5-16 追放魔女と使い魔王、2人旅。


「凄い、星! エトアルさん、見てください! 凄いですよ!」


 ドロシーは満天の星空の中にいた。

 上も下も夜に包まれているような気分。


 濡れた砂浜と、その浜に寄せては引いていく波が鏡となって夜を反射した結果、生み出された夜の世界にドロシーは興奮しっぱなしだった。


 鏡面に浮かぶもう一つの月。

 なんて神秘的な世界だろうか。


 大都市リキノトを離れて、半日。スヴァトスラフ司教の言ったように街道沿いに立てられていた道しるべを頼りに進み、ようやくたどり着いた【星鳴きの砂浜】。


 フィンが言ったように、足を沈めれば、きゅ、きゅ、きゅ、と小鳥の囀りのような音が鳴る。不思議な砂浜。


 ドロシーは背嚢と杖を浜に転がる岩に立てかけるようにして置くと、ブーツを脱いで素足になった。

 そっと爪先を砂浜に埋めれば、今まで触れたことのない、柔らかな砂の感触がドロシーを受け入れる。


 きゅ、きゅ、きゅ。

 鳴き砂の浜をぱたぱたと走り、ドロシーは振り返る。


 樹皮色の翼で空を飛ぶ夜鷹は、この一面の夜空のと同じ色の目でドロシーを見下ろしていた。


「主よ、はしゃぎすぎては転ぶぞ」

「大丈夫ですよ! ほら、せっかく人がいないんです、二人で楽しみましょうよ!」


 あんな大災害じみた魔獣の襲撃が起きてまだ一日。海に行こうと考える者は少ないのだろう。

【星鳴きの砂浜】にはドロシーとエトアル以外の来訪者は見られない。


(この一面の夜は、わたしだけのもの!)


 ドロシーは赤い三つ編みを弾ませながら、夜の中でもぼんやりと浮かび上がる白い砂浜の上に足跡を付けながら、波打ち際へと急ぐ。


 白濁した泡と共に、穏やかに浜へと惜しい寄せる波。


 そこにそっと足を着ければ、ひやりとした感触で包まれる。

 何もかもが、初めての感触だった。


 波の流れにもてあそばれる砂が、皮膚に触れる感触が心地良かった。


「ほら、エトアルさんも一緒に入りましょ……っわ」


 再び振り返り、背後に控えているであろう夜鷹を呼ぼうとしたところで、ドロシーの視界はぐわんと傾く。

 一際強い波に押されて、バランスを崩してしまったようだ。


(わ! これはマズい)


 このまま行けばドロシーは海に真っ逆さま。

 ローブがずぶ濡れになることは必至。


 海水が入ることを恐れて、ん、と口と目を強く閉じたところで、背中に感じるのは海水ではなく人の感触。

 魔王形態のエトアルが、ドロシーを見事キャッチしていた。


 呆れた目つきでドロシーを見下ろしながら「……言ったであろう。転ぶぞ、と」溜息交じりにそう言った。


「あはは……すみません。ちょっとはしゃぎすぎました」

「ここまで歩き通しだったのだ、少し休むといい。まだ、夜は始まったばかりだ。主が波に浚われては困るのでな」


 そのままドロシーはずるずると波打ち際から、荷物を置いた岩場へとエトアルに引きずられていった。



 ☆ ★ ☆ ★ ☆



 寄せては返す波を眺めながら、ドロシーは胸に下がるペンダントに触れていた。

 リーナから貰ったペンダント。乳白色の色は失われ、暗い色を宿した魔石。それを指先で弄りながら、ふと、思う。


(リーナのペンダントに、バーンリー教授の魔法装備、フィンさんの名刺、ピメの村の菫茶……)


