第1話
――懐かしい、森の香り。木々のざわめき、遠くから聞こえる、鳥や動物たちの鳴き声。
違うのは、土がちょっぴり冷たいこと。柔らかい地面に手をついて、起き上がってみる。
少しだけ痛む頭を振って、目を開けてみる。
……見えてきたのは、見たこともない沢山の木。空からは、痛くなるほどに日差しが降り注いで。
立ち上がって、自分の耳に触れてみる。もう、長くも、とんがってもいない、丸い耳。
何より、吸い込んだ息に、あの優しい精霊たちの力がない……でも、とっても澄んでいて、いい空気。
私は、少しだけ、散歩してみることにした。
森の中は、とても静かで、歩く度に見たことも無いものが沢山目に飛び込んできて。
この景色を、みんなにも見せてあげたかったな。なんて考えながら、溢れてきた涙を拭った。
そうしてしばらく歩いていると、がさがさっていう音と、誰かの気配を感じた。
それに驚いて、慌てて近くの木に隠れると、不思議な長い筒を持った、白髪混じりの男の人がやってきて。
「……気のせいか? いや、だが足跡はあるし……そもそも、これ、裸足の足跡か? ……もしかしたら、遭難者かもしれないな」
ぶつぶつと呟きながら、私の歩いてきたあとを調べる男の人は、きょろきょろと辺りを見渡して、また歩き始めました。
それにしても、あの人も防具を着ているのか。ということは、あの筒は武器? でも、この世界は平和だって神様は言っていたのに。
さっきの男の人とは反対の方向に、歩いて行こうとしたとき、「ぱきっ」と、足元の枝を踏んでしまって。
「! やっぱり、誰かいるのか! ちょっと待っていろ、今助けるからな!」
さっきの男の人が、こっちに向かってきました! ど、どうしましょう。というか、今更ながらなんで言葉がわかるのでしょうか……そうだ、そういえば神様がそれくらいは融通するって……いやいや、今そんなことはどうでもいいのです!
「いた! おい、大丈夫……か? いや、待てどうして、服を着ていないんだ?」
……見つかってしまいました。服? 何のことでしょうか。この人が何を言いたいのか、言葉はわかっても意味がわかりません。
「……まぁいい。この頃、ヒグマがよく見つかるんだ。ここにいたら危ないから、ついて来なさい」
持っていた筒を背負って、男の人はそう言いました。
それから、私は布を被せられて、男の人が手を引くままに連れていかれました。
森から出ると、真っ白い塊があって、男の人はその中に入っていきました。
私も、男の人を真似して入ってみると、白い塊は急に唸り声をあげて、しばらくすると、走り出しました。
似たようなものは、たまに交易に来る幌馬車とか、故郷の森に住んでいた獣ですが……これはどちらかと言うと、馬車に近いもののようです。不思議です。
平らに整えられた、継ぎ目の無い石の地面。同じような色の石の木。その木々から伸びる枝は、全て繋がっているようで。
また、この走る塊は、色々な種類があるみたいです。それと、たまに動きを止めることがあるのですが、どうやら色つきの火によって動く、止まると命令されているようです。
そうして移動することしばらく。どうやら、目的地に着いたようです。
「おーい、かあさん。森で女の子拾っちまったんだが、どうすりゃいいかね?」
立派な建物の入口で、男の人はかあさん。という人を呼びました。すると。
「あらあら大変ねぇ。とりあえず、ご飯食べさせて、警察か誰かに届けた方がいいんじゃないの?」
「だよなぁ。あと、それより先に服を持ってきてやってくれ。寒そうだ」
「あんれま。お洋服どっかにやっちゃったのね。確か、私の古い服がまだ残っていたはず……」
慌ただしくぱたぱたと動く、かあさんは
「とりあえず、お風呂に入れましょうか。裸で森にいたなら、きっと汚れているでしょうし、寒かったでしょう。もう秋だもの」
と言って、私の足を布で拭いて、ぐいぐいと建物の中に押し込んできました。
「今お湯を張るからね、ちょっとまっててねー」
ぽつんと一人、取り残されました。これは……鏡でしょうか。それと、これは……わっ、水が出た。なるほど、水飲み場でしょうか?
それで、こっちは……籠、でしょうか。でも、それにしては大きいし、持ち手らしきものがありません。この蓋も、何のためにあるのでしょうか。
あれこれと気になったものを調べていると、扉の向こうから
「お風呂が沸きました」
と、声が響いてきました。そこに誰かいるのですか!?
扉を開いてみても、そこに人はいません。ただ、大きな桶に、たっぷりと水……いや、お湯が溜まっていました。もしかして、これ、水浴び場なのでしょうか?
「あら、もうお湯が入ったのね。ほら、入って入って。って、もしかして、あなた外国の人? 今更だけど、綺麗な髪ねぇ。色を抜いてもそんなに綺麗に染まらないわよ」
入る? これに? 浴びるのならわかるのですが……
と、困惑していると、かあさんはなにか思いついたような顔と、迷うような顔をして、私に尋ねてきました。
「……ねぇ、あなた。とーっても有り得ないと思うのだけど……国どころか、世界が違ったりしない?」
……っ!? ど、どうしてバレたのでしょうか? この人、もしかして魔法使いなのでしょうか?
