第12話 強い女、弱い男

 ユウラが支部長室を出ると、廊下の向こうからテイトがやってきた。彼もハリアルに呼ばれたのだろう。


「お疲れ様」


 テイトが微笑し、遠い距離から声をかける。テイトはいつも挨拶が早い。もう少し距離を詰めてから言おうと思っていると大抵先に言われる。


「お疲れ様。中央の件、大変だったわね。大丈夫そう?」


 ユウラがテイトを気遣う。


 今しがたハリアルより、今日中央のラーバイル隊がやってきて、蔵書室や市民図書館から呪に関する本の七割近くを持っていかれるという話を聞いた。ロムから戻った際、正門前で中央軍が何やら作業をしていたようだったが、そんな横暴な真似をしていたとは。


「うん、大丈夫と言えば嘘になるね。まあ、何とかするしかないけど」


 テイトが無念そうな苦笑を見せる。


「そう……」


 相変わらず中央のやり方には閉口させられる。


 思い出すだけでも不愉快なラーバイルの顔。今度エルティで見かけたらひっぱたいてやろうと思った。


「一言、支部長には物申しておくよ。チクリと」


 テイトが苦笑を絶やさずに言う。


「支部長だって好きで要求を飲んだわけじゃないわ。今回は大聖者の名前を出してきたって」


 ユウラがハリアルを擁護する。ハリアルとしても苦渋の決断であった。


「まあね。それは分かるけど。でも言う」


「言うんだ」


「うん。ところで、ユウラも呼ばれてたんだね」


「ええ。また遠出することになるわよ。詳しくは支部長から」


 ユウラが予告すると、テイトは「そうか~、参ったね」と頭を掻いた。


「なかなかやりがいのある仕事になりそうよ」


 ユウラはささやかに笑みを浮かべ、小声で言う。


「もう、何でそんなに楽しそうなの。間髪入れずにまた遠征でしょ?」


 テイト再び苦笑いしつつ、半ば呆れたようにユウラに言う。


「楽しいわよ。だってあたし有能だから。そういうの楽しめるの」


 ユウラは勝気な笑顔を見せる。


「はは、なるほど。正にユウラだね」


「でしょ? じゃあね」


 謙遜はしない。


 笑顔を見せたまま、ユウラはテイトの肩を叩いてすれ違った。




 あたしは有能だから。当然でしょ?


 問題ないわ。あたしは優秀だもの。


 どう? 有能な副官がいるといいでしょ?




 三割は強がり。三割は理想の自分を保つための追い込みと暗示。二割は自惚れと少々過剰な自意識。残りの二割は運を引き寄せるためのジンクス。


 これまでこの手のセリフを口にしたとき、達成と成長、そして運がもたらされてきた。ユウラにとって、この手の言葉は何か、呪のような不思議な力を秘めており、自分に力を与えてくれる。


 だからユウラは、ここ一番の大事なとき、何か新たなことに踏み出すとき、セトの気を惹きたいときにこういうことを言う。俗に言う決めゼリフ的なものとして。


 こういうことを臆面もなく言うと、周囲の反感を買うのは重々承知している。自意識過剰で自惚れの強い嫌な女と思われるだろうし、実体験としてこの手の言葉と態度が原因で敵を作ったことも一度や二度ではない。だけど構わない。事実私は優秀だ。当たり前のことを言って何が悪い。ぐらいには思うように努めている。辛いとき、胸躍るとき、セトを思うとき、この手の言葉を口にすると、なぜかいつも良い方に風が吹く。だから、そのときそのときの思いを込めて「私は優秀」と声に出して言う。


 女性兵の兵科テストでトップの成績を収めたときに、女の巣窟である女子寮の世界で「当たり前よ。あたしは優秀だから」と平然と言ってのけたら、どれだけ周囲の反感を買うか想像はつくだろう。だがユウラは分かっていてそれをやった。もちろん酷く反感は買ったし、傲慢な発言の報いとして表から裏から嫌がらせは受けたが、結果として運は向いた。色々と紆余曲折あったが、結果的にレヴィアンビューナという自称副官との関係を築けた。


 今ではセト隊の副隊長となり、裏でどう思っているかは知らないが、誰もユウラに表だって反感を示す女性兵は寮内にいなくなった。有言実行の『優秀さ』で黙らせたのだ。


 ユウラは妹を助けるため、中央に立ち向かう。そして、妹を助けるだけでなく、元凶への復讐も。そのために槍を取ったのだ。

 


