第46話 想いを人が象る(終)
神樹の彫り人に選ばれたユウが女神像を一年がかりで造り上げ、王家の女神の間に納めてから二年が経過した。
今現在、王家側が彼女を最後の彫り人に認定するという話は聞かない。
ユウの彫った像は王族以外だとそれと深い関わりのある貴族たち、議会や国教会の重鎮等々と、つまりは主にスクルトラを表立って動かす人たちのみに鑑賞が許されている。
美術全般の権威であったり、爵位を賜ったばかりの富豪であったりと例外も存在するようだが。
他方、かつて神彫院の候補生であった者たち、言い換えれば、資格を有して同じ時を過ごしていた少女たちであってもそう易々とお目にかかれない像だった。
私が完成品を王家に納める直前に観ることができたのはユウの手引きがあったからだ。女神の間に安置されてからは目にすることはできていない。
ユウは王家の人たちに、女神の間をどの身分の人間にも無償で開放し、国中の誰もが観ることができる体制を作ってほしいと直談判した。それは衝動的で無鉄砲なお願いではなく、私のほうで入念に史料を紐解き、エルダの伝手にもあやかって準備した申し出であった。
スクルトラ千年の歴史において、実際に女神の間が平民にも開放されていた時期があるのは確かで、女神像の価値というのが国民の間で何度もぶれていたのも事実だったのだ。
とはいえ、何も私は女神の間に人々が押し寄せ、ユウの造った女神像を観ることで木彫りの時代をこの地に留めようとする狙いがあったわけではない。
鋼鉄の時代、科学の時代、呼び名は何でもいいが、木そして森がスクルトラに生きる人すべての心に深く根ざしていた時代はとうに終わっていたのだ。
それはたとえば都市で生まれ育った子供が森を知ることなしに大人になる、といった表面的な話にとどまらない。
こうした事情を踏まえたうえで私たちはただ……女神像を見てほしかっただけなのだ。
それが人の心を動かすに足る作品であるから。それが国の宝と呼ぶに相応しい出来であるから。愛を知る一人の少女がその想いを力に彫り上げたものだから。
「だから、あなたを刻むことにする」
ユウが私にそう言ったのは、彼女が神樹の彫り人に選ばれてから数日が経った、昼下がりのことだ。
私を含めて候補生たちの多くは神彫院を出るための荷造りや手配を済ませたばかりだった。一部の生徒はこれまでの規定通りに二十歳まで院に残るのを許されたらしかったが、次の代がいつ神彫院を訪れることになるのか、それは誰もまだ知らなかった。
職員たちは皆、私たちの代の候補生が卒業し終えるまでに行き場を探さないといけないそうだった。
「リラが選出課題を投げ出して狼を彫ったように、わたしはリラを女神として彫るよ」
この私を? 女神として?
「正気じゃない。それは……間違っている」
「そんなこの世の終わりみたいな顔しないでよ。――わかっている。リラは女神様じゃないって。リラをそのまま彫る気はないよ? あなたを想って彫るって、そう誓いたいから誓うの。それも許してくれないの?」
無邪気な微笑み。
ああ、どうだろう。ひょっとしたらそこにある妖しい魅力は邪なもので、だから私を一瞬で虜にしてしまったのかもしれない。
私はユウの宣誓を却下などできなかった。彼女が私を想って女神像を彫るのを止められなかった。
「あのね…………お母さんが遺してくれた歌よりもわたしに力をくれるんだよ。ずーっと昔の女神様を讃える歌なんかより、刷り込まれた記憶より、生きているわたしをあたためてくれる、導いてくれる想いだから」
そうして私たちは再会を約束した。
私が選出課題中に神樹で彫った狼は習作だった。私は職員たちを欺き、神彫院を出る際に神樹を必要なだけ秘密裏に運搬して――実はここでもエルダの協力があった。やりとりした手紙は半年で十数通に及んだ――自分の生まれた村へと帰った。
そしてユウが女神像を一年かけて彫り上げたのと同様に私は神樹で今度こそ、私が求め続けた狼を造った。
いや、そうではない。
最初に求めた狼、幼い私があの軒下の狼にあてがおうとした番の相手を彫りはしなかった。彫ろうとしなかった。時の流れに逆らい、それを超えた作品を造ろうとは思わなかった。