「その反応、やっぱりそうなのね……まさか、あの子の作品みたいなことが本当に起こるなんて。うん、それじゃあ、一緒に入りましょうか」
かあさんはそう言うと、素早く服を脱いで、扉を閉めました。
「じゃあ、体を洗うわよー」
「……あっ、あの。ごめんなさい、私もまったく状況を理解出来ていないのですが」
「あら、そうなの? んー、どこから説明しようかしら。まぁでも、その説明は後であの子が来たらするわ」
「あの子……?」
「ほら、目を瞑ってー。シャンプーするから、目に入ると滲みるわよー」
ばしゃっと頭からお湯をかけられて、わしゃわしゃと頭を揉みこまれて。でも、とっても気持ちが良かったです。
――水浴び、もといお湯浴びが終わって、いい匂いのする、木のテーブルに座らされました。
「まずは、ご飯を食べましょう。沢山お話することはあるけれど、あの子が来るまではお預けね」
そう言って、かあさんは、どうやら料理を始めたようです。
とんとんとん、ことことこと。ふんわりいい香りがして、ぐぅとお腹が鳴りました。
「ふふっ、すぐに出来るからもう少し待っていてね」
それからすぐに、テーブルの上に四角い金属製のなにかが置かれて、その上に……鍋? が、置かれました。
「今日はジンギスカンよ。ご近所さんが羊を潰したからって、おすそ分けしてくれたの。こんなに新鮮なラム肉久しぶりね」
「ラム肉っ!? わっ、私を食べても美味しくないですよ!?」
「違うわよ、羊のお肉のこと。それより、あなたラムって名前なのね」
あっ。そうだ、私、ここに来るまでほとんど何も話していません……
「それじゃあ、今からお肉を焼くから、その間色々お話しましょうか」
てきぱきと鍋に白い肉……脂身を塗り広げて、真ん中にお肉を、その周りに草の根や茎を並べて。どれもこれも、見たことない草です。
それよりも、私、お肉を食べたことのですが……大丈夫でしょうか。
「改めて、私はせつ子。あっちで新聞を読んでいるのが私の旦那で、てつ。よろしくね、ラムちゃん」
「はっ、はい。よろしくお願いします」
「それでね、あなたがこことは違う世界の人だって気づけたのは、私の息子のおかげなの。あなた、本を読んだことは?」
「……いえ、ないです。でも、お話を聞いたりしたことはあります」
「そうなのね。えと、私の息子はお話を書いて、それを本にして売っているの。その内容が、自分のいる世界は違う世界に行って、沢山の冒険をするお話でね。文化とか、言葉とか、色々なものが違うから、とっても苦労するの。
それでね、あなたの様子が、そのお話の人物そっくりだったから、もしかしてって思って。
明日、あの子が来るみたいだから、その時に、色々聞かせてちょうだいね」
少し早口で喋られて、所々わからなかったのですが、どうやら何もわからない私のお手伝いをしてくれる。ということは、なんとかわかりました。
「それじゃ、焼けたから食べましょうか」
茶色い液体を入れたお皿を私の前に置いて、別のお皿にお肉と草を沢山乗っけて。
「はい、フォーク。肉を取ったら、このたれに付けて、食べるの」
言われた通り、肉をフォークで取って、たれにちょんと付けて、初めて食べるお肉を……えいっ!
「……!!」
口に入れた瞬間に、甘くてしょっぱいのと、ぴりぴりする感じがして、お肉を噛むと、じゅわっとたれとは違う甘みと、よくわからないけど、すっごく頭がふわふわするくらいに、幸せになる味がして。
いつも食べていた、あの硬い草や木の根、キノコとは比べ物にならないくらい柔らかいお肉は、あっという間に口の中から無くなってしまいました……
「ほら、お米とお野菜も食べてみて」
この白いつぶつぶが、お米。草たちは、野菜。覚えました。
それじゃあ、お米とお肉を一緒に……!
この、お米、凄く美味しいです! 噛めば噛むほど甘くなって、お肉だけ食べていた時よりもすっごくすっごく美味しいです!
それに、お肉を食べたらお米が消えて、お米が消えたらお肉が消えて……もう、止まりません!
「ふふっ、すっごくいい食べっぷりね」
それから、お野菜も、硬い……というより、気持ちいい感じで、しゃきっ、ぱきって音も楽しくて。この白くて長い……
「もやしよ」
もやし! この、もやしが一番美味しいです!
お肉と、たれと、ご飯。時々もやし。これが当たり前に食べられる世界……なんて素晴らしいんでしょう!
あぁ、これから私は、こうやって色んな美味しいものを食べて、生きていくのでしょう。
それは、なんとも素敵で、魅力的で……!
この幸せを、みんなに共有できないことは悲しいけど……それでも、私は止まりません。
これからも、美味しいもの、沢山食べます!
腹ぺこ(元)エルフのグルメ日記 鈴音 @mesolem
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