――だから、優秀で有能な私は、自分の運命を自分で切り開いてみせる。





 メイの力強く速い突きをむき出しのヘソに受け、まだ腹部がじんじんと痛む。


 何なのあの突き? よりによって上級貴族ノースノーザル家の令嬢であるこの私に向かって、よくもあんな遠慮なく打ち込めたものね。ちょっとは立場ってもんを考えて、手加減して私を立てなさいよ。大勢の前でゲロ吐かせやがってあいつ生意気過ぎ。平民の分際で。しかも上官相手に。メイったら、よくもこの私に、それも副隊長殿の前であんな恥かかせてくれたわね。どうしてくれようかしら?


 いけない。これは逆恨みよ。悪いのは先にケンカをふっかけた私。しかも忠告を聞かず防具もつけずに。それにしてもメイがあれほどの実力だったなんて。北支部にはまだあんな奴がいたんだ。


 軍医は大したことはないからしばらく安静にしていれば大丈夫だと言った。私をここまで運んでくれたマリナとルーナには、少し休めば大丈夫だからと言って戻ってもらった。


 医務室の扉が開く音。


 副隊長殿だ。道場の床に大量にぶちまけて、大迷惑だっただろう。


「大丈夫?」


 副隊長殿は優しい口調でこちらを気遣ってくれた。慌てて上体を起こす。


「申し訳ありません」


「大丈夫よ、寝てて」


「いえ、もう、ホントに大丈夫です」


「ホント?」


「はい。ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」


「あたしは構わないわ。メイと、みんなに謝っといてね」


「分かりました」


 副隊長殿の言うことは正論だった。頭を下げる私。不本意だが、流石にこれはメイにも謝らねばならないだろう。当然のことだ。


 副隊長殿には己の力を過信しないこと、練習試合の際は大けがをしないよう必ず防具を着用するよう叱られた。万一のことがあっては隊にも迷惑をかけると。ぐうの音も出なかった。


 私の手本とする副隊長殿は、まだ安静にしているよう私に言い、中庭の訓練を見に行くといい、医務室を出ていった。


 再びベッドに仰向けになり、医務室の天井を見ながら、思いに耽る。




 十三歳のときにエルティの白軍学校に入り、二年間の高等教育を受けた。私は白歴七百三十一年の主席卒業生だったが、軍人になるために入学したわけではなかった。


 全てはハリアル支部長との政略結婚のため。


 まだ独身である支部長には、北地方の多くの有力貴族から縁談が持ちかけられていた。そして支部長自身も貴族だ。どの家も、何とか自分の一族の女を支部長に嫁がせ、西大陸の支配機構である白軍との結びつきを強め、北地方の貴族社会で優位に立とうと、今も躍起になっている。それは私の一族も例外ではなかった。


 支部長は縁談を全て断っていた。そこでノースノーザル家が取った戦略は、私にドレスではなく軍服を着せることだった。


 亡きお父様は私に言った。ハリアル殿はいつ命を失うとも分からぬ軍人の身なれば、死別によって大切な人を悲しませぬために所帯を持たぬのであろうと。ならば、煌びやかなドレスを着て、ピアノやバイオリン、バレエなど様々な芸事に精通し、学問もでき、政治も良く語る、戦場に出る夫の武運を祈るだけの利口な貴族の女ではハリアル殿の目には留まらぬと。


 それだけでは足らぬ。それは最低限のこと。


 軍の何たるか、戦の何たるかを理解し、一軍の将であるハリアル殿と同じ戦場に立てる女、共に戦える女、武人の苦悩、将の苦悩を共有できる女こそがハリアル殿の妻に相応しいと。


 だから私はエルティの白軍学校の武官コースに入り、ハリアル殿の目に留まるよう、そこで誰よりも優れた成績を収めて主席卒業した。お父様は支部長の妻に相応しい軍人になれと説いた。でも実際は、私が入学した十三歳の頃からお父様は縁談の話を支部長にしていた。お父様は七百三十二年になって、私が十五歳になって成人したら即、支部長との婚姻を進めることを目指していた。お父様は私が卒業して軍人になるのを待ってはくれなかった。政略結婚はスピード勝負。早くしないと支部長を他家に取られてしまうかもしれないからだ。


