第21話 バクホーデルの瓦職人

21話 バクホーデルの瓦職人


バクホーデルギルド長バロッカ・モンゴメリの工房から小さな丘陵を二つ超えたあたりに、瓦職人ミハエル・バックシェルの工房はあった。瓦職人としての窯業の合間、小麦畑と羊の放牧を兼ねており、敷地は広いものの、工房自体は一階建ての平屋で、その横に、狭い作業場を挟んで直結した三つに連結された高低差のある連結された長い屋根付きの窯と煉瓦作りの四角い小さな窯を構えていた。同行しているモンゴメリの話では陶芸作業は他のものに任せ、ミハエルは窯焼きの作業だけに集中した仕事をしていた。その方が火加減や窯の様子管理に集中できるとの事で、窯焼きの時以外は農作業、必要最低限の陶器制作、妻の仕事の子育てと糸紬を手伝っているそうだ。

ギルドを通して伝わった「色が出ない」と言う問題に対して窯の温度が低いのだろうと言う海尋の予想は見事にハズレる。

運転席でハンドルを握るカフカースと助手席に座ったエルマの娘ロザリナがおしゃべりしながら草原の丘を通る荒れた道を進む。海尋はと言うと、後部兵員輸送室でボイチェクの相手をしながら同乗しているモンゴメリと「バクホーデルの可能性」について話し込んでいた。今ある資産、窯業の窯と作物の育ち辛い赤茶けた弱酸性の土地、今後の事を考えると、集落外でもやっていける知識と教養、最低でも読み書きがきちんと子供達に教えられる環境が欲しい。この辺りの事はモンゴメリも兼ねてより考えていたらしく、自分の所で修行している「生徒」に細君のラザニナが読み書きと礼儀作法を教えているらしい。

海尋としては「学校」と言う施設には良い印象がない。下級民であれば上級国民から理不尽な暴力と虐待を受け、「教師」と呼ばれる従業員は我が身大事で何もしない。そんな環境で級友と言う他人に殺されたのだから尚更だ。

「学校」なんぞは後の世に任せ農園業主体の話で流通経路の確保をどうするかとか野盗、盗賊などからの自衛の問題まで発展したあたりで目指す瓦職人の工房が見えてきた。

兵員室のモニターから見える工房の煙突から出る黒い煙を見て


「あれ、予想外れたかな?」海尋がボヤくと、同乗しているモンゴメリが


「ああ、「色が出ない」と言う話ですか。釉薬やうわぐすりもまだまだ我々ではまだまだ研究中で手探りな事が多いのですよ。」


「やっぱり薪を見せてもらわないとわからないかなぁ」


「は?「薪」ですか。・・・薪で影響が出る程変わるものなのですか?」


「モンゴメリさんの工房では素焼きの陶器が多いですよね、でしたら付近の落葉常緑広葉樹で問題ないのですけど、昨晩お見せした磁器になりますと、条件的に難しいのですが、常緑針葉樹の薪を使って広葉樹の薪を超えた温度が必要になります」

「はぁ・・・全く存じませんでした。針葉樹に薪は焚き付けに使う事はあっても窯の痛みが早くなるのでまず使いません。・・・スズリ殿は一体どこでそのような知識を得られたのですか?」

「船乗りやる前に「冒険者」と呼ばれる方々と一緒に旅をした事がありまして、その時に色々教わりました」

「ほう、「冒険者」ですか、大昔に領地拡大の先鋒として探検や調査を行うもの達をそう呼んだ時期もありましたが、今ではエルマ殿や名高い一等航海士のモイチ殿の事を皆そう呼びます。


「うわ、モイチさん有名だなぁ」


「あぁ、既にご存知でしたね。私も耳にしたばかりですが、リコ殿の話だとヴァルキアでスズリ殿と大立ち回り演じたそうではありませんか。しかも、友人助けるために危険を顧みずの即時行動、私が吟遊詩人だったら即、街中で物語にしますよ!」


