隣の推定ヒーローくん

向花いかく

隣の推定ヒーローくん

 吸い込まれそうなほど青い空に浮かぶ、大きな入道雲。


 それは梅雨明けから一週間も経っていないというのに、既に夏の訪れを告げていた。




 私はそんな空模様を教室の窓ガラス越しに眺めている。


 黒板の前に立っている英語教師は、相変わらず英語で話し続けていた。

 4月に入学したばかりの頃、初回の授業で「俺は授業中、英語でしか喋らない」と宣言したあの教師は、2ヶ月以上経った今でもそれを貫いている。

 はじめの頃は尖った教師だと人気があったが、今では真面目に聞いている一握りの生徒以外にとって、昼下がりの内職タイムと化している。


 かくいう私も、授業の内容などほとんど頭に入っていなくて、ただボーっと空を眺めているんだけど。




 兄から、高校は中学までと比較して比べ物にならない位教師のクセが強くなるとは聞かされていたけど、まさかここまでとは思わなかった。

 そんな兄は今大学に通っているが、大学教授のクセは更に強いらしい。一体如何ほどのものなのだろうか。


 閑話休題。




 しかし、私が観察しているのはガラス越しの青空だけではない。それよりも手前、もっと私に近い位置。


 そこにいるのが金丸かねまる 祐希ゆうきくん。隣の席の男の子だ。






 *






「ねえ」



 小声で声を掛けると、金丸くんは私を見た。



「それ、先週からずっと着けてるよね」



 そう言って私が指差したのは、金丸くんの首に着いているチョーカーのようなもの。

 見た目はプラスチック製っぽいオモチャの首輪で、学校に付けてくるには少し不釣り合いな印象がした。



「あぁ〜……」



 金丸くんはそのチョーカーに手を添えながら、言葉に迷っている様子で声を漏らした。



「た、只のお洒落だよ。うん」



 金丸くんはそう答えたけど、明らかに嘘だ。というか、本当にお洒落で着けているならダサい。



「へぇー」



 指摘したかったけど、金丸くんがあまり触れて欲しくなさそうだったので、私は適当な相槌をうった。



「……」


「……」



 気まずい沈黙が私達の間で流れる。

 先生が黒板に板書をする音がやけによく聞こえた。



「あの、さ……昨日の事なんだけど」



 このまま会話が終わってしまうかと思いきや、金丸くんの方から話題を振ってきた。

 しかし、チョーカーの事で先週から気になってはいたけど、金丸くんとまともに話したのは今日が初めてなので、肝心の内容に私は心当たりがない。


 というか勝手に思い込んでいたが、金丸くんの言葉的に私と関係ある話とは限らないか。

 今朝のニュースは見てないけど、大きな事件でもあったのだろうか。



「昨日? なんかあったの?」


「あ、いや……そんなに大した事じゃないんだけど」



 自分から振ってきた話題なのに、何故か言い淀む金丸くん。彼の個人的な身の回りで起きた話なのかと私は考える。



「別に無理して会話繋がなくても――」


「……ッ!」



 私が言いかけた時、金丸くんは急に後ろを振り向いて、窓の外を見た。

 その横顔は、授業を聞いていたときよりも遥かに真剣な表情で、強い覚悟を秘めた鋭い目をしていた。



「……行かなきゃ」


「え……?」



 金丸くんの自分に言い聞かせるような小さな声に、思わず私は聞き返した。



「すみません! 体調が悪いので保健室行って来ます!」



 ガタンと机を揺らしながら立ち上がってそう言うと、「Take careお大事に!」という先生の言葉を背に、金丸くんは教室から勢いよく出ていった。明らかに体調が悪い人のそれではない。


 その一連の流れを見ていて私は思った。




 やっぱり金丸くんって何かの物語の主人公じゃない?






