第17話野望妄想乙女の嗜み
いくつかの丘陵を越え、森林地帯が近づくにつれ、切り株が道の端に残ったままのろくに整備されていない街道がかつては森の一部であったであろう柔らかい土の上に丸太小屋のような家屋がちらほらと見え始める。森の木を切り倒し居住可能な土地を切り開いた開拓者達の名残りだろうか。
人の姿は見えぬ事、丸太小屋の周りも荒れ放題な事からすでに仮の住まいとしての役目を終えて開拓時代の面影だけが遺されているのだろう。まさか遍歴商人や街道を利用する商人達が足を休める場所になっていないか、それと同時に野盗、テュルセルの癇煩どものような宜しからぬ輩の溜まり場になってはいないだろうか、こんなところが村の側にあっては村人は夜も落ち落ち眠ってはおられぬだろう、と幾許か心配になるが、それは領主の考える事で、領土の広さに対して行政が行き届いていないのかも知れない。街道両脇に広がる土地に生える木の密度が上がって左右の見通しが悪くなり、奥の方は陽の光が届かぬ陰が増えてくる。
「やな所だなぁ。隠れやすい所だらけでエコーが酷い。これじゃぁ商人の馬車なんてひとたまりも無いよ。ここのギルド長だ司祭長だかは何やってんだろ」
「海尋ちゃんが悪態とは珍しい。どもまぁ、商人さん達は「それ」込みで値段高くつけてんじゃないの?危険手当ってか「恐怖の報酬」?」
「ニトログリセリンなんて運びたくないし、お金手に入れても死んじゃったら意味がない」
「海尋ちゃん・・・。もしかしたら盗賊すら巣を張れない怖い環境だとしたら?・・・前見てみ」
荒れた街道に薙ぎ倒されたかのように根本付近からへし折られた直径50センチほどの倒木が一本二本と互い違いに転がっている。一番手前の倒木の真ん中辺りに斧で切りつけた真新しい跡があり、街道から少し外れた所に遍歴商人の者らしき馬が外された幌付きの馬車が置かれている。
「うわー、カフカース、ちょっと停めて」
「おっけー。ほいストップ、と」
ゆっくりと、静かにタイフーンが止まる。
(00:ヴォルク全員、周囲探索)(御意!)姿も影も音もなくアルルカン4人がタイフーンの天井ハッチから周囲に散ると、木々の間を縫って走るのではなく、木に登って枝から枝へと飛び移って
探索を開始した。
「さて、それじゃぁちゃっちゃとどかしてしまいましょうか」袖の中からひもを一本取り出すと、片方の端を口に咥え、シュルシュルと体に巻き付けるように着物の袖が邪魔にならないように襷掛けで留めてタイフーンのロッカーからチェーンソーの横に置いてあるローラーのついた箱を取り出して
倒木の真ん中あたりにローラーの付いた箱を乗せて、箱から出ている鋼の糸を倒木のどうに一周巻きつけて箱に入れてスイッチを押すと、鋼の糸が倒木を締め付けながら周り出す。
みるみるうちに鋼の糸が幹に食い込み、削るように切断していく。チェーンソーに比べて切断音も静かだ。
「ヴォルク01:お館様、馬車の周囲、中に人の姿はありません。空荷の馬車です。着替えと食料が少し残されただけで物盗りの形跡もありません」
「ヴォルク03:街道前方より斧と鋸担いだ人の集団が近づいてきます。この先の村の者やも知れません」
「00:はーい、有り難う御座います。こちらでも確認しましたんで、威嚇可能なポジションで警戒お願いします。カフカース。合図したらタイフーンのライトハイビームで、フォグも照射、一人身なりの良いのが混じってる、多分そこの馬車の持ち主でしょう。ヴォルク全員指示あるまで攻撃は一切なしで」
自動人形と同じ機器じかけの造り物の身には、まっすぐな街道の1キロ程向こうからワイワイガヤガヤとおしゃべりしながら斧と両側に引き手のついた丸太用の鋸担いだ集団と甲冑着込んでクロスボウ担いだ兵隊みたいなのが二人と弓矢を携えた猟師風の男達が運搬用のソリと馬を引いて近づいてくる。
(あ、まずい)と思ったのは馬だ。木を倒したのが大きめの、それこそ熊のような猛獣だとしたら、それも腹減らしたヤツならなお悪い。初夏に近い気候だから冬眠の為に襲い掛かって来ることはないだろうが、鴨葱な状況はご遠慮したい。BP先生から教わった通りなら・・・。
(ヴォルク04:お館様!大型の獣が9時方向より近づいております。退避の準備を!)
