半端者と未熟者

 先程見てしまった手鏡に映る自身の姿に落ち込み続け、ゆっくりと帰路に付くリヴァディーだったが、住処である洞窟が近づくにつれて、ようやく異変に気が付いた。


 それは、ふとした偶然だった。無造作に伸びる道を塞ぐ木々の枝を潜る際の事、ふと自身が過去に付けた縄張りの証である爪痕にある一つの異変を目にする。


  一筋の何か刃物で付けられたかのような斬り傷、それがこの一帯全ての動物を恐れさせるのに効果覿面な己の縄張りの証明する爪傷を上書きしていたのだ。それを見て瞬時にどんな存在が付けた傷なのかを理解する。分からない筈が無いなにせそれは己が最も恐れる存在のモノなのだから。


 はっとして、他の縄張りの証についても確認をする。なかには斬り傷のついていないモノもあった。だが重要なのはそこではない。斬り傷がついた上書きされた縄張りの証をたどれば己の住処たる洞窟の方へ向かっていたのだから。しかも今いる場所から洞窟までの距離はもう殆どない、少し急げば辿り着いてしまう程の距離。


「ハァ、ハァ、ハァ」


 動悸が収まらない。呼吸が普段以上に困難なもののように思える。考えたくない可能性が頭によぎった。そしてその可能性を肯定するかのようにある臭いが鼻につく。


 血の臭いだった、それも最近になって嗅いだことのあるモノと全くの同じ血の臭い。


「チェイン!!」


 嫌な予感をそのまま口にするように叫んでいた。走る走る走る。急いだことで何度も体を木々から伸びる枝に傷つけることにさえ今は気にも止めてられない。


「ッ……」


 ようやく住処の洞窟に辿り着いく、嫌な予感の正体を確かめられる。だと言うのにリヴァディーは足を止めてしまった。そして本能に従うように思わず木陰に隠れてしまう。自分でもなぜそうしたのか分からないでいる。でも、どうしてもここから一歩が踏み出せないでいた。


 住処である洞窟の入口、倒れていたチェインを拾った場所と同じ場所に今チェインは立っている。両手を広げ、まるで主人の留守を守る門番かのように痛みに堪えながら、折れた足と共に両足で立ち、両手を広げ目の前にいる人物達の進行を阻んでいる。


 そんなチェインの姿に怯えたのでは無い。チェインが対峙している三人組の男達が手にするモノにリヴァディーは恐れてしまった。


 かつて、まだ記憶もおぼろげな頃の幼い時分から今に至るまでの間に何度も見た恐怖の象徴。どうあっても拭えないトラウマを植え付けられた物体。


 竜狩りに最も適した武器、滅竜鋼の武具。安直な名ではあれど文字通り竜に連なる存在を滅ぼすことが出来る武具である。人類が竜と渡り合う為に発明した、どんなモノであれ傷を付けることの出来なかった竜の鱗を意図も容易く貫くことが可能なソレを見た瞬間にリヴァディーは生物が持ちうる生存本能が最大限に警告を鳴らしていた。


「まさか生きてるとはな。とっくにくたばったと思ってたんだが。ちっ、アイツの言った通り確認して来て正解だったか」


 三人組の男達の一人がチェインに呼びかける声に、リヴァディーはようやく意識を男達が持つ滅竜鋼の武具から、現状の理解に向ける。


 歯を食いしばって仁王立ちを続けるチェインが、言葉を発した男を睨み付けた。対する男は鬱陶しそうに手にしている剣の切っ先をチェインの鼻先に向ける。素手でなうえに怪我までしてまともに応戦も出来ないチェインに対して明らかに過剰な暴力を向ける男達の表情は暗い。


