第4話 オアシー
「勿体ないなぁ。絶対脈あると思うんだけど。 いいよな、俺もサトシと同じところで働こうかなぁ。サトシがその気ないなら俺いっちゃおっかなぁ。」
これが裕幸の口癖だった。彼が執拗にマドカとの関係を追求する理由には、単なる好奇心だけでなく、どこか自分のことのように思っている一面があった。
◇
——4ヶ月前、それは大学1年も終わりを迎えた2月上旬のエピソード。
最後の講義を終えた聡は、大学の図書館で島根県の人口推移に関するレポートを作成していた。産業革命以降の都市部の形成と地方の過疎化——このテーマをまとめ終われば、待望の長い春休みが始まる。
図書館は普段、20時半まで開いていて、試験勉強や読書、ネットサーフィンに没頭する学生たちで遅くまで賑わっている。だが、この日は少し空気が異なった。
図書館を出たのは17時半を回ったあたり。いつもなら、サークル活動でグラウンドが照明に照らされている時間だが、この日は珍しく真っ暗だった。少し強い風が吹いており、冷たい空気が身に染みる。
駐輪場の脇にある青白く光る外灯が、余計に春の訪れを感じさせた。
レポートも提出を終え、心に少し解放感が広がった聡は、この日はバイトもなく、寄り道して帰る予定だった。以前裕幸に教えてもらった、駅前通りの雑貨屋へ行ってみたかったのだ。
部屋の家具や小物類は、入学が決まってから父親と急いで地元のホームセンターで買い揃えたものだった。
聡は冬休みに稼いだバイト代で、部屋の模様替えをしようと考えていた。
「確か、オアシーって言ってたかな…」
店名を思い出しながら、駐輪場へ向かって歩いていると、トートバッグの中で携帯電話が震えていることに気づく。マドカからの着信だった。
「もしもーし。」
「ツーツーツー。」
「あら。」
すんでのところで取りそびれた聡は、すぐに折り返し電話をかけたが、マドカは出なかった。すぐに別の着信があったが、それは父親からだった。
「あ、もしもし。」
「あーもしもし。聡、そっちは寒かろう。」
「うん、でも松江や出雲と違って雪もそんなに降らんかったよ。」
「ほうなん?ところで春休みは帰るん?」
「いや…残ってバイトしようと思いよる。そろそろ免許も取りたくて。」
「そう、わかった、まぁまた奥道後の風呂でも行こうや。」
聡は耳にあてた携帯を肩で支えながら、原付バイクのシート下の収納からヘルメットを取り出した。
「なんか変わったことはないん?」
「お母さんは相変わらずやね。そう、みかんはもう今年でやめようと思う。じいさんも歳やけん。」
「やめるって…どうするん?」
「むかしお父さんに少林寺拳法を教えてくれた先生がガソリンスタンド経営してて。この春からそこで配達の仕事させてもらうことにした。まぁあんたらの学費は心配せんで構わんわい。教習所のお金も工面するけん、ちょっと待っといて。」
「……うん……。山の木は切っちゃうの?」
「ほったらかしよ。まぁ元気そうでよかった、あったかく過ごしてな。」
「うん…わかった。ほいじゃあ。」
「ツーツー。」
携帯をバッグに戻すと、ヘルメットをかぶり、原付のエンジンをかけた瞬間、聡の体もブルっと震えた。
◇
幸いにも、目当ての店の表札はすぐに見つかった。1階には定食屋があり、その雑居ビルの階段を上がると2階にある雑貨屋のドアを開けた。レジカウンターに座った30代くらいの女性店員が、ちらっと視線を向け、微かな声で「いらっしゃいませ」と言うと、すぐにノートパソコンに視線を移し、パチパチとタイプを始めた。
店主らしきその女性は、上品で落ち着いた雰囲気だったが、熱心に接客しようという気はあまりないようだった。
ナチュラルテイストの店内には、生活雑貨が丁寧に陳列されていた。思ったよりも大人っぽい雰囲気で、少し緊張した聡がその店内を見渡していると、再びマドカから電話がかかってきた。
「もしもし。」
小声で応じた聡は、オルゴール調のBGMが流れる店内で、隣の女性店主がノートパソコンを見つめ続けているのを感じた。
「もしもし。大森くん、今日はバイト休みだった?」
「休みですよ。」
「だよね、知ってる。帰る前にシフト表見たもん。」
「ははっ。何なんですか一体、もう。」
「ふふ。」
職場では仲の良い姉と弟のような関係だったが、プライベートでは互いに積極的な交流は少なかった。マドカからの連絡は、ほとんどがシフトの調整など、仕事に関する内容ばかりだった。
だが、この日、仕事モードから解放されたマドカの声は、どこか寝起きのようなか細さと、ほんの少しの甘えを帯びているように聞こえた。
「ねぇ、晩御飯食べた?」
「早めに学食でカツ丼食べましたよ。」
「なんだ、そっか。あのさ…。」
「はい…」
「今日さ…。」
「ん?」
「——うちに泊まりに来ない?」
全く予想していなかったその誘いに、聡は激しく動揺した。ただ、酒に酔っている様子はなかった。
「えっ、今からですか?」
マドカは隣町に住んでおり、原付バイクで40分以上は掛かる距離だった。しかし、この後にどんな展開が待っているのか分からなかったが、いずれにしてもマドカとの物理的な距離を縮めなければ何も起こらないと聡は思い、詮索せずに答えた。
「今、こっちの駅前で買い物してて。すぐ向かうので、待ってて下さいね。何か買っていきましょうか?」
「ううん、大丈夫。ありがとう。気をつけてね。三隅神社あたりまで来たら電話して。」
聡は目の前に見えたバスソルトを手に取り、レジに差し出した。
「贈り物ですか?」
店主が尋ねると、聡は頷きながら、ラッピングしてもらう間、混乱した心を何とか落ち着けようとした。
ラッピングを終えて、聡は自分の気持ちを整理する暇もなく、裕幸に簡単なメールを送った。
すぐに返信が届いた。
<ゴム買っていけよ>
その一言に、聡は思わず顔を赤らめた。
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