旋してきた。鼻血で汚れた手袋をはずして手に下げている。黒髪も作業着がわりのミリタリーコートもおがくずと敷き藁だらけで、いささかくたびれた——はさすがに言い過ぎか。実にむさ苦しい。


「この俺が連日連夜、睡眠時間と心の平穏をすり減らして悪漢どもと戦ってるというのに、のんきにおやつおやつ連呼しやがって」

 おがくずを払い落としながら不満顔を向ける。


「あっユート! おかえりいただいまあーおやつはー?」

 青年の顔を見たとたん、アカリと呼ばれた少女の表情がころッと変わった。底ぬけに明るい笑い声を上げて青年に飛びつく。ほっそり伸びた足を靴のまんま背中に回して、全身でむぎゅうとくっついた。


「ない」

 はぐはぐ抱き枕状態のユートは平然と答える。

 さきほど泥棒を殴り倒したことは黙っておくべきだろう。清廉潔白かつ道徳的にはんをたれるべき保護者の立場で、率先して悪党に暴力を振るうなどとんでもない。


「ばあちゃんあての荷物が届かねーんだよ。そのせいでどこにも行けてねえ。絶対に今週中には着くって聞いてたんだがな……まあ、暇してたおかげでヒヨコ泥棒は撃退できた」

「逃げられたの間違いとちゃう?」

「見解の相違だ」

「ほなそういうことにしとこかー」


 アカリは、ほっぺたをなおいっそうユートの耳元にすりすりした。

「なーなー、ほいだら荷物は後にして駄菓子屋のばーちゃんとこ行こ? んでもって荷物まだですー言うてアメちゃん買お?」

「修理が終わったらな」

「何の」

「手に持ってるものは何だ」

「ドアノブー!」

「それでどうやって家に入れと」


 ユートはこのうえもないジト目をアカリへと向ける。アカリは真顔に戻ってユートから離れた。肩まで袖をまくるふりをしながら鼻息もあらく腕をぶんぶん。勢いをつけて振りかぶり、背後へぐっと引いて。 


「……ドリルパァーーンチ!」

 ドアを粉砕!

 ……する寸前。

「壊すなよ」

 あきれ顔で期先を制する。

 パンチがぴたりと止まった。隣の窓ガラスが電磁ノイズめいた微振動を発する。


「限りある資源は大切にしようなー?」

 貴重なガラスまで割られてはたまらない。ユートは猫なで声で懐柔しながら井戸を指さした。


「裏から入って。石けんでよーく手を洗ってからな。俺は手袋洗濯するから」

「はあい」


 アカリはポンプを押して水を出し、念入りにじゃぶじゃぶ洗う。濡れた指をピシピシさせてしずくを飛ばし、鼻歌もかろやかに裏口へスキップ。


 トタンのゴミバケツがふたつ、勝手口前の階段をふさいでいた。

 いつからあるのか、中身が何なのかも分からない燃えるゴミの袋が鎮座ましましているのをエンガチョポーズのカニ歩きでそろりと迂回。勝手口は開きっぱなしだった。


「なあんや戸ぉ開いとるやん。壊して損した」


 昼間だというのに室内はひっそりと薄暗い。窓という窓に黒いカーテンを引いているせいだ。暗くて何も見えない。アカリは鼻をスンと言わせた。


「またへんなにおいがする!」

 後ろ向いて大きく息を吸って鼻をつまんで果敢に突入。


「おい窓開けんなよ。蟲が入る」

 ユートがあわてて追いかけてきた。


「かまんかまんこのへんはまだおらんって校長先生が言うてた! 換気オープン!」


 アカリは何の頓着もなく、閉めきりになっていた遮光カーテンをざっと引き払った。表は真っ赤。裏は真っ黒。ニンニクこそぶら下がっていないがどう見てもドラキュラマニアの配色だ。

 窓の形そのままに斜め方向の陽が射す。

 ふいに、こつ、こつ、と。時代めいた音を響かせて、ゼンマイ時計が動き出す。


 本棚に古めかしい雑誌や事務用ファイルがぎっしり詰まっていた。壁には経年劣化した大和国の地図。押しピンで留めた四隅がめくれて丸まっている。


 地図を背にした机上には黒表紙で簡易製本した論文集やバインダーに綴じきれないコピー紙の束が山積み。ちびたエンピツや黒ずんだ消しゴムも無造作に放り投げられたままだ。それからコルクのフォトフレームにセピア色のが一枚。


「こんな《普通の本》なんか何の役にも立たんわ。ママンの研究は助手のクロちゃん以外にはだぁれなぁんも理解できひんかった」


 言いながら窓を開ける。潮風が吹き込んだ。机上の本が勢いよく繰られた。カーテンがおどり、書類が吹き飛ぶ。


「わあっやってもうたあーーっ!」

「拾えよ」

 それ見たことかと苦笑してユートは窓を閉める。

「うんうん分かっとる。んでも、」

 アカリは上の空でうなずいた。何もなかったことにしたい一心でむりやり話をそらしにかかる。


「ホンマに、こんな海の端のちっこい街に、解体屋レッカーなんておるんやろか」

 黒の×印が大量に散らばる大和国の地図をまじまじとながめ……るふりをしてさりげなくその場から離れてゆこうとするのを、ユートは見とがめた。もう一回いう。

「拾えよ?」


 視線に気づいたアカリはしぶしぶ腰をかがめて散らかした紙束を拾った。

「拾えばええんやろ拾えば」

 口の中でぶつくさ文句を転がしつつ元の机にバサーッと雑に放り投げる。


「お片付けできてえらいなー」

 ちょっと片頬がひくついたが我慢して声に出してホメた。0より1。良いこと探しは加点方式。よって残り99の不満は表情筋の下にしまっておいた。それが大人というものだ。


呪装機巧エキソスケイルがいなけりゃ人間絶滅危惧種なんて全部怪物ヴェルムどもに食われちまうんだぞ。生き残ってる街があるってだけでもすごい。住民がたとえロクデナシのヒヨコ泥棒でもな」