娯楽の少ない今生、英雄譚や冒険譚に心が躍るのだろうか、興味に目を輝かせる子供のような顔でリコの話に耳を傾ける姿が目に浮かぶ


「いえ、僕の見通しの甘さで死人があと数人出かねない状況でした。とても誇れるような事ではありません」


「いや、バルビエリのお嬢さんは「なんで助けに行くのがお姫様じゃないのよ、オッサンじゃ、ロマンスも何もないじゃない!」

と不服のようでしたが、友を助けに向かう所がアツいじゃないですか、私は好きですよ、そう言う話」


無関係とは言い切れないが、兵隊一人が死んで、その責は自分にある。こんなことを話せば岩石のような先生達、さしずめ山羊の魔神先生から「ガキが思い上がるな!」と己の不甲斐なさすら嫌味混じりに叱責してくれるだろう。彼らとはもう二度と会える事もないだろう。だからこそ、自分を導いてくれた彼ら一人一人45人とそのまとめ役たる偉大な人物の垂教を忘れてわいけない。全てを失い、夢に生きて全てを手に入れた、父と慕うあの偉大な魔導士ならどうするだろう。もっと慎重にならねば。


「私の妻もリコ殿の話をとても気に入ってましたよいいじゃないですか、友を助けに走る戦士と世の理を超越した小さい友人と二人での冒険活劇」


「そうですね、いいですよね、未知と未開を切り開く冒険活劇」


そんな感じで30代、野心溢れる働き盛りの既婚者と10代前半?年齢不詳、性別不明の見目麗しい子供が狭い車内で夢と浪漫の冒険活劇に話を弾ませていれば、運転席の少女二人は衣服や芸術に話を弾ませていた。


特に染料の話でヴラハ商人、エルマ・バルビエリの娘、ロザリナ・バルビエリはまたも壊れかけた。と、言うのも、今、鋼鉄の馬いらずの馬車を操る異国出身商人の侍女と称する同世代くらいの少女が履いていいる細くて綺麗に長れる曲線美を惜しげも無く強調する細い紫色のズボンが原因だ。自分とて一応、フリストス同盟でその名を知らぬ者はいないバルビエリ商会の娘である。野暮ったい町娘のような格好で陽の下に立つことは大商人の娘としてのプライドが許さない。


だからどこへ行くにも状況が許す限りの鮮やかな装いをする事が多い。人と張り合うつもりは毛頭ないが、色黒の小娘と甘く見られては父の、何より没落したとはいえヴァルキア貴族であった母の名誉に泥を塗る。だから精一杯できる範囲で、お小遣いを貯めて自分を引き立てられる服を買うのが彼女の楽しみだ。だからこうして各地を巡る父の手伝いをして商売を学び、父の商会を引き継ぎ、母の出自である芸術を愛したヴァルキア貴族フラウム家の再興に繋げたい。


そんな内なる野望まで赤毛の両サイド巻き毛にしゃべくりまくっていた。芸術に造詣が深く、共感し合う所も多い。話の合う同世代の少女など身近にはいなかったので嬉しかった事もある。今彼女が身につけている見たことのない素材の服にも興味がある。脚の曲線にぴったりした光沢のある細かい編み目の濃い紫色のズボンなど実に興味をそそる。いつの間にか「カフカ」「ロザりん」と呼び合う仲になっていたので、つい気安く彼女の脚、柔らかそうな曲線の太腿に手を置いて


「うわ、何この生地、硬そうな光沢なのにすっごい滑らか!」


ついつい生地の手触りが良かったのでそのまま撫で回してしまった。


「うわっひゃあああああっ!何処弄ろてんねん、このすけべ!」


驚いて進路が大きく蛇行し、左右に振られる


「うわわわわ」咄嗟に椅子の背もたれから肩に回る幅広のハーネスを掴む。


「運転中におかしなトコ弄わんといて!危なっかしい」


「ごめん悪かった。後なら良い?」


「良いわけあるかい!ウチに触って良いのは海尋ちゃんだけや!」


「おいおい、ご主人様を「ちゃん付け」かよ」


できるなら自分もそう呼びたい。「カフカ」に「ちゃん」を続けて発音すると「カフォカっつぁん」になってどうにも響きが美しくない。「なら「カフカ」でええよ」と言ってくれたので「カフカ」と呼び捨てにしている。どうもヴァルキア標準語だと彼女達の「・さ・し・す・せ・そ・は・ひ・ふ・へ・ほ」に当たる発音が正しく発音できていないようだ。スズリ様の「ス」の音も「スィー」か「スゥェー」になってしまい、短音区切りの発音の習得が難しい。昨日から声をかける時に「スズリ様」と呼んでいるが、嫌な顔ひとつせず、「はいなんでしょう」とにっこり笑顔で答えてくれる。同性にしか見えないその笑顔。股間に父と同じアレがぶら下がっているとはとても思えない。そこでちょっと大人の世界な疑念が湧く。