 *






「ねえ」



 小声で声を掛けると、金丸くんは私を見た。



「それ、どうしたの?」



 そう言って私が指差したのは、金丸くんの頬に貼られた大きな絆創膏。



「えーと……昨日の帰り道に派手に転んじゃってね」



 金丸くんはそう答えたけど、明らかに目が泳いでいる。

 先週から着けている謎のチョーカーに加えて、今日は不自然な絆創膏……金丸くんは人知れずどこかで戦っているのではないだろうか。



「ふーん……」



 だけど、私はそれを指摘しない。

 そもそも、なんの根拠もない私の妄想だ。もし金丸くんに訊ねて、怪訝な顔で返されたらどうする?

 まだまだ半年以上も同じ教室で過ごすことになるクラスメイト、それも隣の席の人に痛い奴だと思われたくはない。高校はそんなに頻繁に席替えなどしないのだ。



「あの……」



 そんなことを考えていると、金丸くんの方から声を掛けてきた。



「何?」



 私が聞き返すと、金丸くんは目を細めて何かに悩んでいる様子を見せる。



「……ごめん。やっぱなんでもない」


「えぇー……なにそれ」



 金丸くんの謝罪に、私は破顔しながら呆れた様な声で返す。

 しかし、私の内心はもっと違う考えで満たされていた。




 私って金丸くんのヒロインじゃない?






 ……いや、違うよ?

 金丸くんと恋仲になりたいとかそんなんじゃなくて、なんか私って特別じゃない?って思うだけ。


 だって、普通目立たない? あんなオモチャみたいなチョーカー付けてるのに全然噂になっていないし、今日なんか顔にケガまでしてるのに、金丸くんが全然注目されていないなんて変だ。


 もしかして違和感に気づけないのが普通で、気づくことが出来る私は特別な存在なんじゃないかって思う訳よ。


 ……別に、前から金丸くんの事を見ていたから変化に気付きやすいとかそういうんじゃない。

 私が金丸くんを観察しはじめたのはチョーカーを付け始めてからのはずだ。


 それに今の金丸くんの態度も気になる。

 もしかして私には特別な力があって、金丸くんはそれに気づいているけど私を戦いの世界に巻き込まないように言わないでいてくれているのではないだろうか。

 こうして考えてみるとやっぱり私ってヒロインっぽいと思わない?


 あれ、そういえば今朝忙しくって髪を梳かす時間があまり無かった気が……






「……急にどうしたの?」


「いや今日たまたま忙しくてね? 寝癖残ってたかなーって。いつもは違うんだけど――」


「別に綺麗に整ってると思うけど」


「え、あ……そ、そうかな……」

 





 *






「ねえ」



 小声で声を掛けると、金丸くんは私を見た。



「それ……」


「あー……」



 私が質問を投げかける前に、金丸くんは話し掛けられるのが分かっていたという様子で苦笑した。


 それもそのはず、今日の金丸くんの頭髪は昨日までの黒髪と異なり、真っ白へと変色していたのだ。



「……イメチェン?」


「まあ、そんなところかな」



 金丸くんはそう答えるが、いくら校則で禁止されていないとはいえ、金丸くんは突然大胆に髪を染めるようなタイプではない。

 もし染めるにしても暗めの茶髪とか、そのあたりからチャレンジするだろう。


 ……なんて断言しているが、全て金丸くんと大して話したこともない私の勝手な妄想なんだけど。



「……どう?」



 私が考えていると、金丸くんが横髪を撫でながら感想を求めてきた。


 そんなことを聞かれても私が困る。

 だって、髪が白くなるなんて悪いイメージしかしないのだ。とんでもないストレスを受けたとか、寿命を削って戦っているとか 、人ではないナニカになろうとしているとか……

 だけど、目の前ではにかむ金丸くんは特に深刻な思い悩みがあるようには見えない。


 まさか本当にただのイメチェンだったのだろうか?

