第27話 淫魔のクセして僕っ娘か?

エジレイEA-7オプティカは固定脚を持つ陸上の滑走路から離陸する水平離着陸機である。だだっ広いヴァルキア王宮の敷地なら滑走路くらいは作れそうなものの、目の前に大きな湖があるのだからこれを使わない手はない。そう考えてオリジナルの形状に水上での離着陸ができるように一人乗りカヌー程度のフロートを両翼の根本、翼と胴体の付け根からハの字に開いた足に取り付け、組み立てチェックを終えた機体は揚陸艦ペレスヴェートの車両甲板を整備用架台から降ろされ、移動用のフロートを支える架台に簡素な車輪が付いたものに載せ替えられて上陸用バウランプへと向かう。


車両甲板からバウランプに差し掛かる手前で、一旦架台に乗せたオプティカを止めてバウランプの上から見える光景に少々たじろぐ。ペレスヴェートのバウランプ下、というよりエルベ湖に停泊させている3隻のロシア海軍軍艦、1隻の揚陸艦と2隻の重巡洋艦の前に海外ロックバンドの野外コンサートか、サクラだらけの選挙演説といった具合に群衆がひしめいていた。海尋がちょこっとバウランプの上から顔を覗かせると


「うおおおおおおおおおおおおおっ!」


群衆から押し寄せる圧の怒号が湧き起こる。

群衆の前には昨日の警備隊員達が壁を作って群衆がそれ以上近づかないよう制止している。それを見て、このままオプティカ出したら迷惑になるなぁとしばし逡巡していると、「何じゃ、どうした海尋ちゃん。有象無象にビビったかえ?」と海尋の肩に手を置いた聖上様に声を掛けられる。


「いやーこのままオプティカ降ろすのはまずいかなーと。物珍しさで騒ぐ群衆の動きが抑えられないんじゃぁないかと」


「んなもんテケトーに抑えさせときゃいいわい。ここまで晒して引っ込めたらそれこ不満で暴動起こるわ。時に海尋ちゃん、オトヴァージュヌイ嬢なんじゃが、気分がすぐれぬとか様子に不調はないかえ?」


海尋の肩に手を置いたまま、小声で耳元に囁くように問いかけると、思い当たるフシがあるのか、声を絞って「特に問題はなさそうです」とだけ答えて「お気遣い戴いてありがとう御座います」とオプティカのフロートに腰を掛け、脚に捕まりオプティカを乗せた簡素な架台ごとバウランプを滑り降りた。先ほどよりもさらに大きな歓声が群衆から湧き起こると、その感性に押されるようにバウランプからダリアとブランが車両甲板に駆け込んできた。

「おお、丁度よかった。少し付き合え」

歓声に背を向けて車両甲板から食堂へ向かう。

「鎭裡殿がまた何か妙なものを出しておりましたが、あれは一体・・・」

ダリアが問うも

「捨ておけ、捨ておけ、手出し口出し無用じゃ。それより、ちと面白いモノ捕まえたんでな、ちょっと仲良くお話ししようじゃないか」

聖上様様が右手を開くとぼんやりと弱く揺らめく黄色い炎の玉が現れる。


「「スルトゥアーナ」ではありませんか、そのような下級聖霊がなぜこちらに??」


ダリアの横から身を乗り出してブランが驚きを隠さず問いかける。

「スルトゥアーナ」とはフリストス商業圏南方の大陸に広く分布する人間種の生活圏で見られる下級淫魔で初潮、精通迎えたばかりの少年少女が自慰の快楽に耽って絶頂に達した際に得られる性的興奮と満足感を糧に成長する下級精霊で自慰癖や性欲抑制のために語り継がれるいい加減な『言い伝え』の、良く言えば「被害者」悪く言えば「責任の押し付けられ役」である。何世代かに渡り語り継がれて顕現した精霊であり、自慰がやめられない、満足感を得られない等、の問題に「大体コイツの所為」と標的にされがちだが、実際は恋愛成就や幸運度アップなどプラス方向に向かう精霊だったりする。