(
倒木切断中の箱を止めて握り拳を胸の前で突き合わせると細く華奢な白い腕の肘から下が鈍色を放つ酒樽位の大きさに変形して大人の頭くらいなら握り潰せるくらいの大きさになる。
争う気は無いのでだらりと下げて近づいてくる連中を待つ。声をかけるには獣の距離が近すぎる、下手に刺激して襲われるのも困る。
(00:ねぇカフカース。熊撃ちのスラッグ弾とショットガンなんてない?)
(1706:ごめん、ない。森のクマさんなんて考えてなかったよ「森のfairy」なら腹筋触りたい)
(00:モイチさんの腹筋で我慢して。こないだドローンの子たちにわやくちゃにされたそうじゃない。なんで教えてくれなかったの?)
(1706:男のメンツと名誉の保護)
お互い姿が確認できるような距離まで近づいてくると、向こうはこちらを背後に大きな獣でもいると錯覚したのか、大きなクロスボウに太い矢を番え始めて、甲冑着た兵隊は剣を抜いた。
違う違う!と手のひらを愛相手に向けてたらだの正面で左右に大きくブブンブン振って相手の右方向を指差す。大型の獣に気づいて伏せて隠れてくれればありがたいが、あいにく風下側だ。その場で音を立てずにじっとしてくれればありがたいのだが、木々の隙間から現れたその巨体に悲鳴をあげて一同クロスボウを持つ兵隊を盾にして後ろに回り込む。獣がそちらに
気を取られてくれているわずかな間に、目の前の切断寸前の倒木の切り込みにうえから踵で蹴りを入れると「ゴバン!」と大きな音を立てて倒木が割れる。獣に反応がないので目標は近づいて来る連中か?と思う。
(00:ヴォルク04、獣の様子は見える?)(ヴォルク04:はい確認できます。どうやら子連れのようです)(00:一頭?)(ヴォルク04:はい、子供は一頭です)
海尋の位置からは見えないので強制的にヴォルク04、ジャコモの鏡面が捉えている映像を自分の視野に繋ぐと、足と腕に矢が刺さったままの大きな熊らしき獣が対面する集団えを見据えて頭を低く構えて近づきつつ、今にも突進しそうな様子だった。ただ、熊の周りからジャラジャラと鎖を引き摺る音がするのが不思議だったが、罠かなにかだろうか。
切り離した倒木と地面の間に左足の爪先を滑り込ませて様子を伺う。方向と距離は見当ついたので獣と集団の中間あたりに目標を定める。
(ヴォルク04下がって)
(御意)
集団の方は完全に及び腰で獣とは反対方向へ後ずさる。集団の後ろ側だったので気づかなかったが、馬の引いているソリに小さな黒い塊が縄で縛り付けられており、それに気づいた獣が血走らせた目を見開いて咆哮を上げ集団目掛けて低い位置から襲い掛かった。
それと同時に切り離した倒木を左足で蹴り上げると、地に戻した左足を起点に腰を回して右肘を後ろに出す。
右足で後ろ方向に踏み込みを入れ、左足の膝を入れて蹴り上げた倒木の切断面を右の拳で殴りつける。大砲のような轟音と共に切断された倒木の上半分が枝の葉を撒き散らしながら獣と集団の間を
飛び抜け、一本の木に衝突し、へし折れた木が両者の間を隔てる。
「ヴォルク各員!村人抑えて!カフカース医療キット!」
そう叫んで気を削がれた獣に向かって突っ走り、飛びかかって頭と肩を抑えて重力制御で身動きできないように全身を抑えつける。
「右腕、右足と背中にに矢が刺さったまんまだ。抜いてあげて」
押さえ付けられながらも唸り声を上げてもがく獣の後ろから子供らしき茶色のモフモフが同じように唸り声を上げて威嚇しながら近付いてくる。