 だとすれば、正直似合っていない。だけど、それをストレートに伝えるのも憚られる。



「私は、前の色の方が好きだったかな……」



 色々な想いを込めて、私はそう答える他なかった。






 ……そういえば、流石に今朝は「その髪どしたん?」

 と金丸くんに注目が集まっていた。

 今までも謎チョーカーや不自然な絆創膏とかツッコミどころはあっただろ!と思ったが、私も人のことは言えないのだった。






 *






「ねえ」



 小声で声を掛けられたので、僕は彼女を見た。



「髪、染めた?」


「えっ……」



 思わず声が漏れてしまったのは仕方ないだろう。



「それって、どういう意味?」


「あ、ごめんねいきなり。なんか昨日より微妙に茶色っぽい感じがして」



 冷静に聞き返すと、彼女はそう答えた。


 一瞬、期待してしまった。彼女が特別なんじゃないかと。






 僕の人生が大きく変わったのは2週間前。


 逃げ惑う人々と崩壊する町並み。僕もそんな中に放り込まれた、何の変哲もない一般人のはずだった。


 そんな最中に偶々このアンカー首輪によって選ばれ、僕はアイツ等と戦う力を得た。

 それから僕は毎日のように次々現れるアイツ等と戦い、人を助けている。


 アンカーの力で、戦闘後に建物や物が受けた被害は戦う前の錨を下ろした時点に巻き戻す事ができる。

 混乱が起きないよう、それに合わせて人々の記憶は適当なものへと書き換わり、平和な一日だったと錯覚するのだ。


 僕が助けた事を誰も覚えていない事に不満があるわけじゃない。

 これは、僕にしか出来ない事だ。逃げ出して後悔するのは僕自身だと思うから。




 しかし、失われた命はアンカーの力でもどうにもならない。人々に記憶の埋め合わせは行われるが、僕だけはその犠牲を忘れるわけにはいかない。


 今の英語の先生が入学したばかりの頃と違うことを覚えているのは、もうこの世に僕しか居ないのだから。




 今の僕にとって一番の敵は、孤独だ。

 一緒に戦ってくれなくてもいい。ただ記憶を共有してくれる相手が欲しい。


 しかし誰かに話したとしても、次に戦闘を行えば、また記憶の修正が起きる。

 特に直接話していた相手なんかは、その日僕と関わった事自体を忘れてしまう。

 記憶の保持ができるのは、僕と同じアンカーを扱う才能を持った特別な人間だけだ。







 彼女は、僕の些細な変化に気づくほど観察力に優れている。


 きっと、さっきの言葉は白くなる前の僕の髪と比較してのものだろう。

 流石に毎朝クラス全員にあの反応をされるのは困るから、昨日の戦闘が終わって直ぐに染めてきたけど、元より少し茶色気味になった事で彼女には気づかれたみたいだ。

 ちなみに白くなったのは、力が体に馴染んできた事によって起きた、先祖返りのような現象らしい。




 ……しかし、彼女も特別ではない。


 他の皆と同じように、毎日記憶が捏造されていることに気づけない。



「……実は、ちょっと染めてみたかったんだよね」


「へー、それもお洒落の一環?」



 そう言って彼女はアンカーを指差す。



「まあ、そんな感じ」



 僕は、いつものようにはぐらかす。

 何度も繰り返していると、嘘をつくのにも慣れてくる。

 彼女にとっては、僕と話をしたのは初めてだろうけど。



「へー……」


「……」


「……」



 歯切れの悪い彼女の相槌を最後に、会話は途切れた。

 若干の気まずさはあるが、諦めの気持ちのほうが大きかった。

 どうせ今日も戦闘が起きて、今の会話も無かったことになるのだろう。




 特別なのは、僕だけだ。






「……」


「…………あのさ」



 今日はここまでだろうかと思ったとき、それまで難しい顔をしていた彼女が口を開いた。






 *






「…………あのさ」



 普段なら、初めて話す相手にこんな事を口にすることはないだろう。

 これは単なる私の妄想で、間違っていたらドン引きされること間違いなしだ。


 ……まあ、金丸くんは優しいから、苦笑いくらいで済ませてくれるかもしれない。




 でも、もしこの妄想が間違っていなかったら、今私の前でなんでもないように振る舞っている彼は、とても孤独なんじゃないかと思ってしまったのだ。





「私、記憶消されてない?」



 私の言葉を聞いた金丸くんは、口をあんぐりと開けたまま、手に持っていたシャープペンシルを落とした。

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