「こっちは、おめぇが死んだってことで報酬をちょろまかしてるってのによぉ」

「兄貴、も、もしこいつが生きているのをギルドの連中に知られたら俺達って」

「馬鹿、金はもう使っちまったんだぞ。そのギルドに知られる前にどうにかするしかねぇだろうが」

「ごちゃごちゃうるせぇなぁ。ちっとは黙ってろ。というか金が無いのはてめぇが考えなしに高い酒を飲んでるからだろうが」

「うぅ、すまねぇ。兄弟に迷惑かけるつもりじゃ」

「だぁ、謝ってる暇が有ったらさっさと剣を抜けっての」


 先頭に立つ男の言葉を合図に、他の二人もそれぞれ武器を手にする。だが、チェインはそれに臆することもせずに睨んだまま言葉を紡ぐ。


「こ、ここは通さない。ぞ」


 か細く消え入りそうな言葉。今にもチェインは倒れてしまいそうな程に苦しそうに表情は翳り、時折自信の腹部に意識を向けている。


 チェインのその視線に、リヴァディーはやっと臭いの元に目をやった。その腹部には出発前には見られなかった大きな傷があり、そこからダラダラと血が流れ落ち、足元には既に雨上がりに出来た点在する水溜まりと同等の大きさをした血の池が出来上がっている。


 幼い少年が流すには多すぎる出血の量。このまま放置すれば確実に死に至ることは遠目から見ているリヴァディーにも理解出来る。それはチェインと対峙している男達も分かってはいるのだろう。しかし、男達はいずれ来る終わりを待つよりも最も確実な手立てを求めているらしい。


 武器を手にした三人組の男達は、抵抗もまともにできないような幼い少年相手に逃げられないように囲い込むように立ちまわる。


「合図を出したら同時に行くぞ」


 先頭に立つ男の冷徹な言葉。それに意を決したように、こくりと頷く二人。もはや焦点の合ってない目で対峙する男を睨み付けるチェイン。


 今まさにチェインが殺されそうになっている。それを理解して尚、リヴァディーは動けなかった。


 怖い。奴らが持つ黒鉄の刃が。幼い頃に自身を助けてくれた唯一の味方を貫いたあの刃が、成長し力を付けた際にも意図も容易く瀕死の重症に至らしめられた死へいざなうあの刃が、そして、今まさに失いたくないと思っている筈のようやく見つけた共に居てくれるかもしれない存在を壊そうとするあの刃が、どうしようもなく怖いのだ。


 いや、きっとそれだけじゃ無い。分かっている。本当に怖いのは奴らの武器じゃない。あの刃は怖いが動けなくなる程の理由じゃないことを頭の隅では分かっている。本当に怖いのは…………。


 頭で理解しても、そんなこと程度で足がすくむなんて馬鹿げていると思っても、動けない。勇気が足りない。その勇気を得る為の自信と確信がリヴァディーには足りていない。なにせよりにもよって、つい数刻前に動く事の出来ない理由を己が作ってしまったのだから。


「…………ッ」動け動け、さもなければ後悔するぞと自信に言い聞かせるが、言葉として出ない。ただ、血が滲む程己の歯を噛み、不甲斐ない己を叱咤する。それでも動けない。


「さん」合図が始まった。男達は一斉に剣を頭上に振り被る。


「に」合図の合間でも、チェインは動かずジッと睨み続ける。それは、自分を捨てた恨みによるものか、或いは別の……。


「いち」最後の合図。それと同時に三人組の男達は頭上にあげた剣を一斉に降り下ろす。


 結局リヴァディーはそれを最後まで、動けないまま見ていることしか出来なかった。


 三方向から同時に斬りつけられたチェインの姿。しかし、それでもチェインは倒れない。斬りつけられた傷が浅かったのか、それとも単に三人の男が手元を狂わせたのかは分からない。だが確かな事実が一つ、まだチェインは倒れていないということ。


 リヴァディーの目に映るチェインの瞳にはまだ命の焔が灯っている。


「ここから、先は、通さない、ぞ」


 息を切らしながら、それでも今度は力強く再びチェインは男達に向かって、そう口にすた。致命傷に至っては居ないとはいえ、辛い状態には違いないと言うのに怯むどころか、圧倒するかのような迫力を見せるチェインの言葉に、二人の男が気圧され後退る。


「あ、兄貴。こ、こいつやべぇよ。なんかやべぇ。正気じゃねぇよ」

「な、なぁ兄弟。ここまで傷を負わせたんだ。もういいんじゃねぇか。明日まで放っておいたらこいつもくたばってるって、洞窟の中のお宝を獲るのも別に今日じゃなきゃいけない理由もないし」