性欲の現れと共に誰もが内に持つ精霊で、欲望のままに自慰を繰り返すと淫魔になり姦淫の念に飲まれるなどと教えられ、制欲のコントロールを教え込む教材でもある。

ただ、性欲をコントロール出来ずにヤリまくったり、自慰に満足出来ず異性を襲うようになると「精霊」から「悪霊」に変わるので取り憑いたのが女だったら|女淫魔<サッキュバス>ドグサレビッチに、反対に男だったら|男淫魔<インキュバス>となり、変態色魔になる。

そんなものが今、ヴァルキア帝国女帝ハーメット・ネフ・カシスの手の平でぐるぐる、ゆらゆらと溶けて交わるように黄色く揺らめいている。

 食堂備え付けのドリンクバーに伏せて置かれた透明なコップをひっくり返して飲み口を上に向けると、手の平で踊る淡く黄色い光をコップの中に落として小皿を蓋にして逆さまにしてから食堂のテーブルに乗せ、スルトゥアーナの真正面の席に腰を下ろしてからダリアにお茶とお茶菓子を持って来るよう命じる。

 椅子を斜めにずらしてテーブルに肘を立てて「ずずい」と前のめりで皿にのせたコップに詰め寄り


「さて、お主どこから来た、なんの目的で海尋ちゃんの周りに取り憑いておる?」


心なしか、コップの中で漂っている淡い黄色い光が詰め寄るカシスから遠ざかろうとコップの内側にビクビク怯えてへばりついているように見える。なかば仕方あるまいと言った様子で


「獲って食いやせんから安心せい。お主等など食うた所で腹の「足し」にもならんわ」


スルトゥアーナは雑魚オブ雑魚の下級精霊であり、夏の耳元で鬱陶しい蚊と同様、手の平で合わせてぱっちんすれば軽く消滅する程度の存在である。その姿が見えればの話だが。


その脆弱性から人間種に目視されることはないが、カシス女帝や近衛達サナリ(幻想種:エルフ)の末裔にはその姿が丸見えだったりする。


「まぁ、そう怯えずとも、これでも食うて平静になるが良い」


コップを傾けた隙間から砂糖菓子を数粒転がすと、普通に食えるものであり、「何も変なものは入っていない」事のアピールで同じ物を一粒口の中に放り込む。その姿を確認してか、人形を模った淡い黄色い光が砂糖菓子を抱き抱えてカリカリと齧り付いてその甘さに藍色の前髪を引っ掻き回して悶絶する。


「さて、も一度問うが、お主どこから来た、なんの目的で海尋ちゃんの周りに取り憑いておる?」

「ぼ、僕は元々バクホーデルって所に近い廃墟にいたんだよ。そこで行商人かなんかの手頃な年頃の娘が来たんで取り憑いたら、更に美味しそうな赤髪の女の子と出会したんでそっちに乗り換えたのさ。そしたらさ、どうも人間じゃないっぽくて失敗したーと思ってたら今度は翠の髪したもんのすっごい美少女とお風呂じゃん。なんかエロいイチャイチャな妄想もあったんで儚い美少女同士の淫靡な蜜にありつけるぜヒャッホウ!と期待したら翠の方は男の子じゃん」


覗きの猥談じみた供述に首根っこ捩じ切ってぱっちんしてやろうかと思ったが、ちんちんついた美少女にしか見えない異国の公称「オトコノコ(男の娘)」の話になると、更に食い気味の聖上様と近衛二人。追加の燃料(砂糖菓子)を下級精霊の口に焚べ、グイグイと身を乗り出す。


バクホーデルのモンゴメリ宅の浴室でお互い裸で海尋の腰下を太腿で挟んで背中と上半身を密着させた愛撫の辺りでは、3人とも馬券握りしめてブラウン管から流れる競馬中継の映像を食い入るように間近で見入る目を血走らせてギャンブラーのように、コップに閉じ込められた猥談語る精霊に詰め寄っていた。


「いやー美少年の醸し出す快楽と絶頂の波長がこんなにも良い物だとは僕も思わなくてさー」


淫魔のクセして僕っ娘か?


