彷徨いの旅

青 劉一郎 (あい ころいちろう)

第1話

この年、十月十七日、夫婦そろって滋賀県の大津に行った。久し振りの旅だったが、司馬遼太郎氏の個性の道に刺激された旅だった。もちろん、司馬遼太郎など誰だか知らない妻にとっては温泉に浸るだけの喜びだったようだ。


 名古屋から新幹線で京都に着き、それから湖西線でおごと温泉に向かうのであるが、まず気になったのが、女性の肌の白さが気になって仕方がなかった。JRの湖西線のホームで列車を待っていると、さすが人が多い。スケベな子持ちではないけれど、彼女たちの肌は確かに白かったのである。私は三重県に住んでいるが、明らかに人種が違うっという気がした。

 三世紀ごろひょっとしてもっと前かも知れないのだが、朝鮮半島から安住の地を求めてやって来た集団の一部がこの地に住み着いたようだ。

 その彼らの子孫が今私の前を行き来していた。呆然と彼らの動きを見つめ、心地よい気持ちになっていた。


 ちなみに、今回は琵琶湖の湖面から平山系などを眺めてみたいという些細な願望があったのである。私には不整脈があり、肺は、慢性閉塞性肺疾患の気配があり、余り激しい動きが出来ないために一日の行動を控える必要があります。機会があれば・・・というより、今度は車で琵琶湖の周りを左回りに散策してみたいと思っています。


 ミシガンという観光船に乗りました。なめらかな湖面は眼に心地よく映り、ゆったりとした気分になっていました。左側には比良山系が続いていて、覆い被さってきそうな迫力で迫って来ていました。朝鮮半島からの集団も同じような感覚を抱いたと思われます。

 私と妻は一番上のデッキに座り、内心押し潰されそうな感覚になりながらも、緩やかな船に揺られています。そこにカメラを持った若い女性がやって来て、水平の帽子を渡され写真を撮らされました。久し振りの夫婦の写真だったのですが、後で見ると、よく撮れていて満足してしまい、千五百円で買わされました。というより、買いました。それほど何十年どうにかこうにか生きて来た夫婦の重みが映っていたので、身体中に感動のようなものが走ったのを覚えています。


 話があっちこっちと飛びますが、帰り際、湖西線の京都駅で降り、エレベーターに乗りました。歳を取ると階段を昇るにしろ降りるにしろ厄介なもので、エレベーターの方が楽なのです。

 そり女性は二人の女のお子さんを連れていました。一人は五歳くらい、もう一人はベビーカーに乗り、おごと温泉駅から乗られました。きれいな女性の方でこの人も肌の白い魅力的な方で、和服の似合う人のように見えました。実際はそうではなく朝鮮半島・・・その昔百済から新しい生活の場を求めてやって来た先祖を持つ子孫なのでしょう、私はそう感じ、心をワクワクさせ、時々眼を奪われていました。エレベーターの中でベビーカーを見ていると、偶然なのか見上げるその子を眼が合い、ふっと安堵しました。

 その子の眼は大きく見開き、黒い瞳が顔中を覆っているような感覚に見え、妙な喜びを感じ、感動しました。長い時間受け継がれて来た血筋がそこには存在していたのか・・・そうこうしている内にエレベーターは二階に着き、その親子は降りました。すると、

 「あんた、降りないの?」

 「一階に・・・」

 「一階に行って、何をするの、乗換は・・・ここ・・・」

 きつい言葉で怒られました。

 私の普通の知識では一階が乗換の所だとあって、てっきりそう思っていたのです。その女の方の言葉はきつかったのですが、優しいきつさがあり、奇妙な感動がありましたし、今も思い出す度、胸に詰まる者を感じています。

 私は別れ際、もう一度その女性の顔を見ました。韓国の映画に出て来るヒロインの女官さんを思い出しました。

 いい出会いだったと思っています。旅の出会いの良さは、この一瞬です。けっして不快な思い出ではなく、この先二度とない出会いです。些細な喜びなのですが、この瞬間がいいのです。もちろん、不快な出会いもあるでしょう。それはそれで、嘆くしかありません。それが、人が生きている証拠なのですから・・・嘆くべきではありません。


 そうこうする内に、自宅に帰って来ました。久し振りの旅だったのですが、いい旅でした。機会があれば、また湖西を訪れて、今度は車で琵琶湖の周りを一周して、彼らがどんな思いで朝鮮半島からやって来て、この地に住み着いたのか考えを巡らしたいと思っています。

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