頭を抑えた左手を離し、手の平を子供に向けると「止まれ、動くな」と穏やかな声で制する。子供の方はそれでおとなしくなったものの、親の方は首を振り回して暴れ始めると、暴れる体に習って暴れる一本の鎖が海尋の顔を目掛けて叩き付けられるが、鎖に噛みついていとも容易く「バキィンッ!」と音を立てて噛み千切る。
見慣れぬ服装の透き通った翠の髪の少女が灰色の大きな獣を細い両手で押さえつけ、片や頭の両側で纏めて螺旋を巻いた赤毛の少女が獣の巨体に刺さった矢を抜いて傷口に軟膏のようなものを塗っている。もしかして治療しているのか?
「大人しくなさい!獲って食う訳ではありません!」
尚も暴れる獣を強い口調で必死に押さえつける姿に集団一同「信じられない」と数奇な目を向ける。村に害をなす獣を助ける気も理解できないが、目の前の少女達?が抑え、治療してるのは「バーゲスト」と呼ばれる魔獣だ。森の精霊が人間の非道な行いに怒り狂った時に黒い犬の姿で現れる、と森に生きる者なら誰でも知っている事だ。どう転んでも人間が太刀打ちできる相手じゃない。おまけにさっき暴れる鎖に噛みついて噛みちぎったよな?なんだこれ?いま目の前で起きている事はおとぎ話の一説か?集落に常駐している兵士や猟師、陶芸品の買い付けに来たフリストスの商人なんて腰抜かして地面に座り込んでいる。かくいう自分も剣を持つ手も膝も震えて歯の根があわない。煮えたぎる地獄の顕現が目の前にいるのだから気を失って当たり前だ。銀色の面をつけた男達に囲まれていなければ脱兎のごとく逃げ出しただろう、大剣を構えたバクホーデル自警団のパットン・ダリルは
目の前の光景が信じられず、自分が何をしにここに来たのかすら思い出せなかった。
「海尋ちゃん、こっち終わった。離していいよ」
「ありがとうカフカース。えーっと、熊?かな?よく頑張りました、さぞ痛かったでしょうに、もう大丈夫ですよ。」バーゲストにそう伝えてバーゲストの首の後ろ側をわしゃわしゃと撫でると、さも不思議そうにバーゲストは自分の体を眺め回す。
「し、失礼!私はヴラハの商人でエルマ・バルビエリと申します!」
集団を抑えていたアルルカン達に後に続くよう指示を出し、タイフーンへ戻ろうとする海尋に、背の高い身なりの整った男が声をかけてきた。
「もしやあなたはテュルセルのシヅリ・ミヒロ殿ではありませんでしょうか?」
初老一歩手前の灰色の混じった髪、髭は綺麗に整えているようだが、それでも馬車旅の最中なのか生え始めの髭に白いものが見える。筋骨隆々ではなきが、結構がっしりとした体格の紳士然とした男に声をかけられ、翠の瞳を向けると
「おお、その翠玉と称えられるその瞳、メイピック殿から聞いた通り!」と近付いてくる。
随分と芝居がかった物言いに海尋達の警戒指数がちょっと上がる。
(1706:ヴォルク各員、その男、海尋ちゃんに近づけるな)
カフカースからの通達で白装束に鏡面の男達が海尋の前を塞ぐ。
(00:無用、カフカース、心配いらないよ。ヴォルク01、ちょっと前開けて下さい)
「初めまして、フリストス連盟商人のエルマ・バルビエリ様ですね。テュルセルの港湾事務所でお名前と紋章を拝見させて頂いております」
少し間をおいて居住まいを正し、襷に結っていた紐を解いて袖丈を長く仕立てた長い袂を軽く揺らして整える。