 ユートはアカリが粗雑に戻した書類束の中から、ノンブルが上下逆になったものを引き抜いて入れ替えた。角をならし、机に打ちつけて、指が切れそうなほど一直線にそろえる。元あった書類箱に戻して片付け完了。


「んでも《連中》には見つかりとうないなー。もう何年もたっとるゆーのにまだネチネチ追いかけてきよるからなあ《人類共同戦線あいつら》」

 アカリはわざとらしくため息をつき、腕を組んでげんなりしてみせる。

「そりゃまあそうだろとしか」

 ユートは九年前のことを思い出して苦笑した。

 ゼロ地点に向かったは全滅。作戦も参加した兵士の存在も、すべてが記録から抹消された。当然、など、決して誰にも知られてはならない極秘事項トップシークレットだ。


「ま、こっちはとにかく情報さえ手に入りゃいい。最初に言ったように、街が残っているには理由がある。つまり《試作機エンブリオ》のうちの誰かと会えるかもしれないってことだ」

「んなこと言うてぜんぜん探しとらんやないか。ええんか? ヒヨコとたわむれる平和な毎日ばっかで」

「明日から本気出す」


 コルクボードに貼ったモノクロ写真がしずかに揺れる。

 セピア色に黄ばんだコピー用紙。十年前の論文をスクラップしたなかの一枚で、現存する唯一の写真だ。

 粒子の荒い印刷だが、肩を寄せ合ってポーズをとる数人の少女たちと白衣の男女、車椅子の老人などが見て取れる。

 ほんの数年前まではデジタル3Dフォトフレームが当たり前で、こんな動かないしゃべらない解像度の低いなど誰もありがたがりはしなかった。だが、今となってはデータすべてが電子雲クラウドのもくず。

 動かない過去の中から、少女たちはあどけない永遠の微笑みを投げかけている。


 ふと風が変わった。物悲しいサイレンの悲鳴を運んでくる。


 襲来警報発令。

 襲来警報発令。


 ユートはカーテンを細くめくって窓の外を見た。防災ラジオを手に取る。

 南西から北へ向かう飛行機雲が空を横切って伸びている。雲の周辺に高速移動する黒い点々。平べったい溶岩台地の稜線の上空で光と熱が交錯した。無数の細かい閃光の爪を切り飛ばす。

 飛行機雲が黒煙に変わった。光に遅れて衝撃波。ひずんだ破裂音が爆風めいて窓を揺らした。


 ラジオは充電切れ。手回し発電のグリップレバーを何回か握って回すとゼンマイモーターが動き始める。数十秒後、割れてかすれてノイズ混じりの音声がスピーカーから漏れ出した。


《襲来警報発令。命に関わる危険が迫っています。住民の皆さんはただちにシェルターへ入ってください。決して屋外に出ないでください》


「だとさ。どうする?」

 ユートは陰気なラジオの上から、わざと何でもない声をかぶせる。

 アカリは両腕を振り動かして駄々をこねた。

「やだあーばあちゃんち行くうーー! どーせこっちにまではうへん」

「わかったわかった、ドアノブ修理したらな」

「いややーうちは勤労作業で体力を消耗しとるから身体が甘いもんを欲しとるんや! アメちゃん買うんや!」

「勉強はどうした」

 しかつめらしい、もったいぶったまばたきをして聞き返す。


「今日は家庭科。うちとこの庭ぜえんぶイモ畑やでー言うて自慢したら、ほなそれ見習みなろうてじゃがいも植えますかァ……? みたいな話になって。校長先生に頼まれて三年生全員で校庭に畑作ったん」


《……現在×××市カドサカ区、タズミ区、ウトワ町に未確認生物ヴェルムが襲来中。南環東管区全域に避難命令が出されています。繰り返しま》


 ラジオ音声に爆発音が混じった。悲鳴。ハウリング。ガラスの割れる音。はこれで何回目だろう。奴らはかならずやってくる。


「へえ。なかなか良くできた校長先生じゃないか」

 語尾のチャラいのが少々気になるが、イモと聞けばまんざらでもない。あごをつまんで撫でながらうなずく。

「全員って、同い年の子もいたのか。何人?」

「ふたり」

「それ全員って言うの」

「全校で三人」

「じゃ、あと一人は他の学年の」

「校長先生、兼、担任の先生、兼、PTA会長、兼、教育委員会」

「人材不足も極まってた」


 スピーカーはざらつく砂の波音を流し続ける。明日からの放送はたぶん懐かしの音楽番組に変わるだろう。誰もが隣町の罹災に慣れきって、今日もラジオの訃報を聞き流す。


「んでA組のな、もうひとりな、トガシくんいう子やけどな、陰キャの体力ゼロでぜんぜんやる気のうてスコップもよう持たんから代わりに全部ぜえんぶうちがやったったんや。やぁからはよおやつうううーー!」 


 アカリはわくわくと眼をかがやかせ、今日の出来事を面白おかしく話し続ける。どうやら初めての学校生活が最高に楽しくて仕方ないらしかった。


「今はおやつどころじゃないと思うが」

 珍しくユートから正論を述べた。アカリは、あ、と言いかけて眼をしばたたかせた。

「そやった。どなしよう? 避難シェルター入っとく?」

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