「ねぇ、カフカ、あなたスズリ様の侍女って事は・・・その・・・あっちの「お世話」もするの?・・その・・あー、アレよアレ」「夜伽?」恥じる事なく間髪入れず欲しい言葉が返ってくる。


「そう、それ!」顔を真っ赤にして答えると


「当たり前やんか、ウチらのご主人様、何処の者ともつかんアンチパターンに触らせてたまるかいな」


言葉の意味はわからないが、「何処の田舎者」ってことで良いんだろうか。


「!!!でもスズリ様ってまだ・・・」


未成年だよね?と続けたかったが、成人になる年齢が低いのか、高貴な身分ならかなり早い時期から「そういう」経験させるって事もあるだろうし、なんとも言葉に言い淀む。


「享年13歳だけど、「えっち」ならウチらの年長組と経験済みやよ」


「!?、???享年って、あなた」もう死んでるってことじゃん!!??


「いっぺん殺されとるんよ、しかも同族に、生贄として」

サラッと言うな!

「ごめん!ごめん!ごめん聞いちゃいけないこと聞いた、本当にごめん!」

「いや、かめへんよ。いっぺん死んどるのは知っとってもろた方が付き合いやすいし」


「ごめん、誰にも言わないからこの通り」


肩をハーネスで抑えられて少ししか横に向けないが、なんとかカフカの方に体を向けて両手を合わせて拝むように謝罪する」


「そこまで気にせぇへんでもええて。海尋ちゃんもそれで遠慮されんの嫌うし」


器デケェ!年下(享年だけど)とは思えねぇ。


「んじゃ何?あの美貌とかはその後からって事?」


「んにゃ、あれで黒髪黒眼のエキゾチック感マシマシにしてみ、元はもっとエロかった」


「何それ、濡れる!」


「やろ」


えらい事を聞いてしまった。なんでも一度死んで、その際失った四肢は「魔法」と呼ばれる技術で作られたもので補っているとか、昨日リコさんが熱弁していた冒険譚も創作ではなく現実の話にしか思えなくなる。今乗ってる馬いらずの馬車とか空飛ぶ鉄の箱とか。芸術談義から始まって猥談に変わったあたりで目指すミハエル・バックシェルの工房が見えてきた。


バクホーデルでも奥の方、森と川と小屋と煙突ばかりで大して面白くもない景色だが、カフカとの楽しいおしゃべりであっという間に感じる。距離もそこそこあって登り道が多い為、歩きで半日はかかりそうだけど、時間にしてその半分くらいだろうか。


ギルド長のモンゴメリが先頭に立って、寄りつくギィギィメェメェなく大きな角を持つ灰色の山羊を押し除けて工房に近づくと、工房の奥から現れた瓦職人がものすごく驚いた顔で素っ頓狂な声を上げる

「うわあっ!て、なんだ、モンゴメリかよ。天使様がカロリーヌの祝福に来たのかと思ったよ。後ろのでっかいのは一体なんだい?あ、失礼失礼、ようこそ素敵なお嬢さん方。瓦職人ミハエル・バックシェルにご用かな?」


気障と言うより垢抜けない地方の芸人みたいな素振りで朗らかに挨拶してくる瓦職人。その割には顔がやたら引き攣ってはいるが。無理すんなよ、おっさん。

真っ先にスズリ殿が歩み寄り、ゆっくりした動作で右手を差し出す。商人は初見相手に名乗りと同時に握手を行う。父から聞いた商人として礼儀そのものだ。


「初めまして、瓦職人のミハエル・バックシェルさんですね。僕はテュルセルの海運商人シズリ・ミヒロと申します。先日テュルセルのギルドを通して瓦の発注をした者です。どうぞ宜しく」

