少年の心を亡くした中年どもへ

出雲黄昏

一話 完結


「昼休みサッカーしようぜ」

 

 いつからだろう。そんなことを気軽に言えなくなったのは――。


 ***

「ちょっと! タバコは外で吸ってよ」と、言っていた彼女はもういない。


 別に付き合う前みたいに、部屋の中でタバコを吸えばいいのにこのベランダで吸うのが癖になってしまったな。

 

 なぜだろう、俺、さみしいのかな。


 タバコを見つめると副流煙が目に染みて、まぶたをギュッと閉じるけれど涙は出なかった。寝起き、早朝の一服で水分不足だったからだろうか。


 あるいは、このベランダで俺に向かって針が集中砲火してくるような冬の寒さが身体機能を鈍らせているからなのか。


 タバコを咥えたまま部屋へ戻り水分補給しようとキッチンに向かう道中、舞う煙が部屋をタバコ臭くしやしないか、部屋がタバコ臭いと彼女に叱られるのではないかと考えがよぎるが、もうそれはいらぬ心配であるのはわかっていた。


 キッチンに着き、水道の蛇口を捻ってジャイロ回転気味に流れ落ちる水へタバコの先端を突き付けて消した。火の消えたタバコの吸い殻は適当に横へおいて、流れ落ちる水をコップ代わりに両手で受けて、水をかっ食らう。


 火の消えた黒く水分でへたったタバコの先端に視線をやると、あるはずもない罪悪感に近い匂いがしたので、その吸い殻を持ってベランダまで行き、灰皿に投げ入れた。


 今の俺には何もない。

 

 趣味も、友達も、家族もいない。天涯孤独。


 孤独には慣れているつもりだった。


 彼女のいない俺はこれから何を目標に、何のために生きていけば良いのか、そう考えてもため息は出ないし、独り言も言わない。やっぱり俺は孤独耐性の強い人間だから。


 スマートフォンを手に取り、何やら通知がきていたLINEを起動するためにアイコンをタップする。


 先ほど俺に友達はいないといったが訂正する。正しくは気がねなくスッと連絡できるような心の許せる仲の人間がいないというだけで、年に二、三回くらい飲みに行ったりする友人はいる。


 でも所詮はその程度の繋がり。


 昔は良かったよな。

 

 サッカーしようぜ。カラオケ行こうぜ。彼女できたんだって?その友達誘って合コンしようぜ。今度の連休旅行行こうぜ。仕事終わったら飲みに行こうぜ。そう言える友達もいた。


 進学、就職、結婚という任意イベントを達成してきた者はいつも充実していそうだったし、俺も途中まではそのレール上を走っていた気がする。


 でもいつからだろう。

 

 彼らを横目に一人取り残されてしまったのは。

 

 ふと周りを見渡せば、取り残されてしまった自分にさみしさを感じることもある。みんな忙しい、だから軽々しくサッカーしようぜなんてこと言えない。


 起動したLINEに目を落とすとトークに一件の通知がきていた。


 元々彼女を紹介してくれた友人が、俺が別れたことを知ってか一杯飲みに行こうという誘いの内容だった。


 こいつはいいよな。俺みたいな暇な人間に対して気がねなく連絡できるのだから。


 そいつが指定してきた近所の居酒屋に行くと、そいつはもう来ていた。なんならビール片手に先に飲んでやがる。


「おせえよ!」と指定された定刻通りに来た俺にビールジョッキを傾けるこいつに「いや、時間通りだ」と返す。


「なあ、バンドやろうぜ」


 俺たちはもう三十路、こいついったい何言ってるんだ? それにお前は家庭もあるだろう、まだ小さい子供が二人に奥さん。そんな所帯の者が言うセリフではない。


 のだけれど、また昔みたいに音楽ができるのかと思えば心躍る。失恋したことを知ったこいつが俺を慰めるためにあえて失恋話しはせず、この話題をふってきたことには察しがついた。昔からこいつはやけに気が回る人間だったことを思い出す。


 俺は音楽が特別好きなわけでもないし、得意なわけでもない。俺はただ友達と一緒に何かをやっているだけで楽しかった。小学生の頃にみんなでサッカーをしたり、ドッヂボールをしたり、その感覚だ。


 でも俺たちはもう社会人で仕事が忙しい、家庭のこともあるだろうしプライベートな時間なんてそう簡単に創出できるものではない。きっとこれもまた酒の席だけで盛り上がるネタで、実現することのない空想理想の会話に終わるのだろう? わかってるさ。


「昔はよかったよな、ギターかき鳴らすだけでなんか楽しかったし、その時間もいくらでもあった。そんな高校時代にまた戻れたらな。だから俺は思ったんだよ、だったらまた始めようぜって」


「何言ってんだよ。お前家庭だってあるし仕事も忙しいんだろ? 大人になった俺たちがそんな学生みたいなこと今さらできるわけないだろう。どうせいつものように、酒の席だけの夢物語で終わるよ」


「別にいいさ、アルコールの世界で夢見るくらいは俺たち大人に許されてもいいんじゃないか?」


 まあ実現できなくとも、たしかにこの手の話しは楽しい。


 最近の曲はわからないと言うと「じゃあ昔みたいにバンプオブチキンやアジカンの曲でもやろうぜ」と、酒の肴かのようにユーチューブを見ながら選曲する。この曲は難しいとか、ベースとドラムはあいつに声をかけようとか。そんな話しをした。


 そんなこと、実現するはずもないのに……、と思いながらもこいつが言うように、アルコールの世界で少しばかりの夢を見ることにして付き合ってみた。


 ラストオーダーだと店員が話しに来る頃にはバンドの曲や構成メンバーの見込みはたっていた。俺は多分くるはずのない「バンド練習する日が決まったら連絡くれな」と言い、こいつと解散。


 案の定、あれだけ酒の席で盛り上がって決まったのにバンド練習はおろか、何日経っても連絡ひとつ来なかった。


 高校生の頃買えずにいた憧れのギブソン製レスポール。ひそかにこのギターを購入して練習していた俺はピエロかよ。


 別に騙されたとも思っていないが、やっぱり現実なんてこんなもんだよなと落胆もした。わかってたよ、はじめから。


 それでもまた当時バンドをしていた頃に戻れると思ってギターの練習をしている時は昔の自分のように、フツフツと湧き上がるものがあった。


 いつからだろう。


 忘れてしまったこの感覚。


 それをあいつはまだ持っていたようにも感じた。


 彼女は今何をしているだろう。俺と別れてから新しい恋人ができたのだろうか。俺と違って友人に囲まれながら俺の悪口で盛り上がっているのだろうか。


 まあ昔の女のことなんてもういいし、恋愛もしばらくは遠慮したい。


 それよりはこれから。


 また昔みたいに心躍ることがしたいな。


 きっと俺みたいに、この感覚を忘れてしまった大人たちだらけで、それでもいいと、大人になるってこういうことだと割り切って生きている大人ばかりなのだろう。


 これが大人の節度というのなら、そんなものはクソくらえ!


 人生楽しんだもの勝ちなんだよ!

 

 よくわからない、年に一度くるかこないかのハイテンションにまかせて、俺は昔の友人に電話した。何年ぶりだろうか、おそらく十年ぶりに連絡する。


 「あ、もしもし俺だけど――うんうん、それでな、また――」

 

 ――サッカーしようぜ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

少年の心を亡くした中年どもへ 出雲黄昏 @izumotasogare

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る