結論として、私は気がつけばユウを想いながら狼を象っていた。
槌も鑿も、神樹も私の想いに応えてくれた。あの日、ユウに初めて会った時に彼女に重ねた狼。深き森に棲まう獣にして、獣ではない美しい歌声を持つ者。
私はそれを彫ることができたのだ。
二年後の秋に話を戻そう。
私たち三人はエルダが嫁いだ侯爵家の領内、整備された庭園にて再会した。
使用人を下がらせ、あの頃みたいに自分で紅茶を淹れてくれるエルダ。
三人でのお茶会。円卓一つに椅子三つ。香り立ち、こみ上げる懐かしさ。
二十歳となったエルダは着ているものこそ上流階級の大人といった雰囲気だが、顔には少女のあどけなさがまだ残っていた。それとも私たちの前だから、それが浮き上がっているのだろうか。
「それで……私は大切な友人なのに、ユウさんの女神像も、リラさんの狼も観れないっていうの?」
「女神像は難しいけれど、私が造った狼だったら遠出すれば観ることができるよ」
苦笑するエルダに私はそう言った。
ミカエラが埋葬された場所のすぐ近くに、素朴な祠を自作してそこに狼を納めた。祀っているつもりはないから祠というより、それは……住処? とにかく、そこにいる。
王都の美術館でもなく、貴族の屋敷でもなく、行商人の手中でもなく。移り変わる世界の片隅に。
「貴女の村となると、かなりの距離よね。はぁ……適当な理由を作って相談してみるわ。それよりも、この二年間ほど二人で旅していたのよね。さぁ、聞かせてよ。手紙じゃ物足りないもの」
正確にはそのうちの一年間はダフネを加えての三人旅だった。
神樹の彫り人になったことでそれなりの報奨金が出て、昔のカシラギのように各地を転々とした。途中でダフネが抜けたのは、彼女が「ここに住んでみるわ」と、とある町で言ったからだ。
しかも一人で。当然、ユウは一緒に住みたがり、私も遠慮がちにそれならと提案したが二人して断られた。
――――あなたたち二人の帰る場所、その一つにしたらいい。
ダフネはそう言って私たちを送り出した。ちなみに北の森、ユウと二人で過ごした家は旅費を賄うために売り払ったという。
なお、ユウが神樹の彫り人になってからは二度と会わない、子離れすると勝手に決心していた時期もあったそうだが、カシラギとの手紙のやりとりを始めたせいで、否、そのおかげで居場所が私たちにばれて合流を果たしたのだった。
……あと数年したらもしかするとダフネの家に住人が、それも見知った顔の女性が増えているかもしれない、そんな想像をしているのは黙っておいた。
「貴女たち二人、これから先のことは何か考えているの?」
ひとしきり、旅のことを話して庭園に夕闇が近づき肌寒くなってきた頃、エルダが何気なくそう言った。何気ない素振り、でも、きっと知りたくてしかたないって思っている。
私とユウは顔を見合わせる。
ユウの眼差しにあるのは納涼祭の時に感じたものと似ていて、しかし非なるものだ。
私は応える準備ができている。逃げる逃げないの話ではない。
「彫り続けていくよ。ユウと二人で」
世界がどんなに変わっても、何もかもが失われるわけではないのだから。
「うん! リラと二人で。あ、でもエルダも……?」
「いいえ、それは無粋というものよ。と、言いたいところだけど、そうね、新年祭の時みたいにまた三人で何か造るのは楽しそう。問題はその時間を調整できるかだけど」
エルダが頭を抱え、ぶつぶつと言う。その表情は子供のそれではない。
話ぶりからすると、彼女は侯爵夫人としての役目以上、例を挙げれば領地の内政にとって重大な仕事を自ら引き受け、それをこなすのを生き甲斐としている節がある。
私たちはいつから少女でなくなるのだろう? ふと、そんなことを思ってユウを見ると、微笑み返してきた。
愛とか恋とか、そういうのを知った時?
それを肌で感じた時?
また無意識に右手を開いて、閉じていた。それをユウがとり、指を絡めてくる。
愛しいその指先を絡め返す。二人分の温度がちょうどいい。女神様にはないものだ。
遠吠えを耳にした。
愛しく、祝福の声だ。
神樹の彫り人 よなが @yonaga221001
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