「お主の感想なんてどうでもいいから海尋ちゃんが絶頂して射精する所を詳らかに克明に講談はよ」


ハリのある胸がテーブルの端にのしかかってむにょんと歪むほどスルトゥアーナに詰め寄って続きを促す


「おやおやー、姐さん方も好きだねー。いいねー好きだよそーゆーの。ではでは、それは誰もが予想だにしない夜だった。夜の帳が訪れたばかりのオーロラの時間。できる限り克明に効果的で臨場感に満ちあふれ、迫力のある言葉でスリルに満ち 迫真の演技でもって街角で唄う吟遊詩人のように皆さんの心の中に情景を再現できたら嬉しいな」

などと無知なベルギー人と卑下する灰色の脳細胞もった髭の紳士のような前口上を唱え、活動弁士のように身振り手振りで熱弁を振るう下級精霊。

 もっとも美少女が美少年の股間に手を伸ばした時点で「お察し」なのだが、女帝様&近衛2名の妄想力はかなり逞しく、羞恥と歓喜の入り混じった黄色い声を上げて、カフカースが海尋を射精に導いた所では


「ブッルァァブォオオオオーーーーっ!!!」


拳を振り上げ盛大な雄叫びで歓天喜地の盛況ぶりを見せた。多分、脳内でクラッカーパンパカ鳴らして紙吹雪、空に向けてアサルトライフルの空砲ぶっ放して祝砲あげてるんだろう。


最後の、カフカースが自分の花園に滲む蜜を指先でみひろの唇に塗り、口内にそっとこじいれて舌で舐めるよう促して「もうウチは海尋ちゃんのモンや」そう耳元で囁いたあたりで

「きゃああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!」


一層激しく叫び出す。イヤよイヤよも好きのうち。


「無理ぃっ、そんなの無理ぃっっっっ!!!!」


「もうあかんっ!あかんて、これぇっ!脳汁出るっ!」


誰が誰やら、友人同士の猥談に花を咲かせた純情可憐な女学生のような悲鳴をあげて喉から頭のてっぺんまで誘導加熱機顔負けの速さで赤面した3人に頭の上から氷水ぶっかけられたような冷たい声が耳に刺さる。


「随分と楽しそうやなぁ。ウチも混ぜてんか?なぁ「カシスおねえちゃん」。そない大受けするようなお話しなら是非ウチも聞かして欲しいわぁ」


暗い廊下をズルリ、ズルリ、と這いずって近づいて来るような、底なし沼の奥から浮かび上がってくるような、体の底から凍て付く声が背後からにじり寄って来た。


「他人の睦ごと覗き見して猥談のネタにするとは随分と結構な趣味をお持ちのようで」


首を巡らせて振り返らずとも、氷塊を直接腑に捩じ込まれるような冷たい声は・・・


「いやいや、誤解じゃアレッサンドラ女史。ちょっとした興味と言うか、好奇心というか・・・、だって、ホラ、悪魔絵師金子先生ばりの年下美少年で男の娘だよ。可愛い男の娘が快感に悶え喘ぐ姿想像するだけでもグッとくるじゃろ」


しどろもどろでわたわたと言い訳探す聖上様に


「それは同好の士として大変興味を恐る話題では御座いますが、話のネタが私の主人だということが問題なのですよ」


やや仰け反り気味に顎を上に向けた姿勢で上弦に歪ませたまなこの視線は足元に転がる臨終間際の蝉でも見るかのように感情の光が消えている。その後ろでカフカースがアレッサンドラとは対照的に黙して左官用のコテに砥石を当ててシャッ、シャッ、と研いでいる。(※注 佐官用こてに刃はついておりません。あくまでも脅しのジェスチャーです)