そして、それは遥々遠方からようこそおいで下さった。私が瓦職人のミハエル・バックシェルです。こちらこそ宜しく」

それから同行の自分達。

「極光商会、鎭裡海尋様の侍女、カフカースと申しますどうぞ宜しく」

スカートではないので端をつまむものがないが、片足を斜め後ろの内側に引き、背筋を伸ばしたままもう片方の足の膝を軽く曲げ、貴族のお嬢様顔負けの上品な仕草で挨拶するカフカース。素晴らしい見本のような「カーテシー」の作法だ。新興貴族の芋娘共が優雅さのカケラもない大袈裟な仕草で挨拶を交わすのが払っているそうだが慎ましく形のいい胸同様、実に様になっている。自分もカフカースに習って挨拶する

「お初にお目に掛かります。ヴラハの商人エルマ・バルビエリの娘、ロザリナ・バルビエリと申します。商いの勉強として鎭裡様に同行させて頂いております」

一瞬そんな話聞いてねぇって怪訝な顔して自分の顔を伺って

「いえ、僕が新参者なので名高いバルビエリ商会のご令嬢が監督役として同行下さっているのです」と父と私を持ち上げる。

「これは皆様ご丁寧な挨拶、誠に恐れ入ります。お疲れでしょうから中で話を致しましょう、妻にお茶を入れさせますので」

そう言って工房横の自宅に四人を招き入れた。

広い入り口から土間の作業場に入り、そこから一段上がった真新しい木板の床に上がって簡素なテーブルを囲む椅子を勧められる、


「いらっしゃいませー、ようこそばくほーでるえー」


若干舌ったらずな声で小さな女の子がお盆に乗せた人数分のお茶を持ってきた。まだ背が低いのでテーブルの上にお盆を置けない。

「貸しなさい、パパがやろう」

瓦職人が少女からお盆を受け取り、各自の前に陶器の器を置く。

歳の頃はまだ10にも満たないだろうか、黄色のリボンでウエストを絞った薄青色のワンピース姿で、少々大きめの汚れの少ない革靴がカポカポと可愛い音を立てている


「お嬢様ですか、まだ小さいのに、しっかりしていらっしゃいますね」


「いやー妻が身重でして、手伝ってくれるのですよ。私に似なくて良かった」

オッサン、そこは妻に似てしっかりもので、とかの方が株が上がると思う。


「瓦のって事だと、「色」のことですか?」慎重な口ぶりで瓦職人が尋ねると

「ご覧の通り鏡面がツルツルにはなりますが、白っぽい灰色に薄い緑が滲んだような色合いになるのですよ」そういって工房から瓦を一枚持ち出して海尋に渡す。


「はい、話が早くて助かります。最初窯の温度が低いのかと思いましたが、どうやらそうではなさそうです。煙突から出る煙は黒くかなりの高温でしょうから温度は大丈夫のようですね。こちらで用意した釉薬が原因でしょうか。でもこれはこれで面白い」


「おや、海の商人殿は煙の色で窯の温度が分かるのかい?釉薬ってのは小分けにした樽に入ってた灰色に濁った水の事かい?」


「?小分け?樽?おかしいな、陶器の瓶に入れてご用意したのですが」


この辺りにはまだポリタンクとか鉄やアルミで作ったジェリカンなどなく、手っ取り早くテュルセルの日用品屋で膝丈くらいの小ぶりで口の広い瓶を買い込んで下地用と二重掛けで磁器に比べて温度が低めの酸化焼成でも緑色になるように二種類の釉薬をギルドから提示された職人、窯の数だけ用意したはずだ。


「ウチには瓶で二つ来たぞ」とモンゴメリが言う。


「陸送中になんかあったのかな、まぁいいや」


衛生観念とか商品管理とかイマイチよろしくない環境なので釉薬に異物混入とかあるかもしれない。最悪、転売とか横取りなんt事も考えられる。


「すみません、その釉薬が入った樽を見せて頂けますか?」


「ああ、それでしたらすぐそこににありますのでお持ちしましょう」


土間の作業場に降りて鏡板が硬く押し込まれた小さな樽を抱えて戻ってきた。酒場で見るような樽の下側に注ぎ口が出ているようなものではなく、小魚の塩漬けとかに使うような樽で、一度中身を使って蓋をしたので少量の中身が樽の口に付着していた。


