俺たちの別れを見送った文化祭が――

ナナシリア

俺は文化祭が嫌いだ

 俺は文化祭が嫌いだ。


 高校三年生、文化祭。世間ではとても華々しい行事として見られるし、実際俺のクラスメイト達は、まだ一カ月以上あるのに準備に力を入れている。


 しかし、俺はあまり乗り気になれなかった。


「あれ、気分悪いの?」


 そんな俺を不審に思って体調不良かと思ったのだろう、普段仲良くしている友達が心配の言葉をかけてくれた。


「いや、俺文化祭が苦手なんだよね。トラウマっていうか」

「なんだよ陰キャみたいだな」


 別に誰とも仲良くできなかったから文化祭が苦手というわけではない。


 俺のトラウマとなった文化祭の時も、決して一人で回ったりしていたわけではなかった。


「なんでトラウマなん? お前って、スマホ持ってない人嫌いとか言ってるし思考歪んでるよな」


 友達に訊かれて俺は、文化祭を嫌いになったあの日のことを思い出した。




「今年の――中学最後の文化祭が終わったらさ、別れよ」


 予想外の言葉に、俺は驚いた。


「え、なんで」


 とっさのことで、俺はただ尋ねることしかできなかった。


「君のことが嫌いになったから」


 シンプルな理由だったが、同時に離別にはそれで十分だと思える理由だった。


 なぜ嫌われたのか、俺が何かしたか、改善できることならなんでもする。


 続けるべき言葉はいくらでもあったが、そのどれも俺の口を動かすのに十分ではなかった。


「文化祭までは、待ってる」


 待ってるという言葉が何を意味するのか、俺には理解できなかった。


 単純に別れるのを待ってくれるのだとばかり思っていた。




 中学三年、中学校最後の文化祭当日がやってきた。


 あまりにも不安で心配で怖くて、全く眠れなかった。


 でも俺と彼女の最後の一日、楽しもうと思う気持ちもあるし、その反対に彼女が俺を嫌っているならどうしようもないという気持ちもある。


「次は二年の方見に行こ!」


 俺の予想と裏腹に、彼女は楽しそうに文化祭を回っていた。


 昨日のことは、まるで存在しなかったようで、もしくは別人格だったのかもしれない。


「ああ、そうだな。三年はもう見終わったし」

「二年生の階だったらお化け屋敷あるって!」


 階段を下ると二年生の階で、最も手前にある二年一組の率いるお化け屋敷が異様な雰囲気を醸し出していた。


 この様子だと、中身の完成度にも強い期待をかけられそうだ。


「入ろ!」

「お化け屋敷、苦手じゃなかったっけ?」


 口では言いつつも、彼女にいいところを見せたかったという気持ちもあり、おとなしくお化け屋敷に入る。


 中は暗く、隣にいる彼女の顔すら見えないほどだった。


 暗さと、作りこまれたセットの故か、秋の寒さを際立たせ、普通ではありえないほどの寒気を感じる。


「暗い……想像の百倍怖いよお」

「じゃあなんで入ったんだ」


 俺が隣の彼女の顔をちらりと見て、そののちに視線を正面へと戻すと、そこにはやつれて青白い顔をした、死に装束の女性が――


「「!?」」


 俺と彼女は驚きと恐怖から立ち竦んだ。


「怖いよ……」


 彼女はとても心細い声をして呟いた。


「本当になんで入ったんだ」

「君と別れること、すごく怖い」

「え、俺のことが嫌いになったんじゃ」


 嫌いだけど怖いとはこれ如何に。


 別れたいことは別れたいが、別れたら別れたで何か不都合があるのかもしれない。


「嫌いじゃ、ない……」

「え?」

「あの時はああ言ったけど、本当はまだ好き。ずっと一緒にいたい」


 俺はますます混乱した。


「じゃあなんで」

「それは――ごめん、話せない」


 俺は彼女の言葉についてずっと考えていて、前から迫ってくる恐怖も、作りこまれたお化け屋敷も、何も目につかなかった。


 その後、俺たちはいくつもの出し物を回った。


 二年にはお化け屋敷のほかにいわゆるメイド喫茶もあったし、一年生まで下れば本格的な謎解きもあり年下に屈服させられた気分にもなった。