「待て待て待て、カフカース嬢も落ち着け、覗いとったのは此奴じゃ!「夢魔」の存在はそちらにもあるであろ!?朕は話を聞いていたに過ぎぬ」


掌で下級精霊を示し己が身を弁護する。事もあろうにこの女帝様、責任回避のために生贄を差し出しやがった。


「羽虫一匹どうこうしたところで腹の虫は治りゃせんがな。カシスの姐さんとは今後ともお互い円満で良好な関係でいたいんで、問題なんはソイツがどこまで「覗き見た」かや」


「へ?」


魔の抜けた素っ頓狂な声を上げて固まる聖上様。


「別に海尋ちゃんの柔肌の感触とか、快感に反り返って押しつけられる体の力と肩甲骨の感触とか手の中で熱く強張るアレの硬さとか射精イク直前にキュッと締まる内腿と尻の感触とかまで筒抜けんなっとる訳でもないやろ。その辺ウチら侍女なら誰かが海尋ちゃんと寝れば事細く仔細漏らさず共有されんねんな。せやからソイツの人様の逢瀬覗き見ようっちゅー魂胆が気に食わんだけや」


「あれはかなりグッと来ましたからねぇ。とりマイア先生のBL同人でやられたら鼻血モノですわ」


アレッサンドラがカフカースに向かってサムズアップで称える。


「わ・・・わかった、取引ならば朕の名において応じようではないかっ!」


狐耳尻尾の毛を逆立てて食堂の隅っこで壁に縋り付くように怯える聖上様。そして聖上様の近衛二人はどうしたかというと、しっかり他の侍女様たちに取り囲まれて、手助けどころではなかった。


そこに思いもよらぬ助け舟ともいうべき侍女たちの主が、頭に肉食獣の顎を乗せて食堂に現れた。どちらかと言えば肉食獣が翠色の頭を後頭部からしがみついてがっしり抱えられていると言った有様である。当然、量子会話で経緯もしっかり把握済みである。


「まあまあ皆さん、カフカースもああ言ってくれてますし、ここは一つ穏便に済ませましょうよ。ほら、もうすっかり怯えちゃって、泡吹いて失神してますよこの淫魔」


コップに閉じ込められて失神しているのは事実だが、原因は違う。後頭にしがみついた肉食獣の顎のっけたままコップを覗き込んだのだから、間近に迫った肉食獣(ボイチェク)の顔見て失神するのも仕方のない事だろう。 ボイチェクもボイチェクで興味を引かれたのか、そきりにコップを覗き込もうと「ふごふご」と鼻を鳴らしながら海尋の頭の上で首を回らせて肩の上で足踏みするようにコップに近づこうとする。


「「精霊」でも「淫魔」でもどーでもいいんですが、こちらの方、ボイチェクの遊び相手になりませんかね?」


仔熊に頭を抱えられた海尋の言葉に張り詰めていた女帝様の気がスッコーンと抜けて、逆立っていた狐耳と尻尾の毛がへにゃってクタる。


「お、お、お、お、お主、言うに事欠いてそれかいっ!他になんかないんかえ?」


それでもあっけらかんとした海尋の「特に何も・・・ああ、でもボイチェク相手には貧弱すぎる?」


「なぜ疑問系!!他にもっとあるじゃろが! 人の恥ずかしい姿を覗き見しやがって!とか、どこまで覗いてたんだ!とか」


「いえ、だいたいの内容は聞かせてもらいましたから。そもそも、行為自体はリアルタイムで皆共有してますから、だからどうしたって感覚なんですよねー。朝からオトヴァージュヌイの様子がおかしいから警戒はしていたんですが、この程度じゃ気にかけるだけ損ですね」