 しかし、支部長は私を妻に向かえるべき異性とは認識してくれなかった。支部長はお父様にきっぱりと言った。親子ほども歳の離れた娘を妻にするなど考えられないと。


 私は支部長に『女』として見られていなかった。親子ほどの歳の差が何だと言うのだ。お父様やお兄様にとっては私の婚姻は政略結婚なのかもしれないが、私にとっては違う。ずっと憧れの人だった。


 九年前、私がまだ十歳だった頃、最果てのキリンカの町で軍を率い、町を襲う黒獣を討伐した、まだ支部長じゃなかった頃の支部長。あの英雄の背中を追いかけてきたのに。あの人にとって私は、他の貴族達が一族を盤石なものにしようと次々と送り込んでくる大勢の女の中の一人に過ぎなかったのだ。私は他の女達とは違う。私はエルティ白軍学校をトップの成績で卒業したのに。


 程なくして、お父様とお母様は山脈周辺で流行した恐ろしい疫病に罹って帰らぬ人となった。最期にお父様は言った。縁談を断られても、疫病の伝染が収束するまでは故郷には戻るなと。卒業したらそのまま白軍に入り、まだ感染が広がっていないエルティに留まれと。それがお父様の遺言だった。


 お父様の死後、すぐにお兄様が領主の座を継ぎ、お爺様の補佐を受けつつ所領を治めている。


 支部長との縁談が成らなかった私は、一旦は支部長を諦め、傷心の中、支部長の息子のような存在だったセト副長に想いを寄せた。逃避するように。


 しかし、その想いも成らなかった。入隊してすぐにセト隊に配属され、副長殿も私のことを大切に扱い、目をかけてくれていた。副長殿と私は両想いなのだと確信して想いを伝えたが、セト副長にはきっぱりと断られた(※)。


 ノースノーザル家。


 祖父も祖母も父も母も兄も私も、見目麗しい美の血統。


 ノースノーザル家は代々貴族間での政略結婚で家格を釣り上げ、北地区の貴族社会での勢力を伸ばしてきた一族だ。恋愛を挟まない政略結婚で、相手に選ばれる優先度を上げるには、容姿が重要な要素となる。


 そのため、一族は昔から嫁を取るときは美女を、婿を取るときは美男を選び、常に容姿端麗な血族を維持することを絶対的家訓としてきた。そして、他の名家の貴族の目に留まり、美男美女を他家に多く『出荷』して家を盛り立てた。


 だから私は驕っていたのだ。どこへ行っても常に周囲の男を狂わせてしまうこの美貌により、セト副長は私を意識し他の兵とは特別扱いしてくれているのだと。


 私は私のことを客観視して、どう考えても性格がいい女とは思えない。


 高貴なる身分とその美しき容姿で特別扱いされることを当然だと思っていた私は、支部長への想いが叶わなかった心の傷を癒すため、セト隊で、副長殿から特別な存在で見られることを望んだ。


 だが、セト副長からはっきりと断られたことで、自分の傲慢な勘違いに気付かされた。あの人は、誰にでも優しくしていただけだったのだ。私だけを特別に扱ってくれていたわけじゃない。マリナやルーナと私では、差がない。副長殿にとって、マリナもルーナも私も、皆等しく大切な部下なのだ。私は心のどこかでそれに満足できていなかった。


 後に、副隊長殿と副長殿の信頼関係が育まれていくにつれ、私はもうあの二人の絆を覆せないと理解し、身を退いた。


 二人とも、今は互いの気持ちに正直になると関係が壊れてしまうから、一定の距離感を保っている。副隊長殿も距離を取ろうとしているが、それは副長殿の気持ちを汲み取ってのことで、距離を取ろうとしている気持ちは副長殿の方が強い。


