その時既に英雄はおらず、されど生きてさえいれば再び――
カタス・アレマグの襲撃から、幾日が経過して。
アルサーはベッドの上で目を覚ました。
「ここは……」
「マジョ様!? お目覚めになられたんですね!」
戦いが終わってすぐ、アルサーはダメージと疲労で意識を失った。
彼女が起き上がる頃にはもう、グラッドの姿は海の街には無かった。
敬愛なるマジョの目覚めを皆に伝えるべくバタバタと慌ただしく駆けまわる付き人は、街を救った英雄は戦いが終わった後すぐに地上へ戻ったと彼女に伝えた。
その際、渦巻く複雑な感情と思考をまとめようとしたアルサーの目が、ベッドテーブルに置かれた手紙に留まる。
「……マジョ様宛てだそうです」
アルサーが手紙を開封する。付き人は静かに部屋から退散した。
ゆっくり体を起こして、窓の外に広がる平和な街並みと一緒にアルサーはメッセージに目を通す。
有体に言えば、感謝と心配とお節介が綴られていた。
『一人であんな怪物を止めようとするのは無謀だ』
『事情を話さずに、一方的に人を安全な地上へ送ろうとするな』
『ウレイラが教えてくれなかったら、大事な同じ時を生きる同胞であり友人をを失うところだった』
――同胞であり友人。
元々は普通の人間で、今はそうではなくなった者を指す言葉。
グラッドが如何なる気持ちでそう書いたのかは正確には分からない。しかし、その文字は強くアルサーの胸に響いた。
彼女を友人と呼んでくれた者は、その長き生を理解してくれる者が、どれだけ久しく居なかった事か。
『海の街を訪れたのはいい経験になった』
『これからの旅では海中も探してみるのも有りだろう』
『もしかしたら、また力を借りることもあるかもしれない。』
永久の別れではなく、再会を思わせる優しさにアルサーの顔が綻ぶ。
そこから先は海の街で青年が感じた喜びが詰まっていたのだ。
「ふふっ……」
子供っぽい文章に思わず外見相応の女性のように笑ってしまいながら、ウミのマジョと呼ばれるようになった人間の女は、さらに文章を読み続ける。
程なくして、手紙の文字をぽたぽたと零れた雫が滲ませた。
『――ココから先は、もしもの時のために記して置く。実際どうするかについてはあなたに任せる』
『サンゴの街を守るためとはいえ、オレはこの身に宿る闇と破滅の力を解放した。アルサーなら気づいたかもしれないが、アレは本来使うべきではない魔神の力だ』
『仕方なかったとはいえマーメイド達の多くが、オレの闇を目撃しただろう。オレ自身も全てを理解してるわけじゃないが、魔神の力を使うと周囲に影響が及ぶことがある』
『個人差はあるようだが、もし体調の異変を訴える者がいた場合。陽の光を浴びる、聖なる癒しの魔法を使う等で徐々に回復するはずだ。万が一、周辺海域で闇の残滓を発見した場合は同様の手段で対処できる』
『それでも、アレによって生まれた心の恐怖や悪影響は消えないだろう。オレを街へ招いたウレイラや、客人として迎えたアルサーを非難する可能性も高い』
『――今まで、何度もあった事だから』
強い後悔が、アルサーを襲っていた。
「どうして、私は……」
あの時、気を失ってしまったのだろう。
起きてさえいたのなら。遺恨を残さぬよう対処していたのなら。
その身と心を賭けて、皆を救ってくれた英雄を傷つけたまま行かせることも無かったのに。
最後にほんのわずかだけ見てしまった、青年の寂しげな表情が鮮明に浮かぶ。
普通の人間ではなくなったアルサーだからこそ、そこにどんな感情が複雑に絡まっていたかが想像できた。
「こんな……こんなものが……恩人に対する仕打ちでいいはずがないでしょうッ。あまりも惨い」
グラッドがすぐに旅立ったはずだ。
彼は、自分のせいでマーメイド達が言い争い、これ以上の不信感が生まれないようにしたのだ。
アルサーにとってソレは「危険人物はさっさと去れ」と追い出したのと大差がない。
今から追いかけたとしても、もう遅い。
アルサーが彼に急いで謝罪をする機会は失われてしまっている。
悲しみに暮れるマジョの手が、残された手紙をくしゃりと歪ませる。
手紙の最後にはこう綴られていた。
『アルサー。あなたは、長く生きすぎて、生きることに疲れて感情も希薄になったと話してくれた。きっとオレなんかじゃ到底及びもつかない苦悩があるんだろう』
『でも、出来れば――』
『生きることに絶望しないで欲しい。簡単に命を投げ出す真似は避けてほしい』
『あなたが死んだら、マーメイドの皆が――家族が悲しむだろ?』
『……次に会う時は、もっといい顔が出来るようになってるさ』
『あなたは決して感情を失った不老のマジョじゃない。大切な家族のために動き、涙を流せる人間なんだから』
明るく輝いて見える窓の外。
自分が守ろうとした場所。町に住まう家族が守ろうとした住処。
悲しみを背負うことを厭わない、英雄たる一人の青年が守り切った。今となっては大切な故郷。
「……誰か。誰かここに」
「はい。どうかされましたか?」
「私が倒れてから、どうなったかを教えてください。それとウレイラはどこにいるか知っていますか?」
本来なら真っ先に駆けつけそうな元気な弟子の気配が無い。
その行方を尋ねられた付き人は、なんとも歯切れ悪く口をもごもごとさせる。
「いや……ウレイラはその……」
