第7話 牛丼は日本のソウルフード

ミカエラのそばにいる侍女が軽く腕を一振りすると、テーブルの上の短剣が音も立てずに白装束の首の皮一枚分の厚み程度の隙間を空けて首の真横に突き立てられる。

「不愉快な戯言はその程度にしといて下さいませ。性別として男性である事は私が保証いたします」

白装束の真っ青な顔が絶望で血の気が引いた蒼白になり、諦めの色を浮かべて目が完全に死んでいた。

 夏も近いというのに、なんとも薄ら寒い空気が漂い窒息しそうだ。モイチはモイチで白装束どもの処遇をどうするか、バンゴの救出にアマカスの手を借りようか、だとしたら報酬はどっから出すか、傷心の奥さんに金の話はしたくないなぁ、などと苦虫潰した顔しながら、とりあえず自害なんぞされちゃぁたまらんので白装束の首の横に刺さった短を引っこ抜いて元通りテーブルの上に鞘に入れて置く。侍女は侍女でちょっと換気いたしましょうかと窓の戸板を外すと、部屋の中が格段に明るくなり、塩気を含んだ風が室内に漂ってきてそれまで感じていた閉塞感が取り払われる。すると、階下から上がってきたミヒロが


「すいません、モイチさん、駱駝預かって貰える所ってありませんか?」と尋ねてきた。


「?駱駝?駱駝なんて話どっから出てきた?管理事務所の脇に遍歴商人用の一時預かりの馬屋ならあるが、アルルカンじゃなぁ……」


「う〜〜ん、じゃぁ、後々のこともありますし、僕のトコでいっか」


「あ、それでしたら海尋様。先ほどクロンシュタットから駱駝4頭飼ってもいいか?との問い合わせがありましたのでその場で待機させております」


侍女が答えた。


「あら、まぁ。クロンシュタットにちゃんとご飯とお水あげて・・・、ん?駱駝って雑穀でいいのかな?」


「餌は干し草で十分だが、行商人なら二、三ヶ月は餌も水も無しってこともあるから、あんま気にするこたぁねぇよ。それよか威嚇と唾液に気をつけろって伝えてやんな」


「それはどうも、ご忠告痛み入ります。すでに一人身を持って体験済みで御座います。」


「おい、すまんが駱駝の扱いは丁寧に頼む、神からの授かり物だぞ」


置物とかした場所から動かずに。両膝ついて膝に固めた拳を置き、背筋を伸ばして畏っている白装束が声を上げる。



「家畜が重要視されるのはどこでも同じなんだ、サーシャは駱駝に乗った事なかったよね」


「「鉄の馬でしたら自室にありますが、この辺りでは使えませんね」


そんなこんなで、駱駝談義で暗鬱とした室内の空気が薄まった頃、


「…………なにこの状況?モイチのおっちゃんはともかく、この畏まってる白装束は何?」


小部屋の入り口から、さも寝起きで御座いますといった風情の赤髪の少女が顔を出す。

薬で眠らされていたせいか、いまひとつ意識の覚醒が定まらず、微睡む目元を擦りながら、室内に見覚えのない薄荷色と青を認識すると、高層ビルの快速エレベーターの如く、微睡の中から意識が引き上げられ急速に覚醒する。


「うえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」

と雄叫びと共に大慌てで小部屋に引っ込み、ドタバタと急いで身支度整えるような喧しい音と共に


「なんでぇっ!なんで「翠玉の姫様」がウチなんかにいるのよっ!あぁやだ、こんなみっともない

格好を御前に晒すなんて!恥ずかしいったらありゃぁしないっ!」


等々、悪態つきながら「あれ、鏡?鏡はどこだっけ」どうやら髪を梳く所までは整ったらしい。


「……翠玉」の?・・・「…………姫様ぁ」?・・・ミカエラの横たわるソファの横、床に座り込んだモイチは腕組みして顎を擦りながら海尋に目を向け、「「翠玉の姫様」ねぇ、ふぅん、ふたつ名としちゃぁ上手い例えだな、「姫」じゃないってことに目ぇ瞑れば」



「モイチさぁん、肩が凝ってるみたいですねぇ、よかったら揉んで差し上げましょうかぁ?」

と両手の指をワキワキ動かしながらモイチの方へ近づくと


「やめろ、その手の動きやめろ、マジで怖えぇ。それと目が笑ってねぇぞ、頼むから近寄るな」


ソファの背もたれの後ろに回り込みソファを盾にガタガタ震える筋肉と全身の筋肉を引き攣らせて硬直する白装束。


 そんな中、当の海尋は侍女のアレッサンドラと暫く無言で見つめ合った後、モイチに向かって

下に行くとゼスチャーで伝えてその場を後にした。

海尋と侍女が階下へ向かうと同時に身支度整えた一人娘のパルテニアがおずおずと小部屋から顔を出し、キョロキョロと室内を見まわし、

「あれ?翠玉の姫様とお付きの人は?」とモイチに尋ねる。白装束も海尋たちについて行こうとしたが、体の動きがおっかなびっくりでぎこちなく、立ち上がる事もできない様子なので膝ついて固まったままだ。


「ん?なんかの見間違いじゃねぇの?そこの白装束はバンゴの使いの人だから気にしないように」


「へ?親父なんかあったの?」


「あ〜、船がちょっと壊れたんで帰りが遅くなるそうだ。それをわざわざ陸路で伝えにきてくれたんだそうだ。俺っちもばバンゴの帰りが予定より遅いんで様子を見に来たらちょうど白装束の兄さんと出くわした訳だ」


「ふぅ〜〜ん、てっきり親父が出かけてる隙におっちゃんがママを口説きに来たのかと思ったよ」


と、細めたジト目でモイチを注視すると、バツ悪そうに鼻の頭をカリカリと指で掻いていた。

咄嗟に嘘をついて大事にならんように納めようとした訳だが、階下の従業員にも、ひと肌脱いでもらおうかい。と立ち上がり、横になっているミカエラに「バンゴはちゃんと連れて帰ってくるから安心してくれ」とだけ伝えると