 全てはドロシーが皆から貰ったものだ。

 この旅の中で得た、かけがえのない思い出の品々。


「わたし、皆の思い出でいっぱいなんだな」


 感慨深く、ドロシーは呟いた。


 魔法学校を追放されて、見切り発車で始めた旅。ただ漠然とした海を目指そうと始めた旅だ。

 どうなることかと不安でいっぱいだったが、ドロシーは素晴らしい経験をすることができた。


 ポーチや背嚢の中には、ドロシーの思い出が沢山溢れている。


 ドロシーは誰に向けるでもなく、言葉を落としていく。

 目の前に広がる一面の夜をじっと見つめながら。


「【星鳴きの砂浜】……綺麗、本当に綺麗。昔読んだ本に出てきた、夜の海、そのまま」


【薔薇園】で孤独に過ごしていた時、ドロシーを救ってくれた本。

 誰かが記した、この世界の旅行記だ。


 山で育ったドロシーにとって、遠い果てまで続く海と言うものは憧れの存在だった。

 そして今、ドロシーはあの本に出てきた文字が織りなす海よりも、何倍、いや何百倍と美しい海を目の前にしている。


「主よ」


 岩場に腰掛けたエトアルが不意に口を開いた。


「そなたの旅の目標は達成されたが……次はどこを目指すのだ、主よ」

「そう、ですね」


 見切り発車の旅。その旅の最初の目標はこの海だった。

 では次はどこに行こうか。


 追放されたドロシーに帰る場所はない。

 ただ前に進むばかり。


「エトアルさんはどこに行きたいですか?」


 ドロシーは夜の王を仰ぎ見た。

 彼は穏やかな表情で海を見つめている。


「もっと美しい場所を探しに行くのも良いですし、【星鳴きの砂浜】みたいな景勝地を探して行くのも楽しいかも。それ以外だったら、聖女ヒトアゆかりの地とか……わたしの前世の前世のそのまた前世……の人の歴史に触れても面白いかもですね」

「ヒトアか。……だが、しかし、この旅は主のもの」


 そこでエトアルは海からドロシーへと視線を移し、言った。


「どうだ? そなたの父母を探す旅でも良かろう。その髪を伸ばしているのは、父母を探すためでもあるのだろう?」

「……どこで聞いたんですか、それ……あ! まさか、エトアルさん――お風呂を……」


 エトアルが眉を顰める。


「邪推は止めてくれ、主。我と主は魔力で繋がっている。そなたの強い想いは魔力を通じて我に渡る。その時に聞いたのだよ。父母を探すことはそなたの強い願いだ」


 確かにまだ見ぬ両親を探すことはドロシーの夢の一つでもある。

 この広がる夜空の下にいるかもしれない、両親。


「でも、今は」


 そこでドロシーは立ち上がった。

 ローブに付いた砂を軽く払って、エトアルにそっと手を差し出す。


「ここで少し楽しみましょう! ほら、エトアルさん。命令ですよ」

「……、主の命とあれば仕方あるまい」

「良いんです。ほら、エトアルさん、こっちこっち」


 その手を取って、立ち上がるエトアル。


「少し戯れが過ぎるぞ」


 そんな彼の言葉など意に介さず、ドロシーは彼の冷たい手を自分の手で包み込みながら、ぐいぐいと夜に染まった海辺へと誘った。


 そして再び、ひやりとした水に足を着け、訊ねる。


「……エトアルさん、聖女ヒトアとどんな約束をしたんですか? カオスに言っていたじゃないですか、約束をした、って」


 夜の王が魔族復興に乗り出すと信じて疑わなかった混沌。

 彼の言葉を、エトアルは〝ヒトアと約束した〟と言って聞き入れなかった。


 その約束とはどのようなものなのか、ドロシーはずっと気になっていた。


「約束というよりかは、あの娘からの一方的な願いだな。闇の中でヒトアが語った戯言の一つよ」


 ふん、とエトアルは鼻を鳴らした。


「もし自分が生まれ変わった子と我が出会うことがあったなら、その子が自由に生きるのを……見守っていて欲しいとな」

「見守る……」

「ゆえに我はそなたの自由と旅を見守ることにした。同時に、あの小娘が愛した世界を旅するのも良いだろうと」


 そしてまた、美しい【星鳴きの砂浜】の空にも海にも広がる星空にエトアルは目を向ける。

 そんな彼の穏やかなその横顔を見、ドロシーは微笑んだ。


「……じゃあ、エトアルさん。そろそろ行きましょうか」

「もう良いのか?」

「はい、次の目標は決めました」

「して、それは?」

「貴方が笑顔になれる、誰も見たことのない美しい場所です」


 まだ見ぬ美しい世界を目指して。


 追放魔女と使い魔王の二人旅は続く――



〈了〉

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追放魔女と使い魔王、2人旅。〜追い出されたから旅に出たのに、救国の魔女ともてはやされては困ります!〜 アズー @azyu51

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