 そうすることによってセト副長とユウラ副隊長は二人の繋がりを維持している。


 是非、この二人が男女に仲になるところを見たい。絶対にそうなるべきだ。


 応援している。余計なお節介は焼くべきではないかもしれないが、力にはなりたい。


 副隊長殿がやってきたばかりのときに虐めたにも関わらず信頼を寄せてくれていることへの償いと恩返しがしたい。


 私と同じで、あの疫病で父と母を失っている境遇だったにも関わらず、私の虐めを跳ね除け、強く振る舞っていたユウラ殿。


 平民なのに。凄い。


 もう平民のくせに、などと思わないから。私も副隊長殿のように強くなりたい。


 やはり私には、ハリアル支部長しかいない。


 諦めていた情念が再び燃え上がった。私にとっては政略結婚以上の意味がある。幼いころより追いかけてきたあの英雄の背中に追いつくのだ。


 亡き父のお膳立てではなく、この恵まれた美貌と才覚で北支部でのし上がり、いつかはセト隊から出て、支部長の側近的立場になる。


 そして、再び――。







 中庭には、訓練用に先端を丸めた鉾を持ったアージェが仁王立ちしており、その横にマーイが立っている。


 その奥では、ジュンとオーガスが激しく訓練用の剣(重量その他の作りは剣に似ているが、刃は立っていない)を打ち合っており、ダーフとエイリルが隅で見物していた。四人とも鎧を着込んでいる。


「おお、ユウラ。やってくか? おいオーガスもっと間合いを意識しろ!」


 アージェがユウラに気付き声をかけ、忙しくオーガスを叱咤した。


「アージェが相手してくれるならいいわよ」


 ユウラが言った。彼らには悪いが、奥にいる四名ではユウラにとって訓練にはならない。


「だあああっ!」


 ジュンとオーガスは剣を激しく打ち合い、一進一退の攻防を繰り返していたが、ついにジュンがオーガスの脇腹に剣を叩き込んだ。


「ぐわっ!」


 オーガスが剣で殴打された痛みをこらえきれずに、たまらず地面にうずくまる。


 勝利したジュンも汗だくで、吐く息が荒い。


「オーガス、立てるか?」


 アージェが声をかけたが、うずくまったまま反応がない。


「駄目だこりゃ。マーイ頼む」


「ついさっきザガン隊長の指をくっつけたばかりで、あまり呪力が……。俺って駄目な奴……」


 マーイがぼやきながらオーガスの脇腹に手を当てた。そこから柔らかな光が立ち込め、オーガスの打撲跡を覆っていく。


 気が付くと、オーガスの顔から苦悶の色は消え去り、すぐに立ち上がって、マーイに一礼して隅へ引っ込んだ。


 次にダーフとエイリルが対峙する。


「ダーフ! こんどこそ本気だ! お前の剣筋は見切った。負けねえからな、この野郎!」


「いいよエイリル! こっちも手加減しないから!」


 いつも礼儀正しくて誠実なダーフも訓練で気分が乗っているらしく、珍しく挑発めいた台詞が出てきた。


「このおおおっ!」


「だあああっ!」


 何回か打ち合っていたが、比較的早くダーフの剣がエイリルを捉えた。ユウラから見れば、それは危なげない勝利であった。ダーフの方が実力が上だ。


「くっそおおおっ!」


 エイリルは悔しそうに地団太を踏んだ。ダーフは控えめに笑みを浮かべ、隅へ退いた。


「エイリル、視野が狭くなっているぞ、落ち着け!」


 アージェの厳しい口調を受け、エイリルは更に悔しそうな表情をした。


 そのとき、中庭に一人の人物が現れた。


 セトやユウラの隊に半年前入ったばかりの新人隊員・イッチェである。えらく寡黙な男だが、かなり腕は立つ。それゆえ、強敵を相手にすることが多いセトの隊に回されたのだ。


 イッチェはユウラに真っ直ぐに近づいてくるが、その一直線上によろけて足をもつらせているエイリルがいた。


「邪魔だどけ」


 イッチェは避けずにエイリルをぞんざいに払い退け、ユウラの前へやってきた。


 ダーフに打ち込まれてフラフラだったエイリルは地面に倒れ込む。


「ユウラ殿。セト副長がお呼びです。副長室へ」


「あ、ありがとう」


 倒れたエイリルが気になったが、とりあえずユウラは礼を言った。イッチェは無愛想に一礼し、倒れたエイリルの上を無遠慮に跨いでその場を去ろうとする。


「待てコラアアッ!」


 エイリルが立ち上がって剣を構える。酷く興奮しているようで、顔が怒りに歪んでいた。イッチェが振り返る。


「何だ?」


「何だじゃねえ! 来い!」


「無駄だ」


 イッチェは淡々と言った。目は汚いものでも見るように冷たく、刺すような視線だった。


 ユウラは横に立つアージェに目をやる。新たなる対戦者登場で興味津津といった表情だった。


「入って一年も経ってねえ生意気野郎が! エイリルやっちまえ!」


 ジュンが大声でエイリルを煽った。ユウラの胸に一抹の不安が宿る。イッチェのやり過ぎが心配なのだ。


「だあああっ!」


 エイリルは構わずイッチェに向かって剣を振り下ろした。いや、正しくは振り下ろそうとした。そのときにはイッチェの持った短刀が、エイリルの喉に刺さる寸前のところにしっかりと位置していた。速い。やはりかなりの使い手のようだ。