「そんじゃぁ、俺っちはこれで失礼すっぜ、おう兄さん、駱駝酔いは治ったかい」


モイチがよっこらせと立ち上がりノシノシ階段へと向かっていった。

白装束は筋肉痛でもあるかのようにゆっくり立ち上がり、部屋を出る際に


「世話になった。後日改めて詫びに参る」と頭を深く下げて階段を降りていった。


 野郎どもがいなくなった部屋に母と娘二人きりになると、赤毛の娘が母に寄り添い


「相変わらずモイチのおっちゃん優しすぎるよねぇ。心配させまいと嘘までついちゃって」


「あなたいつから起きてたの?ほんと、あれで浮いた話一つないんだからモイチさん身持ちが硬いわよねぇ」


「ママもママで「翠玉の君」に手を取られて顔赤らめちゃって、パパ帰ってきたら言いつけちゃお」


「ふふん、羨ましい?あの顔とあんな涼しい声で慰められたらコロっと傾いちゃうわ。久しぶりに

トキメいちゃったわよ。「姫様」って言われるのも納得だわ〜」


「あたしんとこにはお付きのお姉さんだったけど、あれもあれでクるわ。女神様とかいたらあんな感じじゃないの?翠玉の君がママの手をとってる所で一回様子見てたんだけど、邪魔しちゃ悪いと思ってベッドに戻ったらこっちからガキゴキすんごい音してるし、噂の翠玉の君のお顔を間近で御尊顔出来ただけでも怖い思いして得した気分だわ。所でこのお茶どこの?」


すっかり日常を取り戻していた。

 

まぁ、、そんな感じで誤魔化してはきたんだけど、あんたらもすまねぇが一口乗ってくんねぇか?何よりパルテニアにいらん心配かけたくねぇんだ」


一階で待機していた従業員の前でモイチが両手を合わせて頼み込んでいた。


「奥様もお嬢様も大事ないならそれだけで十分だ。大将はあんたらが助けてくれるんだろ?ならなんも心配いらないわな」


一応、事の次第と経緯と現状を先に説明してのことだが、従業員達は雇い主とその家族の心配、雇用の継続が分かれば他は関心がないようで、いつでも仕事を再開できるように各々道具の手入れに手をつけていた。


人目につかないような一階作業場の隅っこで白装束四人が並んで控えて次女の出した茶を啜り、その前で着物姿の海尋が足を揃えてしゃがみ込み、白装束の話に耳を傾けていた。


「事情はよく分かりました。マヌエルさんも思い切った事しますねー」


マヌエルというのは2階で「生きてる彫像」状態にされた白装束で、四名の中ではリーダー格のようで、他にアニエッロ、トマーゾ、ジャコモの三名、四人ともハルカムという名のヴァルキア侯爵に雇われた私兵で雇われた手前、密伐採に関しては何も言えないが、森の育成、保護といった壮大な戯言を吐くバンゴに興味を持ち取り調べの名目で色々問いただした結果、森を潰してしまうよりは生かしておくべきで、「身代金」を献上することで金に汚いハルカムの目溢しを狙っての事だとあっさり白状したのである。


今でこそ故郷ぐるみでアルルカンなんて請負暗殺組織なんぞをやってはいるが、戦争で荒地になる前は緑豊かな土地だったので、森を潰すのには四人とも抵抗があったんだそうだ。かと言って、何が出来るでもなし。ならばバンゴを逃し、モゴロ馬賊の襲撃を装って密伐採関係者を皆殺しにした後自害しようかとも考えていたので、そこまで明かしてバンゴ救出に手を貸すから後始末は任せて欲しいと海尋に打ち明けた。

 のだが、帰ってきた答えは


「結構です。そのハルカムとか言う笑える名前の侯爵とその私兵以外殺す気はありませんし、どうせなら強制従事させられている人たちも助けましょう。我欲のために自然を破壊するとか驕り高ぶった冒涜と知れってものです。いっそ侯爵領共々消し炭にしてやりましょうか。あなた方が望まぬ仕事で手を汚す必要はありません」

立ち上がり、背を向けてキッパリと、何が不興を買ったのか、静かな瞋恚〈しんに〉の炎のような

言葉が吐き出されると、マヌエル以下三名は萎縮してしまい、何も言うことができず、只、地に頭をつけて平伏していた。勝手に体がそう動いた。頭領の前で頭は下げても、土に額をくっつけたりはしない。四人揃って無防備な背中に土下座で真意を語るしかなかった。

「あ、ちょっと!何やってんですか!頭を上げて下さい!お気持ちは分かりましたから!」

唇を扇子で軽く叩きながら宙を泳がせていた視線を後ろに戻すと、それまでの冷たい怒気を纏った気配はどこへやら、ひどく慌てた様子で土下座の四人に土下座をやめてくれとあたふたし始める。

その様は丸っきり子供じゃないか。一体なんなんだ、この子供は?いや、本当に子供か?もし本当に子供だとしても「器」が大き過ぎるのか、絶対の力量で自分達など気に掛けるほどでもない些細なものだからなのか、何がどうあってもこの少年?には足元に平伏するしか手段がない。


「とにかく、僕たちはバンゴさんの救助に向かいます。戻ったら駱駝もお返し致しますので後はお好きにして下さい。あなた方の後を追って侯爵の手の者が来ないとも限りません。なのでご家族と

従業員の方達を守ってください、お願いします」

と手を合わせると

「ご下命承知致しましたっ!この身に変えても尽力いたしますっ!」

と四人揃って地面が凹むほど頭を地面位押し付けた。


「さ、サーシャぁ、……どうしよう…………」

不安でいっぱいいっぱい困った顔を侍女に向けると、


「マヌエルとやら、実にあっぱれです。わが主の偉大さに気づき平伏するとは見所がありますっ!」


「あーもうっ、困ったなぁ、それじゃぁ、お願いしますね」


と、店番でも頼むような軽いノリで振り返りもせずバンゴの商館から船着場へ向かって歩き出す。


「おいおい待ってくれよミヒロちゃん、俺っちも連れてってくれよ。道案内は必要だろう」


三人揃って桟橋へ、かと思いきや、そのまままっすぐ新区画の船着場の端っこへ。そこにあの自分で勝手に動き回る船が主のお帰りを待つ犬っころのように待機していた。誰も乗っていない船を遠巻きに眺めていた港湾労働者達が船に向かって歩いてくる三人組の姿を見つけると、二つに割れて間に道が出来る。その先にはどうぞお乗り下さいと後ろを向けて接岸する金の縁取りが施された青い船。船の横には紋章らしき丸い模様が入っていた。

