トリック・オア・トリート

のっとん

トリック・オア・トリート

「トリック・オア・トリート!!」

 子ども達の元気な声が響く。

 今日は防犯キャンペーンを兼ねたハロウィンイベントだ。

 面倒だと言う警察官もいるが、非日常的な警察と地域を繋ぐ大切なイベントだと思う。特に僕が所属する交番のお巡りさんは市民の方々に顔を覚えてもらう絶好のチャンスだ。


 夕方になると子ども達の姿もまばらになり、チャイムと共に撤収作業の命令が下る。

 ガチャガチャと椅子を畳んでいると不意に後ろから声が聞こえた。

「トリック・オア・トリート!」

 振り返ると黒猫の仮装をした子どもがこちらを見あげている。

「トリック・オア・トリート!お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!」

 困ったな、と思った。

 お菓子の箱は既に空っぽだ。飴玉一つも残っていない。

「ごめんね。お菓子、無くなっちゃったんだ。」

 この台詞も今日何度目だろうか。

 この後の言葉も分かる。

 えー、お菓子無いのー?だ。

「えー、お菓子無いのー?じゃあイタズラだね。」

 え?という声は、その小さな手から発せられた猫騙しに掻き消された。


 辺りが急に静かになった。

 撤収作業の騒音も行き交う人々の話し声も、鳥の鳴き声も、なにも聞こえない。


 うなじの毛が逆立つのを感じる。

 思わず瞑った目を恐る恐る開けると、そこは何も無い場所だった。

 人も町も空もすべて消え、白だけが残っている。部屋、という訳でもない。かと言って地平線が見える訳でもない。地面と空の境界が曖昧で、どこまでも白い。

 いつの間にか、さっきの子も居ない。

 この空間には、僕、独りだけ。


「これはこれは。大人のお客様とは珍しいねぇ。」

 ふらりと一歩踏み出した所で声が聞こえた。

 振り向くとアヒルのつぶらな瞳と目が合った。数羽の白いアヒルがこちらを見あげている。

「どうだいお兄さん?一つ、ゲームをして行かないかい?」

 黒いリボンを付けたアヒルの嘴がパクパク動いて、先程と同じ声を出した。

「ゲーム?」

 訪ね返した僕にアヒルがにやりと笑う。(ように見えた)

「なぁに、難しいことじゃないさ。」


 アヒル達はばさばさと羽を動かしながら歩き始めた。と言っても、どこかへ移動する訳ではないらしい。アヒルの後ろから大きなタライが現れる。

 深くは無かったが、大人が足を伸ばして座れるくらいには大きなタライだ。たっぷりの水が張られ、小ぶりな林檎がいくつも浮かんでいる。

「この林檎を手を使わずに一つ取るだけだ。」

 反対側へと回り込んだアヒルがタライの中を指し示す。

「成功すればその林檎をあげよう。失敗したら何もなしだ。どうだい?簡単だろう?」

 辺りを見回しても白一色だけ。この空間には僕とアヒル達しかいないようだ。


 仕方がない。膝をつき、注意深く林檎を観察する。

 林檎はスーパーなどで売られているものと比べると、かなり小さい。口を大きく開ければ咥えることも出来そうだ。ただ、この方法がリスクを伴うことを僕は知っている。下手をすれば林檎は水中へと潜ってしまうだろう。


 一番ヘタの長い林檎へ慎重に狙いを定める。

 枝のような触感を確かめ一気に顔を上げる。

「おお!成功だよ。おめでとう。」

 アヒル達がクワクワと笑う。

「約束通りその林檎は君にあげよう。さあ、暗くなる前にお家へお帰り。」

 掌の上で林檎がぐにゃりと歪んだ。


 どこからか子どもの声が聞こえてくる。

「あれー?成功したの?ちぇ。日本人ならこのゲーム、知らないと思ったんだけどなぁ。」


「……くん。能登くん。大丈夫か?」

 気が付くとイベント会場だった。課長の心配そうな顔が視界を覆う。

「熱中症か?十月だからって油断しちゃだめだよ。ほら、これ飲んで。」

 すみません、とペットボトルを受け取る。

 話を聞くと、どうも僕は作業中突然しゃがみ込み、動かなくなったらしい。後はやっておくから先に帰りなさい、と立ち上がった課長に再度すみません、と頭を下げる。

 お茶を口に含み、一息つく。その時、視界の端で何かが転がり落ちた。

 赤いそれは、拾い上げるとみるみる黒く染まり、石の林檎へと姿を変えた。掌に感じる重さは、あれが嘘ではなかったと伝えているようだった。

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トリック・オア・トリート のっとん @genkooyooshi

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