殺人鬼、先輩。

和橋

殺人鬼、先輩。


 ――2月16日未明。n市w町で殺人事件が起こりました。被害者は一人暮らしの五十代女性。被害者に家族や身寄りはおらず、警察は今も犯人の行方を追っています。

 

 

 

2月18日。16時12分

 汗が染みこんだシャツにズボン、ソックスをバッグに押し込む。すでにスクールバッグに隙間は見られないが、部活と同じでここからの追い込みが重要なのだ。さらに靴を詰め込みファスナーを反対側まで半ば無理やり引っ張った。ぎゅうぎゅうになったバッグを勢いよく背負う。勢いよく背負ったせいで「ぐふっ」と声が漏れたが部室の中で気づいた奴はいないらしかった。

「みんなお疲れー」

 部室を出てから、他の部員の気の抜けた返事がいくつか聞こえて廊下に響いた。

 駐輪場に向かい、自転車の鍵を鍵穴に差し込み回すと、錆びついたガコンッ、という音と共に鍵が開いた。

 横列して並んでいる自転車の中から自分の自転車を引き出し、乗り込む。ペダルを踏み込もうとした瞬間、同時にズボンのポケットに入れていたスマホがバイブレートした。

 家に急いで帰る理由も特にない。虚げな気持ちのままにスマホを取り出し、画面を見る。


【海人から新着メッセージが届いています】


 海人先輩。歳は俺の二つ上で、二年前に高校を卒業している。同じ部活で、家も近いということもあり先輩が在学中から仲が良く、その縁が先輩の卒業後も続いていた。

 確か今はY県の大学に通っており、忙しい日々を送っているらしい。おそらくこの時間に連絡が来るということはおおかた散歩のお誘いかそれに近い何かだろう。

 大抵先輩は何か話したいことができた時に俺を散歩に誘う。バイト先での愚痴やら、女の子についての相談やら、将来のことについてやら。

 気軽に話せて、従順で、全てを肯定してくれる。そんな三拍子揃った後輩が居れば俺だって話を聞いてもらいたいものである。

 だが、正直に言って先輩の話はそこまで面白くない。十回聞いて一度面白いと思える話に出会えればラッキーな方、と言う具合。

 しかし、話の面白い面白くない以前に、対価が得られる。それはタダ飯であったり、人脈であったり。その種類は多岐に渡るが、メリットも多いのも確かだった。

 だからこそ、どれだけ「先輩の面白い話を聞かせていただいている」、という建前を本音に魅せられるか。タダ飯や、遊ぶ金、人脈などが欲しいと言う本音をどれだけ、建前として隠せられるか。

 本音と建前の矛盾をあたかもそんなもの最初から存在しないかのように、どれだけ綺麗に魅せながら、隠しながら先輩に媚びへつらうかが重要なのである。

 この考えや行動が汚いと言う人間の大半が無意識下、もしくは意識下で、口にしないだけで建前のうちにこれらをしっかりとこなしているいるのだ。

 要するにこの行動が汚いと罵る言葉は綺麗事でしかなく、矛盾だらけのこの世界で綺麗な風を装って生きていくために、自分の行動は欺瞞や偽善ではないことを信じたいがために口から出たデマカセなのだ。

 ちなみにこれらは中高の部活動という上下社会の中で身につけた、将来のためのテクニックである。

 メッセージを見ると、予想通り散歩でもどうか、と言う旨の内容だった。

 片手で画面をフリックし、送信。

【行きましょう!】

 緑色の縁に形どられた文字を見ながら、我ながら健気なキャラクターを演じているものだと思った。

 嫌だなぁ。

 自分が自分で、自分らしくいられるための最後の良識が詰まった一言が頭の片隅で転が理、カランコロンと、音をたてた。

 スマホをポケットに入れながら、ため息が漏れ生ゴミのような苦笑いを浮かべる。

 気づけば何かはどこかへ消えていた。



2月18日 20時02分


 先輩と合流した。いつも通り煙草を勧められたが断った。

 先輩は笑っていた。どうやら今日は気持ちの良い話らしい。

 いつものコースでの散歩が始まった。



2月18日 20時37分


 いつものコースでの散歩を終え、今現在、先輩宅の前で雑談をしている。三十数分の散歩では少しばかり話足りなかったらしい。とは言っても雑談、と言うよりは先輩の独り言、と言うような表現が似合うような雑談だった。

