第3話 竜の親子

 リーベルは竜ではないから、そんなことを聞かれても答えられない。

「竜はお伽話の中の生き物って思われてるのよ。これまでずっと、竜が人間の前に姿を現わさなかったから……じゃないのかしら。ねぇ、竜は人間がきらいなの?」

「人間がきらいだって言う竜には、会ったことないけれど」

 少なくとも、こうして会話をしているリスタルドは人間嫌いではなさそうだ。

 好きかどうかまではわからないが、少なくとも毛嫌いしているとか、憎んでいるといった負の感情は持っていない雰囲気である。

 人間と関わったことがないと話していたし、人間のことを知る誰かから、人間はよくない生き物だ……などと吹き込まれたりはしていないのだろう。

「それじゃ、どうして今の時代に竜を見た人間がいないの? 昔は竜を見た人間もいたってことになってるけど」

「たぶん、ぼく達が棲んでるのが山の上だからとか、人間があまり来ないような場所だからじゃない? 竜が人間から逃げたり隠れたりしてるとは思わないから」

「そうよねー。子どものリスタルドだって、あんなに大きいんだもん。竜がその気になれば、人間なんていくらでもぶっ飛ばせちゃうわよね」

 軽く振った尾に当たるだけでも、人間はあっさり飛ばされてしまうだろう。

「そんなこと、ぼくしないよ」

「だから、その気になれば、の話よ」

「その気になんて、ならないと思うけれど」

 たとえ話であっても、想像できないらしい。リスタルドは根っから真面目で、優しい性格なのだろう。

 とにかく、リーベルが父親達と合流できるようにしよう、と話がまとまった時。

 彼らの周囲がふと暗くなった。しかし、すぐ元の明るさに戻る。

「何……今の?」

「あ、母さんだ」

 リスタルドが上を見てそう言った。

「母さんって……」

 リスタルドの母だから、当然竜。暗くなったのは、その竜が彼らの上空を横切ったためにできた影だったのだ。

「まさか、落ちて来ないわよねっ」

「落ちる竜なんて、ぼくくらいだよ」

「そ、そう……」

 それを聞いてほっとしたものの、笑いながら言うのもどうかと思うリーベルだった。

☆☆☆

「リスタルド!」

 てっきり最初のリスタルドのように竜が現れるかと思ったが、リーベルの目に映ったのは人間の女性だった。

 竜の子の名を呼びながら現れたことを思えば、正確には「人間の姿をした竜」と言うべきか。

 わ……すっごい美人。世の中にこんなきれいな人がいるんだぁ。あ、リスタルドのお母さんなんだから、人じゃないけど。

 リスタルドもきれいな顔立ちをしているが、その女性の美しさは女の子のリーベルでも息を飲む程だった。

 腰まである真っ直ぐな黒髪と、宝石のような緑の瞳。リスタルドと同じ色だから、彼女が竜の姿になればさっきのリスタルドと同じような姿になるのだろう。

 もっとも、どれほどの大きさになるかは、リーベルには想像できない。姿を見損ねたが、さっき周囲が暗くなったことを思えば、相当な大きさだろう。

 薄い緑の、シンプルな長袖のドレスを着ている。人間なら、三十代半ばといったところだろうか。

 彼女はリスタルドの母でカルーサ……とリーベルが知るのは、もう少し後のこと。

「あなた、こんな所まで落ちていたのね。プレナが捜していたわ。もう少し支障のない場所を選べないのっ?」

「一瞬だけ風に乗ったけど、思ってた方向からずれて……」

「周りに迷惑がかからないようにって、いつも言っているでしょ」

 そう言うと、カルーサはリスタルドの両頬を長くきれいな指でつまみ、横に広げる。

 見ようによってはじゃれているようにも思えるが、彼女の言葉と合わせて考えると、これはおしおきのようだ。

 強引な変顔状態にされ、せっかくの美形も台無しである。

 同時に、竜もこういうしつけをするのか、と不思議な気がした。妙に人間ぽい。

「いたた……ごめんなさい、母さん」

 さっき空から落ちた時よりも、痛そうに見える。人間の姿だから、かも知れないが。

「あの……リスタルドも一生懸命みたいだし、あまり叱らないであげて」

 リーベルが彼をかばう義理はない。そもそもリスタルドとは初対面だ。

 それでも、ただ黙って見ているのは気が引けた。

 種族は違っても、話をしているうちに「子ども」という共通点で、仲間意識みたいなものが生まれたのかも知れない。

「私も叱りたくはないわ。でもね、誰かを下敷きにしたら大変でしょ」

 言われてみれば、リーベルも下敷きにされかけた。

 逃げ切れたからよかったものの、あとわずかでも逃げ遅れていれば、ここに立っていない。きっと、原形をとどめていないだろう。父がこの場に来ても、気付いてもらえるかどうか。