「?」
「素敵な王子様を見送ってくると告げてから、まだ帰ってきてないようでして」
そう聞いたアルサーは、可愛い弟子を心の底から褒めてあげた。
◆◆◆
「で、だ」
「んー?」
「いつまで付いてくるつもりなんだ、ウレイラ」
海の街から比較的近い、大きな港町。
その船着場の一角で、人間に化けてまで付いてきたウレイラに対してグラッドは呆れ気味に訊いていた。
「いいじゃない、こんなとこまで来れる機会なんて滅多にないのよー。今の内に色々見て回りたいって考えるのが普通でしょー?」
「そうかもな。ちゃんと許可を取ってれば言う事無しだ」
「許可ならパパに貰ったわよ。グラッドをちゃんと送り届けるようにって」
「何日も地上に行ってきてもいい、とは言ってないだろうに」
「細かい事はイイの! グラッドはもっと乙女心を勉強した方がいいんじゃない」
「後でこっぴどく叱られてもフォローできないぞ」
「そこは王子様として助けて欲しいかな! グラッドが割って入れば、誰でもホイホイいう事聞いちゃうだろうし」
「それはない」
「あるわよ! だって恩人も恩人、大恩人じゃない。いざとなればあの怖ーい姿になってビビらせちゃえば一発でしょ」
デリカシーがないと言われそうな発言。しかし、そこにネガティブさは微塵も含まれておらず、グラッドからすれば心地いい。
「おいおい、そんな軽々しいもんじゃないんだぞ。そもそも今こうして一緒に居ようとするのが普通じゃないくらいで――」
「闇の力だか魔神の力だか知らないけど。王子様のお見送りひとつできない薄情者になるぐらいなら、あたしは普通じゃなくていいわよ!」
「…………」
「なによみんなしてさっ。身を挺して助けてくれた人にお礼ぐらい……」
港町に着くまでの間に、ウレイラはグラッドの身の上話を聞いていた。
ソレを知ってもなお彼女は、こうして旅立つ直前まで共にいて、別れを惜しんでくれている。
その事実が、グラッドには十分すぎる程の報酬だった。助けて欲しいと願った少女が、今こうしていること自体が。
「元々お礼が欲しくて戦ったわけじゃない。恩返しがしたかったって事にしといてくれ」
「恩返し?」
「海で遭難してたオレを助けてくれた女の子に、泣きながらああまで頼まれたら、な」
「な、泣いてない! 泣いてないから!」
「恥ずかしがるなって。あの時頼ってくれて良かったと思ってるんだ」
「ふんだ。じゃあグラッドは強がらずに、追い出されたみたいで悲しいって言えばいいじゃない」
「仮にそうだとしても言わないさ。格好悪いだろ?」
「格好つけたがり!」
「騎士たる者、恰好つける時はつけるものさ。人を王子様なんて呼んでくれるお姫様の前では」
「え、もしかしてあたし口説かれてる!? ようやく!?」
けらけらと軽口を叩くウレイラは、もちろんグラッドとなるべく一緒にいたくて港町まで付いてきている。それでもさすがにここから先の陸路までは追えないのが分かりきっているため、少し前からずっとソワソワしっぱなしだった。
「ねぇ、本当に……もう行っちゃうんだよね?」
「ああ」
「ちぇ~。もっと名残惜しそうにしてくれればいいのに」
「十分名残惜しんだからな。ウレイラが長めに付き添ってくれた分、な」
「そうやって思わせぶりなのはどうなの? まさか、王子様ってばいつもそんな感じに粉かけてるんじゃ――」
「人聞きの悪い……」
海に沿って続く道を進んでいる内に、いよいよ港町の外が見えてくる。
ウレイラは大いに焦った。本当はもっと気の利いた話でもして、青年の背中を押すような別れをするつもりだったのに、ぎりぎりになってもいい言葉が浮かんでこない。
「じゃあな。ここまでありがとう」
「…………」
「ウレイラ?」
「……ああーーーーもう、上手くまとまんないからそのまま言うね!!」
結局マーメイドの少女は、ただ強引にぶちまけるしかなかった。
「皆を救ってくれてありがとう! あたしの無茶なお願いを聞いてくれて、命がけで守ってもらえたこと、すっごい感謝してます!!」
「あたしの目に狂いは無かった。あなたはとっても素敵なあたしの王子様でした!!!」
一息でそこまで言いきったウレイラが、ぜはーぜはーと荒く呼吸を繰り返す。見送る時の告白にしては、乙女っぽさが足りないかもしれないが、だからこそウレイラらしい言葉だった。
大音量の別れに目を丸くしたグラッドだったが、彼はすぐに気の良い兄貴分のようにニッと笑って手を差し出す。
「またな」
うん、と小さく頷きながらウレイラはグラッドと握手をする。
尊敬できる相手の手は、大きくて温かった。
「もし、海で遭難したらまた拾ったげるね」
「そうなる前に、また会えることを願うよ」
こうして、二人は違う方向へと歩みを進めた。
あっけなく見えるかもしれない。数週間ばかり共に過ごした相手との別れにしては淡泊が過ぎるかもしれない。
だとしても、二人にはそれで十分だった。
「さて……次はどこへ向かうか」
今回の出会いにおいては、故郷を失った悲しみを知る者として誰かの故郷を守れたことは青年にとって誇らしいものだった事だろう。
――そして。
彼の、不老不死の英雄騎士の、新たな旅が始まった。
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