 だがそれもしばらくして落ち着き、先輩の煙草が吸い終わると、吐き出された副流煙が揺蕩うと同時にお開きの雰囲気が漂い始めた。

「……じゃあ、俺ははそろそろ帰りますね

「おう。お疲れ、気をつけてな」

「はい! 今日もありがとうございました」

「おう。あ、そういや」

「はい?」

 スマホを持ち上げ、忘れ物がないか確認している時だった。特に先輩は顔色を変える訳でもなく口を開いた。

「気を付けるといえば、最近この近くで人が殺されたんだってな。知ってるか?」

「あ、はい一応。w町のやつ……ですよね?」

 風が一段と強くなり、秋の訪れ、という表現をするにしては妙に肌寒かった。

 w町で起きた殺人事件。今住んでいるn市はF県二番目の都市であるk市のベッドタウンであるからにして、普段は殺人なんてもってのほか、物騒なニュースを聞くほうが珍しい、というほどに穏やかな町なのだ。だから特によく覚えていた。

「そうそう。いやー、怖いよな殺人なんて。そういえば知ってるか? どうやって殺されたか。結構むごかったみたいだぜ」

 先輩はいつの間にか口に咥えていた煙草から紫煙をくゆらせながら、すこしだけおどけたように言った。そこで僕は季節外れの寒気が、外気の温度によるものだけではないことに気づいた。

 正直、そんなもの聞きたくなんてなかった。遠い町のお話ならまだしも、身近で起こった、それも殺人事件だ。正直、不謹慎にもほどがある。

 だがしかし、先輩はいつになく乗り気だった。

「あー、いやいや、すまんすまん。ビビらせすぎた。そこまで恐ろしいわけじゃないぞ」

「いやー、怖いですってー」

 表面上は笑顔を絶やさないように。ノリが悪くなりすぎないように。上下社会の機嫌取りにおいてのミスを犯さないように、丁寧に自己主張を織り交ぜながらも躱す。いつもならこのあたりで先輩は引き下がってくれる。

「ほんとに! そんな怖くないからさ! な?」

 先輩は怖がっている僕を見て楽しんでいるのか、苦笑いに近いすこしだけぎこちない笑み浮かべながら最後の一口を吐き出した。

 どうやら今日は例外らしい。

「……わ、分かりました。聞かせてください」

「よぅし、そう来なくっちゃ。とは言っても、そこまで語ることはないんだけどな」

 先輩は巾着袋から新しい煙草を取り出し、火をつける。こりゃ話が長くなるな、なんて思いながらくゆる煙をただ一心に見つめていた。

「両手両足を縛られ、限界まで暴行を加えられ、最後にはズブリ、らしい」

 案外さっぱりと語るもんだな、と違和感を感じながらも、「ほぇぇ……」と口から漏れた感嘆の流れに乗るように簡潔に言葉を発した。

「ズブリ、ですかぁ……」

 そりゃもっと胸糞が悪い事件だって知っている。残忍な事件だって知っている。だがなぜかその時は、どの事件よりも酷く恐ろしく感じた。世間話の風を装うにはあまりにも現実味が帯びすぎていたのだ。

 今考えれば所詮、殺人事件なんてテレビの中の出来事で、他人事には変わりない。今考えればある意味、一種の娯楽ですらあったのかもしれない。


 かわいそう。辛そう。ひどい。動機は? なんでそんなことをしたの? 