「ごちゃごちゃうるせぇって言ってんだろが。あの状態から生き残ったヤツだ。ガキだろうが放置して行けば今度はもっと邪魔なそんざいになるかもしれねぇんだよ。第一明日はアイツらが此処を通る。アイツらに先を越されない為にも今日中に殺るんだよ。俺が見つけた、俺の宝をアイツらなんかに獲られてたまるか」


 気圧される二人の男に構う様子もなく、先頭に立つ男はまるで何かに取りつかれたかのように剣を握り締めチェインの前まで向かう。


 だが、チェインは男の異様さにも屈しない。或いは、瀕死に近い状態だからこそ男の行動に一々気をとめていられないだけなのか。ともかくチェインは唯一点を見据えて、残りの力を振り絞り、なぜ今ここに立っているのかを口にする。


「ここ、から先には、絶対に通さない。この中、にあるのは、リヴァディーさんの、たからもの、なんだ。僕、の好きな人が、大切にしている、モノを、お前らなんかに、わた……渡したり……なん……か、させる……か……」


 もはやまともに力が入らないのか、チェインは、その言葉を言い終わる前にゆっくりと後ろに倒れかかる。


 だが、チェインの背が地面に着くことは無く。その前にチェインの身体はリヴァディーの腕によって抱き支えられていた。


「チェイン。ゴメ…………いや、アリガトウ。アタシのお宝を守ってクレて」


 リヴァディーはゆっくりと腕に抱くチェインを地面に下ろす。


「デモな、チェイン。ドウやらアタシは、今のアタシにとっテハ、チェインこそが一番大事なたからものラシイ」


 アタシなんかを好きだって言ってくれて、アタシが大切だって言ったお宝を守ってくれて「アリガトウ」そういって、リヴァディーは慈しむように優しくチェインの髪を撫でる。


 チェインが残した言葉は、リヴァディーの恐怖を打ち破るにたる言葉だった。リヴァディーにとって何よりも怖かったのは、己を殺せる刃では無く好きな相手からの拒絶。だが、チェインはリヴァディーを好きな人と言った。その好きが好意なのか愛なのかと、どういう意味を持っていたのかなんてことリヴァディーにとってはどうでもよいこと。重要なのは、リヴァディー自信がチェインに嫌われて居ないと理解することだけだった。たったそれだけのことがリヴァディーを恐怖に立ち向かわせてくれたのだった。


「ば、ばけもの」

「ひぃぃ。ど、どこから。あ、兄貴。俺たちどうすれば」


 リヴァディーの、竜人というまだこの世界に馴染みのない存在を初めて目にした二人の男は、怯えた様子で先頭に立つ男の後ろに隠れる。先頭の男はそれを気にした様子もなく、リヴァディーの姿を目にして高らかに笑った。


「は、はははっはははっはははははははははははははは。こんな、こんな偶然があるなんてな、今日はなんて付いてるんだ。宝物だけでなく竜の忌み子まで見つけるとは」

「あ、兄貴?」

「おい兄弟どうしちまったんだよ」


 先頭の男の異様さに付きそう二人は戸惑う様子を見せるも、やはり気にせず先頭の男は、チェインに行ったように再び剣の切っ先をリヴァディーに向ける。


「俺はここで、てめぇを討ってアイツらなんかよりも優れた騎士だって証明してやる。ほら、なにぼさっとしてやがる。お前らも手伝え」

「で、でも兄貴。こいつなんかやべぇよ。普通じゃねぇ。関わらねぇ方がいいって」

「聞いたことがある。人見たいな見た目して巨竜と同じ力をした化け物がいるって、多分こいつがそれだ。兄弟ここは引こうぜ。な」

「はぁぁぁ。お前らにはがっかりだ。まぁいい逃げたきゃ好きにしろ。変わりに手柄は全部もらうがな。ってもういねぇし」


 リヴァディーが一睨みを利かせると、先頭の男を残して二人は一目散に逃げ出した。だが、当然の如く残った男が手を引くことはない。剣を握り直し、相手が同族で無いからなのかチェインと違って一部の迷いも見せずにリヴァディーに対峙する。