「テュルセル海運商人の鎭裡海尋と申します。出先でお目にかかれるとは奇遇なご縁です」
「いやいや、こちらこそ是非ともご挨拶申し上げたかったので、なんたる暁光!」
話が長くなりそうなテンションだな、と浅く軽く対応しておこうと挨拶は早めに切り上げる。
「後ろのソリ乗せている黒い(汚れた)菰でくるんでいるのはこの熊?ですか、の子供ではありませんか?黒い染みは血ですね。差し詰め、一度母熊ともども殺したけれど、残った一頭のために母親が凶暴化したって所でしょうか。確か猟師組合では熊の狩猟は集落に入った雄が立ち退かない時以外は禁じられていたと・・・」
「うるっせぇっ!なんも知らない余所者のガキが生意気な口聞いてんじゃねぇっ!ブッ殺すぞ!」
クロスボウを構えた猟師の一人がクロスボウの狙いを海尋に向けて威嚇すると、海尋の側で大人しくしていたバーゲストが「グゥオオオオゥッ」と牙を剥いて猟師に向かって吠える。
「やめないか!あー、横から失礼、シヅリ殿と言ったな、バクホーデル警備騎士団のパットン・ダリルだ。こちらにもそれなりの理由があるので余計な詮索と追求はやめて頂きたい」
「そちらの事情なんて知ったこっちゃありません。そちらに原因があるのなら詫びの一言くらいはあってもいいんじゃないですか?」
「てメェっ!舐めた口聞いてんじゃねぇぞっ!人様の獲物横取りしやがって、何が詫びだ!囲んで
年嵩の、いかにも頑固老害といっ佇まいのボウガンを構えた初老の猟師を先頭に猟師たちが海尋に詰め寄って唾を飛ばして吠える。
海尋を囲んでいた白装束の一人が海尋を見ると、海尋は黙って頷いた。それと同時に漁師の顔が歪む。「げべぇっ!」アルルカンの一人マヌエルがブン殴り、姿勢を崩してよろめいた所に同じアルルカンのジャコモから腹に膝蹴りを喰らわされる。「おぼるぉおおっ!」腹を抑えて転げ回り、折れた奥歯を血と一緒に吐き出して悶絶する。それを皮切りに他の猟師が海尋に向かってボウガンを発射する。
が、至近距離で放たれた強力なボウガンの
このクソ生意気な商人の小娘を殺して溜飲を下げようとしたが、これでは殺人未遂の現行犯だ。司祭と自警団員の目の前で・・・小娘に馬鹿にされ、今度はいいように手玉に取られ、恥の上塗りどこえろか集落を歩けなくなりそうだ。いっそ腰のナイフで刺し殺そうかと動いた右手が黒塗りの棒で制される。手首の上あたりを強く押さえられナイフを鞘から抜くことが出来ない。ただ涼しく清した小娘の顔を睨み付けてやり場を失った憤りにプルプルフルしていると
「およしなさい。今なら頭下げれば無かったことにしますけど、次は《ころし》ます。」
鏡面を被った白装束の男たちが周りの猟師達を牽制するように立ち塞がる。パットンと名乗った男が初老の猟師の胸ぐらを掴んで殴りつけて地面んに転がし
「いい加減しろジジイっ!もうお前が威張り散らせる状況じゃないんだ!」
そう言い放って
「申し訳ないスズリ殿で良いか?どうも発音がうまくゆかんのでご容赦願いたい。この猟師はしばらく牢屋に放り込んで頭を冷やさせる。こちらにも事情が・・・」
「「いえ、そちらの事情は結構。どうして母親を真っ先に殺さなかったのか?それが知りたかったのですが、もう結構です。子供殺されたら凶暴化するからまず母親からって事もわからない程ボケた
老人に問いただしても時間が無駄なだけです。カフカース、タイフーンに僕の着替え積んでたよね?」そのままスタスタとタイフーンへと戻ってゆく。