樽を足下に置き、先の平たい金属の棒を鏡板と樽の内側の隙間に隙間に押し込み、ハンマーでさらに叩いて押し込んでこじ開けた。中には少し緑がかった灰白色の液体が入っていた。そこに自分の指を突っ込んで、液体が付着したままの指をパクリと咥えると、


「ダメだこりゃ」


と呟いてから煤けた匂いが漂い始めた作業場から「ちょっと失礼します」と表に出ていってしまった。「俺もちょっと失礼」と瓦職人も出ていってしまった。

しゃがみ込んで蓋の開いた樽の中身を見つめるカフカースに「どうしたの?」とロザリナが問うと、


「余計な混ぜ物入って上に薄くなってるし。作り直しだね、こりゃ」


呆れたように答えた。

輸送中に瓶が割れて数合わせに小細工したか、「珍しい貴重な釉薬」

とか言って他所に転売するするために少しパクって減ったぶん水でも足したか?


表に出た二人がなかなか戻ってこないのでカフカースの後に続きロザリナが表に出てキョロキョロしていると、作業場だと思った所は縦に長い窯の焚き口でその前に取手のついた見たことのない材質で作られた半透明の四角い箱?、中に液体が入っているようなので器?同じような材質で同じ大きさの赤い器が置かれていた、窯の脇から奥に続く縦に細長い階段状になった通路の真ん中でシズリ様と瓦職人が何やら話し込んでいた。窯の事でも褒められたのか瓦職人はやたら機嫌が良さそうだ。


「お前さんほんとに海の商人かよ、よく分かってるじゃねぇか!」


わからないことに口を挟むのは淑女の行いではないので室内に戻ろうとすると、カフカースが見慣れぬ容器を両手に持って窯の入口から遠ざけていた。


「「あ、手伝うよ」とロザリナが片方を持とうとすると、、カフカースが「ありがとう、重いよ」と両手で持ったにも関わらずカフカーうが手を離した途端に地面にドスンと

落っこちた。


「おっも!」なにこれ?


「釉薬15リッター、重さにして約15キロ弱(多少の誤差あり)「お嬢様」の細腕じゃぁちと難儀でございますことよ〜オホホホホ〜」


「ぐぬぬ、おのれ〜〜あとで足から尻まで撫で回してやるぅ〜〜〜」


「あの、お嬢様、あまりご無理なさらず」と海尋に声をかけられたが


「お黙りっ!このくらいなんでもないわよっ!」牙を向けて海尋目掛けてガルルルと吠えてしまった。


「あらやだシズリ様、いつの間に」

音もなくロザリナの横に並び取手の空いている部分に手を差し込む。その時、軽く手の甲が触れて「きゃっ」と小声をあげてロザリナが手を離してしまう。しかし、ポリタンクは落ちること無く海尋の手でしっかりと運ばれている。土間の作業場に釉薬を運び終えると、


「いやいや、いいねぇ若いモンは」


一部始終を見ていたモンゴメリがニヤニヤと笑っている。


窯の横で火のついた薪を小さな窓口から掻き出していた瓦職人が掻き出した薪に砂をかけて火を消している。


「これで4日窯を冷やせばご対面、と」


とても満足そう笑顔を浮かべ、瓦職人がしゃがみ作業から解放されて腰を伸ばす。

「スズリ殿の釉薬の様子見は二週間後くらいだな。さっきも言った通り、今から四日間窯を冷やして今入っているのを取り出してから、新しいのを窯に入れて火入れに三日、焼きで1日窯を冷やして中身を見るのが4日の締めて二週間後にもういっぺん足を運んでもらえれば満足のいく色が見せられそうだ」


「承知いたしました。では二週間後にもう一度お伺い致しますのでよろしくお願い致します。この件とは別に、ちょっと研究して頂きたい課題があるのですが、如何でしょうか?」


縦長に設置された窯をぐるり一周回ってミハエルの前に立ち、広く開いた袖口に手を入れて円筒形の白い器を取り出す。それを見たミハエルの顔色が豹変して今までのにこやかな表情から親の仇でも見るような鬼の形相に変わる。昨夜のモンゴメリと同じような反応を見せる。


「これは白磁と言いまして陶器に対して磁器とも言います。大きな違いは土か石かなのでですが、窯で焼く時の温度に400百度近くの差があって、ミハエルさんの窯が理想に近いのです」