まずミヒロが飛び移り、ミヒロに手を引かれ次女が飛び乗り、港湾労働者どもが注目する中、モイチが乗り込む。この間は後部の甲板だったが、今回は甲板中央の開き口から船内に入った。中は白く塗られた一枚板の壁のようで、船室の中央にはテーブルのように2段重ねの大きな箱が置かれていて、左右の壁には簡単な椅子が備付けられていた。初めて見る珍しい物に目を奪われていると、船室に入ってすぐ左の天井上にある垂直に飛び出奇妙な取っ手(船外機銃(CWS)のコントローラー)が目に止まる。

「モイチ様、くれぐれもお手を触れないように」と侍女から釘を刺され、肩を落としてコントローラーのすぐ隣の席に座り、未練がましくコントローラーから目を離せないでいると、

「今回は使う機会はないでしょうし、使う機会があれば使い方をお教えしますので、子供みたいに

張り付かないで下さいませ。巨体が出口付近に居座られますと、ぶっちゃけ厄介です。それより場所の案内をお願い致します」次女がそう口にすると、中央におかれた箱の天板にリーデルゾッタ海を中心にその周辺地図がマス目の入った空間にモイチから見て正面に浮かび上がる。箱の反対側にいる海尋からは逆方向になるが、空間投影された地図に驚いて気を遣える余裕がない。

しかもその地図は今まで見たこともないほど正確に見える。「測量」なんて技術がまだ確立されていないので、普段から腰に吊るしている円筒に入っている、モイチがフリストス同盟界隈で一番正確だと自負している自分の地図(海図)よりも正確そうだ。何しろ、「見たまんま」、「おおよそ」の陸棚と目印になるような特徴だけを相互の位置関係で表しているだけなので目の前の地図と比べると

子供のラグガキみたいな物に思えて恥ずかしくなってくる。

「な、なぁミヒロちゃん。この地図ってどうやって描いたんだ?」そう言えば、初めて港湾管理事務所で顔合わせた時も砂の画板にこの辺の地図描いてたっけか、恐ろしく正確そうなヤツ。

それにこの赤い色のついた所は何だ?」

「あ、見辛いですね。すぐ直します」投影された地図に手を翳し、表面をサッと撫でると海と川が青く、陸地は白っぽく大小様々な大きさの四角が乱立し、森と湿地が緑で表されていた。

「こちらの方がわかりやすいでしょうか。上空から撮影したものを合成してあります」


「ジョークー?」「サツエイ?」さっぱり分からない。だが、形から判断して


「ここがテュルセルでここが港か。で、この斜め上に流れる大きな川が「カリル川」、そのカリル川の河口に広がるのがヴラハの街で、ここもテュルセルと同じ港湾都市で、フリストス同盟に入ってる。バンゴがとらえれれているのは恐らく川の上流、ピケロー山の麓あたりだと思う。この辺の緑色の所だな。だが、どこで野営してるかは話からねぇ。近くに船でもとまってりゃあいいんだが、まぁ、一旦ヴラハの管理事務所でバンゴの書類確認した方がいいな。バンゴ捜索の大義名分があるにしても筋は通しておいた方が良かろうし。」


モイチの指し示した箇所をそれぞれ見ながら「ヴラハまでは1時間、その先探索含めて2時間位で夕方前には発見できるかもしれませんね」と初見の見通しを告げると、


「おいおい、快速艇〈ロルチャ〉でも風の機嫌次第だがどう見繕っても川の上流に着く頃にゃぁとっぷり日が暮れてるぜ……って、この船、風は関係ねぇんだったな。」


「さてさて、それじゃぁいきましょうか」そう言ってから船室の一番前、右側の一段上がった所の席に座り、通路挟んで反対側に侍女が座ると、船体が低い唸りを上げ、振動が伝わってくる。

さて出発か、と身構えたところでミヒロが椅子から降りてモイチが座る席まで近寄ると、

「ちょっとトバしますので安全ベルトしといて下さいね」と椅子から伸びた灰色のベルトと金具で椅子にピッタリと押さえ込まれる。


「な、なぁミヒロちゃん、俺っち船の外の方が性に合ってるんだけど……ダメ……かなぁ・・・」


「ヴラハまで我慢して下さい」とだけ言って席に戻る。

何をやっているのか、細かい所は分からないが、かろうじて何か操作しているのだろうって仕草は

見えるので大人しくヴラハまでは居眠りでもしていようと考えていると、そういや、他人が操る船で何もしないというのは随分とご無沙汰だ。おまけにこの船は小さいくせにやたら乗り心地が良い。


この前は後部甲板に座り込んでいたが、波の上下に左右されることなく海面を滑るように進んでいた。波に対して正面から進まないと、この大きさの船だと側面の波に煽られて転覆しかねない。そんなもの関係ねぇやとばかりに絨毯の上でも滑っているかのような感覚に囚われていたのも最初だけ。


リーデゾッタ海は沿岸近くの波は穏やかだが、中心近くは風も波もそこそこ荒れる。上下に大きく揺れるので船に弱いやつならあっという間に船酔いを起こす。かろうじて対面の小さな窓からみえる左から右へものすごい速さで流れる景色からヴラハまではあと少しだろうと思うが、この速度で体に感じる船底が波に当たる小刻みの感触がまるで子供の頃に遊んだ水切りの石のように海面と波を弾いて飛んでゆく石のように感じる。