手の平を上に向けて肩を竦め、背中を向けて食堂の調理室へと足を向ける。


近衛二人を囲んでいた侍女の輪から抜け出したアレッサンドラが後を追う。


「申し訳ありません、海尋様。私共の気が緩んでおりましたためにご不快な・・・」


背筋を伸ばし体の前で手を組んで静々と歩調を合わせて声をかけるも、彼女の主人から帰ってきた言葉は


「面白いから構わないよ、色々と。あの精霊、仲間に引き込んだら面白いかな?」


「調理場の棚から大きめのポットと茶葉、人数分のカップを用意している間、後頭部にしがみついていたボイチェクはアレッサンドラが抱き抱えて元いた場所、コップに閉じ込められたスルトゥアーナと向かい合う椅子に乗せられる。コップの底を指で弾くとコップの中で悲鳴をあげて逃げ道求めて慌てふためく。それも構わず、ボイチェクはコップの中のスルトゥアーナに向かって体を伸ばして捕まえようと手を翳す。


「弱者のお家芸「死んだフリ」はお上手なようで。我が主人があなたに話があるようです。悪い取引ではないと思いますが、心して拝聴するように」


興味MAXなボイチェクの腹を抱えて抑え込み、頭を撫でながらスルトゥアーナに告げるが、多分彼女の耳に届いてはいないだろう。


夢魔だの淫魔だのに性別あんのかな?とは思うが、「その方が面白そうなので」今んとこ♀で。衣装もアラビアンスタイルのチューブブラに足首でキュッと絞まったゆったりしたズボンに金のサンダル、忘れちゃならないトカゲの鱗のようにぬらぬらした尻尾つきを想定いたしております。


するうち、旅館の中居さんよろしく、お茶が注がれた陶器の湯呑みを乗せた足のついたお膳を重ねて


「ちょうどいいからお茶にしましょう。各自進捗状況教えて下さい」


そうなると侍女たちの行動は早く、聖上様を上座に見立ててテーブルと椅子を円環状に配置し直し揚陸艦の食堂で報告会となったのだけれど、なんで飲食必要としない自動人形の集まりに食堂なんぞが必要なのかと言うと、ゲームにダイブ中、憩いのひと時、親しいプレイヤーを招いての会食など、ゲーム中のちょっとした「異世界」でも憩いと潤いは必要だよね、ってことでペレスヴェート他、重巡洋艦、駆逐艦、潜水艦にも実際の乗組員数に応じた広さの日常生活に則った生活スペースは標準装備となっており、都度改修、船体容積の範囲内で増改築ができる。旗艦装備ともなると、、各種通信、兵装、兵員の増加に伴う容積拡張も認められる。実際の戦艦のように何千何百の人間が乗艦する訳ではないので戦艦一隻がプレイヤーの別荘になっているようなものである。だもんで、プレイヤーの趣味に合わせて艦内の内装をヴェルサイユ宮殿のようなバロック様式で整え、ロココ調の家具で飾ったり、特典装備のレージ・マツモト様式で艦内中を巨大なメーター絵飾ったりして楽しむプレイヤーもいる。中には艦橋を日本の城に見立てて江戸城、大阪城を再現したMODも存在する。


この辺は海洋戦略シュミレーションMMORPG  Iron Impact Of VORTEX SEAの運営が、過去もっとも世界を熱狂させたMMORPG Yggdrasillにおける拡張性の高さを参考にした事もある。


そんな訳で、ペレスヴェートの食堂には四人掛けのダイニングテーブルが数卓並べられえている。特に設定を変えない限り、船の揺れや転覆に至っても配置された場所から動くようなことのない安心設定である。