「家の窯じゃできないってのはどういうことだい?」顔は鬼だが、言動はあくまでも冷静で職人としての知識欲と理性のバランスが釣り合っているのだろう。一方、ミハエルの顔は鬼からどんどんと青ざめて額に脂汗が浮かぶ。徐々にワナワナと体が震え出し、暴力に訴えることも厭わないような感情を理性で押し留めているようだ。


「昨夜のロザリナさんを見て、「これ」がまだフリストス商業圏内の地域に出回っていない事、白釉薬を使って陶器を白く見せることはモンゴメリさんの工房で拝見させて頂きましたので、後は「顔料」や「ガラス釉」の開発次第でしょう」


テュルセルの港湾事務所で見た皿やカップは陶器の厚ぼったい茶色のもので、食堂では木の皿と木の器だった。

 始まった、とカフカースが悪魔のように口の端を吊り上げた微笑を浮かべ、ロザリナは


「なんなのこいつ?」自分は一体何を見ているんだろうと静かな恐怖感を感じて自然と後ずさる。


「ミハエルさん、どうぞ手に取ってご覧下さい」


ミハエルに手に乗せた器を差し出し、恐る恐るミハエルが白い器を手に取ると、器の端を指で弾く。「キィーン」と硬く澄んだ音が響き、顔から血の気が引いたミハエルが膝から崩れる。


「ありえないっ!こんな薄くて軽いのに!こんなに澄んだ音が響くなんて!」

ミハエルの言葉を聞いたロザリナが窯の周りに散らばる陶器の破片を拾い上げ、その縁を指で弾いてみる。重く鈍い音しかしない。


「そこでご相談なんですけど」


謙虚に控えめに、物腰低く「磁器を作れるよう研究して頂けませんか?もちろん僕が知りうる限りの方法はお伝えしますし、資金も出します。」


「妻が・・・カロリーナがパンを焼いている所を見て思ったんだ。・・・小麦粉に水を卵と水を混ぜて練り上げれば粘土状になる。なら土の代わりに白い石を砕いて削って粉にして、水と混ぜて練り上げれば・・・って。途中までは上手くいくんだ。でも簡単に割れちまう。そう、指で弾けば欠ける。脆いんだ。・・なら窯の温度を上げられるだけ上げれてやればって・・・何度も何度も失敗して、それでも諦められなくて・・・・」


大の男が涙を溢しながら手の上に乗せた小さな白い器に話しかけている。流す涙は悔し涙か、行き詰まった暗闇の向こうに見えた僅かに仄めく光明を見た歓喜の涙か。


「聞き齧りの知識だけで僕には実績がありません。窯を焚こうにも火の入れ方もわからないのです。僕の知識がお役に立つのでしたら、どうか僕を助けて頂けませんでしょうか、お願いします」


膝を落として瓦職人の目を見て頼み込む。

テュルセルでもヴァルキアでも、素焼きの皿は使い捨て、瓶や水鉢としての需要は僅かだが、ない事もない。時間をかけて大量に作っても一山いくらで単価なんぞはあってないような物。そんなものを作り続けてもバクホーデルの窯業も集落もいずれなくなってしまうだろう。他に産業がある訳でなし、だからこそ、磁器の価値も高めたいし、窯業の重要性も広めたい。ただの思い付きから始めた事の完成形がここにある。ミハエルも、モンゴメリも頭を地に擦り付けてでも教えを請いたかった。しかし、出せるものは全て出すからやってくれと向こうから申し出てくれたのだ。「ありがたい!」を通り越してもはや知識を授ける神にしか見えない。


「頼む!お願いだ!ぜひやらせてくれ!、いや、やらせて下さいっ!」


膝折った姿勢からひれ伏すように頭を下げるミハエルに続き、モンゴメリまで横に伏して頭を下げてきた。

驚きも隠さず、

「あわわわわ、あ、頭を上げて下さい、これが出来るのはミハエルさんだけなんです、頭を下げるのは僕の方です!」


「どうかお願いします」そんな感じで、地に手と膝をつき頭を下げようとした海尋をミハエル、モンゴメリ、ロザリナの3人がしがみつくように止める。

「何やってんのアンタっ!商人が頭下げちゃおしまいでしょうがっ!」

「あんたが頭下げるこたぁないでしょうっ!」

ロザリナとミハエルが発した大声のせいで、モンゴメリの声はかき消されてしまった。


「家のまえで何やってるんですかっ!おやめなさいっ!」半べそかいた薄青色のワンピースの少女に引かれてミハエルの細君が玄関先から大きくなったお腹を覗かせて怒鳴りつけた。