感動が羨望に変わり、自分の手で操りたくなる。今度聞いてみようか。いや、聞きたい事は山ほどある。整理しようとしたら何か書き留めておく物が必要だ。と悶々としているうちにミヒロが席を降りてモイチの体を固定したベルトと金具を外しながら


「モイチさん、もうすぐヴラハの港に着きます。停められる所教えて下さい」


と聞いてきた。

ろくすっぽ港の様子も見ず「尖った2本の角生やしてる白い建物があるだろ、そこの正面に岸壁から一段下がった低い船着場がある。そこの一番右端に連絡船用の係留場所があるからそこに停めてくれ」


Паньятнаパニャートゥナ(りょーかーい)」

母国の言葉か?なんて言ってんのかは分からないが、こっちを向いて片手を上げて返答したんだから

承知したって事だろう。が、中央のドアを跳ね上げて跳ね上げたドアを押さえながら


「もう甲板に上がっても大丈夫ですよ」そう言って後部甲板に出ていてしまった。

「お、おう」と応答して立ち上がり、続いて数段のタラップを上がりながら狭いドアを抜けると、緑の匂いを含んだ潮の匂いと街から流れ込む雑多な線香と香辛料の匂い、それと、霞んで聞こえる神に祈りを捧げる祝詞の詠唱。


甲板の手摺から身を乗り出すようにヴラハの街並みを眺める海尋に手摺を背もたれに横目で船着場に目をやるモイチが「アマノ・モリってどんな宗教なんだ?」とちょっとした好奇心で口にした。

「元は「神道」、惟神道(かんながらのみち)と言って、 教典や具体的な教えはなく、開祖はいません。 神話、八百万の神、自然や自然現象に基づく祖霊崇拝的な民族宗教だったのですが、他の宗教も文化交流や伝来によって他のいくつかの宗教がそれぞれ独自に発展してます」


「うへぇ、それでよく戦争にならねぇな。いやな、ヴラハって所は「ボノレッサ」っていう土着の宗教を信仰してるんだが、それに新興のオルスクス、異文化圏のアクタス教なんてのと諍い起こしてそれが戦争の原因になったりしてるんだ。


オルスクスが一番厄介で領土広げて宗教圏で支配力を高めていやがるんだ。オルスクス教徒以外は異教徒とみなして殺戮まがいの事もしでかすし、差別や虐待も平気でやらかす。


アクタスは元はボノレッサなんだけど、もうちょいわかりやすく、信仰の主体とお題目をハッキリさせようと改変したものなんだよ、そのせいか、割とボノレッサとアスタスはお互い上手くやってる ん、なんだ、宗教に興味あんのか?」


気がつけば、身を乗り出してヴラハに見入っていた海尋が真剣な顔つきでモイチの弁舌に耳を傾けていた。

「博識なんですね、凄いなぁ、」

と尊敬の眼差しでモイチを見上げる。

「よしてくれ、褒めてもなんもでねぇし、こそばゆい」

そう言いながら胸の辺りを軽く掻き出す。


船着場に船が近づき、船の右側を接岸させようと左に旋回しながら岸壁に停泊させると、一段上の波除から大勢の見物人が身を乗り出し、なんだなんだと騒がしい。


「そりゃぁ、同盟の旗掲げたマストも帆もない船ってだけでも珍しかろうなぁ」


上からのの喧騒を気にも留めず、接岸した船着場にモイチ、海尋、少し遅れて船室のドアから出てきたアレッサンドラと続く。


「うおおおおー」と美人の登場に頭上から驚嘆の声が上がる。


石灰を固めた目の荒い石肌のような堤防兼船着場から一段上に上がると平たい石や砕けた煉瓦を敷き詰めた広い道と両脇が通りの真ん中より高くなるように舗装された見通しの良い道が続く。両脇


は一応歩道の体をなしていて、わざわざ段差を作って馬車や荷車の使用帯と区別しているようだ。目的のヴラハの同盟事務所はというと、先ほど目印にした「尖った2本の角生やした白い建物」でア石造りのアーチ型城門のような木と鉄の大きな扉を、2本の柱が挟み、柱の床と天井に接するところには柱のぐるり一周を目つきの鋭い牛や山羊のような動物の彫刻が施されていた。


 一階部分に窓と見られるものはなく、建物の上の方に透かし彫りを施した円形の枠が等間隔で壁に嵌め込まれている。おそらく明かり取りだろう。そのまま大きなアーチ型の門の前まで来ると、大きな門の下半分位の高さの普通の四角い開き戸がり、そこから中に入る。奥行きが長く取られた中はそれほど暗くなく、丸い明かり取りから入った光が白い壁や天井に反射し歩き回るには不便しない程度の明るさになっているが、中央に二重になったUの字テーブルがどっかり構えており、外側で受付、中側で詳細処理を行っている様子だった。中は明るいとは言っても書き物や書類の確認には手元が暗いので各自机の手元に透かし彫りの入りの取っ手の付いた円筒形の行燈を置木、中の蝋燭に火を灯し灯りを隠している。


テュルセルでは透けるほど薄く削いだ樹皮に細く削った木炭で文字を記入していたが、ここでは獣の革を薄く削いだものに先をとがらせた陶器に削り込みを入れて藍色のインクで文字を記入している。テュルセルの事務所と違い、壁に仕事依頼の張り紙や人足の募集と斡旋もなく、外側の職員に何かを報告し、内側の職員が纏めると言った形の作業体制になっていた。そのため、事務所の中は

綺麗さっぱりとしており、順番待ちの椅子で酒飲んでるような港湾労働者や船乗りの姿がない。

映像記録で見た「銀行」という金融機関の仕事場のようだと海尋は思った。

 

「さて、まずは入領手続きと、バンゴの記録調べてもらうとすっか」


とのしのし二重Uの字テーブルへと向かってゆく。

 

