Howling

「あたし、犬が好きなんだよね」

そう言った君も、君の顔も忘れない。


この期に及んで、まだ君が愛おしいなんて馬鹿げてる。

もう僕は必要のない、

ただの負け犬だっていうのに…





大学3年生の夏。

僕はあの人と出会った。

ひとつ上の先輩。

ステージでマイクに向かう姿が格好良くて、僕は日々あなたに惹かれていった。


彼女の名は、真城先輩。

軽音サークルでギターボーカルをしている。

僕とは同じパートでずっと憧れだった。


「…上手くなったね」

ライブ終わりに言ってくれた先輩の言葉。

それは僕を惚れさせるには十分すぎた。



「いいよ」

僕の告白に対する先輩の答えはそれだった。


「いいんですか!?」 

「うん。別に今、彼氏いないし」

「…よろしくおねがいします」

「よろしく」 

先輩は少し素っ気なかった。

でもそれでいいと思えていた。


そんなわけで、僕のあこがれの先輩は大切な人に変わっていった。




「後輩くんってさ、何であたしの事好きなの?」

真城先輩は不意にそう問いかけてきた。

「何で、って…そういえば、どうしてなんでしょうか」

「意味もなく付き合ってるってこと?」

「違います!けど…」

ただ憧れだった。どうしょうもなく好きだった。

それだけが答えのような気がしていた。


「きっかけは、憧れだったと思います」

「憧れ?」

「はい。でも、そんな真城先輩が誰かのものになるのがすごく嫌で…」

「ふーん」

「とにかく好きなんです」

「そう」

やはり先輩は素っ気ない。でも少しだけ口角が上がっていることに気づいた僕はそれだけで満足していまっていた。




サークルでの集まりでも、先輩の態度は今までと変わらない。と、思っていた。


「ねえ、後輩くん。このあと暇?」

僕は驚いた。

真城先輩は僕に耳打ちで囁いた。

「暇ですよ」

「そう。なら、少しだけ付き合って」

「…はい!」 

何度も出かけたことはあるが、サークルの集まりから抜け出そうと言われたのはこれが初めてだった。


タイミングを見てサークル室から抜け出した僕ら二人は、学校を出た。



「夕方はやっぱり少し寒いね」

「そうですね。先輩、大丈夫ですか?」

「ううん。大丈夫」 

夏も終わり、夕方は少し気温が下がるようになった。

にも関わらず先輩は寒そうな格好をしていた。

「かわいいですけど、無理しないでくださいね」

「いいの。かわいい格好していたいから」

「そうですか」

その理由について尋ねようとしてやめた。

僕のため、と思いたかった。 



駅の方まで歩いて、先輩はある店に入った。

「ここですか?」

「うん」

そこはペットショップ。このあたりではそれなりに大きいお店で、品揃えもよかった。 


少し足を踊らせているように見えた先輩は、子犬のいるケージの前で立ち止まった。

「かわいいですね」

「かわいいよね。犬」

「はい。とっても」

たしかに犬はかわいい。

僕にとってはそれよりも、犬を見つめる先輩の横顔がかわいくて仕方なかった。


「あたし、犬が好きなんだよね」

「そうなんですか?」

「うん。人懐っこいし、飼うなら犬かなぁ」 「…かわいいです」

「犬が?」

「先輩が」

柄にもなくそんなことを口走ってしまう。

 