「いや、そうじゃない違うんだ、騒いでいる訳じゃない」慌てたようにフラつく妻の体を支えようとするミハエル。


「ジャクリーヌも違うんだ、パパはこの人たちに助けてもらったんだよ」


半べそかいた娘のジャクリーヌの頭を撫でんがらそう言うと、


「じゃぁ何んで大きな声で騒いでたの?」と聞き返す。

真っ白な小さな器を娘に見せながら


「ほら見てご覧、パパの夢の形だ」


「わぁ綺麗!真っ白だ!こんな真っ白なの見た事ない!」娘のジャクリーヌが目を輝かせて「パパの夢の形」を賛美する。


「パパも作れるようになるの!」「ああ、絶対作って見せるさ、できたら真っ先にプレゼントしてやる」「約束ね!絶対だよ!」


「さて、それでは・・・」と話を切り出そうとした海尋をカフカースが引き戻して海尋の口を手で覆う

(1706>00:アカンて、海尋ちゃん。も少し感動に浸らせてやりぃな)


(00>1706:感動って何?)


(1706>00:なんか、ほら、色々あったんやろ、家族の問題ってやつが)


(00>1706:????そういうものなの?)


(1706>00:今はそう思うときぃな)


「何やってんのあんたら?」ロザリナが怪訝な顔で二人を見ると、


「いやー、感動のシーンに金の話はないやろーって」


カフカースが愛想笑いで誤魔化しつつ海尋の口から手を離す。


「お金の話はいいけど、白い器の何がここまで御涙頂戴な・・・うぷっうぷぷっ!」


「あんたもちっと黙っとれ」今度はロザリナの口を塞ぐカフカース。


瓦職人にとって嬉しい騒ぎの後、昼食にはまだ早いのでお茶と茶菓子で磁器の勉強会となった。

まずは材料であるが、磁器に使うのは石を砕けばいいということではなく、「陶石」と呼ばれる粘土の鉱石、チタンや鉄の成分が少なく日本だと熊本県天草諸島で採掘されて天草陶土、天草石、中国景徳鎮の高嶺(カオリ)大採掘されるカオリナイトと呼ばれる。見た目子供の頃そこらへんに転がっていた「書ける石」に見えなくもないが全くの別物で、ありゃただの石灰石で御座います。で、その天草石だかカオリナイトだかはご都合主義と笑えばいいさ。海尋達の拠点にゴロゴロしているのである。ちょうどボーレルやヴラハの向こうに火山っぽいのがあるのでそのうち地殻変動でも起きて山になるか海に沈むかしてもちっと文明が発展するあたりの人類が掘っくり返す事だろう。金だ銀だと侍女達が脆い所掘ってる横で、この石なんか利用できないかな?と成分解析してみたら天草石に近い成分で、その奥の硬い層はボーキサイトだった。


そんなわけで、フリストスが消滅するまで位は磁器の原料産地としてテュルセル西の岩盤地帯は利用価値がある。そこで、


「原料には心当たりがありますので、此方から提供致します」

そう瓦職人の前で宣言した所、「独占はずるい」とロザリナからの感想が入った。


「別に原料を独占して利益を独じめしようとしている訳ではありません。あくまでも原料の保護と計画的な採掘で無駄に掘って枯渇しないよう監督するだけです。独占すれば商売としては儲かるでしょうが、蔓延してしまえば価値が下がりますし、粗悪品を作って荒稼ぎするような連中も出てくるでしょう。だから原料を卸す職人を見定める必要があるんです」


そう締めくくると職人二人からは拍手が起きた。


「でもそれじゃぁ職人を一箇所に囲ったり、技術の革新や拡散ができなかったり、自分で自分の首絞めてるようなものなんじゃない?」


「だからこそのざ原料管理です。技術の拡散、革新に関しては今のバクホールを見る限り心配はありません。ミハエルさんのように研究熱心な職人への助力、モンゴメリさんの工房のように若い職人の育成。これらの注視すれば安泰とは言い切れませんがフリストスを圏内での発展と繁栄は可能でしょう。他の窯業を主軸とする集落ごとの特色を出せばいいのですよ」