「何やら「吉野家」を彷彿させる作りでございますねぇ」珍しくアレッサンドラが軽口を叩く。

「「吉野家」ってサーシャも知ってるの?よく「先生」達が「軽く食ってくかー」って言ってたけど、

僕は行ったことが無いから分からないや」と海尋が軽口に乗る。建物の前に牛によく似た四足歩行動物が敷地内の草を食んでいたので、本当に奥が調理場だったりしないだろうかと少しばかり笑いが込み上げてくる。

「そうでしたか、「牛丼」は日本の食文化の誉れ、良い感じに腐った貴腐人のお姉様方から、OTAKUな戦士、ビジネスマンまで幅広く愛される日本人のソウルフードだと私も聞き及んでおりますが、なんでも池袋三丁目の乙女ロードで熱い戦いを繰り広げた後、メトロポリタン通りの吉野家で並み盛と味噌汁、卵で喝を入れてから山手線内回りで高田馬場を経由して中野ブロードウェイでDEEPなサブカルネタ探しをするのが最先端の淑女の嗜みだったそうで、私の夢で御座いました」

「サーシャの日本感は深すぎて全然わかんないけど、池袋も中野も大陸からの「誤射」で瓦礫の山だよ。

復興より帝回帰の礼で復興予算もなくて闇市とかYAMI-1とか分けわかんない魔窟になってるって「いこちゃん先生」が言ってたなぁ」

「あああ、そんな、なんて、なんて恐ろしい、それでは「関サバト先生」や

「意気地なしのフェティシスト」さんの新刊も、

池咲ミサ先生の陵辱調教モノも・・・

なんて、なんて恐ろしい、おのれ大陸貴様らが拝む陽の光はないと知れ!」

・・・海尋には侍女が何を言っているのかさっぱり分からず、

そこに海尋の知っている侍女アレッサンドラの姿はなく、復讐と怒りに燃える貴腐人の姿を見た。

 

「よう姉ちゃん、ちょいと調べてもらいてぇんだが、二週間くらい前にテュルセルの材木商人でバンゴ・ブリザットってのがヴラハに来てねぇかな?ヴォスロ領カリル川の上流で森の管理で来てると思うんだが、・・・、あ、悪っりぃ、俺っちはテュルセルの・・・」

そこまで言いかけた所で、声をかけられた女性職員が


「はい。存じ上げております。テュルセルの一等航海士モイチ様ですね。お連れの方は・・・」


テーブルから少し身を出して目を細めて海尋と次女の姿を眺めると、


「奥様とお嬢様ですか?ご結婚なさったとは伺っておりませんでしたが、こんなお綺麗な奥様と、

まるで宝石で磨き上げたような一際綺麗なお嬢様まで!!!」


「やめてくれ、奥様でもお嬢様でもねぇよっ!こっちのちっこいのは」

海尋の頭に手を乗せぐりぐり動かしながら「男だ」「んで、こちらのお嬢さんは」アレッサンドラに目を向けて「こいつの侍女だ」

・・・・・・・3・2・1・・・ゼロ。


「っっき、きゃああああああああああああああああああっっっ!!!!!」


Uの時テーブルの向こう、女性職員の皆様が一斉に黄色い歓喜合唱を上げた。

ここんとここんなんばっかだなーと思いつつモイチは両耳を塞いだ。

アレッサンドラはアレッサンドラで、海尋の頭の横から抱きつくように手をまわし、グイッと自分に

抱き寄せる。


あれこれキャイキャイはしゃぐ女性職員にx近づき、女性職員の一人にろくすっぽ港の様子も見ず「尖った2本の角生やしてる白い建物があるだろ、そこの正面に岸壁から一段下がった低い船着場がある。そこの一番右端に連絡船用の係留場所があるからそこに停めてくれ」

「Паньятна:(りょーかーい)」

現地の言葉か?なんて言ってんのかは分からないが、こっちを向いて片手を上げて返答したんだから

承知したって事だろう。が、中央のドアを跳ね上げて跳ね上げたドアを押さえながら

「もう甲板に上がっても大丈夫ですよ」と後部甲板に出ていてしまった。

「お、おう」と応答して立ち上がり、続いて数弾のタラップを上がりながら狭いドアを抜けると、緑の匂いを含ん潮に匂いと街から流れ込む雑多な線香と香辛料の匂い、それと、霞んで聞こえる神に祈りを捧げる祝詞の詠唱。

甲板の手摺から身を乗り出すようにヴラハの街並みを眺める海尋に手摺を背もたれに横目で船着場に目をやるモイチが「アマノ・モリってどんな宗教なんだ?」とちょっとした好奇心で口にした。

「元は「神道」、惟神道(かんながらのみち)と言って、 教典や具体的な教えはなく、開祖もいない。 神話、八百万の神、自然や自然現象に基づく祖霊崇拝的な民族宗教だったのですが、他の宗教も文化交流や伝来によって他のいくつかの宗教がそれぞれ独自に発展してます」

「うへぇ、それでよく戦争にならねぇな。いやな、ヴラハって所は「ボノレッサ」っていう土着の宗教を信仰してるんだが、それに新興のオルスクス、異文化圏のアクタス教なんてのと諍い起こしてそれが戦争の原因になったりしてるんんだ。オルスクスが一番厄介で領土広げて宗教圏で支配力を高めていやがるんだ。オルスクス以外は異教徒とみなして殺戮まがいの事もしでかすし、差別や虐待も平気でやらかす。アクタスは元はボノレッサなんだけど、もうちょいわかりやすく、信仰の主体とお題目をハッキリさせようと改変したものなんだよ、そのせいか、割とボノレッサとアスタスはお互い上手くやってる ん、なんだ、宗教に興味あるのか?」