 同情、疑問、正義感、欺瞞、義憤。

 今のネット社会なんてそう。99.999999パーセントが当事者でもなく、関係者ですらない。だが、あたかも被害者の気持ちを代弁したかのように振る舞い、義憤に駆られ、無責任な言葉を発する。

 心の変化、感情の揺れ動き。喜怒哀楽のどれかを引き出し、揺さぶることができるものが娯楽と言うならば、殺人事件ですら娯楽であるほかにない。

 だがどれもこれも、赤の他人であることがそもそもの大前提なのだ。客観的に鑑賞しながら当事者のように振る舞う、その行動があるからこそ娯楽として成り立つのだ。

 今、この瞬間にもほんのりと色づく思考。もしかしたら僕は、僕は。

 関係者の側に一歩踏み出し始めているのではないかと、漠然とそう思った。



2月18日 20時59分

 帰宅。家には誰もいない。静けさに溶けるような微かな猫の鳴き声と、どこまでも深い暗闇に迎えられた。廊下の電気をつける。白球の光が廊下に弾けた。

 古く角度のある階段を登る。木目を踏み込むとギィ、と鳴いた。

 部屋に入り、服を脱ぐ。自室の安心感に浸る暇も無くタオルと着替えを持ち、古い階段を鳴かせ浴室に向かった。

 ウチの一階の廊下は妙に長いくせに電球は一つだけ。おかげで突き当たりの古いドアがいつも以上に不気味に思えて恐怖感を煽った。

 一度感じた恐怖は大なり小なりなかなか消えないものだ。知らないふり、見えないふりをしていてもどこかに存在していることを認識した時点で自分の意識ではもう既に取り除けない。

 恐怖は焦りとして現れ、焦りは歩みを早くさせた。

 浴室に身を捩じ込むようにして素早く入り、戸を閉める。そういえば、オバケは怖がっている人に寄ってくると聞いたことがあったか。それを思い出した僕は、わざとらしくゆっくり体を伸ばした。そこで俺は心霊的な恐怖を憂いているのか、はたまた人間的な恐怖を──。俺はこれ以上考えることを止めた。

 お湯を出し、シャワーに切り替える。お湯を張る気力は今の僕にはなかった。熱いシャワーを頭から浴びて、全身に再び血が通い始めたような感覚。血流がよくなり、全身に満遍なく血が通う。そのおかげなのか定かではないが、霧が晴れるように頭がだんだんと鮮明になり始めた。

 ぼーっと。ただぼぅっと、していたかった。だが、俺の意思に背きながらも廻る思考。


 快楽的殺人犯は、自分の犯行を芸術に昇華したがる。

 その思考は言動に現れ、行動に現れる。実際それを示すように、犯人は現場に現れる、という言葉がある。

 また、自分の行動(殺人)を他人にあくまでささやかに誇示したいという願望。あの酒鬼薔薇聖斗は犯行声明を報道各社に送り付け、アメリカの未解決事件の犯人と目されるゾディアックは犯行声明と共に暗号を新聞各社に送りつけた。

 あくまで、これは妄想の中の愚考だ。こんなこと、あるわけがない。というかあって欲しく無い。

 だがしかし、可能性はゼロでないことも確かだった。

 それは、ミステリやサスペンスを好む俺にとっては至って普通の思考回路。ただ身近で起こった事件、という例外を含まなければ、の話だが。

 もしも、先輩が殺人犯で。

 俺という友人であり、気軽に話をできる後輩に、ささやかでいて大胆な告白をしていたとするならば──。


 急いでシャンプーを流し、温まったはずの体から急激に熱が引いていくのを感じながら、タオルで体を乱雑に拭き浴室を出た。


2月18日 21時23分

 髪の毛も乾かさず、自室で充電をしていたスマートフォンの充電器を取り外す。そして流れるようにロック画面をパスし、インターネットを開く。そして、一切の迷いなく画面をスワイプし、『n市w町殺人事件』と調べた。

 もはや冷や汗なのか吹き残した水滴なのか、滴り落ちる水にそこまでの興味を持つ余裕なんて無い。しかし、こんな時に限って回線が悪いのか、画面の中央でぐるぐると矢印が回転している。