で、聖上様を頂点に据えた円環状の底辺あたりに海尋が腰を下ろそうすると、聖上様からブーイングが飛ぶ。侍女が主に同席するなど以ての外と怒られるのではなく、


「主人たる者が末席とは何考えとんじゃ!」と怒られた。


「詮無い事とは言え、「こちら」で暮らしていく以上、やはり、其方には上に立つ者としての心構えが必要じゃのう」


元は平民、一介の子供ですらない海尋の身の上話を知った上で、ため息まじりに簡素な食堂の椅子にふんぞり帰って脚を組み替える仕草と共に茶を啜る。これが細いシャンパンの入ったカクテルグラスならかなりサマになる事だろうが、残念、今ヴァルキア女帝ハーメット・ネフ・カシスが手にしているのは丸みを帯びた素朴な陶器の湯呑みである。


「なぁに、何も地位と権力翳して高い所から見下すような振る舞いをせよとは言わん。むしろそれは悪行じゃ。せいぜい公式な場での己の地位に準じた作法という程度の物よな。今のままでも十分に好感持てるのじゃが、それはあくまでも平民の日常じゃ。まぁ良いわ、場を進めよ」


「ご鞭撻痛み入ります。何卒ご指導のほどお願い致します」と女帝の横に動いて頭を下げる。


「さて、じゃぁ、進捗の現状確認ですけど、ヴァンクス宮本館外装はほぼ完成で、両翼棟の瓦とタイルが出来次第当地の職人に引き渡す。上下水の配管設備は現状使用できる状態にありボイラーとポンプ回せば即時使用可能。と。

(テキパキと現状確認を行う様と先ほどの振る舞いと言い、どこかでその手の教育を受けているか、よっぽどの名君の側で立ち居振る舞いを目にしているか、数奇と言うにはあまりに重すぎる生い立ちを考えても、世に埋めてしまうには勿体無い逸材だと思うんじゃがのう。朕の配下に置くよりは荒波で研いだ方がより美しく仕上がるじゃろか。)

そんな事を思いながら海尋の言葉に耳を傾ける。

 

「あとは当地の職人さんに引き継いでも大丈夫なんですけど。現状を見る限り僕は職人に任せるのはやめて出来合いの調度品で揃えた方が問題起きないと思いますよ」


ヴァンクス宮建て替えの仕事依頼は極光商会にとっては棚ボタ案件であり、余計な諍いを避けるため地元ギルドやクランといった兄弟団にも話は通してある。それ以前に技術と技能の差があまりにも大きすぎて肩を並べて仕事が出来ないのである。技術の差はチートみたいなもんだからだからしょうがないと諦めてくれれば良いものの、こちらの話に耳を貸さず、「そうやんじゃねぇよ!ここはこうすんだよ!」と勝手に手を加えて台無しにしてしまう。そんな事をしょっちゅうやられてはこちらが仕事にならない。自動人形の緻密な計算と技量に人間程度が叶う訳もなく「お引き取り」を願っても勝手にズカズカと現場に乗り込んできては侍女様相手に技術指導の御高説賜ったりするので作業の妨げにしかならない老害職人には警備兵呼んで強制退場させた事もあるので逆恨みの風評被害もかなりのものである。正直、老害だらけの地元職人やギルドには関わりたくない。


それに調度品とはいっても机、テーブル、椅子、階段の手摺り、石か木で作れる日用品程度に限り、絵画や金属の装飾なんてものはこの先何百年と時代が経っての贅沢品であるため、現状、できて木彫り石彫りの彫刻程度なのだが、それでもヴァンクス宮の物はただの装飾と言うよりは美術品並みの出来栄えである。

 

かくして、茶褐色で石造りのヴァルキア王宮の離宮、ヴァルキア女帝ハーメット・ネフ・カシスの居城。マトリカ・ヴァンクスは完成へと向かってゆくのだが、現ヴァルキア王であるボルモン・ソルベックから苦情が入った。曰く、極光商会が持つ3隻の船は一商人には不相応である。と武力をヴァルキア王家に献上せよ、とかボルモン王直々にではなく、その第二王子であるクイージ・ソルベック自らがボルモン王の使者としてヴァンクス宮に乗り込んできた。


