鹿の惑星

春海水亭

かきのはすしもありましたよ


 ◆


 令和五年、七月某日。

 私は数年ぶりに京都に訪れました。

 なにか特別に目的があったワケではありません。

『そうだ京都、行こう。』というキャッチコピーに従うかのように、「そうだ」となんとなく思い立って京都に向かったのです。


 京都駅に到着し、そして内部の様子がおかしいことに気づきました。

 駅中を歩いてもあまり疲れないのです。

 京都駅といえば、近未来的なデザインな上にやたらと広いことでお馴染みのすごい駅だった――という記憶が私にはあったのですが、私が辿り着いた京都駅は記憶の中の京都駅よりは小さく、アットホームなデザインで旅行者に優しく、どうも新幹線なんぞは止まらなさそうな気配があったのです。


「ヒッ!」

 それを見た私は思わず悲鳴を上げました。

 名状しがたき悍ましきもの――そうとしか呼びようのない像が、当然の権利のように駅に置かれていたのです。

 衣装は僧衣でしょうか――しかし、上半身はほとんど裸のようなもので右乳がまろびでていましたが、乳首はありませんでした。

 頭部は異常に肥大しており、その少年のような童顔の額には白毫らしきものがありました。

 しかし、私が悲鳴を上げたのは白毫を見たからではありません。

 その頭頂部には幾重にも折れ曲がった茶色い角が生えていたのです。


 なんということでしょう、駅にこのような奇怪な像が置かれているとは。

 なんらかの信仰の対象でしょうか――まさか、このようなゆるキャラがいるはずもないし。

 私は震える手でその像を写真に収めました。

 その時、私の脳裏に過ぎったのはきさらぎ駅という言葉でした。

 しかし、駅構内を行き交う人は穏やかで、とても私が異空間に迷い込んだとは思えません。


 駅を出た私はかすうどんの店に行きました。

 主に大阪を中心に展開するチェーン店で東は東京までその手を伸ばしています。

 かす――牛の腸を油で揚げたものがたっぷりと入ったかすうどんに土手煮を追加でトッピングすれば、もうこれ以上のものは無いというぐらいに幸福な味がして、それでいて何度も何度も口の中で柔らかな触感がとろけることなくあり続けるので、これはもう牛と美味しいキスを交わしているようなものです。私はかすうどんの土手煮トッピングをスープまで堪能した後に気づきました。


 このかすうどんの店は京都府内には京都競馬場店しか存在しないのです。

 当然、私がいるこの場所は京都競馬場などではありません。

 温かなうどん、そしてうんざりするほどの太陽光に晒されていながらも、私の身体が底から冷えていくのを感じました。


 ここは京都ではないのではないか――頭の中にそのような考えも浮かびましたが、しかし周囲の観光地を見れば、駅から徒歩圏内に歴史と伝統あふれた観光地が無数に存在しています。果たして近畿地方にこれほどまでに歴史と伝統をアピールしている場所が京都以外にはあるでしょうか。

 青を基調にした全国展開されたコンビニだってローカライズされて茶色になっています。コンビニまで景観に気を遣っている以上、京都に違いありません。


 私は観光なんてやめて、そこで一日佇んでいたくなるほど美しい池を経由し――真っ直ぐに進みました。

 とりあえず真っ直ぐに進むだけで様々な観光地にたどり着けるようです。


「うわあああああああああああ!!!!!!!」

 口から溢れ出そうになる悲鳴を私は手で必死に抑えました。

 どうか、これを読んでいる皆様も気を確かに持ってください。

 私の視線の先には信号機と横断歩道がありました――いえ、それだけならばどの県にだってあるでしょう。

 しかし、横断歩道で信号機の色が切り替わるのを待っていたのは――鹿だったのです。

 野生動物である鹿が、高度な知性で信号が変わるのを待っていたのです。

 そして、信号が変わった瞬間、鹿はひょこひょこと向こう側に渡っていきました。


 嗚呼。

 私の手が震えていなければ、その光景をビデオに収めることが出来ていたでしょう。あるいは私のスマートフォンのカメラ機能が壊れていなければ!しかし、私の手は恐怖で震え、撮影用に用意したカメラは読書用に用いていた安いタブレットで、一々カバンの底から取り出さなければならずシャッターチャンスを逃してしまったのです。


 京都が私の記憶と全く違っているのも当然のことでしょう。

 京都は鹿によって支配されてしまっていたのです。


 私は観光客代表として、支配者階級である鹿とコンタクトを取るために鹿せんべいと呼ばれる鹿に対する貢物を購入しました。

 ああ!その時の私の恐怖たるや。

 鹿せんべいを私が購入するやいなや、あっという間に鹿が寄ってきて私の手や服すらも食べ尽くさん勢いでむしゃりむしゃりとまるごと食っていったのです。

 他の観光客は鹿せんべいを一枚ずつゆっくりと鹿に献上して交流を楽しんでいるというのに。


 さらに大抵の鹿がのんべんだらりと過ごしている中、一部の鹿は群れをなし、野生の脚力で林の中に消えていくものもありました。

 ああ、あの鹿の躍動感たるや。

 どれほど文明に近づいても結局鹿は鹿なのですね。


 心の中の恐怖を抑えきれぬまま、私は真っ直ぐに進みます。

 京都といえば、寺です。

 私はひたぶるに真っ直ぐに進んで寺を目指しました。


 しかし支配者階級たる鹿の容赦ないこと。

 私がソフトクリームを購入すれば物欲しそうに近寄り、私が焼きたての美味しい団子を購入しても、物欲しそうに近寄ってくるのです。

 京都府民は一体、鹿のことをどう思っているのでしょうか。

 私は鹿をついつい撫でたくなる衝動を抑えながら進みます。


 そして、私はある巨大な建造物を見て膝から崩れ落ちてしまいました。

 東大寺盧舎那仏像――俗に言う奈良の大仏です。


「そんな、ここは奈良だったのか……」

 鹿が跳梁跋扈するこの土地が奈良だったとは――予想だにしていなかった事実に私は震えました。


 読者の皆様も京都観光にはお気をつけ下さい。

 もしかしたら、貴方が京都に行こうと思って行った先は――奈良かもしれません。


【終わり】

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