第4話 オアシー 

 「勿体ないなぁ。絶対脈あると思うんだけど。

 いいよな、俺もサトシと同じところで働こうかなぁ。サトシがその気ないなら俺いっちゃおっかなぁ。」


 これが裕幸の口癖だ。彼が執拗にマドカとの関係を追求するには理由があった。



 ——4ヶ月前、それは大学1年も終わりを迎えた2月上旬のエピソード。



 最後の講義を終えた聡は、大学の図書館で島根県の人口推移についてのレポートを作成していた。

 産業革命以降の都市部の形成と地方の過疎化——このテーマを纏めれば2ヶ月に及ぶ長い春休みが待っている。

 

 図書館は、普段20時半まで開いていて、試験勉強や読書、ネットサーフィン等、思い思いの時間を過ごす学生で、遅くまで席は埋まっていた。


 図書館を出たのは17時半を回ったあたりだった。いつもならサークル活動で20時頃までグランドが照明で照らされているが、この日は珍しく真っ暗だった。少し風が強い。

 

 駐輪場の側に青白く光る外灯の色が余計に早春の冷えを感じさせる。

 

 レポートの提出も済ませた聡の心は、幾分かの解放感で満たされていた。

 この日はバイトもなかった為、寄り道して帰る予定だった。以前裕幸に教えてもらった、駅前通りの雑貨屋へ行ってみたかったのだ。

 

 部屋にあった家具や小物類は、入学が決まってから父親と慌ただしく地元のホームセンターで適当に買い揃えたものだった。


 聡は冬休みに稼いだバイト代で部屋の模様替えを考えていた。


「確か、オアシーって言ってたかな…」


 店の名前を思い出しながら駐輪場へ向かって歩いていると、トートバッグの中の携帯電話が震えていることに気付いた。


 マドカからだった。

 

「もしもーし」

 

「ツーツーツー」

 

「あら」

 

 すんでのところで取りそびれたようだ。聡はすぐに折り返したが、マドカは出なかった。

 

 またすぐに着信があったが、今度は父親からのものだった。


「あ、もしもし」


「あーもしもし。聡、そっちは寒かろう。」


「うん、でも松江や出雲と違って雪もそんなに降らんかったよ。」


「ほうなん?ところで春休みは帰るん?」


「いや…残ってバイトしようと思いよる。そろそろ免許も取りたくて。」


「そう、わかった、まぁまた奥道後の風呂でも行こうや。」


 聡は耳にあてた携帯電話を肩で支えながら、原付バイクのシート下の収納からヘルメットを取り出した。


「なんか変わったことはないん?」


「お母さんは相変わらずやね。

そう、みかんはもう今年でやめようと思う。じいさんも歳やけん。」


「やめるって…どうするん?」


「むかしお父さんに少林寺拳法を教えてくれた先生がガソリンスタンド経営してて。この春からそこで配達の仕事させてもらうことにした。

 まぁあんたらの学費は心配せんで構わんわい。教習所のお金も工面するけん、ちょっと待っといて。」


「……うん……。山の木は切っちゃうの?」


「ほったらかしよ。

 まぁ元気そうでよかった、あったかく過ごしてな。」


「うん…わかった。ほいじゃあ。」


「ツーツー」


 携帯電話をトートバックに戻すとヘルメットを被った。原付バイクのエンジンをかけた時、聡の身体にもブルっと震えが走った。


 

 幸いにもお目当ての店の表札はすぐに見つかった。

 1階に定食屋がある雑居ビルの階段を上がり、2階にある店のドアを開けると、レジカウンターに座った30代くらいの女性店員がチラッと視線を送り、微かな声で「いらっしゃいませ」というと、すぐにノートパソコンに視線を移しパチパチとタイプを始めた。

 上品で落ち着き払った様子から店主に思えたが、あまり熱心に接客する気はないらしい。


 ナチュラルテイストの店内には生活雑貨が丁寧に陳列してあった。

 想像より大人びた雰囲気に少し緊張を覚えたとき、再びマドカから電話が掛かってきた。

 

「もしもし。」


 聡は小声で電話に応じた。


 オルゴール調のBGMが静かに流れ、相変わらず女性店主はノートパソコンから視線を変えない。

 

「あっ、もしもし。大森くん、今日はバイト休みだった?」

 

「休みですよ。」

 

「だよね、知ってる。帰る前にシフト表見たもん。」

 

「ははっ。何なんですか一体、もう。」

 

「ふふ」


 職場では仲の良い姉と弟のような関係だっが、プライベートでは互いに積極的な交流はない。マドカからの連絡というとシフトの調整など仕事に関する内容であることがほとんどだった。


 この日、仕事モードから解放されたマドカの声は寝起きのようなか細さと、ほんの少しの甘えを帯びているように思えた。

 

「ねぇ、晩御飯食べた?」


「早めに学食でカツ丼食ったんですよ。」

 

「なんだ、そっか。あのさ…。」

 

「はい…」


「今日さ…。」


「ん?」


「——うちに泊まりに来ない?」

 

 全く予想していなかった用件に、聡は激しく動揺した。ただ、酒に酔っている様子はない。

 

「えっ、今からですか?」

 

 マドカは隣町に住んでいて、原付バイクで40分は掛かる距離だった。

 この後にどんな展開が待っているのか分からなかったが、いずれにしても、マドカとの物理的な距離を縮めなければ何事も起こらないと思った聡は余計な詮索はしなかった。

 

「今、こっちの駅前で買い物してて。すぐ向かうので、待ってて下さいね。何か買っていきましょうか?」

 

「ううん、大丈夫。ありがとう。気をつけてね。三隅神社あたりまで来たら電話して。」


 聡は視界に入ったバスソルトを手にとるとレジに差し出した。


「贈り物ですか?」

 

 そう尋ねると店主は丁寧にラッピングをしてくれた。

 聡の他に来客はなく、終始静かな時間が流れた。

 

 ラッピングしてもらう間、聡は混乱した気持ちを抑えることができず、裕幸に簡単なメールで状況を伝えた。


するとすぐに裕幸から返信があった。



<ゴム買っていけよ>と。

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