 リヴァディーもまた、愛する者を傷つけたこの男をみすみす逃す筈もなく。逃げた二人の顔をしっかりと覚えた後に、一先ず今の障害に向き直る。


 今目の前にいるのは幼い少年一人片づけるのに手間取るような人間だが、少なくとも竜狩りの騎士である以上は、単独で竜一匹なら仕留めることが出来る程度の実力と実績を持っている筈だ。しかも滅竜鋼の武具を持っている以上は油断できる相手では無い。


 それでも、チェインを傷つけたような相手を許せる筈も無い。下らない事に囚われて直ぐに助けて上げられなかった自分の不甲斐なさを許せるわけが無い。罪滅ぼしなんてことじゃない。これは唯の八つ当たりだ。例え刺し違えてでも、目の前の人間にたいしてチェインにした事と同じ目に合わせないとアタシの気がすまない。


「行くぞ竜の忌み子」

「グルルルルルルル」


 憎っき相手に言葉を交わす気になれず、ただ唸り声を捻り出す。


 どこかで木の枝が転がり交わる音が聞こえた気がした。大した音じゃないだが互いにそれを合図にしたかのようにお互いがお互いに喰って掛かる。


「喰らえ、竜の忌み子ぉぉ」


 叫びと同時に男の剣がリヴァディーに向かい一薙ぎの払いをみせる。咄嗟にリヴァディーは左手で払いのけようとするが、滅竜鋼で出来た黒鉄の刃は鱗肌で出来た大きな手に対して、まるで煮て柔らかくなったジャガイモに包丁を入れるかのように容易に深く刺さる。


 そこいらのなまくら刃では傷など付けようも無い筈だったリヴァディーの鱗は滅竜鋼という天敵にあっさりと破れ深く傷を付ける。しかし、なぜか切断されるまでに至らなかった。


 痛みに耐えながらリヴァディーは傷口を見る。朱い鱗の部分と人間の素肌の部分その間、まさしくリヴァディーの竜と人の堺で刃は止まっていた。剣を握る男はそのまま力を入れて断ち切れば良いものをなぜか苦悶の表情で切り裂くのでは無く引き抜こうと必死に力を加えていた。


 男のその表情を見てリヴァディーはあることに気が付く。竜の鱗はともかく人間の素肌の部分は骨に届いていたのならともかく表面だけなら刃さえ入れていればなまくらでも斬ることは簡単な筈だ、その証拠にここへ来るまでにぶつかってきた木の枝で付けられた傷が赤々と目に見えている。剣ともなればもっと深い傷になってもいいはず、しかしそうはなっていない。


 半端に斬られたことで肉が剣先を挟みこんで抜けずにいるこの状況。三方向から斬りつけた割りに深手までは至って居なかったチェインの傷。そして、一刻も早く剣を引き抜き態勢を立て直そうとする男の行動から考え、リヴァディーはある仮説を立て、それを実行に移す。


 意識を剣の刃からそれを持つ男の手に向け、もう一方の手でその男の手首を掴む。一瞬男は顔を青ざめたようにみせるが、直ぐに振り払い必死に握っていた剣すら離して後ろへ飛び退く。


 剣を捨て態勢を立て直した男は、腰に掛けていた短刀を引き抜いて構えた。そして視線はリヴァディーへ、では無く先程手放した剣に向けていた。


 その視線、そして男が今手にしている短刀の刃先を見てリヴァディーは確信する。滅竜鋼の剣は竜狩りの武具としては最適なモノなのであろう、しかし、人を傷付けるには至らないしろものなのだと。


 男が今手にしている短刀は通常の鋼を使ったものであり、その刃先の長さからチェインの腹部を斬りつけたモノであることが窺える。どうやら竜を狩る際は剣を、それ以外の生物を傷付ける際には短刀をと使い分けていたのだろう。