 彼女はそのどれもを楽しんでいたし、俺だって彼女につられて楽しんでいた。


「もう、文化祭も終わるね」

「そうだな、名残惜しい」


 彼女の口ぶりからして、彼女はまだ俺のことを好きだと思っていたのにもかかわらず、別れるという結末は変わらないようだった。


 だから、俺と彼女の交際が続くのは文化祭が終わるまでの残り十分にも満たないごくごく短い時間だけ。


「終わってほしくないなあ」

「俺も」


 しばらくの静寂が場を満たす。


 鐘が鳴る。


 俺にとって別れの鐘だ。


「じゃあね」

「ああ、また――」


 また来週、言いかけてやめた。


「別れた後はさ、話しかけてもいいの?」


 俺の問いに、彼女は答えなかった。


 俺がつい下を向く。


 視線の先に、大粒の涙が零れ落ちた。


 顔を上げ、再び視線を彼女へ定める。


「もう、会えない」


 彼女が呟いた。


「私、引っ越すから」

「でも、スマホもあるし!」


 もう中学生だった俺たちにとって、引っ越しは永遠の別れと等号ではなかったはずだった。


「君、私がスマホ持ってないの知ってて言ってる?」


 まだ中学生の彼女にとって、スマホは身近な存在ではなかった。


「スマホの所持率って中三だと九十パーセントくらいあるんだけどさ、逆に言えば莫大な人数いる中学三年生の、十パーセントはスマホを持ってないってこと」

「でも、引っ越すことが分かってたのにスマホを持たせないのは――」


 なんといえばいいか。なんというべきか。


 残酷。


 というのだろうか。


「電話番号も変わっちゃうし、どうしようもないんじゃないかな」

「でもなんとか、どうにかして! 例えばさ、会う日付と場所を決めて、頑張って行くとか!」

「私が引っ越す先、ヨーロッパのスイスっていう国なの。飛行機で片道十六時間以上かかって、金額も十万円を超える。私、この情報を見て絶望した」


 彼女は、俺と会おうとするために、会えない理由を知った。


 会いたかったからこそ、会えない理由を痛感した。


 これは、残酷というほかない事実で、非情というほかない現実で、不安定というほかない俺たちの現在。


「もう行かなきゃ、明日の準備があるから」

「そう、か……」

「ごめんね、ありがとう」


 彼女が伏せた顔は歪んでいた。


 俺は彼女の頬に手を伸ばし、こちらを向かせる。


「最後くらい、目合わせてよ。笑ってほしい」


 そう言った俺は、笑えていただろうか。


「そう、だね。ありがとう」




 あの時の文化祭は確かに楽しいものだったが、俺にとってもう文化祭は、別れを意味する不吉な行事だ。


 それに、俺がスマホを持っていない人のことが嫌いなのは彼女がスマホを持っていないせいで連絡が取れなくなったから。


 無理のある話と感じられるかもしれないが、三年経った今でも忘れられない記憶であるくらいだから。


「内緒、だな」

「おいケチ!」




 文化祭当日、皆忙しく働いていた。


「あ、ごめん手空いてるなら受付よろしく! 私お化けの番回ってきちゃった」


 俺は文化祭が嫌いだ。


 といっても、さすがにクラスの仕事から抜けることが許されることはない。俺は嫌々お化け屋敷の受付をすることになった。


 閑散としていたうちのお化け屋敷に、俺たちと同年代の女性客が一人。


「お化け屋敷、久しぶりだなあ。彼と入ったのが最後だっけ。三年前、最後の文化祭楽しかったなあ」


 彼女は独り言をつぶやいた。


「お化け屋敷のご利用でしょうか」


 彼女は、一気に顔を上げた。

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俺たちの別れを見送った文化祭が―― ナナシリア @nanasi20090127

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