 ということは……もしかすると今の場合、誰かとはリーベルを指していたのだろうか。

 それなら、リーベルのために叱っている、ととれなくもない。

「木や草なら何とかできるけれど、動物だとそうはいかないわ。一生懸命だったからごめんなさい、では済まないでしょう?」

 確かに、そんな言葉でリーベルの人生を終わらされては困る。

 今更ながら、逃げられてよかった……と、しみじみ思うリーベル。

「でも……ありがとう、リスタルドをかばってくれて」

 そう言ってリーベルに向けられた笑顔は、美しいと言うよりはかわいい。笑うと何だか一気に幼くなったように見えた。

「あなたは人間ね。リスタルドや私が何か、わかっているのでしょう?」

「えっと……竜」

 全部見透かされているようなので、リーベルも正直に言った。

「ええ、そうよ。竜に対してものおじしないなんて、強い子ね」

 リーベルにすればほんのちょっと意見を言っただけなのだが、カルーサはそこが気に入ったらしい。

「人間に会うのは、何年ぶりかしら。ここにいるってことは、あなたはラカの街の子なの?」

「そうです」

「リーベルって言うんだよ」

 リスタルドが紹介する。ついでにリーベルが父とはぐれたことも。

 そこまで知らせてくれなくてもよかったのだが、そのおかげで意外なことがカルーサの口からわかった。

「ああ、それならすぐそこまで来ているみたいよ」

「来てるって、父さんがっ? えー、どうしてそんなのがわかるの」

「気配がするもの」

 リスタルドもさっき気配がどうのと言っていた。驚いて目を見開くリーベルの耳にも、かすかに人の声が聞こえる。

「あの声でしょ、あなたのお父さんって」

 そのうち人間のリーベルにも、それが誰の声なのかはっきりわかるようになってきた。

「ほんとだ。あたしの父さんだわ」

「あら、魔法使いなのね」

「そんなことまでわかるのっ? 目の前にいないのに」

 近くに来た、というくらいなら、さっき空を飛んでいた時に歩いているところが見えたのでは……などと思えるが、空から見るだけで魔法使いかどうかを知るなんて無理だ。

「これくらい、普通よ」

 にっこり笑いながら、さらっと言われてしまった。

 リーベルには何だか理解しきれないが、とにかく、竜という生き物は本当にすごいんだな、ということだけはわかる。

 物語の竜は都合良く脚色されているのだ、と思っていたが、現実の竜も十分にすごいのだ。

「あの……父さんが今からここへ来ちゃってもいいの?」

 リーベルの問いに、カルーサは不思議そうな顔をする。

「どうして? この場所は誰のものでもないわ。だったら、人間が来ても竜がいてもいいじゃない」

「さっきリスタルドにも聞いてたんだけど、竜は人間をきらって姿を現わさないとかじゃないの? 物語とかだと、戦争をした人間をきらって姿を消した、みたいなことがよく書かれてるけど」

「嫌って? そんなこと、思っていないわよ。でも……ああ、そうねぇ。人間と会わなくなってから、どれくらい経つのかしら。大きな火を見なくなってからもしばらく降りてなかったから、そんなふうに思われるようになったのかしらね」

 それはつまり、少しばかり家から出なかったら周りに「引きこもり」と思われた、みたいなもの?

 スケールが違いすぎるが、リーベルはそう理解した。理解したが……何なのだろう、この神秘性のなさ。

 リーベルは竜をお伽話の生き物程度にしか思っていなかったが、それでもそれなりに特殊な存在だと感じていたのに。

 ところがどっこい、現実では。

 子どもは飛びそこねて空から落ちて来るし、母親は過ぎる年月を気にしなさすぎて人間に誤解されている。

 誰よ、竜が人間ぎらいとか何とか言ったの。現実は思いっ切り気さくじゃない。

 どうやら、戦争のせいで竜との交流がなくなったのは事実らしい。

 だが、カルーサに限らず、戦争が終わってから互いが再び交流を持とうとしなかった。そのために、そういう誤解が生まれたようだ。

 自分のことはともかく、他の人間にも見付かっていいのか、なんて少しでも気を遣った自分が、気の回しすぎで間抜けな気がしてくる。

 それでも「きらわれてないのなら、いっか」とあっさり思えてしまうのも、リーベルの長所……と言っていいのかどうか。

 そうこうするうち、リーベルの名前を叫ぶ声はどんどん近くなる。やがて、リーベルの父ジェダが姿を現した。

「父さん」

「リーベル! 捜したぞ。無事か。何もなかったかっ」

 娘の姿を見た父が、我が子に駆け寄る。

 注意はしていたつもりだったが、そのうち周囲を探索するのに気を取られ、ふと見回せば娘の姿がなくなっていた。

 しかも、それと同時に、よりによって話に聞いていた大きな音がかなり近くで聞こえ、ジェダとしては気が気でなかった。

 獣に追い掛けられてはぐれたのでは、さっきの音をたてた主に襲われたりしてないか……などなど。

 あれこれ悪い想像ばかりしていたので、そう尋ねたのだが。

「ものすごくあったわよ」

 娘にそう言われ、心配して捜し回っていた父は、一体何があったのか、と血の気が引いた。

 しかし、娘の顔に「怖かった」という感情のかけらなど、微塵もない。

 それから、ようやく近くに立つ親子連れに意識が向けられた。

 娘を捜すのに必死で、その娘がようやく見付かったという安堵感で、今までリーベルしか見ていなかったのだ。

「あなた方は……まさか……」

 そこは、普通の人間とは違う魔法使い。彼らの持つ気配から、目の前にいるのが人間ではない、と悟ったらしい。

「別に隠れていたつもりはないのよ」

 そう言いながら笑うカルーサの顔が、リーベルにはいたずらっ子のように見えた。

「ルマリの山の音事件」があっさり解決し、ラカの街の魔法使い達が再び竜と交流を持つようになった日のことである。

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