「それまでだ!」


 ほぼ同時か。いや、僅かに早めだったかもしれない。アージェが声を上げる。イッチェは静かに短刀を収め、無言で踵を返してその場を後にした。


「ああ、あああ……。この俺が、俺が……」


 エイリルは剣を振り上げた姿勢のまま茫然自失の表情で、ストンと地面に膝をついた。


 ダーフ、オーガス、ジュン、マーイもイッチェの実力を見て驚きを隠せない様子だった。


「はぁ……、ちっくしょう……」


 エイリルはよろよろと立ち上がり、そのまま宿舎の方へと歩き始めた。


 アージェはずかずかとエイリルを追いかけ、肩をつかむ。


「おい、どこへ行く気だ?」


「お疲れ様でした」


「勝手に終わるなよ。お前さっきの『この俺が』ってどういう意味だ?」


「どうって……。この俺がやられるなんて」


 エイリルが力なく答えた。相当へこんでいるらしい。


「あぁー、なるほどな。そっかそっか。こういうのはハッキリ言った方が本人のためだから言うけど、お前弱いよ。今の腕でその自己評価じゃすぐ死ぬぞ」


「嘘だ! 俺は誰にも負けない! こと剣においては! たとえあんた相手でも例外じゃない! 今日は調子が悪かったんだ!」


 エイリルが猛犬のように歯をむき出しにしてアージェを睨む。今もダーフやイッチェに負けた現実を直視していない。その粗野な様相からは諜報員としての繊細さや冷静さは微塵も感じられない。


「へぇ~、俺相手にも勝てるってか? お前面白おもしれえな」


 アージェが楽しそうに言う。


「そうだ、俺は任務で人斬ったことだってある! 武芸としての剣術じゃなく、何でもありの殺し合いだったらあんたにも勝てる! 俺の剣はそういう剣なんだ!」


 エイリルがアージェに臆せず言い放つ。


「おおー、そうかそうか。実は俺もそっちのが得意なんだ。気が合うな。あ、そうか、そっちの方の訓練をお望みだったのか?」


「えっ? いや」


「よーし分かった! 俺がウォールリバーへ行くまでに、『この俺がやられるなんて』だの『俺は誰にも負けない』だの言う資格があるだけの実力に鍛えてやる。安心しろ」


 アージェがにっこり笑ってエイリルの肩をバシッと叩いた。


「ヒ、ヒイッ……!」


 さっきまでの威勢はどこへやら。すっかり怯えるエイリル。


「おーい、お前らはこのまま訓練続けてろ。俺は隅っこでエイリルの特訓するから。マーイ、今日はエイリルをたくさん癒すことになっちゃうけど、悪りーな」


「いえ、俺は大丈夫ですが……」


 マーイがエイリルに憐れみの表情を向けた。


「あーあ、エイリルの野郎、やっちまったな」


 オーガスがへらへら笑って言った。


「怖い怖い。明日は我が身だぜ」


 ジュンは顔が若干引きつっている。


「ははは。エイリル、ウォールリバーへ向かう頃には満身創痍だったりして……」


 ダーフが苦笑した。それを受けてオーガスが「ブッ!」と笑いを噴出させた。


「ユウラ殿。助けて下さいよ」


 エイリルが情けない顔をしてユウラに助け船を求めた。


「根性からアージェに鍛えてもらいなさい。上官として忠告するけど、今後感情のままに喧嘩を売るような真似したら、ただじゃおかないから。あと、あんた実際の腕と自己評価が釣り合ってないの、私もアージェの言う通りだと思う」


「は、はい」


 エイリルは観念したようで、がっくりとうなだれた。ユウラはアージェに礼を言って宿舎へ向かった。


(※)

https://kakuyomu.jp/works/1177354055049306484/episodes/16817330667210005691

アージェ曰く「こいつ全部振ってやがるからな」

セト曰く「半端な態度取って泣かせるより、まだその方がいいだろ」

との事。

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