「ちょちょちょ、ちょい、ちょい、海尋ちゃん?」このジジイどうすんの?と聞きたかったが、もう
地元民に丸投げだろうか。慌てて主人の後を追う。
タイフーンんの後部に乗り込むや否や、帯を解いて草履から革靴、着物から軍服っぽい格好になるのではなく、ちょうどカフカースの足首丈になるような薄手のコートをカフカースに渡して
「それ羽織っといて。あの連中、さっきからカフカースの脚ジロジロ見て気分が悪い!無作法にも程がある!メイピックさんが言ってたホモのデブってあれか、あの筵見たいな色したローブ被ってる死体みたいな肌色した奴か!人の事ニチャニチャ眺めて影の尻を影の手で撫で回して、ああ、気持ち悪い!用事済ませてささっと帰ろう!」
「・・・海尋ちゃん、下手に薮突くから余計なモン出てくるんよ。ほっときゃ良いのに」
「ニヤニヤしながら気持ち悪い目で僕とカフカース眺め回されて不愉快だったもんでつい・・・、ただでさえ躾の悪い老人は大嫌いだから余計にさまだどっかトラウマと精神的嫌悪感が残ってるのかな?」
「ま、過去のプライドと性欲だけで生きてる萎びたなめくじだと思って一発ブン殴って身の程わからしてやろ。それと向こう最低で十日は帰れないよ」
「えっ?なんで??釉薬の具合見るだけだから明日には帰れると思ってたんだけど・・・野営用のテント積んであったけ?」
「その辺抜かりはないよ。どんな窯かによるけど、大体火入れで三日、一昼夜焼いて窯冷やすのに四日、あとは窯入れ、窯出しでどのくらい時間かかるかだね」
両手を顔の前でパン!と合わせて「すごいやカフカース!まっっったくそこまで考えてなかったよ」
と素直に賛辞を送る。「んっふふふん。このくらいちょっとメモリー漁れば軽いもんよ」ツインドリった左右の髪をパサッと跳ね上げ、得意げに「もっと褒めろ」と流し目を送りながら「ご褒美」にバクホーデル滞在中の湯浴み番と添い寝&夜伽番をおねだりしても許されるだろうか、いや、旗艦装備のない自分達(駆逐艦勢)には海尋ちゃん側近としてお局(サーシャとヴィータ)のいない状況で同行している今がチャンスである。今後、ヴァルキアにも長期で滞在することになるかもしれないが、今のうちにモノにしておけば後々夜伽甘甘オトコノ娘っくすも嬉し恥ずかし乙女の妄想大フィーバーな夜も夢ではない。主人の白くて細くて僅かに丸みを帯びたエロい体を撫でて摩ってねぶって指先で捏ねくって、と妄想世界にダイブしてたら「ぐへへへへ」と口の端から涎とキショい笑いがダダ漏れて主人にドン引きされていた。新設した女帝様用旅客シートで緑茶啜って「何も見てません」な演出をそれも朝から着ていた仕立ての良い薄紫に春の花々をあしらった絵羽模様の訪問着からよもぎ色の小紋と黒繻子の鯨帯、見た目で性別の分からない、それでも高級感のあるしっかりした身分である装いに着替えている。
「あの、海尋ちゃん?いつの間に・・・」さささっと緩んだ口元を直し、涎の跡を「なかった事」にすると、
「トリップして両手ワキワキさせてたんで妄想でお楽しみの所邪魔しちゃ悪いなーと。おおかた瓦に色合いに興奮したんでしょ。(悪い意味ではない)温度差で偶然できる釉薬の滲みって綺麗だもんね」
いえ違います。主人の細い腰や少女のように丸みを帯びた柔らかそうなお尻とか薄い胸の先端にある桜色の乳首とか妄想してましたとは記憶領域破壊されても口に出来ない。
