私の偏頗すぎる読書歴とフリーキーすぎる人生

夢美瑠瑠


いつの間にか、十二支を5回経巡ったらしく、めでたく、赤いちゃんちゃんこを着せていただける年齢になった。


いつの間にか大人になっていて、何も考えずに?日々を無我夢中…あるいは有他現外?に過ごして来て、死にもせずに

生きながらえています。


人外魔境かもしれない…人外魔境が壺中天というのが、ネトゲ廃人?

こういう連想だけの戯言はキリが無い。


書きたいのは、自分が、真っ当に生きてきたとか、ちゃんと生きているとか、そう言い切る自信が無い、その理由が何か?

どうも、その figure out がしにくいが、できないだろうか?そういう考察をぼちぼちしてみたいのです。


色々な経験は確かに重ねてきた。

だが、そういう現実な筈の過去体験すら、どうも何だか?嘘っぽかったりする。いつの頃からか、現実がどうも色褪せて、灰色に見えてきて、散文的というのか、無意味な、スキゾフレニアの荒廃した世界観??

そういう、被害的で、絶望的なものでしか無くなってしまったのだ…何故だろう?


リアリティがありうる過去体験は、例えば読書体験?

公の出版物なら、嘘とか戯言では無い、変な人が?おかしな独り言を呟いているという、そういうものである可能性は小さくはなるだろう。


活字信仰、という表現もあるが、ベストセラーとかにはそういう本をたくさんの人が買って読んだ、そういう揺るぎのないエビデンスが存在し、そのことがどういう意味を持っているかを知る…誰でもがなす判断ですが、例えばそうやって社会参加みたいな感覚でした読書も多いです。


ウチにたまたまあったから読んだ、というのもあります。父親が児童向けの百科事典を買ってくれたのでそれを読み暮らしていた事もある。有名な絵画とかはそれでイメージが網羅されていたりします。絵画は割りと詳しい。後に「great

artist」という雑誌をよく読んだのもあります。


活字や文学、そういう関係の教養体験?は比較的偏っていないし、普遍妥当なのかもしれない…その他はほぼ否定されていて?それで人生が人外魔境みたいな気すらする、そういう自覚、自意識で、まあ現実感が薄くても仕様が無い、本音を言うとそうです…?


しかし、その読書体験とかでも、まあ運命的にアクシデンタリーだし、偏ってもいる。そうに違いない。もしこの時に、こういう読書体験すらあったら?そういう本もあるかも?ですが、僕は好んで、悪書や、偏った考え方の本ばかり読んできてしまった、そういう反省ばかりしてしまうことが度々です。


人生は一回きり…遅蒔きながら、本当にの現実を、本当にらしく受け入れられるために、本当にいい本を読み、偽物でない人生体験を重ねていこう、還暦の爺さんは、そう決意を新たにするのであった。草











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