第6話 家に帰ったら見知らぬ美女がやってきた。

僕が生まれるずっと前に起きた戦争によって、この世界から国家が消えた。


今は国家に代わり、統一連合という大きな組織がこの世界を管理している。しかし人間サイズで見たら手が届かない大きさの地球を扱うのだから、その管理は杜撰になりかねない。ロストシティを見ているとそういう感想を抱かずにはいれない。


前方を見ると高層ビルが乱立し、そこから灯る光が織りなす夜景は絶景だ。その傍ら、道端にはホームレスが薄い毛布を身に包ませ、寒さを凌いでいる。同じ街の住人でもここまでの矛盾が生じる。それがこのクソったれな街の風物詩でもあった。もちろん僕は道端の人達と同じく底辺側だ。


着ていたコートのボタンを襟まで止め、冷たい夜風を耐える。


家までは徒歩で二時間かかる。いつもなら電車を使って通勤しているが、今日会社をクビになったのだから支出はなるべく減らしたい。僕は節約のために二時間歩くことにした。


やっとの思いで家に着いた。家といっても一軒家ではなくボロボロの集合住宅だ。築何十年にもなるがまともな修繕など一度もされていないから隙間風は吹くし、隣の部屋の音も聞こえる。いつかもっといいところに、と相談してからもう三年くらい経つかもしれない。結局引越し資金を捻出できず、このボロアパートに住み続けている。


僕は玄関の錠を開けて、中に入る。


「ただいま」


すると部屋の奥から細い声で、


「おかえり」


と返事が返ってくる。


二部屋の内の一室に、十歳くらいの少女がいた。妹のエリーだ。エリーは料理が置かれたテーブルの前に正座で座っていた。


「帰りが遅い時は、夕飯先に食べててって言っただろう」


クローゼットにコートを仕舞いながらエリーに言う。


「そんなこと言っても、私は頑張って働いているお兄ちゃんを無視して一人でご飯を食べるほど、冷酷じゃありません」


電車賃を渋って歩いて帰ったのは失敗だったかもしれない。夕飯は一人で食べるようにと言ったが、エリーの性格的にそれを守るようなことはしないのは明白だった。彼女は優し過ぎる。


それに、僕はエリーの「頑張って働いている」という言葉にドキッとしてしまった。会社をクビになったことをエリーに話したら、彼女は自分も働くと言い始めるだろう。それだけはダメだ。今はタイミングではないと思い、このことは伏せといた。


レンジで温め直した料理を卓に置き、手を合わせる。


『いただきます』


今晩の献立はハンバーグだった。合成肉の味はオリジナルと比べると格段に落ちるが、今や普通の食材はそれだけで値段が何十倍にも跳ね上がるから、気軽に手が出せる代物じゃない。


だから僕達は仕方なく、素人には製造方法がよく分からない合成肉を食すしかない。


だが料理の腕の立つエリーが作ったハンバーグはまずいどころかむしろ美味しかった。大人になり、台所に立つ姿が似合う立派なお嫁さんになる姿が脳裏にチリつき、兄として感慨深い気持ちになる。


若干涙目になっている僕を訝しんだエリーが半眼になる。


「どうしたの?」


「いや、なんでもない」


夕ご飯を食べ終えたら、シャワー室で水を浴びる。給湯器はとっくの昔に壊れているからお湯は出ない。直すお金もないからそのままだ。


体を洗い終えたら次は寝る準備だ。テーブルを片付け、布団を二枚敷き、そこに体を横にして毛布を被せる。


「お兄ちゃん、おやすみなさい」


「ああ、おやすみ」


エリーはすぐに寝息を立てた。本当はすごく眠かったはずなのに、僕のために起きてくれていたのだ。


僕はすやすやと眠っているエリーの頭をそっと撫でる。こうして目を閉じていれば、普通の少女と何一つ変わらない。そうだ、エリーはただの普通の少女なのだ。なぜ彼女だけ悲惨な運命を辿らなければならない。そう思わずにはいられなかった。


エリーは大病を患っている。それは先の大戦の時に使用された核という昔のエネルギーの影響だと医者は言っていた。


人体に有害なそれが体の中に入り、様々な合併症を引き起こしたのだ。


エリーは右目が見えていない。視力が無くなり、白目の部分が爬虫類のような黄色に変わっている。彼女を蝕む病気がそうさせているらしい。エリーの体は少しずつ、普通とは違う異形へと変わっていく。


エリーの病気はもうどうにもならない大病ってわけではない。エリーのような患者は結構いるみたいで、治療法も確立している。ならすぐ治せばいいじゃないかって話だが、問題はその治療費だ。


とてもじゃないが一般的な家庭が払えるような金額じゃない。大富豪でもない限り払うのは不可能な金額だ。僕はお金のやりくりをし、少しずつ貯金しているが、貯まったお金はそれこそ雀の涙ほどだ。エリーを治す治療費には遠く及ばない。


そして今日、僕達家族の唯一の収入源が絶たれた。治療費はおろか、明日の生活さえも危ぶまれる事態になった。


またも涙が溢れそうになる。ここまで物事が上手くいかないのは、きっと神様に嫌われているからだろうな。


自分の不甲斐なさをいもしない神様にぶつけないと、とてもじゃないがやるせない。


布団の中で泣いていたらエリーを起こしてしまうと思い、布団から出る。その時、玄関から人の気配がした。他の階の住人かと一瞬思ったが、それは違う。その人物は明らかに自分に注意を向けている。


肌でそれを感じ取った僕は掛けておいたホルスターから護身用の拳銃を抜き、玄関へ歩を進める。玄関に近づき、錆び付いた鉄製の扉をゆっくりと開ける。ギギギという鈍い音が聞こえるが、エリーは目を覚ましていないようだ。


ここまで来たら間違いなく分かる。僕に注意を向けている、いや殺気を向けている相手は間違いなく扉越しにいる。向こうは僕達に危害を加えるつもりだ。


僕は拳銃をいつでも撃てるように構え、そして一気に飛び出し、相手に銃口を向ける。


相手は何も獲物を持っていなかった。ただ普通に壁に背を預けて立っていただけだ。拳銃を構えてビクビクしていた僕が馬鹿みたいだ。


だが警戒は怠らない。


「誰だ、あんたは?」


「物騒ね。私はただ、あなたとお話をしたかっただけ」


銃を突きつけられても、彼女は一切物怖じしなかった。彼女もそれなりに場数を踏んでいるということか。


女は綺麗な声をしていた。夜風に吹かれ、滑らかに舞う金髪に、青い瞳、左右均等に整った顔立ち。彼女はすごく、綺麗で魅力的な人だった。

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ザ・グレイトフル・ライフ〜緩やかに死に続ける世界、僕は守るべき者を見つけたので世界と戦うことを決意します〜 春出唯舞 @kdym0707gits

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