「まぁ、お茶でも飲んで落ち着いたら戻りましょう」「あっ、はい」と主人の正面に座り、「頂きます」と主人の用意した緑茶を啜る。侍女としてあるまじき行為ではあるのだが、ガッチガチのアレッサンドラやペレスヴェータ達がいたら、よくて刃物で切りつけられるか悪くて機能停止の上、物置に放置されるだろう。困ったことに主である海尋ちゃんが主従の関係というものに疎く、結構フレンドリーに接してくれるのが困りものではあるが、個人的には嬉しいし、好感が持てる。
現に4人分の保温カップにコーヒーを淹れ、お茶請けに小魚を甘辛く炒ったものまで用意している。
自分たちが戻ったらあの白装束達に休息させるのだろう。
「ねぇカフカース、どう思う?」「え?何が」
あの筵に覆われた熊の事だろうとは思うが、ちょっと主の見解を聞きたいのでしらばっくれる。
「街道を塞いだ倒木、あれは何の為だろう?熊が倒したのは確かなんだろうけど、その意図は?」
「何考えてんの?熊の考えなんて分からないよ。あの熊が力関係の分別つけられる程度に賢いのは分かるけど」
「それなんだよねー、・・・」
そこまでで会話が途切れる。
車外で騒が敷くなり、二人とも後部昇降口から飛び出すと、大人しくしていた母熊、ヴァーゲストが
先程の無礼不遜の老猟師の胴体を噛み千切っており、おそらく頭に一撃喰らって吹っ飛ばされ後、少し遊ばれてから腹に噛みついたのだろう。とてもじゃないが正視に耐えない有様で顔は潰れ、砕けたで蓋骨から脳漿が飛び散っている。手足もあらぬ方向にへし折れて半分千切れかけている
そんな状態で上下に分かれた死体を尚も前は足で払い飛ばし、近くの木にブチ当てては他の木にまた当ててと遊んでいる。
そこへマヌエル達白装束四人が海尋の周りを護るように固まると、
「暫くあの警備騎士のパットンと老猟師の間で言い争いをしてたのですが、老猟師が騎士の言い分書きに食わず、、「あんなガキなんざ痛めつけてご身分ってやつを解らせてやりゃぁ良いんだよ、ついでに積荷も頂いちまえ!」と大人しくしていたバーゲストに蹴りを入れたら暴れ出しまして」
マヌエルからの報告に
「よくやりました!と褒めちゃダメかな?」「バーゲストを、ですか?」「うん」「あまりお勧めは致しませんが、褒めるよりいっそ調伏なさってはいかがでしょう?主人を罵倒した報いと考えればあのバーゲスト、中々見所があります」
本人は冗談のつもりだったのだが、「この世界」でのまともな常識があれば「冗談はやめて下さい」とでもいうのだろうが、ところがどっこい、あなたの主人は異世界の人間で熊どころか犬猫さえもメディアの中でしかお目にかかれないようなディストピア出身だ。そうなると
「あ、それは面白い!」とぽん!と手を叩きクッソ真面目な顔で
「どうすれば調伏できますか?」
と尋ねてきた。大昔、まだ「魔法」なんてものがあった頃、何かしらの術を用いて魔物を使役することもあったらしいが、魔獣を調伏して使役しようなんてまともな頭で考える事じゃない。それをまぁ、この年若きお館様は、いともあっさり「面白い!」などと言ってのけるその豪胆さと度胸には、生きるも死ぬも表裏一体の自分達を遥かに超越した所に座す存在なのだろうかと考えつつも、
「申し訳ありません。我らはその術を存じておりません」と答えるのが精々だった。しかし、
「あ、そういえば熊って近寄っちゃいけない猛獣だったっけ。人を襲うとか。」