 ぐるぐる、グルグル。

 それは俺を嘲笑うかのように。10分にも、1時間にも感じられる時を経て、ついにずらりと記事が一斉に並ぶ。全国的にはそこまで有名では無いが、F県の中ではそこそこ大きなニュースとして報じられているようで、地方の新聞社の記事やyhooニュースなどで取り上げられていた。

 一番上の記事を開く。先ほどとは打って変わって一瞬で画面が開く。現実を見たくない気持ちと、現実を見て安心したい気持ちとが葛藤し合うが、その葛藤とは裏腹に躊躇いなく俺の指は画面を記事へと誘った。

「……ここには、何もない……」

 かなりメジャーどころの新聞社をチョイスしたせいか、殺人事件が起こったことのみが記されており、死因などは一切載っていなかった。

 もう一度検索画面へと戻り、次は二つ下の記事をタップする。一つの記事を読んだのだ。今更葛藤なんてものはない。

 もう、今日は只々安心して眠りに着きたい。その一心で画面を下にスクロールした。

「……あっ、た……あぁーー。よかった」

 どうやら全て杞憂だったようだ。


《T新聞 『n市w町殺人事件、強盗殺人の疑い』》


 内容はw町で殺人事件が起こったということに加え、先輩が語っていたことと殆ど同じ内容、というよりも若干詳しい内容が書き綴られていた。

 いくつかのニュースを開いたが、俺が見たものの中で死因まで書いていたものは『T新聞』と『Y ニュース』による記事だけだった。とはいっても、最初の記事も合わせて四つほどしか開いてはいないのだが。

 しかし結果としてこれらの記事が存在しているということ即ち先輩は、この記事を読んでいたから死因まで知っていたという単純明快なこと。

 先輩が殺人犯でスリルを味わうために僕に言ったのではなく、単に俺の怖がる姿が面白かった、というところだろう。先輩は本当に太刀が悪い。

「というか、僕が怖がりすぎた、ってだけか」

 家に一人ということに加え、今日は部活で疲れていた。

 その心労と疲労が相まって導き出された誤った仮想。それが恐怖を纏い、俺の脳を一時的に支配した。

 純粋にたったそれだけの話だった。

 全身にピンと張り巡らせていた糸が緩むように、全身が弛緩していくのを感じ、肩にも余計な力が入っていたことにも今更気づいた。

「あーあ。考えすぎて損した。もうちょっとシャワーゆっくり浴びればよかった」

 いつの間にか髪の毛はある程度自然乾燥していた。それほどの時間、思考に溶けたということなのだろうけど、どちらかといえば好都合だった。さっさとドライヤーを済ませられる。

 1分にも満たない時間ドライヤーをあて、電気を消してベッドに潜る。俺の体温でふかふかの羽布団が緩やかに温められていく。

 先ほどまで体の芯が冷えるような恐怖を味わっていたことも、自分が家に一人だということも、今この時だけは頭から抜け落ちていた。

 今在るのは只々湯たんぽのような、温い安心感のみ。もはや心地が良いまである。

 ホラー映画を好む人の心理はこんな理由なのかななどと考えながら、段々と意識が無意識に溶け始める。次第にそれは微睡を生み、しばらくして俺の意識は途絶えた。




《T新聞 『n市w町殺人事件、強盗殺人の疑い』》


──また、被害者の遺体は、両手両足を縛られ、ひどい拷問の末に胸部を刺され死亡していたと先ほど警察関係者から明かされた。


2 / 1 8 【2 1 : 0 7 配信】 



《Yニュース 『F県w町強盗殺人事件 犯人の動機は金銭か』》


 ──家財や財布、現金などがなくなっており──遺体は動けない状態のまま拷問──死亡していた。


2 / 1 8 【2 1:1 2 配信】




 

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殺人鬼、先輩。 和橋 @WabashiAsei

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