ヴァルキア王宮とヴァンクス宮を隔てる王宮内壁の門を潜って中央に石像が立つ水を張った丸い囲い越しの正面から見ると、石造りで横長の建物の一階部分を丸々廊下として、建物左右を挟むようにやや太めの塔が建てられており、廊下の床から天辺をアーチ型に閉じた石柱が建物の横幅いっぱいに並び、塔との接続部分は人の背丈の倍以上はある高さの大小バランスよく配置された長方形と正方形の窪みがある一枚板を加工した入念に磨かれた木製のドアがあり、左右の塔を結ぶ廊下を横切って正面建物の一階の広間に入る。廊下と一階広間に敷居はなく、まだ敷物が敷かれていないが、こちらもければ磨いた鉄板のように顔が映りそうなほど磨き込まれている。正方形に切り揃えて互い違いに並べられた黒い滲みがある白い石と、アルカム山脈で摂れるスレートの黒石が綺麗にピッタリと並んでいる仕上がりを見れば、ナントカ商会お抱え職人の技術の高さが伺える。城築技師の職人共が見たら腰抜かすな。と簡潔な感想を思うのも束の間、建物の長さ分横方向に走る廊下を支える、向かい合う石柱同士の上辺が全てアーチ型になっており、柱と柱の真ん中に立って上を見上げると天空の空のように綺麗な半円の曲面を描いている。街中を流れる川に掛かる石造りの古い橋にも一方向のみのアーチ型に積み重ねられた様式はあるが、ここには石を積み上げた隙間がない。ギルドと王宮に仕事の独占を訴えてきたフェリペ兄弟団の代表ではこんな施工は出来まい。ガタガタと震え出した足を正面の奥に向けて「誰かおらぬか!」と声を大にして叫んでも廊下に面した石造りの広間に声が響くだけで、返事もなければ近寄ってくる足音もない。反対側を向いて出石像の向こうに見えるヴァルキア王宮と境の門の向こうに使用人達が小走りで忙しそうに走りまわるのとは対照的に何もかもが真新しい空間に静寂だけが漂う不気味な光景に見える。広間の向こうには同じ高さの白く塗られた扉。取手部分は鈍い銀色ではなく光り輝く金色だ。金色だ。


「!!!なんだってこんなところに金なんて贅沢な物使ってやがるんだ。王宮でも高価な金なんて装飾に使ってないぞ!」


若干腹立たしげにクイージ第二王子が毒付くと


「金では御座いません。真鍮で御座います」


「うおあああああああっ!」


いきなり真後ろの頭上から「声だけ」が聞こえてその場から飛び退いても「声」だけはしっかり付いてくる。


「立ち入り禁止の立て札の文字も読めないどころか、真鍮もご存じない?真鍮とは銅と亜鉛の合金で混合比で亜鉛が20%以上に物を「真鍮」と言うんですよ」


どっちへ動いてもどちらを向いても後頭部の上かにピッタリと「声」が張り付いて離れない。

ヴァルキア王宮の敷地内とは言え、腰に巻いた幅広の革ベルトに片手剣は吊り下げている。絶えず後方から声がするので、すぐさま抜刀出来るよう鞘を掴んで利き腕で剣の柄に手をかけて、周囲に目を光らせ叫ぶ。


「くそっ!臆病者め。姿を見せろ!羽虫めっ!」


夏場の寝床で耳に煩い羽虫を思い浮かべたのでそのまま口に出た。


「あらあら、随分喧しいと様子を見にくれば、「偏屈」の方じゃない。性根が捻くれていると、立ち入り禁止の文字までまともに理解出来ないのかしらねぇ。せめて靴底についた泥くらい落として下さらないかしら」


廊下の広間側石柱にもたれかかって女帝直属近衛ブランが「偏屈」と呼んだ侵入者に向かって毒舌を吐く。大広間で見えない声の主にコケにされている人物はクイージ・ソルベック。