 しかし、短刀では不意打ちでも無ければまともに相手に当てるのも難しい。だから、幼子であるチェインを傷付ける際にわざわざ人を傷付けるのに時間を剣を使っていたのだ。


 そして、リヴァディーを竜と認識しているから滅竜鋼の剣のみで事足りると判断し、剣で対峙した。だが、竜と人どちらの特性も持ち得るリヴァディーにはそれだけでは通じなかった。だがら焦って剣を引き抜き、今度は短剣と同時に責めようと考えたがそれも失敗に終わったのだ。


 男の浅はかな考えをリヴァディーはそう予測する。それが合っているかはともかく事実として、男の手からは滅竜鋼の剣は離れ唯の短刀のみ。そう、竜の鱗一つも傷付けることの出来ないなまくらしか無いのだ。


「グウウウ、グゥッ」


 痛みに耐えて無理矢理にでも刺さったままの剣を引き抜き地面に深く突き刺す。最大の脅威であった剣を排除したことで、目の前にいる男は最早脅威にもならない存在と化していた。


 取るに足らない唯の人間だ。しかし、大事なチェインを傷付けた人間だ生かしておく理由もない。このまま一気に仕留めよう。そう思いリヴァディーは一歩男の方へ足を踏み入れる。


「ごほ、ごほ。ヒュー、ヒュー」


 その直後、リヴァディーの背後からそんな声にも似た音が聞こえた。今リヴァディーの背後にあるモノといえば……。音の正体を確かめる為にリヴァディーは脅威ですら無くなった取るに足らない男のことなど気にせずに後ろを振り返る。


 すると眼下には、血を吐き出して必死に息をするチェインの姿があった。


「チェイン!!」


 リヴァディーはチェインに駆け寄り、状態を確かめる。三方向から斬られた傷口は浅い、しかし腹部の傷は致命傷とまでは行かないが深くはある。まだ息はあるが、傷をつけられてから時間が経過してしまった為か、内臓を傷付けられた影響が出始めている。それだでなく出血量による影響か顔が青く染まっていた。


「隙ありだ、竜の忌み子ぉぉ」


 チェインの状態を確かめていたリヴァディーの背後から男は手にした短刀を突き刺そうと襲い掛かる。声を潜ませてやれば良いものを勝利を確信してかわざわざ叫んでいた為、リヴァディーに接近を気付かれ、尾によって簡単に叩き阻まれてしまう。


 今すぐにでも手を講じなければこの手の中にある儚い命が消えてしまうかもしれないのだ。もはやリヴァディーには脅威にすらならない男に構う暇も無い。


 背後からの接近を尾で払いのけた結果、手にした短刀と弾き飛ばされ何も持たずに尻もちをついて力の差に怯えていた男へ、リヴァディーは睨みながら短い言葉を告げる。


「イマすぐアタシの目の前から失セロ」


 リヴァディーの迫力ある睨みによるものか、或いは対抗出来る武具を全て奪われたことか、もしくはこれ以上の邪魔立ては己の命の危機を感じたのか。


「あ、あぁ、ああああああああああああああああ」


 男からは先程までの威勢も憑き物が取れたかのように消え去り、唯怯えた様子で叫びながら森の奥へと逃げ去った。


 残ったリヴァディーは、チェインを抱え洞窟の中へ向かう。


「チェイン。絶対にオマエを助けルからナ」


 血を流すチェインを枯れ草のベッドへと寝かせ、リヴァディーはチェインを残したまま洞窟の奥へと向かい、暗闇の中でホォウっと熱を溜めた息を吐く。するとリヴァディーの口からは息では無く僅かな火が外に出た。一瞬だけでも暗い洞窟の奥を照らすには十分な光源。それにより、リヴァディーは目的のモノを見つけて拾い上げ、再びチェインの元へと戻る。


 チェインの状態は最早先日の様な小手先の手当でどうにかなる域を超えている。出血が多く止血しただけでは僅かな余命を少し引き延ばすだけしか出来ないだろう。血が足りない。早々に血を与えなければ、しかし人との関わりが無かったリヴァディーの手元に人間の血があるわけも無い。用意出来る血と言えば自分のモノだけ。


 血とは人の命を生かすのに欠かせないモノ。そして同種のモノで無ければ体内に入れたそれは毒となりえること。リヴァディーは検証した訳では無いがそれが危険な行為である事を本能的に理解はしている。しかし他に手立てが無いのも事実。


