人間をやめた日 ー Ⅱ


「シン、これ……刀だよね?」


「そうだね」


「どうして刀が……、ううん。今はそんなことどうだっていい」


 雑念ざつねんを払うようにまぶたを強く閉じる。


 そうだ。今はそんなことで悩んでいる場合じゃない。

 重要なのは、生きて帰ること。

 それだけなのだから。


 刀を持つ手に力が込もっていく。


 異形は未だ、こちらを見たまま動き出す気配もない。

 ただじっと、何かを待つように視線を向けてくるだけだ。


「急いで永遠。時間がないよ」


 シンの声に背中を押され、異形の方へと刀を振りかぶる。


 覚悟を決めるように振り下ろした一閃いっせんは、銀の光と共にその体を真っ二つに裂いた。

 鈍い音を立てながら、異形の体が少しずつズレていく。


 断面は驚くほどなめらかで、刀を持ったのが初めてとは思えないほどの出来だ。


 斬られた後も、異形はずっとこちらを見ているようだった。

 ドロドロと溶解していく体は、斬られた部分から広がり、体を液体へと変えていっている。


 異形の体が全て液体に変わり終わるまで、私はその姿から目を逸らせなかった。

 抵抗する様子もなく消えていく異形の目には、私を心配するような色や、親愛にも近い感情が宿っていたから。


 まるでヘドロが水へと変わるように、後に残ったのは透明な液体だけだった。




 ★ ☆ ☆ ☆




 刀が紋様の形へと戻り、手からシュルリと抜けていく。


 そのまま空中に浮かんだ紋様は、今度は矢印のような形に変わっている。


「機体の位置的に、ここら辺から出るのはどうかな」


「ちょっと待ってシン。いったい何の話をしてるの?」


 ただの壁を示している矢印に、嫌な予感しかしてこない。


「ここに穴を空けて、そのまま飛び降りようって話」


「……むり。むりむりむり!」


 なんて提案だ。

 今まさに空を飛んでいる飛行機から飛び降りるなんて、シンは私を殺す気だろうか。


 これぞまさに、鬼畜きちく所業しょぎょう……!


「じゃあどうしたい? このまま飛行機が墜落するのを待って、一緒に爆発にでも巻き込まれておく? そっちの方がいいなら、僕はそれでも構わないけど」


「飛び降りましょう」


 一瞬で裏返った手のひらに、シンは「決まりだね」と言いながら頷いている。


 まあ正確には、矢印が頷くように動いているのだが。


「でも、穴なんてどうやって空けるの?」


「殴ったら一発だよ」


「なぐ……?」


 とんでもない提案に、思わず意識が遠のきそうになった。


 こんな硬い壁を殴ったところで、私の手が血まみれになるだけではないだろうか。

 せめてさっきみたいに刀でも出してくれたらいいのだが、シンにその気はないようだ。


 どのみち、ここで頼れるのはシンしかいない。

 どんなに訳の分からない方法でも、まずは試してみるしかないだろう。


 不安定な機内で、何故か姿勢を保てている身体。

 不自然なほどえた感覚に、深く息を吸い込んだ。

 手をしっかりと握り締め、矢印の示す場所に向けて思い切り拳を叩きつける。


 機内にとてつもない轟音ごうおんが鳴り響く。


 硬いものがひしゃげ、耐えきれず折れていくような、そんな音が聞こえた。

 ぽっかりと空いた穴から凄まじい風が吹き出し、大きく傾いた機内はなけなしのバランスさえも失っていく。


 あまりのことに呆然と立ち尽くす私の口からは、意味のない言語がれ出ているだけだ。


「あわわわわ」


「ほら永遠、行くよ」


 くうに浮いていた紋様が、私の方へと戻ってくる。


 何がなんやら分からないまま、気づけば外に放り出されていた。


 目の前に広がる空と、視界の端に見える飛行機。

 大きく傾いた機体は、私たちとは反対の方に向かって落ちていく。



 ただ一つの例外を除き、全てを乗せたその翼は、そのまま夜の中へと消え去っていった。




 ★ ★ ☆ ☆




 落ち続ける身体と、急速に近づいてくる地面に、ふと疑問が浮かんでくる。


「ねえシン。そういえば着地ってどうするの?」


 無事に出られたはいいが、その後のことは聞いていなかった。


 このままでは地面と激突して、私の身体はミンチに早替わりしてしまうだろう。


 せっかく生き残れたのに、結末がミンチなんて嫌すぎる。


「どうするも何も、そのまま降りるつもりだよ」


「そのまま……? 今、そのままって言った!?」


 思わず悲鳴じみた声が出てしまう。


「わー! やだやだー! このままじゃミンチになっちゃうよおおお!」


 半泣きで叫ぶ私に対し、シンは「よしよし」なんてあやすように声をかけてくる。


「大丈夫だよ。永遠は死なないから」


「へ……?」


 意味深な言葉に、気の抜けた声が漏れていく。


 死なないって、どういう……。

 そんな疑問を問う前に、無情にもタイムリミットの方が先に来てしまったらしい。


 水の中でも、木の上でもない。


 空高くから降ってきた私の身体は、そのまま硬い地面の上へと叩きつけられていた。


 

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