第4話 竜珠
「そのうち……ね」
カルーサは、小さなため息をついた。目の前にいるのは、息子のリスタルド。
「リスタルド。あなた、もうそろそろまともに飛べるようになってもいいんじゃない?」
「うん、そのうち飛べるようになるよ」
母の言葉に、息子はあっさりとそう返した。
で、先程のため息が出るのである。
リスタルドは生まれた時、身体が普通の竜よりもひどく弱かった。
本当にまれなことだが、彼のように非常に生命力の弱い竜が生まれることがある。
そういう個体がちゃんと成長するかは、その環境などによってまちまちだが、リスタルドの場合は五年以上目が離せない状態だった。
身体が弱いと、やはり魔力も弱くなってしまう。竜という存在自体が魔力そのものみたいなものなので人間よりは強いのだが、同じ竜族の中ではどうしても全てにおいて「弱い竜」になる。
リスタルドはそのことに大きなコンプレックスを抱いている様子はなく、カルーサも無理に鍛えようとはしなかったのだが……。
年月を重ねるにつれ、リスタルドも普通の竜並に体力がついてきた。それに比例して魔力も上がってくるのでは、とカルーサは期待したのだが、そちらの方は思うようにならない。
リスタルドはその点について特に何かを感じている様子はなく、カルーサから見れば息子はのんきすぎる。
そう、やっぱりこの子はのんきすぎるわっ。同じ年頃の竜よりスタートが遅れたのは仕方がないとして、今はもうほぼ問題はなくなったのに。自分の力を伸ばそうとはしているけれど、どこかのほほんとして。あきらめている様子がないのはまだ救われるけれど……伸ばそうとしてるのに伸びないってことに、一切の焦りを覚えないってところに問題があるのよ。
スパルタ教育をするつもりはなくても、やはり「それなりの力」を身に付けて欲しい、と思うのは親として当然のこと。
子どもには子どものペースというものがある、とわかってはいるが、もう少しそのペースを上げてもらいたい。これではいつまで経っても、巣立ちの日が来ないではないか。
「リスタルド、こちらへ来なさい」
ある日の春の朝。
カルーサに呼ばれ、リスタルドは母の前へ来た。
「これから、ニキスの山へ向かいなさい」
「……どうして?」
母の言葉に、リスタルドは聞き返した。いきなりそう言われれば、当然浮かぶ疑問である。
「ニキスの山には私の父、つまりあなたの祖父のロークォーがいるわ。それはあなたも知っているわね。あの山で、ロークォーから
理由を答えてもらったものの、リスタルドはまだ不思議そうな顔をしている。
「竜珠って?」
「竜の魔力の源となるものよ。本来なら、生まれて十年以内に祖父母や一族の
ここ一、二年で背だけはひょろひょろと伸びたが、他の部分には成長があまり見られないのが現状。
親の欲目で「いや、そんなことは……」と言いたいところだが、それを言えないのがつらい。
「竜珠……そんなのがあるんだ。それじゃ、母さんも持ってるの?」
「もちろん」
カルーサは大きくうなずいた。
「ぼく、今まで見たことないよ?」
だいたい、竜珠と言われて「?」な顔をするくらいである。見ていれば、もう少し違う反応になりそうなものだ。
「見せていないもの」
「どうして見せてくれないの?」
「竜珠は、竜にとって命と同じ。たとえ親子であっても、自分の竜珠は他者に見せるものではないわ」
「ふぅん、そうなんだ……」
カルーサの説明に、リスタルドもそういうものかと一応納得した。
自分が竜であることはもちろん自覚しているが、竜の全てを知る程にはまだ経験がない、ということもわかっている。年若い竜がまだ知らない竜の慣習やしきたりなど、色々あるのだろう。
「ニキスの山は、わかるわね。あなたが小さい頃、パストーンが背中に乗せて連れて行ってくれたでしょ」
パストーンはリスタルドの父であり、カルーサの夫だ。
今は旅に出ていて不在だが、リスタルドが飛べないので幼い息子を背に乗せて近くを何度か飛んでくれた。それがニキスの山だ。
その時、あの山にお前のおじいさんがいるんだよ、と教えられたのをリスタルドも覚えている。もう少し丈夫になったら、会いに行こうね、と言われた。
「あの山もかなり高いよね……」
よく晴れた日には、ここルマリの山からニキスの山が見える。リスタルド達は頂上付近にいるが、そこから眺めるとニキスの頂上がほぼ同じ位置に見えるのだ。つまり、標高がほぼ一緒。
「本当なら飛んで行きなさい、と言いたいけれど、今のあなたじゃ無理だものね。だから、しっかり歩いて向かうしかないわ。ああ、それと……ロークォーは竜の結界の中にいるから。ニキスの山に着いたら、まずはその結界に入るのよ」
「ぼくでも入れるの?」
「あのねぇ、竜の結界に竜が入れなくてどうするのっ」
言ってから、カルーサは頭を抱える。
リスタルドに不安そうな様子はなく、今の質問も完全に素だ。それを見ていると、こちらの方が不安になる。