気がつけば、身を乗り出してヴラハに見入っていた海尋が真剣な顔つきでモイチの弁舌に耳を傾けていた。

「博識なんですね、凄いなぁ、」

と尊敬の眼差しでモイチを見上げる。

「よしてくれ、褒めてもなんもでねぇし、こそばゆい」

そう言いながら胸の辺りを軽く掻き出す。

船着場に船が近づき、船の右側を接岸させようと左に旋回しながら岸壁に停泊させると、一段上の波除から大勢の見物人が身を乗り出し、なんだなんだと騒がしい。

「そりゃぁ、同盟の旗掲げたマストも帆もない船ってだけでも珍しかろうなぁ」

上からのの喧騒を気にも留めず、接岸した船着場にモイチ、海尋、少し遅れて船室のドアから出てきたアレッサンドラと続く。

「うおおおおー」と頭上から驚嘆の声が上がる。

石灰を固めた目の荒いコンクリートのような堤防兼船着場から一段上に上がると平たい石や砕けた煉瓦を敷き詰めた広い道と両脇が通りの真ん中より高くなるように舗装された見通しの良い道が続く。両脇は一応歩道の体をなしていて、わざわざ段差を作って馬車や荷車の使用帯と区別しているようだ。目的のヴラハの同盟事務所はというと、先ほど目印にした「尖った2本の角生やした白い建物」でアーチ型の城門のような木と鉄の大きな扉を柱を模った2本の柱が挟み、柱の床と天井に接するところには柱のぐるり一周を目つきの鋭い牛や山羊のような動物の彫刻が施されていた。

 一階部分に窓と見られるものはなく、建物の上の方に透かし彫りを施した円形の枠が等間隔で壁に嵌め込まれている。おそらく明かり取りだろう。そのまま大きなアーチ型の門の前まで来ると、大きな門の下半分位の高さの普通の四角い開戸がり、そこから中に入る。奥行きが長く取られた中はそれほど暗くなく、丸い明かり取りから入った光が白い壁や天井に反射し歩き回るには不便しない程度の明るさになっているが、中央に二重になったUの字テーブルがどっかり構えており、外側で受付、中側で詳細処理を行っている様子だった。中は明るいとは言っても書き物や書類の確認には手元が暗いので各自机の手元に透かし彫りの入りの取っ手の付いた円筒形の行燈を置木、中の蝋燭に火を灯し灯りを隠している。

テュルセルでは透けるほど薄く削いだ樹皮に細く削った木炭で文字を記入していたが、ここでは獣の革を薄く削いだものに先をとがらせた陶器に削り込みを入れて藍色のインクで文字を記入している。テュルセルの事務所と違い、壁に仕事依頼の張り紙や人足の募集と斡旋もなく、外側の職員に何かを報告し、内側の職員が纏めると言った形の作業体制になっていた。そのため、事務所の中は

綺麗さっぱりとしており、順番待ちの椅子で酒飲んでるような港湾労働者や船乗りの姿がない。

映像記録で見た「銀行」という金融機関の仕事場のようだと海尋は思った。

 「さて、まずは入領手続きと、バンゴの記録調べてもうとすっか」とのしのし二重Uの字テーブルへと向かってゆく。

 「何やら「吉野家」を彷彿させる作りでございますねぇ」珍しくアレッサンドラが軽口を叩く。

「「吉野家」ってサーシャも知ってるの?よく「先生」達が「軽く食ってくかー」って言ってたけど、

僕は行ったことが無いから分からないや」と海尋が軽口に乗る。建物の前に牛によく似た四足歩行動物が敷地内の草を食んでいたので、本当に奥が調理場だったりしないだろうかと少しばかり笑いが込み上げてくる。

「そうでしたか、日本人の、良い感じに腐った貴腐人のお姉様方から、OTAKUな戦士、ビジネスマンまで幅広く愛される日本人のソウルフードだと私も聞き及んでおりますが、なんでも池袋三丁目

の乙女ロードで熱い戦いを繰り広げた後、メトロポリタン通りの吉野家で並み盛と味噌汁、卵で喝を入れてから山手線内回りで高田馬場を経由して中野ブロードウェイでDEEPなサブカルネタ探しを

するのが最先端の淑女の嗜みだったそうで、私の夢で御座いました」

「サーシャの日本感は深すぎて全然わかんないけど、池袋も中野も大陸からの「誤射」で瓦礫の山だよ。復興より帝回帰の礼で復興予算もなくて闇市とかYAMI-1とか分けわかんない魔窟になってるって「いこちゃん先生」が言ってたなぁ」

「あああ、そんな、なんて、なんて恐ろしい、それでは「関サバト先生」や「意気地なしのフェティシスト」さんの新刊も、池咲ミサ先生の陵辱調教モノも・・・なんて、なんて恐ろしい、おのれ大陸

貴様らが拝む陽の光はないと知れ!」・・・海尋には侍女が何を言っているのかさっぱり分からず、

そこに海尋の知っている侍女アレッサンドラの姿はなかった。

 「よう姉ちゃん、ちょいと調べてもらいてぇんだが、二週間くらい前にテュルセルの材木商人で

バンゴ・ブリザットってのがヴラハに来てねぇかな?ヴォスロ領カリル川の上流で森の管理で来てる

と思うんだが、・・・、あ、悪っりぃ、俺っちはテュルセルの・・・」そこまで言いかけた所で、

声をかけられた女性職員が

「はい。存じ上げております。テュルセルの一等航海士モイチ様ですね。お連れの方は・・・」

テーブルから少し身を出して目を細めて海尋と次女の姿を眺めると、

「奥様とお嬢様ですか?ご結婚なさったとは伺っておりませんでしたが、こんなお綺麗な奥様と、

まるで宝石で磨き上げたような一際綺麗なお嬢様まで!!!」

「やめてくれ、奥様でもお嬢様でもねぇよっ!こっちのちっこいのは」海尋の頭に手を乗せぐりぐり動かしながら「男だ」「んで、こちらのお嬢さんは」アレッサンドラに目を向けて「こいつの侍女だ」

・・・・・・・3・2・1・・・ゼロ。

「っっき、きゃああああああああああああああああああっっっ!!!!!」

Uの時テーブルの向こう、女性職員の皆様が一斉に黄色い歓喜合唱を上げた。

ここんとここんなんばっかだなーと思いつつモイチは両耳を塞いだ。

アレッサンドラはアレッサンドラで、海尋の頭の横から抱きつくように手をまわし、グイッと自分に

抱き寄せる。

あれこれキャイキャイはしゃぐ女性職員に恐ろしく冷めた声でテーブル近づき、女性職員の一人に


「誠に恐れ入りますが、当テュルセルの材木商人バンゴ・ブリザット氏が予定帰還日を5日過ぎてもテュルセルに戻ってきておりません。ご家族の依頼によりブリザット氏の足跡を調査しております。最悪、事故等により命の安否に関わる恐れがありますので。つきましてはこちらのテュルセル