現ヴァルキア王ボルモン・ソルベックの二人目の息子、第二王位継承権持つ次男であり、とにかく屁理屈捏ねては矛盾だらけの物言いで「はい、論破論破」とドヤ顔するだけのマヌケである。一応王子としての自覚はあるのか、良い仕立ての服は着ているが、どちらかといえば雑な姿勢と真似てるだけの「服に着られている」感が悪目立ちしている。


ここで「いや、これはすまない。あまりの素晴らしさに(立ち入り禁止が)目に入らなかった」とでも言えば良いのに


「そんなことはお前た下働きの仕事だろが!文句垂れる前にお前が掃除でもすれば済む事だろう!「老害(ババア)」のお飾り風情がえらそうな口を叩くな!」とご立腹の有様。


馬鹿にも自惚れにもつける薬は存在しない。もしあったら、そいつは今頃ノーベル賞どころか世界で一番平和に貢献した人物として世界から讃えられているだろう。あぁ、あと「一言多い」ことに気づかない真正の大馬鹿野郎につける薬もあれば世の中もっと平和に、平穏になっているだろう。


腰に剣なんぞぶら下げて入るが、この男、武芸や荒事はまるっきりで、剣術習いたての新兵相手に一本とっては「まだまだだな」とかえらそうに講釈垂れる阿呆なので、当然の事、あっという間に後の襟首掴まれて廊下向こうの石畳に放り出され、硬い石畳に尻餅着く羽目になる。そこに丁度よく、水の入った木製の水桶と雑巾のお掃除セットが置かれていたので、


「あら丁度いい、さっさと綺麗にしてくださいな、口ばかり達者な「偏屈」で・ん・か」


広間から表に放り投げらたクイージ・ソルベックに近づき、その横に置かれていたお掃除セットを爪先でゴンゴンと叩き、尻を抑えて苦痛にもがくクイージを煽る。

格下イビリのいじめっ子OLみたいな態度のブランに「一応「王子」なんでしょ、それ」とブランの肩あたりから声がする。


「王子だろが王様だろうが貧弱な雑魚に払う敬意なんて持ってないのよ。あなただってそうでしょうに」


肩に乗せた小鳥にでも話しかけるように、平然と姿のない声と会話する。


「まぁねー。僕ら「精霊」にとっちゃぁ人間の地位身分なんて何の意味もないくだらない物だし。そんなものにへーこらしなきゃならない姐さん方のご苦労が痛みいるよ」


「そうよねー、真に心胆寒からしめる御方の存在に気づきもしない間抜けな豚が羨ましいわ。・・・さっさとやれよ豚!」


尻押さえて転げ回っているクイージの尻目掛けて蹴りを入れると「ブヒィっ!」と鳴き叫んで水桶抱えて逃げるように広間に走り去る第二王子。懐からくるりと巻かれて封蝋のされた書簡が落ちる。

 落ちた書簡がフワリと浮かんでブランの下に運ばれる。


「あら、悪いわねー。豚に手渡されるのも気持ち悪いし、助かるわー。これでも食べて楽にして頂戴な」


懐から紙に包んだ小さな砂糖菓子を取り出して手の平にコロコロと落とすと


「わぁい、ありがとう!ブラン姐さん」


砂糖菓子が一つ中に浮かんでカリコリと食い付く音がする。

「はあぁ〜〜〜、たまらんわぁ、頭が溶けそなこの甘さ」

砂糖菓子を抱えた絵本にかかれたまんまの妖精の姿が浮かび上がる。大変エキゾチックなアラビア〜ンな衣装で羽を持たないそれは、先日カフカースやトヴァージュヌイにちょっかい出した夢魔で、(「淫魔」というと臍曲げる)名前を持つ習慣はないのだが、聖上様から「シャンティーニ」と名付けられ食客とか門客とか、なんかそんな感じでヴァンクス宮の中をフワフワと自由気ままに翔んでいる。




































  



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