「だけど、今までそんなのに入ったことがないし」
自分達がいる周辺に、結界はない。だから、リスタルドは結界内に出入りしたことがないのだ。
カルーサはあきれているが、リスタルドにとっては経験したことがないのだから、どうなんだろう、と思っても仕方のないことではある。
「あなたも竜なんだから、本能で魔法を使って入れるわ」
ニキスは普通の山なのだが、少し登った所に竜の結界がある。そこを抜ければニキスの山でありながら、異世界とも言える別の場所。魔力のある竜でなければ先へは進めず、祖父のロークォーはその奥にいる。
単に歩いて行けばたどり着く、という場所ではない……というのが、カルーサの説明である。
「たまに何をきっかけにしてか、人間が紛れ込んだりすることもあるみたいね。だけど、竜が一緒でなければその先へは進めないわ。そのうち自力で外へ出られるはずだけれど、そうすぐには出られないことの方が多いから、神隠しの山、なんて言われたりもしているようね」
「危なそうな所だね」
「……竜にとってはそうでもないわよ」
返す言葉がことごとくのんきだ。
「とにかく。あなたはニキスの山へ行って、ロークォーに会って来なさい。どれだけ時間がかかってもいいから」
「もし会えなかったら?」
「会えるまで捜しなさい。……ああ、もうっ。とにかく、会えるまでここへ帰って来ては駄目! わかったわね」
「わかったけど……おじいさん、生きてるよね? そうじゃなかったらぼく、一生帰って来られない」
「生きてますっ!」
そんなに長い会話をした覚えはないが、カルーサは何だかどっと疲れた。
「わかった。じゃ、おじいさんに竜珠をもらえばいいんだね」
「そのことについては、ロークォーがちゃんと説明してくれるから」
「うん。じゃ、行って来ます。……あれ、プレナは?」
プレナは小竜と呼ばれる文字通り小型の竜で、カルーサやリスタルドの身の回りの用事をしてくれる。いわば、世話係のようなもの。リスタルドにとって、年上の彼女は姉のような存在でもある。
いつ戻れるかわからないなら、挨拶くらいはしておきたいと思ったのだが、近くに彼女の姿はない。
「プレナは私が用を頼んでいるから、今はいないわ。戻って来たら、あなたのことはちゃんと話しておくから」
「そう。いないんじゃ、仕方ないね。行って来ます」
これから向かえ、と言われたので、話が終わるとリスタルドはすぐに出発した。
竜に旅支度など必要ないので、身軽なものだ。一見しただけなら、散歩に出掛けるのと変わらない。
「しっかりね」
カルーサは気楽そうな様子で歩いて行く息子を、不安そうな表情で見送った。
「何日かかるかしらねぇ。道連れがいれば、やる気を出してくれるでしょうけれど」
こうして送り出した以上、カルーサにできるのはリスタルドがうまくやってくれることを祈るだけだ。
「それにしてもあの子、誰に似たのかしら。パストーンはもっと頼りがいがあるのに」
☆☆☆
リスタルドが「行け」と言われたニキスの山は、彼らが棲むルマリの山から見て南西方向にある。
ルマリの南側にラカの街があり、街の西側にニキスの山があるのだ。
街の中を通る必要はないので、地図でざっくり見れば街の北西側に沿ってニキスの北東辺りから入る、という形になるだろう。
リーベルと会って以来、リスタルドは時々ラカの街へ遊びに行っている。その時はもちろん、人間の姿だ。
隠しているつもりはないが、大っぴらには自分が竜であることを知らせてはいない。リーベルに会うまではルマリの山しか知らなかったので、新しい世界を見ることが楽しくて仕方なかった。
この前ラカに行ったの、いつだったかなぁ。人間の住む所って面白くてもっと行きたかったんだけど、遊んでばっかりいるんじゃないって叱られたからしばらく控えてたし。ちゃんと普通の竜らしく力を使いこなせるようになったら、もっと街へ行っても叱られなくなるんだろうけれど……先は長いなぁ。
ここでカルーサやプレナとしては、いい意味で焦りが出ればもっと魔力が向上するのに、というところなのだが……よくも悪くも、リスタルドはやはりのんびり屋さんなのである。
のんびり屋さんと言っても、普段から山を歩き回っているので足腰は強くなった。山を下りる……と言うより、相変わらず落ちるような形で飛び、まずはふもとへ向かう。
不時着したのでそこからは人間に姿を変えて歩き、ニキスの山までの道のりは平坦なので、かなりのスピードで進んで行く。
人間なら一日、どんなに早くても半日以上はかかるところを半日足らずで着き、ニキスの山へ入ったのは夕暮れまで十分に余裕がある、という時間帯だった。
「竜の結界……どこなんだろう。母さんは入れるって言ったけれど、それ以前にその場所がわかるのかなぁ」
カルーサが聞いたら「わからないでどうするのっ」とか何とか言っていそうだ。
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