 竜人である自信の血を人間であるチェインへ輸血する。これは賭けだ。助かる見込みなんて分からない。それでも可能性がゼロだなんて事もない。なにせ誰も試したことなんて無い行為だ。だからこその賭け。


 可能性が少しでもあるのならとリヴァディーは、奥から取ってきた注射器を手にチェインの傍に座る。


 そこから日が昇るまでの間、手を止めずチェインが失ったであろう分だけの血を何度も何度もリヴァディーはチェインへと贈る。その間、チェインは苦しみ悶えることもせず、ただ浅く弱々しい呼吸をゆっくりとするだけだった。


「ハァ、ハァ、ハァ。チェインたのむ。目を、開けてクレ。アタシをヒトリにしないでクレ」


 懇願にも似た言葉を呟きリヴァディーは注射器を再び自身の腕に刺そうとする。幾度も繰り返し血を採血した分だけ、視界が翳む。同じ場所にさしていたつもりがもう幾つもの穴が出来ている。だが、リヴァディーはそんな事を気にせずチェインを救う為に己が出来る唯一の行動を行う。それを誰かの手が遮った。


「……リヴァディーさん? 僕はもう大丈夫ですよ」


 ゆっくりと目の前で横になっていたチェインの口が開く。採血をしようとしたのを遮った手で、今度はリヴァディーの頬に触れる。


「ありがとうございます」


 チェインはそう一言だけ言って再び目を閉じた。そして、先程と違い今度はゆったりとした寝息を立てる。


 チェインの言葉を聞いて、助けることが出来たのだと安心したリヴァディーもそれに続くように眠りについた。



 日が落ちる少し前、茜色に染まる森の中の洞窟でリヴァディーは地面に刺さったままの剣を引き抜く。


 そして、それを柄の方を向けて後ろに立っていたチェインへと手渡す。


「あの、これって」

「モッテおけ、ナニも持たないヨリましダロゥ」


 戸惑うチェインにリヴァディーはそう声を掛けて剣を受け取らさせる。


 二人の背には大きな鞄がある。長旅には些か心許ない程度の大きさの鞄だが、なにも詰め込めないよりはましだと判断した結果のもの。そう旅だ。この二人は慣れ親しんだ洞窟を離れ旅に出る。出るしか無かったのだ。昨日の夜あんな騒ぎを起こしたうえにリヴァディーを目撃した人間達は無事元の街へ帰ったわけだから、必ず報復に来ることだろう。


 危険な状態からは回復したとはいえ、万全とは言えない状態で武装した人間達に襲われれば逃げることすら叶わない。それ故に住処を離れることにした。ようやく現れた共に居てくれる存在を失わない為に。


 チェインは渡された剣を両手で掲げて眺めていた。そして意を決したようにリヴァディーに向き直る。


「リヴァディーさん。今はまだ、なにも守れない僕だけど。強く成るから。リヴァディーさんのことも守れるぐらい強くなってみせるから」


 チェインはリヴァディーの目を見て、力強くそう言葉を告げる。


「ッ………………」


 リヴァディーはそんな事をしなくてもアタシが守る。そう口に仕掛けてやめる。チェインの真剣な目を見つめ一度浮かんだ考えを改め、思いを告げる。


「アァ、強くナレ。そして、アタシと一緒にコレカラモ…………。と、トニかくガンバレよナ」


 これからも傍に居てくれよ。と言おうとしたが照れくさくなって応援だけに留めた。


「はい」


 リヴァディーの言葉に元気よく返事を返したチェインは、手にした剣を背負って歩き出したリヴァディーの後に続く。



 こうして、竜人の娘とその血で生き延びた人間の少年の二人は、一先ずの安息の地を求めて旅立った。


 竜でもあり人でもある半端者、実力も実績も持ちえず力の無い半端者の二人。


 彼女と彼が後に、争い手を取り合うことの無かった竜と人の架け橋となる一助を担うのだが、それはとても遠い未来の話である。

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竜人娘のたからもの 針機狼 @Raido309lupus

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