もう襲われてる。ぐっちゃんぐっちゃんになるまでおもちゃにされて最後の一撃とばかりに仁王立ちになったその足で、かろうじて人の頭かな?程度には判別のつく砕けた頭蓋骨ごと完全に踏み砕いて咆哮をお上げた。猟師の群れに混じったヴラハの商人、エルマバルビエリ含めパットン・ダリル
警備騎士団一同は完全に恐れ慄いて、離れたところで一塊になっている。車中に飲み物用意してあるから休息にして下さいとマヌエルに伝えると「はあああっ?」と素っ頓狂な声をあげて仁王立ちのバーゲストに向かお館様を目で追った」。
仁王立ちのバーゲストに風呂敷包み片手にスタスタ歩み寄り、
「ああ、もう動いても大丈夫だね。ついでにちょっと穴掘ってくれないかな?」
と声をかけた後、バーゲストの子供を覆っている筵を捲り上げ、生皮剥ぎ取られたその仔熊にしゃがんで手を合わせると着物の袖や手に血が付く事も厭わず、風呂敷包みから先程まで着ていた一枚の着物、薄紫に春の花々をあしらった絵羽模様に仔熊の亡骸を丁寧に包み、近くに転がっている手頃な木片を木簡の形に整え帯に挟んだ「矢立て」(大昔の筆入れ。墨汁の入れ物付)から筆を取り出し
木簡に「南无阿彌陀佛」と書き込んだ頃には、街道脇の木の根元に冬眠でもすんのかって暗位の穴が開いていた。その中に着物に包んだ仔熊の亡骸を置き、カフカースに頼んでタイフーンから持ってきて貰ったスショベルで土をかけて穴を埋める。一通り埋め終えると、その前に膝をつき両手を合わせて「なもあみたふ、なもあみたふ」と二度繰り返して後ろを見ると十時を切るカフカースと涙ぐんで手を合わせる白装束四人、バーゲストの母子が同じように手を合わせていた。
猟師と騎士どもは遠くで眺めているだけだったが、その中からエルマ・バルビエリが近づいてきて「それは何か宗教的な弔いの作法でしょうか?」と問いかけてきた。
「ええ、まぁそのようなものです。ただの真似事なので詳しくは分かりませんが、死者への供養です」手を合わせたまま答える海尋に
「?バーゲストですよ?」どうにも理解できないと言った顔つきで商人が商人に尋ねる。
「それが何か?ただ生革剥ぐのに殺したのでなければ、生活の糧として命を捧げて貰った仔熊に感謝と尊敬の念もないんでしょうか?僕ら日本人は古来より生きる糧として奪った命に感謝と尊敬を持って奪った命を弔い墓を建てます。人も家畜も変わりません。そこの老人や感謝も尊敬も持てないような無礼不遜な年寄りは除きますけど」なので「そこの死体弔うならそちらのお身内だけでやって下さい」
そう言い終えて傍に置いたスコップを手に取り立ち上がり、街道の真ん中に立つ。ショベルの柄を握り、二、三度ショベルの刃先で地面を叩くと、取っ手にあるY字の隙間に指を入れてクルクル回した後、大きく吸い込んで吐いた息を止めると同時に大きく踏み込んで上体を大きく傾け下手投げの要領で大きくシャベルで何もない空間を下から上に切り上げる。
モーションが大きかったせいで切り上げた動きに沿って少し飛び跳ねてしまい、くるりと後ろを向いてステップを踏むように着地すると、背中の方から轟く
「さ、行きましょうか」と「お見事お見事」と囃し立てるカフカースに声をかける。呆然と白い眼をして突っ立つ白装束とヴラハの商人とひれ伏すバーゲスト、猟師と警備騎士は逃げ出した。
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