「ほんと?」 

先輩はしゃがみながら僕を見上げた。

それがたまらなくかわいくて、嬉しかった。


犬が好きなことも、きれいな目をしていることも、横顔がかわいいことも。

僕はまだ先輩のことを知らない。 

もっと知りたい。

そして僕はもっと先輩が好きになるだろう。

たとえ犬だとしても、先輩に愛されたい。




「ねえ、後輩くん。あたしのこと好き?」

「好きですって」

少し遡ること一時間前。

ペットショップをあとにした僕らは、少しだけ飲むことにした。

先輩がよく行く居酒屋があるらしく、そこに向かった。


そこで軽く飲み始めたはいいものの、先輩は一杯目から顔が赤くなり始めた。

真城先輩がこんなにお酒に弱いなんて知らなかった。


「どういうところが?」 

「…さっきとか、好きなものを見てる顔がすごく素敵でした」

「他には?」

いつになく先輩がしつこい。

でも前よりは先輩のことを知った僕には、

先輩が好きな理由もわかってきた。

「あとは、優しいところです」

「優しいかな、あたし」

「優しいですよ。僕がボーカルで悩んでるときとか、よく褒めてくれるし」

僕はそう言う。

そういうところに惹かれていったのだから。


「ほんと?」

先輩は褒められて少し恥ずかしそうに笑う。

それが嬉しかった。


「逆に先輩はどうして僕と付き合ってくれたんですか?」

「…かっこいいから」

「はい?」

「ライブとか、かっこよかったから」

「…そうですか」   

「あとは、あたしに褒められて嬉しそうにしてくれるところ」

初耳だった。そう思われていたなんて… 


「顔赤いよ?」 

僕の頬を指で軽く小突いて先輩は言う。

「先輩にだけは言われたくないです」

「えー、ひどい」 

お酒に酔って真っ赤の先輩は、

少し拗ねたように僕を見た。   







気づけばそんな先輩との関係は、半年が経っていた。

三月。そろそろ先輩の卒業が近づく。



サークルの追いコンが終わり、打ち上げのあと僕らは先輩の家に着いた。

「ねえ、先輩。卒業しても会いに行っていいですか?」

「逆に来てくれないの?」

少し角が取れて丸くなった態度で先輩は言う。

「環境も変わるし、迷惑かけるかなと思って」

「気にしないで。会いに来てくれるだけで嬉しいから」

「じゃあ、いつでも会いに行きます」 

先輩は、春から就職することになっている。

それでも彼女でいてくれると言ってくれた。

それがとても嬉しかった。


「でも、やっぱり寂しいね」

「僕もです」

「だから、会いに来てよ」 

「はい」

「あたしのこと好きでしょ?」

不敵そうに先輩は笑う。

それが少し悔しくて… 


「先輩もでしょ?」

そう言ってみた。

「うん。君が好き」 

比喩なんて含まない。

直接的な表現が僕の胸に刺さる。 

「嬉しいです」

「だよね」

打ち上げの酔いが少し残っている。

先輩の潤んだ目が僕を見つめる。


「…少し疲れましたね」

耐えられなくなった僕はそう言う。 

「そうだね」 

ワンルームで椅子代わりにしていたベッド。

その上で僕らは顔を見合わせていた。


かわいいなぁ。

僕の日常はもう先輩なしでは成立しなかった。


目の前が歪んで見えるのは、

お酒のせいなのか…君のせいなのか…







卒業式も終わり、季節は5月。

僕らは相変わらず続いている。

仕事で疲れた君を励ます。

そんな日々が続いていた。


ずっと続くと思っていた。




『ねえ、明日会えない?』

電話越しに君が言う。


「いいですよ」

『じゃあ、駅の広場集合でいい?』

「はい、先輩」 

『だから、もう先輩はやめて』

「はい、真城さん」

『じゃあ、明日ね』 

「仕事お疲れさまです。また明日」

さっき仕事が終わった。

そんな時間だった。


真城さんは仕事が忙しいみたいで最近は会う頻度が減った。

約二週間ぶりのデートに

僕は心を踊らせていた。




集合場所に少し早くついた僕は、イヤホンで音楽を聞いていた。

あと、十数分で君と会える。

そう思っていた。


集合時間は13:00。

でも、目の前の時計は13:30を指していた。


僕は心配になって電話を掛ける。

でも繋がらない。

事故にでもあっていたらどうしよう…



集合時間は13:00。

日は少し傾いて

気づけば2時間が経っていた。

一向に電話は繋がらない。

本当に何かあったのではないか…


僕は心配になって、真城さんの家方面の電車に乗った。



着くまでの20分は、今までで一番長く感じた。

イヤホンからは、前に真城さんが歌っていた曲が流れる。


『もう少し早く気づけたら』


そんな歌詞を否定したかった。

そんなわけがないと思っていた。



家に着くと、やはり君はいなかった。

鍵がかかっていたから…

いないと信じたかった。


部屋の電気も消し忘れだと信じたかった。



まだ君を信じたい。

そんな思いで僕はあの場所に戻る。

日が沈み始めるにつれて

君との思い出が嫌なほど蘇った。


あの日、僕の想いを受け止めてくれたこと。


あの日、僕が好きだと言ってくれたこと。


あの日、僕を抱きしめてくれたこと。

 


日が落ちる頃には、忘れていたことまで鮮明になっていった。  




「ハウリングってどうしてなるかわかる?」


「スピーカーから出た音がマイクに入って、繰り返し増幅されるから」 


「音のキャパを超えることで、ハウリングになるんだよ」  


そんなことを言っていたことを思い出した。


あの日優しく僕に教えてくれたこと。

絶対忘れられない。


 


君を忘れたくない。

そんな僕の思いとは裏腹に

一通のメッセージが届く。


僕は連絡が来て少しだけ嬉しくなった。

でも、すぐ後悔することになる。


『別れよう』


君が好きだったことも、その4文字も、

僕はただ便利で尻尾を振る犬だったことも。


僕は忘れられない。


 

僕の中に溢れかえった思いも後悔も、

限界を超えて反響する。

何が行けなかったのか、

どうしていればよかったのか、

そんな思いを反芻する。



気づかないうちにキャパシティを超えていた感情は止められない慟哭となって僕から溢れた。  



僕は一生分の涙を流したとさえ思えた。

真っ白になった目の前とは裏腹に、思い出と君の顔だけが鮮やかに染まっていった。



負け犬の遠吠えに似た僕の泣き声が、 

帰宅する人で溢れかえる駅の広場に響いた。


いっそ、君にも届けばいいのに…







その後、僕はいろんなことを知った。

最後に知った君のことは、

僕を有りえないほど押しつぶした。


結局、何が良くなかったのかは分からない。

でも、僕は所詮君の犬に過ぎなかった。


新しい犬を飼い始めた君は幸せそうだった。



忘れてやろうと思っても忘れられない。

もう僕の歌い方には君が住んでいた。


それがたまらなく嫌だったが、

どうすることもできない。




しばらくが経ったころ。

サークルでライブがあった。


「先輩の歌ってめっちゃいいですよね」

ある後輩がそう声をかけてきた。


「ほんと?ありがとう」

「はい!なんか感情が乗ってて素敵です!」

「ありがとう」

もう嫌になるほど君色に染まった僕の歌は、人に褒められた。

なんだかとっても複雑な気分になる。


「私も、先輩みたいに歌上手くなりたいです!」

「ほんと?僕にできることがあれば何でも教えるよ」

「ほんとですか!?」

嬉しそうに笑う後輩は、なんだかとっても…




「後輩ちゃんも頑張って」

頭を撫でると、恥ずかしそうに笑う君は、



犬みたいで、とてもかわいかった。


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音楽と悲恋 牧木 @maki_maki1027

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