海尋とロザリナの討論会みたいになり、最初はうんうんと頷いていた職人二人だが、正直退屈だし、商売のことはわからないので、半分居眠りをしていた。ロザリナが海尋の考え方に納得し、同調する頃には「シズリ様」が「海尋ちゃん」になっていた。

その間、車の中に入れっぱなしではボイチェクが可哀想だと、カフカースがミハエルの敷地内のみで遊ばせており、そこにジャクリーヌが加わって「ふわふわのもこもこー」と

じゃれ付き合っていた。しかし、それは大変危険な行為であるとカフカースもわかっているので、ボイチェクは賢くてよく懐いているから触ったり抱き上げたりできるが、森で出会っても絶対に近づかないこと、走らずにゆっくり相手の目から目を離さず後ろに下がる事、鉢合わせても大声を出さない事をに念に押して、ボイチェクの口をうにぃと広げて獲物を噛み殺し肉を引きちぎる牙を見せた上で、子犬ほどの大きさであるボイチェクの力強さを体験させて、人間が絶対に敵わない相手だという事を教えてからカフカースのすぐ傍でジャクリーヌとボイチェクと遊ばせてい他のだが、ジャクリーヌが「お仕事しなきゃ」と腰を上げ遊びを切り上げようとしたところにカフカースが


「お仕事?パパのお手伝いかー、えらいなージャクリーヌちゃん、オネェちゃんにも見せてぇなー」と返したところ、家の中から大きさの違う二つの木箱を重ねて持ってきた。一つの木箱には殻の割れた綿花、もう一つは綿打ちする前の綿の塊。

ジャクリーヌのお仕事は割れた綿花の実から綿の所を取り出して、綿から種子を取り出す事だった。種子を取り出した綿を叩いてほぐし、もう一つの木箱に入れて母親に渡すと週に一度、大好きな甘いバターブレッドを焼いてくれるのだそうだ。

「ええなー、お姉ちゃんも好きやで、バターブレッド」

※注カフカースのバターブレッドはミスターイトウのバタークッキー程度の丸くて薄く食べやすい3時のおやつ的なものだが、ジャクリーヌのバターブレッドは英国スコットランド、ウォーカー社のショートブレッドに近いものである。猟師や木こりが昼食がわり、携行食として持ち歩く、バターと砂糖、小麦粉を練り合わせた焼き菓子だが、まだまだ砂糖が庶民には出回っていないので、砂糖の代わりに蜂蜜かけたものか、ヨーグルトに蜂蜜混ぜたものをかけたものである。

お菓子の話をしている間に手のひらで転がせる程度の種子を取り出した綿の塊が出来上がる。それを木箱の蓋の上でポンポン叩いて柔らかくしてから大きな方の木箱に収める。

小さな方の木箱にはわんさかと殻のついた綿が入っていて、手際よく毟し毟しと、二人並んで日当たりの良い所でやっていたら随分とリズミカルな童謡っぽい仕事歌をジャクリーヌが歌い始めた。単語をくっつけた言葉で意味はないが、やたらハイテンションな歌で「お手伝いすればお菓子がもらえるうっひゃほいほい」ってな感じの歌だ。笑いたくなるのを必死に堪えていると、拍子に乗ってボイチェクが箱の蓋に乗せた綿の塊をポフポフ叩いて遊んでいる。お手伝いなのかボイチェク?

これらの仕事が少しは食の足しになるかというと、ほとんど足しにはならない。週に一回ボーレル側との領境に馬車を並べてマーケットを開くフリストスとは無関係の個人商達から物々交換で蜂蜜とバターをちょっと多め、ジャクリーンが貰えるお菓子の分だけ多く買える程度だ。殻からとりだした綿を糸に紡いで世紀の紡績職人に納品してもせいぜい一週間で銅貨3枚程度。

そら職人さんも男泣きするわ。磁器ができるようになれば妻と娘にもっといいもの食わせてやれると、そんな希望が湧いたのだから。

















        













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