一等航海士モイチと僕「シズリ・ミヒロ」と侍女のアレッサンドラ三名の入領手続きと滞在手続きを早急にお願いいたします」


目つきが少々険しいので機嫌損ねちまったかな?とモイチが心配すると、

「あ、ダメだ」と一言発してテーブルの向こうに頭が消える。大人向けに作られているので爪先立ちで背伸びしてやっとこさ頭一つ分テーブルから出していたので姿勢が辛かったらしい。


「あ、はい、すぐにお調べいたしますので少しお待ちください、(可愛いい、めっさ可愛い)」語尾に不穏当な発言を残し、女性職員は踵を返し内側のテーブルへと向かっていった。


海尋達の両脇、女性職員の手が止まってその隣同士でヒソヒソと話し込んでいると、パンパン!と手を打つ音が天井に反射して鳴り響く


「失礼ですが、「青札」のあなたに調査資格があるとは思えません。どうしてもと仰るのでしたら所長のヴォロディ・メイピック氏かマルクト領摂政クリメント・ワインサップ氏の委任状が必要とされます」

金髪を後ろになでつけた長身の女性職員が遠回しの協力拒否とも取られかねない事を言い放って来た。


「おいおい、姉さんよ、同盟所属の商人に命に関わるような事態が発生した際に捜索、救助すんのはフリストス同盟加盟領の義務であり責務だってぇのは知らない分けじゃぁあんめぇよ?依頼を受けたのは俺っちで、ミヒロとその侍女さんにゃ俺っちが手助けを依頼したんだ、「青札」つうても、あくまでも同盟加盟してるって身分証だろがよ。何が気にくわねぇのかしらねぇが、俺っちの「黒札」見せりゃぁ納得すんのかい?」

 

金髪オールバックとモイチが睨み合い。お互い視線の先で火花を散らしている。

剣呑な様子ではないが、険しい形相で睨み合っているモイチの脇腹を海尋が指でつついて一枚の樹皮紙をピラピラ揺らして翳す。


「モイチさん、入領許可証貰えましたんで行きましょう」


出口目指して三人並んで進んでいくと後ろから警笛の音がする。おそらくさっきの金髪オールバックかな?と思うまでもなく門番で控える全身鎧の番兵二人が槍を交差させて三人の行く手を塞ぐ。


「悪いけど、材木商人は諦めてちょうだい」

やっぱりか、とばかりに金髪オールバックの声が後ろから浴びせられる。自分の優位を確信した上から目線の声だった。


「ここはおとなしくやり過ごして船で逃げちまおう」とモイチが言うと


「賛成「それがよろしいかと」と即決の同意が得られるが早いか、目前で交差させた槍を掴むと、

力こ込めて押し込み、相手が押し返そうと力を入れたタイミングに合わせて腰から体を捻って門番の体制を崩す。あとはそのままこち側に引き込めば簡単にうつ伏せに倒れ込む。

しかし、それを見た警笛を聞きつけて奥から出て来たロングソードを構えた衛兵らが足早に三人を取り囲もうとする。

その動きを見た海尋が踵を返してUの字テーブルへ向かって走り出す。咄嗟の反転に衛兵達の判断が遅れ、モイチとアレッサンドラはドアに体当たりして豪快にに扉を押し開き表へと転がり出て、そのまま船着場へと走り出す。

 

一方、反転してUの字テーブルに向かった海尋は先ほど対応してくれた職員の所に駆け寄り、

「ごめんなさい、お姉さん、ここ、文字の綴りが間違って違ってしまいました」と書類の一部を指差して職員に書類を手渡すと、背後から衛兵の一人がロングソードで切り掛かって来たので、それを交わしてUの字テーブルの内側に転がり込む。続いて手テーブルに手を付いて身を乗り出して反対側の手を伸ばして首根っこでも掴もうとする衛兵の掴んで引き込みながらテーブルについた手を払い除けて胸からテーブルに倒れ込む所へ頭を抑えて顎を突き出させ、そのままテーブルに向かって顎ごと叩きつける。頸椎に強い衝撃を受けて「むごぉぉぉっ!」と声をあげ後頭部を押さえてテーブル外側の床に転がりまわるフルプレートの衛兵。それを尻目に


「すみません、まだこちらの文字に慣れておりませんので手間取らせてしまい申し訳ありません」


とテーブル下にしゃがみ込んで退避した職員の真横に肩を並べてしゃがみ込み書類の訂正箇所を示して訂正方法と手順をやりとりしている。グイグイと女性職員の方から海尋へと近づいて、目は書類を見ているものの、うなじと着物の襟ぐりの隙間辺りに鼻腔が吸い寄せられるように鼻の先は耳の横あたりでスヒスヒ齧歯類の小動物が行うような仕草で、つつつと近づいてゆく。「あら、何、このいい匂い。服の生地にお香でも焚き付けてるのかしら?でも服の生地よりは肌との隙間から立ち上る体臭みたいにほんの微かに漂うだったら前の合わせ目からもっと強く感じ取れてもいいはずだけど、船乗りどもの立ち昇るような汗と体臭とも違うしなんだろなー、そんなことよりたまんねーわー、どんな暮らししてんだろなー。あーだめだー、頭が溶けるー。とほとんどトリップ状態でゆらゆらしている所をUの字テーブルの内側に入ってきた衛兵の手が海尋の肩を捕まえようと至福の時間を割り裂くように両者の間に割り込んできた。いきなり目の前に飛び出てきた金属の腕よりも、その腕を捉えて滑るようにお尻から滑るように体をずらすと、前のめりに体勢を崩して机から滑り落ちてきた衛兵の腹の辺りを、着物の裾が開いて突き出された白い脚が真っ直ぐ上に向けて蹴り上げた。信じられないが、甲冑込みで酒樽一個は超えていそうな衛兵の体が宙に浮く。衛兵を蹴り上げたその勢いのまま逆立ち状態に移行しつつ衛兵の首を足で挟むと体を捻って頭から石の床に叩きつけると、そのまま床に大の字で転がったまま気絶したようだ。


至福の時間を邪魔された職員が両手でテーブルの引き出しを引っ張り出すと、そのままぶっ倒れた衛兵の頭に力任せに叩きつけた。木製の引き出しが壊れて飛び散る音を皮切りに、さらに後ろからジリジリ近づいて来ていた他の衛兵が海尋に飛び掛かってきた。


「さっさと捕えろ!貴様らそれでもヴァルキアの兵士か!・・・あ、しまった」

金髪オールバックの女が怒鳴った後、慌てて口を塞ぐ。

そんな事お構いなしにUの字テーブルの中で5、6人の衛兵だかヴァルキア兵だかが賊?を捕まえようと狭いスペースをどったんばったんと入り乱れて暴れ回る。というか、体の小ささを生かしてひらりひらりと巨漢の衛兵の隙間をすり抜け、衛兵を翻弄して右へ左へとUの字テーブルの中を駆け巡る。甲冑着込んだ兵士が穀物倉庫で鼠捕り捕まえるのにドタバタやってるような光景だ。椅子に腰掛けた職員に頭から突っ込んだり、テーブル上に積まれた書類ごと転倒したり、テーブルで囲まれた中の女性職員は海尋が抱き上げたり、ダンスを踊るように手を取ってくるくる回って回避したりで二重テーブルの内側も外側も書類やインクを撒き散らかしている中、明かり取りの行燈だけはしっかり倒れないようにリカバーしていた。


頭をぶつけ、ひっくり返り、一人、二人と衛兵が自爆して行動不能に陥る中、テーブル外で奥歯をギリギリと歯軋りさせながら悔しそうに見ていた金髪オールバックが吠える。


「ああ、もう、一体何をやっている!小鼠一匹すらまともに捉えられんとは小作農民でももっとマシな仕事するぞ!」


己が激情を隠す事なく口にして罵りながらズカズカとクロスボウを持っている衛兵に近づき、

「貸せっ!役立たず」

と衛兵を蹴り飛ばし、拾い上げたクロスボウに矢が装備されているのを確認するとさっと狙いをつける。はっきり言って悪手もいい所である。最悪味方にでも当たったら、確実に味方殺しの汚名を冠に頂き、組織から一切の信用を失うであろう。クロスボウを持って突っ立っていた衛兵はまぁ、無難な選択だろう。標的が乱戦を抜け出したところで矢を放てば動きが早くとも味方や市民に当たる確率は低い。しかし、この金髪オールバックはそんなことは気にする事なくひょいひょい逃げ回る薄荷頭に狙いを定めつつ、クロスボウの先を向け、薄荷頭がこちらを向いて目が合った瞬間、鬱積した怒気が爆発して


「死ねぇ!異国人っ!」


引き金を絞り矢を打ち込む。薄荷色の頭と眼はこちらを見たまま動かない。いや、動けないのだと判断した。表情を判別できる距離と明るさではないが、こちらに顔を向け、打ち込まれた矢に目を取られ、後ろの衛兵にも気づかない・・・、しかし衛兵の顔もこちらを見据えて動かない。

「取った!」そう確信したのも束の間、薄荷頭の着衣を背中で結んでいる広い帯が肥後衛兵を巻き取りこちらに放り投げてきやがった。今度はこちらが動けなくなった。放物線を描かず、なんとも不恰好な姿でこちらに迫ってくる。放り投げられた衛兵を避けられたのは訓練の賜物だろう。投げ飛ばされて迫り来る衛兵に気を取られている間に薄荷頭はテーブルの中から消えていた。

大きく振り上げた脚で飛んでくる衛兵を踵落としの要領で床に叩きつけて鎧の隙間に踵を捻じ込みグリグリと踏み躙り「くそっ!やられたっ!」と地団駄を踏む。

さらにグリグリ踏み込んで


「ふふふ、愚かな異教徒め、特にお前たちの船は包囲済みだ、逃がすものかよ」

などと勝ち誇っていた。・・・のだが、入り口の大扉を粉砕して牛の大群が雪崩れ込んできたのだからたまったものではない。追撃とか捕縛とかそんな事を呑気に言ってる場合ではなく、足元に転がる衛兵を揺り起こし、気絶しているのなら起こそうと装甲の襟部分を掴んで声をかけようとした所、

頭部視界確保に設けられているスリットの隙間からトロンと惚けて恍惚の表情を浮かべ、だらしなく涎を垂らした半開き口からの

「ああ、いい、もっと踏んで罵ってくださぁい」

とかふざけた世迷い事を抜かしやがったので

「そうか、満足するまでたっぷり牛に踏まれてこい」

そのまま放置して、自分はUの字テーブルの中へと逃げ込むと、興奮し切った牛の集団が猛烈な勢いで走り抜ける。見れば、先頭を走る牛の角に薄荷頭の小娘が胴に巻いていた幅広の帯びが巻きつけられており先頭の牛を追いかけてUの字テーブルの周りをぐるぐる回っている。

これでは迂闊にテーブルの外に出られない。しかし、なんとかその合間を縫って表に出なければ異教徒共を逃がしてしまう。だが、あらかじめ、奴らがヴラハの港に来た時点で我がヴァルキア水軍が船を包囲するべく配置してあるので、報告にあった小舟一隻程度、衝角でもって沈めてしまえば良い。私情を挟めば、何としてでもあの一等航海士にひと泡吹かせてやりたい。しかしながら、それら全てがひっくり返された。入り口からずぶ濡れの水兵がヨロヨロと入ってきて「お味方全滅!全滅! 全滅です!」と叫び、力尽きたように倒れ込んだ。



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